細い裏路地をひた走る俺と少女。
俺と少女の距離は徐々に縮まり、ついに俺はその手を掴んだ。
「さぁ、もう逃げられないぞ。なんでこんなことしたんだ?」
「そ、そんなの僕の勝手でしょ! それより腕放してよ……いたいよ……」
「納得出来る説明と代金を支払ってくれたらな」
俺はとあるファミリーレストランの店長を勤めている。
休憩室の監視モニターに映っていた不穏な動きの女の子は、案の定、会計を済ませずに店を出た。
俺はすぐに裏口から店を飛び出、そして、今に至る訳だ。
目の前の少女は判りやすく焦り始めた。
常習犯みたいな奴らではなくて、おおかた家出の果ての行動といった感じなのだろう。
事情を話して家族の方にでも迎えに―――
「ぼ、僕はお金ないけどあの人が払ってくれるもん! だから放して!」
少女は通りかかった人を指差した。
嘘だというのが見え見えな上、まるっきり無関係な警察官……警察官!?
「ん? 何かありましたか?」
「―――っ!?」
振り向いたその姿を見て、少女は硬直した。
彼らに家出中だなんて事がばれたら強制送還決定だろう。
少女は固まったまま動かない。
小さな頭でこの状態を脱却する術でも考えているのだろうか?
……ったく、俺も甘いもんだ。
「……おい、お前いいのか?このまま連れていかれても」
少女は涙目になりながらこちらを振り向いた。
年端も行かない女の子の腕を掴む姿は危ないかもしれないが、話せばこちらに分があるのは彼女もわかっているだろう。
「な、なんでも、なんでもないです! ね? なんでもないよね? パパ!」
なんとか口裏を合わせて欲しいと目で訴えかけてくる少女。
しかし警察官の方を見てみると、存外怪しがられているのが見て取れる。
それはそうだろう。 俺がこのくらいの娘を持つにはまだまだ早すぎるのだ。
「……娘さん……ですか?」
明らかに疑いの目でこちらを見ながら、警官は尋ねて来た。
横目で少女を見ると、涙目で何かを訴えるようにこちらを見ている。
……とりあえず話を合わせてやるか。
「えぇ、買い物に付き合ってたんですが、ウロチョロされて見失ってしまいまして…」
「………」
俺は悪いことはしていないのに、責めるような目で見られている。
なんて損な役回りなんだろうか。
「…それで、やっと見つけたところなんです」
もう少しだ…後はこの格好を上手く説明できれば……
そう、思った時だった。 やはり何かを焦っている様子の少女は、俺の腕を引いて来た道を戻ろうとし始めた。
「あ、あはは、捕まっちゃったー♪ お巡りさん、用事も無いのに声掛けちゃってゴメンナサイ。 さ、パパ行こう?」
……こいつはいつも、こんな風に親と接しているのだろうか?
いや、そうだとしたらこんなにぎこちない装いはしないだろう。 むしろ、その逆―――?
「ねー、パパぁ、抱っこしてー♪」
あぁもうこの野郎……! 捕まりたいのか捕まりたくないのか……
「あ、ちょっと! お二人は親子なんですよね? でしたら何か、身分を証明できるものを」
案の定呼び止められた俺は困り果てていた。
身分証明も何も、食い逃げ犯と店主という関係なのだからそんなものある訳は無いのだ。
振り向かないように横目で少女を見ると、顔が真っ青だ。
俺は警官に気付かれないように小声で少女に話し掛けた。
「おい、俺と一緒に捕まってもいいのか?」
少女は小さく首を振って、俺の袖をキュッと握った。
今にも泣きそうな表情だ。 こんな顔されたら、助けない訳にも行かないだろう。
「……助けて……」
少女は力無くそう呟き、俺の後ろに隠れた。
やれやれ…… 俺は一つ息を吐き捨てて、勢い良く振り返った。
「お巡りさん、すみませんでした!」
呆気に取られる彼を見ながら、俺は続けた。
「実を言うとこの子と昨日喧嘩をして家を飛び出してしまいまして…先程家内から連絡を受けて連れ戻しにきたんですがゴネられて…」
「……それで今、身分証明はもってきていないんです」
よくもこれだけ嘘を並べられるものだ。
自分でも驚きだが、それでも疑り深い人ならばまだ疑って掛かるはず……
「あの…お父さん、顔を上げてください、もういいですよ。こちらこそ、しつこくしてしまってすみません」
「じゃあ、私はこれで……」
今までこれほどに安堵したことはあっただろうか?
何と言うか、切り抜けられた事で緩みそうな顔を隠しながら、警官の背中を見ていた。
自転車を漕ぎながら小さくなっていく背中は、何故か淋しげだったのを覚えている。
「ふぅ……助かった」
「あの…ありがとう」
立つのも精一杯という感じで少女が服の裾を掴んでいる。
「……まぁ…とりあえずはよかったな」
俺は少女の腕を離し、店への道を歩いた。
何故かはわからない。ただ彼女は逃げないような気がして。
案の定少女は逃げようともせずに後をついて来た。根はいい子なんだろう。
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「ちょっと、店ほったらかして何処行ってきたのよ!? その娘、誰!?」
「ご、ごめんなさいっ! ごめんなさいっ!」
厨房まで入ると、フライパンを持った料理長に詰め寄られた。
独特の強気かつ早口で叩きつけるようにそう怒鳴りつけると、何故か少女が頭を下げた。
その謝り方に引っ掛かるものを感じつつも、俺は場を制した。
「あー、スマン、何でもないんだ!みんな仕事に戻ってくれ」
そう言って俺は少女を連れて事務所へと入った。
少女は申し訳なさそうにソファに腰掛ける。
「……さて、じゃ、聞かせてもらおうかな?」
俺は少女に尋ねた。……扉の外に、料理長がいることにも気付かないまま。
「その……僕、家出中なんです。 それでお小遣いも無くなっちゃったしお腹もすいたし どうしようって思ってたら、美味しそうな匂いが……」
「それで、その……ごめんなさい! お金は、いつか返しますから……」
納得が、いかなかった。
確かに金がなくなったのも、弾みでこんな事をしたのも確かにそうなんだろう。 嘘はついてはいない、とは思える。
……けど、何かが引っかかる。 まるで何よりも、家に帰らない事を優先しているかのような話し方。
それに、金が無いまま解放したとしても、同じようなことを繰り返すか、あるいは―――
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「……君……此処で住み込みで働いてみるか? 幸い生活するには事欠かない部屋がある。 ……どうする?」
俺は彼女に一つ取引を持ち掛けた。 キョトンとした顔で首を傾げる姿が愛らしい。
しかし、答えを聞く前に、大きな音を立てて入口の扉が開かれた。
「……だから、なんであんたはあたしに黙ってなんでもかんでも決めるのよ!!!」
「そういう大切なことはあたしに相談してから決めろって言ったでしょ!? ―――黙ってないで何とか言え!!」
「ご、ごめ……なさ……」
料理長が割り込んで来た刹那、怯えるように謝り出した少女。
先程まで良かった血色も見る間に青ざめ、その蒼白の頬を涙が伝う。
「……ごめんなさい…ごめ…なさい……」
困惑する料理長を横目に俺はふと思う。
……この娘は何を背負ってきたんだろう。 誰に赦しを請うのか、何に対して謝罪を繰り返すのか。
幾度目かの「ごめんなさい」を終えた後、少女はそのまま倒れた。
多分貧血だろう。俺は休憩室の押し入れから毛布を出して掛けてやった。
「さて……何処から聞いていた?」
俺は呆然と立ち尽くす料理長に声を掛けた。
……オイオイ、指をつつきながら目を泳がせるって……お前仮にも元男だろうが。
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「そりゃあ・・・その子が家出してきたってところから・・・ってちょっと、なんであたしが責められてんのよ」
「逆にこっちが聞かせてもらうけどさ……その子、住み込みで働かせるって話、本気?」
「……あぁ、本気だ。 ただ―――」
俺の言葉は、ヤツによって遮られた。
「本気で?どこの誰かもわからない子を?」
「あたしは絶対反対よ。 今日会ったばかりの子をどうして店に、しかも住み込みで置けると? 納得できる説明が欲しいものね!」
降りしきる言葉の雨は、止まることを知らないのだろうか。
話を最後まで聞いてもらえない理不尽さに苛立ち、少し口調を強めて言い返す。
「……話は最後まで聞けよ!」
先程まで強張っていたヤツの肩が竦んだ。 こういう所は昔から変わっていない。
「この子だって何か理由があって家を出たんだろう? 働かせるにしても、追い帰すにしてもそれを聞いてからだって遅くはないだろ? それに、お前だって―――」
脳裏に過ぎる高校時代。 こいつが女体化してしまった時の記憶。
「家に帰りたくない」と家に泊まりに来たことがあった。
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典型的な母子家庭だった我が家。 俺は物心付く前から母の実家に住んでいた。
俺が中学の頃亡くなった爺さん。 そして爺さんを亡くした婆さんも間も無く他界していた。
母は高校へ進学した俺を養うために、寝る間も惜しんで働いた。
家に居ないことが殆どで、俺は自然と独りになる事が多かった。
……雨の強く降る晩の事だ。夕食を済ませた俺が、洗いものを終えて居間にいる時……
――カタン!…カタンカタン!――と、玄関の古い引き戸が三度音を立てた。
普通なら風の仕業だと気にしないところを、虫の知らせというヤツだろうか? 俺は静かに戸を開いた。
降りしきる雨の中、傘もささずに佇む一人の少女――幼い日の料理長――がいた。
「おい!こんな雨の中何をやってんだ!」 そう、叫ぶ間もなく、彼女は崩れ落ちた。
俺はずぶ濡れの彼女を抱えて家に入り、服を剥ぎ取って冷え切った体を拭った。
―――なぜここに…?
そんな考えが浮かぶが、今はそれ所では無い。 布団を引っ張り出し、彼女を寝かせた。
俺がびしょ濡れの服を洗濯し、戻ってくるとヤツは虚ろな目でこちらを見た。
「いよっ……何かあったか?」
いくら声を掛けても、反応は返ってくる事はなかった。
何が…あったのだろう。
寝返りを打って背を向けた彼女の背中に、男だった頃の面影は微塵もない。
俺は黙って立ち去った。 放って置く訳ではなく、温めていた飲み物を取りに。
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飲み物を取って戻ると、少し開いた襖から中を見る。
轟々と降り続ける雨の勢いは止まる事を知らず、聞こえるのは窓を打つ雨音だけ。
目を懲らすと、覗いた襖の奥の布団が、微かに揺れている。
―――泣いてんのか? 俺が勢い良く襖を開けると、布団が少し跳ね上がった。
「―――ホレ、飲め」
目を合わせようとしない彼女の頭を押さえ、俺はカップを差し出した。
カップを受け取ると、ヤツは温かいミルクをゆっくりと飲み始めた。
多分、泣いているのだろう。 小刻みに揺れる肩がなんとも小さく、か弱く感じる。
「―――風呂、入るか?」
何気ない一言に、ヤツはミルクを飲むのを止めた。
間を置いてその発言の意味に気付いた俺は、うろたえながら弁解を試みる。
「あ、いや!…そういう意味じゃなくてだな?…その…温まれって意味であって疚しいことは何も…」
「………もうコレいらない」
俺はカップを突き返されてしまった。
失敗した―――そう思っても時が戻る訳も無く、少し冷めたカップをお盆の上に戻す。
再びそっぽを向いてしまったヤツに掛ける言葉を探して、俺は布団の傍に座る。
しかし掛ける言葉が一向に見当たらず、ヤツも動かない。
―――時間のせいもあるだろう。 俺は気付かぬ内に柱にもたれ掛かりながら、眠ってしまっていた。
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ふと温かい感触で目が覚めた。 俺を包み込むこの温かさは―――?
身じろぎをすると、座って寝ていた為、体中がポキポキ鳴る。
そして温かさはズルリと落ちた毛布だった。
コレは昨日彼女に掛けたもの。 目を横にやると、四つん這いで逃げようとする彼女がいた。
「―――ありがとな?」
その言葉に彼女は振り返ろうとしたのだろうか。 無理な体制が祟って倒れ込んでしまった。
俺は手を差し延べ、彼女を引っ張り起こした。
その手が柔らかくて、その腕が細くて、その体が軽くて―――俺は目を逸らす。
どうしてだろう、今までヤツに対して感じたことの無い感情を持ってしまっている。
途端に顔が熱くなる。俺はそれを隠すように立ち上がり、台所へ向かった。
襖を閉めた瞬間、大きな物音と共に外れる襖。そしてその上で鼻を押さえる彼女。
俺はティッシュを持って駆け寄った。
「おいおい、何してんだよ――アハハッ…」
鼻血さえ出ていないものの、鼻の頭が擦りむけて真っ赤になっている。 俺は思わず笑ってしまった。
俺の腹に乗ったまま拳を振り上げ、赤面し、硬直する彼女。
据え膳―――そんな言葉が脳裏を過ぎるが、煩悩を振り払った。
「お前…軽くなっちまったなぁ…」
「何があったかは聞かないぞ。 ここにも好きなだけ泊まってけば良い」
「―――ただ、避けるのは勘弁な」
俺に言える精一杯を伝えたつもりだった。 雨音は、まだ止みそうにも無かった。
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そのまま黙って横になっていると、彼女は立ち上がって出て行くようだった。
「ねえ……」
小さな声で呼び掛けられる。
彼女は俺に背を向けたまま、残った襖に手を掛けた。
「やっぱり…風呂、貸して……」
そう言った彼女は、はにかむ様に笑った。
タオルを渡し、何だか手持ち無沙汰になった俺は、洗い物を済ませてテレビをつけた。
結局その時は何事も無く、月日は流れ現在に至る。
しかしあの日を境にヤツが少しずつ周りに心を開き始めたのもまた事実だ。
俺はただ、安らかに眠るまだ幼いあの娘が未来を諦めてしまわないように祈るだけだった。
何も言わず行ってしまったアイツを追うことはしなかった。
長い付き合いだ。俺が変に頑固な所も知っているだろう。
胸に残る痛みは、消えない痛みなのだから。
俺はあの娘を寝かせた部屋のドアを開けた。
中では、呆けた顔をしたあの娘がいる。
「…起きたか?具合はどうだ?」
「あ……えと、大丈夫、です。 迷惑を掛けてしまって、ごめんなさい」
「……今更?」
俺の言葉に、少女は顔を赤くした。 俯くその顔が何だか可愛らしくて、少し笑える。
「クックックッ…冗談だ。 真に受けるな」
からかわれたのを怒っているのか、今度はほっぺを膨らませている。
「まぁ冗談はさておき…どうだ?俺に家出の理由を話してみないか?」
彼女ははっと目を見開いた後、言葉を紡いだ。
「……ただの、家出です。母さんがお小遣いくれないから家出しました」
「ほぅ、成る程な。 で、本当は?」
俺にだって店主として、大人として、人間としての人を見る目というものがあるわけで。
甘えたいだけの、そんな理由でこんな家出をする訳は無いとわかっている。
「―――っ! 嘘なんかじゃ……」
真っ赤な顔をした少女は、そう文句を言いたげに立ち上がった。
こちらへ歩み寄ろうとして、懐から零れるように落ちた、竹の筒のようなもの。
「あ…!」
余程大事な物なのか、それとも人に見られてはマズいものなのか…
少女は、困惑しながら俺に視線を投げ掛けた。
「それは……」
それはいつかテレビで観た、和楽器に似ていた。
「……そうです。 僕、普通の女の子じゃなくて……女体化者なんです」
少女の突然の告白は、大体予想のつくというか…
「何と無くだけど判ってた。…で?」
鳩が豆鉄砲を喰らったような顔ってこういう顔なんだろうか。
目をパチクリさせながら、口が半開きである。
「だから、俺が聞いてるのは家出の理由なんだが…」
「ふぇ?」
少女の顔に著れた驚嘆、そして―――憤怒。
怒りの理由がさっぱり解らない俺は、沈黙で返す。
「理由は……直接の原因は、僕の女体化です。 僕の家は、宮内庁に楽師を何人か輩出してる楽家なんです」
「雅楽の世界では女性は望まれない。そんな事は店長さんだって知っているでしょう?」
いや、初耳もいいところなんだが。 常識みたいに扱う話題でもないだろうに…
心の中でそうツッコミながら、俺は一つ息を付いた。 つまり女体化して、親に見捨てられた、と。
「そこまでは知らんよ。 ……ま、問題ないな。 バイトの経験は?」
「そこまでは知らんって、何を……」
「バイトの経験は?」
首を横に振る少女は、物言いたげに俺を見る。
厳しい家だったんだろう。 それではバイト経験が無くとも不思議ではない。
俺は電話を取ると、厨房にかけた。
「もしもし? あぁ、俺だが……そうだ。 メジャーは? ……あぁ……了解」
「よし、ちょっと移動だ。歩けるか?」
「何をするんですか?」
「……すぐ解る。 ホラこっちだ」
俺は少女を引き連れて階段を降りた。
着いたのはロッカールーム。中でヤツが待っているはずだ。
「さ、後は中にいる怖いお姉さんと仲良くやってくれ。 俺は上で待ってる」
少女を問答無用で部屋へ押し込み、俺は元の部屋に戻った。
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少女を料理長に預けた俺は、部屋に戻り、机の奥からあの部屋の鍵を取り出していた。
小さな緑色のリボンがついたままの鍵。 くたびれたリボンは、昔からのままだ。
この店を建てたばかりの頃の事が浮かんでくる。
社会人になって、必死になって働いて、母さんの残してくれたお金でこの店を建てた。
実家を捨て、町を捨てた俺の唯一の止まり木だったんだ。
母は、俺が就職して三年目に息を引き取った。 肺炎だった。
俺を大学にまで通わせ、体に鞭を打ちながら働き続けた母との、悲しい別れ。
最後の瞬間、『ありがとう』と言い残して逝った母に、本当に俺は何かをしてあげられたのだろうか。
俺は、がむしゃらになって働いた。 休みなんて取ろうともせず、延々と仕事に打ち込んだ。
金持ちになって、裕福になって、幸せに暮らそうと思った。
ありがちかも知れないが、金があれば母さんは死ななかった。 そう思っていた。
―――母さんと同じように俺が倒れたのは、それから一年が経った頃だった。
風邪を引いても気にせず仕事に打ち込んだ結果の事だ。
「ばーか。 自分の健康管理も出来ないで何が社会人様よ?」
「うるさいな。 ほっとけ」
あの時、家で高熱を出して朦朧としている俺を病院に運んでくれたのは料理長だった。
そのせいで、憎まれ口ばかりの賑やかな入院生活となってしまったのだが。
そしてその入院を境に、俺は会社を辞めた。 それは、今のレストランを開業するため。
マザコンという訳ではないつもりだが、自分が母親の死に縛られている事に気付けたのだ。
……いや、正確には気付かされた、だろうか。
「あんた結局おばさんに何も教わってないじゃない! そんなんじゃ幸せになんかなれっこない!」
あいつはそう俺に言ったのだ。 俺のしていることは間違いだ、と。
何かを一から始めてみたくなった。
かっこ悪くても、多少貧しくても、充実した日々を過ごせるような事がしたかった。
このレストランは、そんな苦労の末、出来た場所なのだ。
「~~~~~けてんじゃないよ!!!!!」
階下から聞こえてくる声で、俺は我に返った。
どうやら長く感傷に耽り過ぎたらしい。 そろそろあいつがあの娘を叱咤している頃だろう。
俺は鍵をポケットに突っ込むと、部屋を出、階段をゆっくりと下りた。
廊下からは二人の声が聞こえてくる。
「居させてください。 僕がこれからどうすればいいのか、見つけさせてください」
「……上出来。 でも、甘やかして教えるつもりは無いよ。 チャーハンの道は険しいんだからね」
……やはり、あいつに任せて正解だったらしい。 俺ではこう上手くはいかなかっただろう。
かわらないあいつに満足し、俺は厨房へと向かった。
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お玉と鍋のぶつかり合う音。 個々の食材が油に踊る音。
俺は厨房の中を見回しながら、満足していた。
―――と、不意に後から肩をつかまれた。
「あんたやってくれるじゃない。 まんまと一杯食わされたわ」
「ははは。 まぁそう怒るなよ、お前なら信じられるから頼んだんだ。 じゃ、俺は戻る―――」
ここで捕まってしまったら長いお説教が待っているのだ。
そう心得ていた俺は、その場から逃げ出そうと踵を返した。
そこには、うちの制服を着た少女がいた。 手には間に合わせの三角巾が握られている。
「……よ。 似合うじゃないか」
「えっと、僕……どうすればいいですか?」
「今日はまだ挨拶だけだからそのままでいいぞ。 果物とか簡単なものを切る時だけ、三角巾を付けるんだ」
少女は困ったような、少し不器用な笑顔を返してくれた。
ほんのりと染まる頬。 少女は間違いなく人気のウェイトレスになるだろう。
「―――じゃあ、挨拶をして店の裏口に来てくれるか? 先に行ってるから」
俺は少女の頭に手を置いて、擦れ違った。
裏口から外に出、タバコに火を着けた。
もう薄暗い中、街の明かりがキラキラと流れている。
煙草を吸い終わる頃、少女は現れた。少し、浮かない顔をして。
「お、挨拶は終わったか?」
言葉を投げかけてみても、ますます困った顔をするばかりだ。
ちょうど今は夕飯時。 おそらく厨房は戦場になっているのだろう。
ありがたい事だけれど、スタッフとしては多忙極まるのだ。
「……ま、多分忙しかっただろうし気にすんな。ホレ、鍵。ここがお前の部屋だ」
今はたまに俺が使ってる程度の四畳半。 小さなテレビがおいてある休憩室だ。
元々は住み込み用の為、簡単な一人暮しは可能な造りになっている。
「荷物、あるか?」
「えっと……ロッカーの部屋にお財布と制服だけです」
「……それより、こんな立派なお部屋見ず知らずの僕に預けちゃって良いんですか? 悪いことして逃げてしまうかも知れないのに」
「俺が信じられると判断したんだ。 人を見る目が無いと店長は務められない。 ―――それに、悪いヤツはそんな事、聞かんよ」
俺の手の下で面白くない顔をした少女。 何かを閃いたかのように突然口を開いた。
「店長さんってコックさんと夫婦なんですか?」
この時の俺はさぞかしマヌケな面をしていただろう。
情けのないことに、驚きを通り越して放心してしまった。
今まで一度も、そんな事を聞かれた事もないのに。
質問をようやく頭が理解した頃、俺はゆっくり口を開いた。
「―――ふぅ……んな訳無いだろ? 二人とも独身だ。ま、俺達の腐れ縁は伊達じゃないな」
「そうなんですか?ふーん……」
つまらなそうに何かを考える少女。
このくらいの年代の子は恋愛沙汰に興味津々ってトコか。
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自分の時はどうだっただろう――そう考えて途中で止めた。
出てくるのは、余裕の無い自分ばかりだったから。
「……あー……なんだ……」
少女は振り返って顔を覗き込む。
「……その……アイツにそんな事聞くなよ?……少しだけ、気持ちが向いてた事がある……」
大の男が、少女相手に恋の話をするのは物凄い恥ずかしいものがある。
でも、口が滑らされたかのようにでてきてしまった言葉。 多分、今俺は情けない顔をしているんだろう。
「わかりました、二人のヒミツにしておきますね」
少女は俺の告白を笑顔で受け止めた。 そしてそのまま踵を返してロッカールームへと戻る。
取り残された俺は、とうの昔に忘れたむず痒いような感覚に纏わり付かれた。
「……ったく変なモン思い出させやがって……」
そう悪態を付きつつも、自分の顔はニヤけているのがわかって、複雑な気分になった。
俺の気持ちといっても、俺にも解らない事だらけなのだ。
素直に人と接せ無くて、自分が何をしたいかもわからなかった。
俺が物思いに耽っていると、いつの間にやら少女は戻って来ていたらしい。
裏口の段差に腰掛けて、不思議そうに俺を見ている。
俺は一つ咳ばらいをして話を始めた。
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「んん!……さて、先ずは買い物だな」
少女は何の事か解らないといった感じで首を傾げている。
「オイオイ、お前の着替え、その他。オーケイ?」
流石に下着やらはアイツに頼むしかないだろうが、取り敢えず生活に必要な物。
成る程、といった感じで少女は手を打った。
「あ、でも僕あんまりお金に余裕がなくって……着替えだったら今日着ているのと制服がありますし、大丈夫です」
そんな事だろうと思った。
俺は一つ息をついて、少し強めに言い放つ。
「いいから、行くぞ」
少女は少し怯んだ様子で一歩下がった。
怖がらせる訳ではないんだが…
俺は踵を返すと、そのまま振り返らずに言った。
「まぁ、もう少しで閉めるから見学でもしていてくれ。仕事はアイツに詳しく、な」
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「……何してんの?」
「……バレたか」
「アンタ馬鹿にしてんの?」
買い物へ行く準備を済ませた俺は、店内へと戻って来ていた。
客の立場で接客を学ぼうとしていたらしい少女と合流し、注文を済ませた処、コイツは出て来てしまった。
いや、チャーハン5人前頼むのが異常なんだが。
「まぁ冗談だ。 もうラストオーダーだし、お前もさっさと作って出掛ける準備をしてくれ」
「……ま、さっさと終わらせてくるわ。 終わったらすぐ店閉めちゃう?」
「あぁ、今日はそうする」
顔が少し熱いのは、先程の少女との会話のせいだろうか。
隣で黙る少女は、そんな俺を見て少し笑っている。
少し腹が立った俺は、テーブルの下で少女の腕を抓りながら、会話を続けた。
「何か、手伝える事はあるか?」
少女は苦痛に堪えながら、俺の太腿を叩いた。
いい気味だ。
「うーん、じゃあ、そっちのお客さんに。閉店の言い訳頼むわ」
ヤツはそう言うと、さっさと厨房へ戻ってしまった。
何だか睨まれたような気もしないでもないが、気にしないことにした。
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客は注文したものを食べ終わると、都合良く退店してくれた。
俺は少女を連れて裏口へ向かうと、少女は何やらニヤニヤしている。
「ねね、まだ好きなんでしょ?」
――そんなこったろーと思った。
俺は少女に軽く拳固を見舞って、料理長を待った。
ヤツは意外にも早く現れた。
「よし、それじゃ、行こうか」
俺は裏口の鍵を閉め、店へと向かった。
やけに気まずい車の中、俺は携帯を取り出した。
時間は……よし、まだ開いてる。
後部座席の少女は外の景色を見ながら静かになってしまっていた。
俺達は駅前のビルに着いた。
様々な服・雑貨・日用品が売っているそこは、結構遅くまで開いている。
「先ず何が必要だ?」
「そんなに時間があるわけでもないし、パジャマと服と、あと替えの下着かな」
「よし、とりあえず近い所から行くか。 ん? どうした? さっさと来なさい」
「そうそう、お楽しみはこれからなんだからさ」
同時に振り返って手招きする俺たち。 おずおずとついてくる少女。
別に獲って喰おうなんて思っちゃいないのになぁ。
「えーっと……それじゃ、健闘を祈る」
二人と共に下着売場へ進むのは正直辛いものがある。
そこで俺は二人に断って少し逃げる事にした。
ヤツは面白い顔こそしなかったものの、後で何かオゴる、という約束でその場を脱する事が出来た。
しかしそれでも売場の周りをうろつく中年という構図。
いかにも怪しい自分に正直泣きそうになりながら、俺は近くの食堂への暖簾を潜った。
「いらっしゃいませ!お一人様ですか?」
安っぽいチャイナ服を身に纏う店員とのやり取りを経て、俺は席へと着いた。
メニューを見て、迷う事なく注文を済ませる。
「すみません、チャーハン一つ」
もう閉店まであまり時間も残っていない中、チャーハンを喰らう俺。
多分今俺はしかめっ面をしているのだろう。
何処か物足りないチャーハンを食いながら悩む中年はある事を心に秘め、蓮華を動かし続けた。
「ふぅ、やっぱりチャーハンはヤツが作るのが一番好きだな……」
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∧,,∧
(;`・ω・) 。・゚・⌒)
/ o━ヽニニフ))
しー-J
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「いらっしゃいませぇ~♪ こちらにいらしてくださいね」
少し気の強そうな女性に連れられて来たこの少女。
女体化してしまった子なのか、少女は顔を真っ赤にしながら採寸を拒否し続ける。
「……しかたないですねぇ」
私は大胆かつ強引に少女の後ろに回り込んだ。
羽交い締めにし、手は胸へ。 勿論先端を優しく摘むように。
そんなに大きくはないけど、ハリがある。 若いって素晴らしい。
「ふぇっ!?ちょっ!?」
「はぁい、大人しく脱ぎ脱ぎしましょうねぇ♪」
そう言いながら、耳に息を吹き掛ける。
「ふゃぁあぁ?」
うん、見事なまでの脱力。
私は連れて来た女性に一礼すると、少女を採寸室へと連れ込んだ。
立っているのもやっと、といった感じの少女を脱がせるのに時間はかからなかった。
慣れた手つきで上着を脱がせ終わり、Tシャツ姿にしてピンと立たせる。
正直、このまま採寸することは出来た。
しかしそこは私。ロリっ娘好きとしては味気ないものだった。
「あらら?ちっちゃな頭が飛び出してるわぁ♪」
Tシャツにうっすらと浮き上がる二つの突起を軽く摘む。
ほんのり温かいソレらを軽く指先で転がした。
「ひゃっ!?ぇぅっ!?」
ピクッと体を震わせる少女は、顔が赤くなっている。
……なんて可愛い反応なのかしら。
私はニヤけそうになる顔を必死で抑えて、平然とした顔で尋ねた。
「あら?痛かったかしら?」
抗う少女は、力無く私の腕の中を暴れる。
やがて体を反転させたと思いきや、突き飛ばそうとしたのか私を押す。
しかし既にそこに力は無く、自ら尻餅をついてしまう事になった。
私が差し出した手を、身体を強張らせることで拒む。
「……さ、採寸済ませちゃいましょ?」
出来る限りの笑顔で、少女を怖がらせないように。
「……ふぇ?」
なにがなんだか解らないといった少女も、顔を赤くしながら言い放った。
けれどそれは弱々しく、拙く。
「からかうの……やめてください」
私の手を取らずに立ち上がる少女。
別にからかうつもりでは無いというか、むしろ本気である。
「あら、貴方が魅力的だったからつい……からかったんじゃないのよ?」
女性しか愛せない私の、唯一の逃げ方。 冗談として切り捨てて、心の奥へしまい込まなければならないのだ。
誰かの悲しい顔は、もう見たくないから。
「もう良いです。 採寸、お願いします」 『もういいよ! アンタとはもう、会いたくない!!』
既視感は突然に、私の心を揺さぶった。
しまい込んだ記憶は消える事なく私の奥深くにこびりついている。
「……あ…はい、解りました……」
どこか反応が鈍りつつも、手早く採寸を始める。 もう、終わったことなのだ。
「あの……さっきみたいな事、採寸してもらいに来たお客さん全員にやってるんですか?」
少女の発する言葉に、言葉を紡げなくなる。
「いいえ……はい、終わりました。 この紙に書いておきますので、私はこれで」
私は丁寧に冷静に、でも冷たく突き放す。 いや、本当は私は逃げたかったのだ。
少女に話してしまいそうになる事から。
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「ん? よう、アイツはどうした?」
食事を終えた俺は下着売場へ戻る途中、ヤツと鉢合わせた。
少女といるはずのアイツが電気製品のコーナーから出てくる意味が解らないが、それはおいておく。
「アレだな。 やっぱりチャーハンはお前の作るのが一番好きだ!」
ヤツは呆けたまま、突然顔を赤くした。
……風邪でもひいたか?いや、何か違うような気もする。
「……おーい? どうした? 大丈夫か?」
虚ろな瞳を覗き込んで手をヒラヒラさせると、ヤツの焦点が合った。
見つめ合うようにピタリと止まる時間。 脳裏に浮かぶ少女の余計な一言。
今度は自分の顔が熱くなる。
これだけ近づいたのはいつぶりの事だろうか。
下着売り場の前で見詰め合って硬直する年増が二人。
周りから見るとどんなに滑稽な画なのだろうか。
しかしそんなことは関係なく、俺はコイツの目から視線を逸らすことが出来なくなっていた。
「おわりましたー」
タイミングよく、そして最悪のタイミングで帰ってきた少女は、無邪気に話しかけてきた。
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足が重い、肺が痛い……
目を潤ませながら突然逃走してしまったアイツを追って、俺は階段を駆け昇る。
普段のだらけた生活のせいか、昼間の少女を追った疲れか、足が上手く動かない。
「……ったく…なんでアイツは平気なんだよ!?」
震える腿に鞭を打ち、ひた走る。
階段を昇ると、そこは屋上広場へと通じていた。
幸いな事にここにはもう、逃げ場は無い。
俺はフェンスにもたれ掛かるヤツの横に座り込み、手首を掴んだ。
「……はは…やっ…と…捕まえた…何で…逃げたりした…?」
荒ぶる呼吸が言葉を細切れにするのも厭わず、ヤツに問い掛けた。
「う…そ…それは……いや……そっちこそ……なんで…追っかけて……来たのよ?」
……なんで?そういえばそうかもしれない。
ヤツが逃げたって俺が追う必要が何処にある?
いつもの俺なら『変なヤツだな』で済ませてしまうはずなのに。
……いや、わかって、いるんだ。
一度考えてしまったあの時から、そしてヤツが押しかけて来たあの頃から。
「……お前が…いなくならないようにだ!」
俺は一番最初に浮かんだ言葉を、そのまま吐き出した。
滑稽以外の何物でもないだろう。
でも、ヤツは笑わなかった。目を、逸らさなかった。
『好き』 『愛してる』
今、そんな定番の言葉さえ出てこなかった、情けない俺の腕の中に、ヤツがいる。
夜。
ビルの屋上で。
汗だくの大人二人が身を寄せ合う。
格好悪くて、情けなくて、何のムードもありゃしない。
でも、それでも今を逃したら機会は遠退くような気がした。
だから。
……俺は、俺らしく―――
「これからも……一緒に居てくれるか…?」
―――飾らない言葉を、紡ぐんだ。
「……よろしくお願いします……」
そう言ったアイツの顔はグシャグシャで、子供のような泣き顔で…でも、とても輝いて見えた。
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俺達は、下着売場へと戻って来ていた。
随分と時間を食ってしまったが、少女は大丈夫だろうか?
少女は、売り場の前のベンチに腰掛けていた。
少々浮かない表情の少女にアイツが駆け寄り、売場へと戻っていく。
俺は近くの喫煙所で煙草をふかし始めた。
待っている間の暇潰しへと、俺はメイド服売り場へと足を運んだ。
ここの店は規模の割に品揃えが豊富で、うちの店でも取り入れようかと真剣に考えていた。
……と、そこに試着室から倒れてきたヤツを見て、俺は愕然とした。
アイツにダメ出しを喰らって保留となった処分。
……しかし、目の前にはそのメイド服を纏ったアイツの姿。
床で、仰向けのままの少し情けない格好で。
「……何してるんだ?」
真っ赤な顔で金魚のように口を動かすヤツ。
俺はヤツを抱き上げると、そのままレジへ向かった。
「あ、すみません。 コレ下さい。 着て帰りますんで」
目を丸くする店員。
幸いにも客が少ないのが助けだろうか。
会計を済ませた俺は、足早に店を去った。
俺の両腕の中には、真っ赤な顔のメイド服姿のヤツ。 正直、性欲をもてあます。
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既に頭の中がピンク色に変わっているが、それを押さえ付けて尋ねた。
「おい、あの娘は何処だ?」
「え? あ……」
ヤツの指差した方向には、地味目のシャツやトレーナーを持った少女がいる。
俺はヤツをベンチに座らせ、少女の所へ歩み寄った。
「すまない、ちょっと用事が出来たので俺達は先に戻る。 コレで会計と帰りのタクシーは頼む」
少女の掌には数人の諭吉。
呆ける少女の視線を背中に受けながら、俺はヤツを連れて車へと戻った。
「……鍵は?」
「……………」
車の前まで来て気がつく失敗。 ヤツのバッグと服が無い。
強引に引っ張って来たのが俺だから、どうしようもない訳だが。
「……此処で座ってろ。 ホラ、寒いだろ? コレ羽織っとけ」
俺はヤツに上着を渡すと、店に戻った。
どこから出て来たのか解らないような速さで荷物を取り、戻る。
何やら少し回復したらしいヤツは、戻った俺を見て問い掛けた。
「ちょっと! こんな格好で何処行くのよ!?」
「俺の部屋」
俺はヤツを助手席に座らせ、キーを回した。
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無言の空間が、俺の心臓を締め上げる。
無理に連れて帰っているのはいい。 けど、アイツの眼には今何が映っているのだろうか?
国道のオレンジ色の街灯が一瞬、また一瞬と俺達を照らしては過ぎる。
オーディオのディスプレイは、ヤツの膝の上に置かれた手を青白く映し出す。
不安と興奮が入り交じる中、車はとうとう俺のマンションの駐車場へとたどり着いた。
キーをOFFに入れ、抜き取る。
鼓動がそのまま相手に届いてしまいそうな程の静寂の中、俺は口を開いた。
「……俺は…焦りすぎか?」
「……バッカじゃない? 何よ今更」
返って来た言葉はいつものヤツのもので、それだけに唖然とした。
「……ここまで連れて来た責任ぐらい取ってよね」
ヤツの一言は、俺の理性を剥いでゆく。
車の中で、月明かりの下で、潤んだ瞳のヤツは頬を染めてそっぽを向いた。
――あぁ、なんて綺麗な横顔なんだろう…
俺は車を降り、助手席のドアを開けた。
呆気にとられるヤツの肩を抱き寄せると、ゆっくりと顔を近づける。
間近に迫るヤツは目を閉じ、俺はその柔らかな唇にそっと唇を重ねた。
永遠のような一瞬。そっと開かれる目と目は惹かれ合う。
俺はヤツを連れ出した。
向かうのはヤツも見慣れたはずの自分の部屋。
いつもと違うのは、二人の関係性。
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バタバタと埃の舞う部屋で目が覚めた。
間違いなく昨夜、俺達は結ばれた。
しかし、元親友の姿は隣にはなかった。
「おい……何してんだ?」
枕元にあったはずの目覚まし時計を握り締めながら、テーブルでうなだれるヤツ。
「『何してんだ』じゃないわよ! アンタ店はどうすんのよぉ!?」
キンキンと頭に響く怒鳴り声は、間違いなくいつものアイツのもので――
「今日は『定休日』だろう?」
――俺は安心しながら、呆けた半裸のヤツを後ろから抱き寄せた。
サラサラとした髪が俺の鼻を擽る。 何ていい匂い……
「今日はゆっくり休もう」
「ほぁ!?」
そう言って、俺は肩に口付けた。
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ピーンポーン・・・
突然玄関のチャイムの音が響く。
嫌な予感がした・・・
「ん?誰だろう……ちょっと待ってろ」
こんな昼間から訪ねてくるのは誰だ?
休みの日ぐらいゆっくり―――
そう思いながらドアノブに手を掛ける。
ゆっくりとドアを開けると、そこには少女がいた。
「ひどいじゃないですかーーー!!!」
「ん?……昨日…何かあったのか?」
俺は頬を膨らませる少女に、眠たげに問い掛けた。
「何かあった? じゃないですっ!! 二人とも帰ってこないし店はお休みだし連絡もくれないし寒いしお腹減るし――!! はぁ、はぁ、はぁ……」
勢いに任せて発せられる文句を受け流す。
涙目の少女は、内に秘めたモノをあらかた吐き出すと、俺にもたれ掛かって来た。
……どうやら限界がきたようだ。 規則正しい寝息を立てる少女を抱えて、部屋に戻る。
「……スゥ…スゥ……」
「……ご覧の通りだ」
毛布に包まったヤツは、複雑そうな顔をして一つ息を付いた。
……こんなに寂しがりやだというのに家出なんかして、どれだけそんな思いをしたのだろう。
俺は少女をソファに寝かせると、そっと涙を拭った。
「大人が無責任なんじゃ話にならないわね……あはは」
少女に毛布を掛けながら、ヤツは苦笑いを浮かべた。
昨日何かあったのだろうか。 俺はコーヒーを煎れながら、相槌を打つ。
「……私達でこの子の親代わりに…なれるかな?」
ヤツは日だまりのような穏やかな笑みを浮かべながら、独り言のように呟く。
いつか見た、聖母のような微笑み。
もう、お前はそこらの母親より母親らしいよ――
「……ハハ、どうだろうな」
――お前が気付いてないだけなんだ。
「ホレ、熱い内に」
「……ありがと」
麗らかな午後の日差しは祝福するように俺達を包む。
明日になればまた忙しい日々を過ごし始める俺達の、止まり木のように。
比翼の鳥達に舞い降りた小悪魔な天使は、番と共に歩き出す――
「――ま、明日からもよろしくな」
「――こっちこそ…ね」
~終~
最終更新:2008年07月21日 03:05