~・~・~
夜になると、彼はいつもどこかへ出かけていく。
行き先はわからない。
待ちくたびれて眠ってしまうと、朝の光に目覚めた頃にはもう帰って来ている。
監禁されている私にも、
数時間に一度だけ、自分の意志で部屋の外へ出るチャンスがある。
「あ、あのー!トイレに行きたいんですけどー!」
「・・・我慢しろ」
「も、もう漏れちゃいそうなんです!!」
「・・・」
「あ、あ、もうだめー!!」
「・・・来い」
扉が開き、男を急かすようにトイレに向かい、
ひとりでトイレに入ると、正面の窓にとりつく。
ロックを外して引くと縦に倒れて隙間が開くタイプの窓だった。
思い切り押せばいくらか隙間が出来るものの、転落を防ぐ為なのか一定の角度までしか窓は開かなかった。
もっと力をこめて引けば壊せそうだったが、音が心配だった。
開いた隙間から下を覗いてみると、監禁部屋から覗いて確認したとおり、窓のすぐ横に雨どいがある。
角度のせいか、部屋から見えたはずの下の階の外周の渡り廊下は見えない。
「おい、早くしろ」
「ま、待ってくださいよ!まだ出てんですから!」
ドアの向こうから声がかかりびくりとする。
雨どいを伝って下の階へ脱出する作戦は、やはり危険すぎるようだ・・・大体私は高所恐怖症だ。
やはり夜中、あの男が出かけた隙を狙う以外ないか。
そう思っていると、
窓の縁にかけた手、その指先に何かが触れた。
首を伸ばして覗き込むと、外側、窓の縁の下側から、何かの針金が飛び出しているのが見える。
力をこめて引けば、抜くことが出来るんではないだろうか。
針金をまず指先だけで下に向かって引っ張り、
ある程度飛び出させたところでしっかり手のひらに握り締め、思い切り力をこめる。
窓枠がぎりぎりときしむのが手のひらを通して伝わってくる。
「おい」
「うわ!」
扉の向こうからかけられた声に驚き、窓から飛び出しそうになり、慌てて針金を掴んだ手で支える。
と、突然掴んでいた針金がすぽんと抜け、前のめりになる。
今にも窓から落ちそうなところで、開いた手と足の力で踏ん張り、身体をなんとか窓の内側に戻す。
危ないところだった・・・
しかし、私の右手には、針金。
やっとのことで手に入れた脱出への鍵を背中に隠すと、私はトイレを出た。
セピア色の夢の中。
ぼーっとしていると風景はどんどん色づいていって、
気がつくと僕はあの日まで暮らしていた家に居た。
でも不思議と懐かしさは感じない。
ここは僕の家だから。
今日までずっと暮らしてきた家だから。
小さな犬と大きな猫、そして父さんと母さん。
母さんは台所で夕飯の支度をしている。
父さんは食卓で野球の中継を見ていて、膝の上で猫が丸くなって眠っている。
縁側の窓の外、ささやかな庭にはもう夜の帳が下りて、大きな小屋で眠る小さな犬の姿は見えない。
魚の焼ける匂い。
煙草の白い煙。
ふと、僕の視線が天を仰ぎ見る。
そのまま僕は倒れて、父と母が駆け寄ってくる。
僕の世界は闇に包まれた。
目覚めるとそこは、暗い部屋。
カーテンの無い窓から月明かりが差し込んでいる。
ベッドから起き上がって窓辺へ向かう。
空には、上弦の月が昇っていた。
ふと気付き、扉の向こうの気配に感覚を研ぎ澄ませる。
沈黙。
男はもう、いつものようにどこかへ出かけて行ったらしい。
念のため音を立てないように気をつけながら扉へ向かう。
抜き足差し足で辿り着き、服に隠しておいた針金を取り出し、その先端を確認する。
細身ながら、なかなかの剛性だ。
これなら、鍵を開けるのに足るものであるはずだ。
薄明かりの中、ドアノブに張り付いて鍵穴を指先で探す。
すべすべしたステンレスの感触。鍵穴はなかなか見つからない。
少々の焦りも感じ始める。
指先で熱心にノブをなでるが、鍵穴は一向に見つからない。
鍵穴はノブの下側なのだろうか。
しかし、その様なものは見当たらなかった。
鍵穴は、結局見つからなかった。
どうやら全て、反対側らしい。
急に悔しくなってきた。あんなに苦労して手に入れた針金なのに。
悪いのはこの扉だ。
家主が自分でうっかり鍵をかけて閉じ込められたりしないように、
両側に鍵穴をつけておくべきではないのか。
なんという理不尽だ。
音が立つのも気に留めず、扉を拳で思い切り殴りつけた。
それがいけなかった。
バリバリバリ ・・・ バターン
一瞬何が起こったのかわからなかった。
目の前には、扉の向こうの廊下の風景が広がっていた。
視線を落とすと、腐った木屑が散らばり、板張りの床にたった今殴りつけた扉が倒れていた。
まさか。私の拳の威力で扉が壊れたとでも言うのか。
なわけがない。
もともとこの扉は、腐っていたのだ。
要するに、鍵があろうと無かろうと、その気になればあたしはいつでもここを出られたということなのだった。
段々腹が立ってきた。
そこまで考えて、はっとする。
一応壁に半身を隠し、周囲の気配をうかがう。
明かりが落ちて、闇に包まれた部屋。
廊下の向こうの暗闇からは、何の気配も感じない。
どうやら、やはり男はいつも通りどこかへ出かけた後らしい。
気配をうかがいながら慎重に部屋を出て、恐らく玄関への扉があるであろう方向へ向かう。
廊下を手探りで進むとすぐキッチンのようなスペースに出る。
よく掃き清められていて、薄闇の向こう、棚に食器類が整然と収められている。
右手にはキッチン。
こちらも随分手入れが行き届いているように見えた。
私とは大違いだ。
・・・。
個人の感情は置いておいて、キッチンの横にあった玄関らしい扉も程なく見つかった。
鍵は開いていた。
扉を薄く開き、隙間から外の様子を伺う。
その後、何も仕返しできないまま出て行くのも悔しいので、
しまってある調理器具を色々配置を変えたり散らかしたりした後、私は廊下に走り出た。
【つづく。】
最終更新:2008年07月21日 03:04