『LUNA』 外伝~ある警官の午後~

午後のパトロールの為に派出所を出て、正面に止めてある自転車にまたがる。
しかし、すぐに考え直して降り、自転車を押しながら道を歩き始める。今日は風も心地よくて、いい日和だ。
こんな陽気の中、自転車に乗って急いで通り過ぎてしまうのは勿体無い気がしたのだ。


僕が警官になってから、先月で三年目になる。
職場には一人だが後輩も出来て、上司や先輩からも一人の警官としてそれなりに認められるようになってきた。
街の人たちにもそれなりに顔を覚えてもらえて、声をかけてもらえるようになった。
ただ、いつもお餅を焼いて渡してくれるおばあさんが、未だに僕の名前を間違って呼ぶことには困りものだ。
僕の名前は源五郎じゃなくて源四郎ですよ。いい加減覚えてくださいね。

「ぼ、僕はお金ないけどあの人が払ってくれるもん! だから放して!」

幸せな心地でいると、急に声をかけられて振り返る。
「ん?何かありましたか?」
答えながら見ると、何やら深刻そうな顔の中年男性と少女。
この顔はきっと何か大変なことが起こったに違いない。
ならば、助けなければなるまい。
警官として。

しかし、こちらが声をかけると、より混乱し始めた様子の少女。
男性も少女と私を見比べながら、顔には出さないものの困惑している様子が見て取れた。
それに引きずられるように僕まで混乱しそうになったとき、少女の方が口を開いた。
「な、なんでも、なんでもないです!  ね? なんでもないよね? パパ!」

パパ…
この年頃の女の子がその言葉を発すると、自然とよくない想像をしてしまうのは職業柄なのか、それともそもそもの性格なのか…
まあそれはともかくとして、荒い息をつく男性が、同じく汗をかいて肩で息をする少女の腕を掴んでいる画…怪しいと言えば怪しい…
「…娘さんですか?」
一応男性の方に尋ねてみた。

「えぇ、買い物に付き合ってたんですが、ウロチョロされて見失ってしまいまして…」
「………」
「…それで、やっと見つけたところなんです」
男性が話す間、少女がずっとその横顔を責める様な目で見つめていたのが印象的だった。
しかしながら、彼が話し終えると、少女は何故か安堵した表情になる。

「あ、あはは、捕まっちゃったー♪ お巡りさん、用事も無いのに声掛けちゃってゴメンナサイ さ、パパ行こう?」

きびすを返してさっさと行こうとする二人。
しかし…ふたりで買い物…?あの格好で?
少女の方はまあいいとして、男性はウェイター姿。
明らかに仕事中抜け出してきた感じだ。
あの年齢だと…まあ根拠は外見だけだが…それなりに高い立場ではあるはずだろうし、
そうほいほい仕事を抜け出して娘と出かけたりするのだろうか?
と、歩いて行く少女が男性の腕にしがみついて甘えた声を出す。
「ねー、パパぁ、だっこして~♪」
明らかに怪しい…!!
「あ、ちょっと!お二人は親子なんですよね?でしたら何か、身分を証明できるものを」

そう声をかけると、二人はその場で凍りついたように硬直した。
互いに何かを確認するように顔を寄せ合ったあと、二人はぎこちない動作で振り返る。
不安で今にも泣き出しそうな少女が背中に隠れると、男性は一つため息をつき、その後で真剣な面持ちになってこちらを見る。
こちらが気後れしてしまいそうになるほど強い光が目に宿っていた。
「お巡りさん、すみませんでした!」

急に頭を下げられてついポカーンとして男性の頭を見つめてしまう。
「実を言うとこの子と昨日喧嘩をして家を飛び出してしまいまして…」
「先程家内から連絡を受けて連れ戻しにきたんですがゴネられまして…」
少女は男性の陰でやはりポカーンとしている。
男性の言ったことは確かに驚きだったが・・・しかし、
ついさっきまで極限まで盛り上がっていた頭が一気に冷めてくるのも感じた。
なんだ、そういうことか。今の話で全て納得がいく。どうやらこちらの下種の勘繰りというものだったらしい。
「あの・・・お父さん、顔を上げてください、もういいですよ。こちらこそ、しつこくしてしまってすみません」
冷静になってきた分、こちらの方こそいつまでも顔を上げない男性に対して気まずくなってくる。
いくら疑うのが仕事とはいえ・・・さすがに見てはいけないものを見た気がした。
「あ、じゃあ、私はこれで・・・」
言い訳しながら自転車のスタンドを上げて、二人に背中を向けて自転車にまたがる。
この仕事に就いて3年、初の犯人逮捕はまだ先のことになりそうだ・・・

 

そして、この場でふたりが言ったことがまったくの嘘で、
彼らが食い逃げ犯と被害店の店長という組み合わせだったということを知ったのは、
家族になったふたりが後日、男性の妻らしい女性と三人で派出所を謝罪に訪れたときのことだった。

話が終わり、手を繋いで派出所から出て行った三人の背中を見つめる。
少女の浮かべる笑顔は、あの日のように嘘偽りではなく穏やかで、満たされ輝いているように見えた。
彼らは血の繋がった家族ではない。
それでも、笑いあって時に憎まれ口を叩きながら、手に手を取り合って遠ざかっていく彼らの背中こそ、
本当の家族の風景であるような気が僕にはするのだ。

学校帰りの子供達が目の前の道を駆け足で通り過ぎ、腰の曲がった老夫婦が道端でニコニコしながらそれを見送る。
穏やかな風景の中、暖かな風が夏の訪れを予感させる。
街は今日も、平和のようだ。

【終】

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最終更新:2008年07月21日 03:05
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