『狼子と夢の学園祭』<後夜祭>

太陽が高い。空は晴れていた。給水塔の陰で横になったまま、どうやら眠ってしまっていたらしい。

屋上から階下へ降りてみると、校舎内は人でごった返していた。そういえば、学園祭が近いということを睦実から聞いた気がする。というか、そうそう、この前覗きに行った教室でも準備をしていたっけ。

校舎中の教室は思い思いに装飾され、廊下にはそれぞれの出店に並ぶ客の列、食べ物を手に歩く客達。放送用のスピーカーからは学生らしくポップスがBGMとして流れており、校舎内は祭りの様相を呈している。

空いているらしい教室に入り、黒板横にかけられた日めくりカレンダーで日付を確認する。やはり、半月近く時間が過ぎていた。俺はやはり、眠るごとに必要以上の時間を浪費していくらしい。

なるべく眠らないようにした方がいいのだろうか・・・しかし、この身体になってからこれまで、俺は眠気を感じたことがない。ぼんやりしているといつの間にか眠っていて、気がつくとひどく長い時間が経過しているというのがこの前二回のパターンだった。眠気を感じないままであるのに、意志に関係なく突然眠りに落ちてしまう。この身体は少々考え物かもしれない。

教室を出ると、走ってきた誰かとぶつかりそうになる。咄嗟に避けたが、避けた後、そういえば俺は避ける必要がないんだということに気付き、苦笑する。なんとなく振り返ると、驚いた顔でこちらを見つめる少女の姿。ラッコの着ぐるみに身を包んでいても、それが誰なのかはすぐにわかった。

「睦実・・・?」

「・・・!」

睦実は咄嗟に顔を伏せる。目尻には、涙が浮かんでいた。

『・・・学園祭の日、告白するから。絶対負けない』

あの日の睦実の言葉が脳裏に響く。

「睦実・・・」

「・・・あんたの言ったとおりだった」

睦実が俺を見据える。俺はただ、その視線を受け止めて立ち尽くすしかなかった。

「睦実・・・その・・・昨日は・・・」

「・・・うるさい!幽霊なんかにあたしの気持ちなんかわかんないよ!!」

睦実の言葉が、俺の足を止めさせる。返す言葉が見つからなかった。睦実ははっとしたように顔を上げ、俺と目が合うと咄嗟に顔を逸らした。

「・・・さよなら」

ラッコは目を伏せると、こぼれる涙を拭いながら走り去っていく。俺はやはり、何も出来なかった。





幽霊の扮装をした女生徒が呼び込みをしている。昔の死に装束よろしく真っ白の着物で、裾だけがミニスカートのように短い。額には定番の白い三角巾。出し物はオバケ屋敷らしい。

どうせすることもないし、どれ、本物の幽霊(風)の俺が見に行ってみるか。

彼女達の向こうへ足を進めてみると、そこは見覚えのある場所だった。睦実と二人で覗きに来た、あの教室だった。入り口には机が置かれ、女生徒が一人腰掛けて受付をしている。

顔を伏せているので初めはわからなかったが、よく見てみるとそれは中野だった。俺が廊下の反対側の壁に寄りかかって眺めている間も客はひっきりなしにやってきて、そのたびに彼女は料金を受取った後、手元のノートに何事か書き込んでいた。売り上げの記録か何かだろうか。

表情は一貫して暗いままで、顔色もどこか生気が感じられない。人が途切れるたび、顔を伏せ、ただ何事も無く時間が過ぎるのをじっと祈っているようにも見えた。

ふと、人ごみの向こうから歩いてくる人物に気付く。

谷屋だった。

初め気付いていなかった中野も、顔を上げて驚いていた。二言三言交わすと、谷屋は教室に入っていく。そっけない言葉で答えていたはずの中野は、無意識に別れを惜しむようにそれを目で見送った。その目には何か、言葉で言い表せない思いのようなものを感じた気がした。

これは・・・見込み無いよな・・・

睦実が谷屋を異性として思い続けてきた時間があるように、中野にも谷屋を異性として思い続けてきた時間がある。だが、それでも彼女が親友として彼を思い、頼りにしてきた時間は消えることはない。それは、同じだけの深さで持って異性としての思いに変わることもある。それまでの、全てをもって。それは、思い人である谷屋のなかにも、同じように・・・

誰かが付け入る隙なんて、初めからなかったんだ。しかしそれでも、それまでの睦実の気持ちが嘘になるはずなど無い。

誰かが幸福を享受すれば、その陰で誰かが不幸になる。それもまた、当然のことだ。





人でごった返す校舎内を、あても無く歩く。もう、どこに行けばいいのかわからなかった。俺がここにとどまる理由も、もう無くなってしまった気がする。

睦実との関係も、これで終わりなのだろうか。だとしたら、せめて、何か一言でも、言葉をかけてやれたらよかった。心無い言葉をかけてしまったことを、一言でも謝りたかった。それだけが心残りだ。

しばらく歩き続けると、人通りの少ない区画に辿り着く。この辺りは出店のない空き教室ばかりのようだ。それだけに、通るのもこの学校の生徒ばかり、しかもその数も少ない。

ぼんやり歩いていると、廊下の角、その向こうから怒声のようなものが聞こえてくる。何事かと覗き込んでみると、誰かと誰かが言い争っているように見えた。手前に見えたのは見るからに柄の悪そうな男。派手な金髪に浅黒い肌、その中でまた派手な貴金属が輝いている。彼は、目の前の女生徒の腕を掴み、しきりに口説こうと、というよりは、無理矢理連れ去ろうとしているようにも見える。

「な?いいだろ?俺、さっきまで汗臭いヤローどもと一緒に狭い部屋に閉じ込められて、精神的に参ってるんだわ」

「やめてください!放して!」

(あーあ・・・盛ってんなー。あれじゃ女の子だってドン引きだろうに・・・)

そう思って女生徒の顔を見たとき、俺はその場で硬直した。

あれは、睦実だ・・・

ラッコの着ぐるみは脱いだらしく、制服姿だった。目尻は赤く腫れており、一人で泣いているところを捕まってしまったことが伺われた。

助けは無いのかと廊下の向こうを見渡してみると遠くの方に小さな人だかりが見えたが、そこにいる誰もがオロオロするばかりで一向にこちらに向かってくる気配が無い。教員の誰かが通れば一番手っ取り早いのだろうが、ここは教員の通りそうな場所ではない上、教員と生徒の人数の割合からしてそう都合よく誰か通るわけがない。

状況は単純であれ、切迫しているようだった。

咄嗟に飛び出すが、それからどうしていいのかわからなくなる。俺がこんな状態でなければなんとかするきっかけぐらい作れたかもしれないが、今の俺は誰かにそっと触れることすら出来ない。

そうしている間にも、睦実はアホーにひかれどこかに連れて行かれそうになる。彼女も足で踏ん張ったり怒鳴りつけたりとしているが、それも長く続きそうに無い。と、彼女の視線がこちらを向く。俺の姿を認めても何かを言ってくることはなかったが、目が助けを求めていた。

『そのものの存在を強く意識して『触れる!』って思えば触れるってことなのかな?』

昨日の睦実の言葉が脳裏に響く。だが、やったからといって、もし失敗したらどうなる?だが、このまま手をこまねいていても何も変わらない。一か八か、たとえ八でも、やらずに後悔なんてしてたまるか。

まず俺は目を閉じて、頭の中にイメージする。

腕を振り上げる。その次に、アホーの後頭部に向かって思い切り腕を伸ばす。伸びきったとき、拳はアホーの後頭部を前のめりに思い切り吹き飛ばす。

何度もイメージして、頭の中をそれで満たす。アホーの頭に拳が当たる。拳が当たる。当たる。

目を開き俺は、ゆっくりと腕を振り上げた。その姿勢のまま、深呼吸をする。先ほどまでのイメージを何度も反芻した。そして・・・

「拳が当たる!!!!!!」

勢いよく拳を突き出す。

拳に衝撃を感じた瞬間、アホーは前のめりによろけた。ポルターガイストを、習得したんか・・・!

「な、なんだぁ~!?」

アホーがゆっくり振り返る。

「当たる!!!」

すかさず放たれる左パンチ。

「当たる!!!!」

アホーの鼻面を捉える。

「当たる!!!!!」

次に右フック。アホーが左につんのめる。

「当たる!!!!!!!!!!!!」

反動で左フック!すかさずボディブロー!!更にストレート!!!アホーが仰向けに倒れそうになるところを開いた襟元を引っつかんで引き起こす。

「おらパスじゃあああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!」

すかさずタッグパートナーの睦実にスロー!!どこからか持ち出した消火器を構える睦実!!!

「女を舐めんなああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!」



 ゴーン



消火器はアホーの顔面にクリーンヒット。アホーは勢いよく床に倒れ、白目をむいて痙攣している。俺と睦実は肩で息をしながら互いに目線を交わし、安堵の笑みを浮かべる。

しかし、その瞬間睦実の手にした消火器から、衝撃で緩んでいたらしい安全ピンが飛ぶのを、俺は見逃さなかった。そこだけゆっくりと過ぎていく瞬間。驚愕の表情。叫ぶ形に開いた口。

「きゃ、きゃーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!!!」

噴射される消火器の白煙。俺の体を突き抜ける。

「どどどうしよ!!?ゆ、ゆーれーさーーーーーーーーーーん!!!止まんないーーーーーーーーーーーーーー!!!!!」

「と、とにかく下向けろ!!床に噴射しろ!!」

「わーわー!!!」

阿鼻叫喚。そして不運は、睦実が消火器のホースを向けた先が白目むいて泡を吹く男だったことか。悲鳴に次ぐ悲鳴。白くなっていく廊下。白くなっていく泡男。呆然とする観衆。一人だけ平気な俺。

消火器が最後の一滴まで噴射されつくした後も、俺達はただ呆然とその場に立ち尽くしていた。

そのとき、背後からドカドカと走ってくる複数の足音。はっと我に返り振り替えると、道着姿の逞しい男たちが汗だくで走ってくるところだった。

「どうしたーーーー!!!一体何の騒ぎじゃーーーーーーーー!!!!」

「わしら長台高学園祭警備隊じゃーーーーーーーーーーーー!!!!!!!」

男たちはその場で仁王立ちになると、各々雄叫びを上げ始める。オロオロしながら説明しようとする睦実。

「あ、あの、こいつが消火器を噴射しながら攻めて来て、それで・・・」

そんな馬鹿な。まあいいけど。

「ぬおおおおおおおおおそれはけしからん奴はじゃああああああああああああああああああ!!!!!!!!」

納得するのか。それにしても、一々雄叫びを上げる癖をなんとかしてもらいたいのだが・・・

「こいつよく見るとさっき収容所から脱走した丘サーファーじゃあああああああああああああああ!!!!!!!!!」

「脱走の上またしても女を襲うとは何事じゃああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!」

「ぬおおおおおおおおおおおおおこれはじっくり思い知らせなければならんのじゃああああああああああああああああ!!!!!!!」

男たちは伸びている男の両手両足を掴んで御輿のように担ぎ上げると、そのまま何処かへと去って行った。後に残ったのは消火器の白い跡と、その中の人型に綺麗になった部分だけだった。

「はは、・・・な?しょ、消火器の一吹きで、大変なことになるだろ?」

「う、うん・・・そ、そうだね」

「はは」

「えへへ」

改めて安堵のため息をつき、俺達は笑顔をかわした。お互い笑顔にはもう、何のかげりも無かった。

と、そのとき・・・

「あれ?ゆ、幽霊さん?」

「うお!?なんだこりゃ!?」

俺の身体が、急に発光し始める。それに伴って、段々視界まで光に包まれる。俺は、全てを悟った。

「幽霊さん!」

「・・・そろそろ、お別れみたいだな」

まったく、俺がここまで右往左往して思い悩んできたことも、全部無駄だった様だ。終わりというのは、勝手にやってくるものらしい。

「ゆ、幽霊さん!あたし・・・」

睦実が何かを言いかける。だが、俺はそれを待たずに口を開いた。

「・・・この前は無神経なこと言って悪かったな。お前がどんな気持ちでいるかとか、考えが足らなかった。ごめん」

「そ、そんなことない!!」

睦実の目から涙がこぼれる。その手は必死に俺の腕を掴もうとするが、何度やっても空を切るばかりだった。

「あたしだって、酷いこといってごめん!あたし、自分のことしか考えてなかった!!」

睦実の顔はもう、涙でぐしゃぐしゃだった。もう、泣くのはやめて欲しい。世界を包む光が一段と強さを増していく。そろそろ、終わりが近いようだ。

15 「睦実!謝る事無いぞ!ありがとうな!元気でやれよ!」

「あ、あ、あたし、・・・!!!」

睦実が俯き、言葉に詰まる。涙がポタポタ零れ落ち、肩が震えている。だが、涙を何とかこらえ、何かを決意したようにこちらに向き直った眼差しは、今迄で一番強い光を秘めていた。

「・・・ありがとう!!あたし、頑張るから!!!」

俺の視界は光に包まれる。涙でキラキラと輝くような笑顔も光の向こうへ消え、俺の身体は光の柱の中をゆっくりと昇っていく。



・・・・・・・かに思われた。

「見つけたああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!」

ぱっと光が散り、周囲の景色は元の学校に戻っている。唯一つ違うことと言えば、周りに誰の姿も見えないこと。睦実も、遠くで見ていた人だかりも、床の、人型に綺麗になっている白い粉の跡も。

そして、廊下の先、地響きを立てながら猛烈な勢いで駆けて来る一つの人影。

「たああああああああああああああああああああつやあああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」

「ろ、狼子!!?」

人影の、その鬼のような形相をした顔を確認するとともに、俺の頭の中に自分の名前が甦る。

「そこおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお動くなあああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」

「ちょwwwwwwこええよwwwwwwwwww」

つい反射的に身を翻し、走り出す俺。

追ってくる狼子。

角を曲がり、地響きから逃れようと必死に走る俺。

狼子。

俺。

狼子。

おr

「木村くん?」

誰かが俺の腕を掴んだ。





先生「・・・木村くん?」
辰「・・・あれ?ここは?」
先「保健室よ。どうしたの?」
辰「え?あの、俺、どうして・・・」
先「・・・もう、どうしたの?あなた、貧血で倒れた月島さんのことお見舞いに来たんでしょ?」
辰「え?狼子を?え?」
先「・・・あなたがさっきそう言ったんじゃない。大丈夫?」
辰「あ、・・・・・そっか。そうでしたよね。すみません、ボーっとしてて・・・」
狼「ん~・・・たつや・・・?(むくっ」
辰「あ、悪い、起こしちまったか。もう大丈夫か?」
狼「ん~・・・だいじょうぶ・・・」
先「・・・もう大丈夫そうね。さ、ふたりとも教室に戻って。もうすぐ昼休みも終わるから」
辰「はい。いくぞ、狼子」
狼「・・・ん~?ん~・・・もう少しねる・・・(ゴロン」
辰「おいおい・・・」
先「フフ・・・仕方ないわね。じゃ、大事を取って次の時間まで寝かせておくから。木村くんだけ戻りなさい」
辰「あ、はい。すみません、お願いします。じゃ、俺はこれで・・・失礼しました」
先「はいはい。気をつけて戻りなさい」

 ガラガラ ・・・

先「・・・あなた、危なかったわよ」

辰「・・・え?」

引き戸が閉じられる間際、先生が何か言ったような気がしたが、俺の耳には聞き取れなかった。
立ち止まったまま考え込んでいる内にチャイムが鳴り、俺は見慣れた廊下を自分の教室に急ぐ。

そして、胸の奥に残る暖かな面影はなんなのか、今の俺にはよく思い出せなかった。



【終】

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最終更新:2008年07月21日 02:38
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