『まえむきに。』 第二話『交差』C.part

 俺が中学生だった頃は、女体化第四世代と呼ばれる人達が社会へ出たり、家庭を持ったりする時期だった。
この頃は第一世代の人達を擁する活動団体や元男だということでスキャンダルになった国会議員たちによって
それなりに元男の人達にとって暮らしやすい世の中になり始めた時期だった。
 だいぶ前から戸籍の氏名、及び性別を変更できるようにはなっていたので
わざわざ粗探ししてまで差別しようという奇特な人はなかなかいなかったが、
女体化した女は妊娠できないとか下らない迷信のような非科学的な噂は少なからず残っている時期だったと思う。
この団体や議員たちは、フェミニズム団体のように平等や権利ばかりを主張して他を蔑ろにしたり、
他人の揚げ足をとって感情的になったりせず、世間に浸透している常識は根も葉も無いデマだよ、
元は男だったけど今はちゃんとした女だよ、ということしか主張しなかった。主張があっさりしていたからだろうか、
変にタブー視されることもなく、偏向報道されることもなく、それなりに浸透していった。
 団体の元男の人達が美人揃いだということで若干話題にもなったし、元男と言うのは差別語だ!!みたいな事を言って
紙面を騒がせなかったことも功を奏したのだろう。




 男のこともよくわかっている良き妻が実は元男だったという話もある、
交際中も全く気がつかなかったそうだ。実際はこんなものなのだろう。
興信所に素行調査を依頼して、その結果で結婚するかを判断する人はそうそういるものではない。
 己を律することができ、自己を確立できた人間なら、他人の粗探しをして、
自分より立場の弱いもの、マイノリティを攻撃して情けない優越感を得ようという発想には至らないだろうから。
 ただ、ニュースになっていたのはいじめやそれを苦にした自殺、精神を病んでの自殺だけだった。
いくら精神的な性も女になるとはいえ、その環境に女として適応できるほど強くはない人もいれば、
女として生きていこうとしても、その環境が要求する性と異なる人もいる。元男の人はall or nothingだ、
そんなことを言う人もいた。




 国としても女体化症候群は厄介な問題なのだと推測できる。
なにしろ治療法は無いし、予防法は避妊具無しのセックスを精通後に行うことしか無いのだから。
 あまり早期にセックスを経験させるのは青少年の教育上、非常に好ましくない結果になるのは想像に難くない。
国が専用の施設を運営しても胃に穴が開くほどの問題が生じてくるはずだ。
かといって事態を静観し、保護者の裁量に任せて近親相姦や性風俗店で経験をするように仕向けたとしても
問題は決して解決はしないだろう。それどころか様々な社会問題を引き起こしかねない。
青少年の性交渉を推奨、および黙認したとしても、必ず保護者達からのバッシングにあうはずだ。
それだけではない、性病の蔓延も免れ得ないだろう。
覚えたてのセックスの快楽は一回で満足できるものではないから、相手を変えて何度もやってしまうと考えられる。
中高生の乱交パーティなんて事件もあった。
この事件に関わった人達の何人かは梅毒に罹っていたとかで一時期噂になった。
しかもそれが噂ではすまなかったから性質が悪い。
また、初恋の相手とはいい思い出作りをやってほしいものだ、
そんな発言をした旧厚生省の大臣は案の定、野党や保護者連中のバッシングにあって辞職させられた。




 やがて、今まで忘れられていた発症率の低さと
元男であろうとも体のほうは何も異常がみられず精神的な性別も変化することが注目されるようになり、
残りの人生を女として生きられるように戸籍上の性別を簡単に書き換えることができるように法整備がなされた。
最初の女体化症候群罹患者が出てからここまで来るのに3年ほどかかったそうだ。
初期の元男の人達の苦労は想像に難くない。
だが、臥薪嘗胆の末に、一応の成功を獲たのだ。
しかし、この成功は周りの在り方に強い影響を及ぼすものではなかったということを忘れてはいけない。
人は皆、強いわけではないのだから。




 梅雨が明けて、さわやかな日差しが夏の訪れを感じさせ、
夏休みまであとわずかという浮き足立った頃。
涼の友人から、涼が高校でいじめられているということを聞いた。
 はじめは普通の高校生活を送っていたらしい。
だが、だんだん雲行きが怪しくなってきたようだ。
差別や偏見が下火になってきたといっても、完全になくなったわけではない。
女体化した人は、やはりマイノリティだし何かと目立つ場面もあったりするので、
精神的に不安定になりやすい思春期の、特に何の取り柄もない人達にとっては格好の批難対象になるだろう。




 いじめの原因は、簡単に想像はできる。
高校あたりになると、早いうちに童貞を捨てる事と経験人数が多い事がある種のステイタスになってくる。
そして知っての通り、女体化したということは
童貞で尚且つ避妊具無しでのセックスを経験したことがないということと同義である。
すなわち、自分が童貞だったということを晒しているわけだ。
 女体化してしまうことを恐れ、彼女を作り、互いの合意の上で行為に及ぶという過程を経ることなく、
他の方法で童貞を捨てた人には少なからず劣等感がある。
その歪な劣等感の捌け口に涼は選ばれてしまったのだろう。
 はじめは女子や一部の男子が仲介に入ることがあったらしい。
だが、いじめを行うグループはクラス内カーストの上位にいる不良を擁していたので、
次第に口出しをする人はいなくなっていった。
これは仕方のないことだろう、誰でも自分の身がかわいいのだ。
明日は我が身という事態だけは避けたいのだから。
そしていじめの輪は徐々に広がっていき、女子も加わってさらに過熱していった。
それまでは暴行や恐喝、嫌がらせがメインだったが、女子はさらに陰湿に責めた。
水泳の授業中に制服や下着を隠すだけでなく汚したり、
下着を毟り取られブラウスとスカートのみで雨の中に放り出されたりしたそうだ。
挙句の果てには、学校や警察に通報したら援助交際の証拠を捏造した写真を学校中にばら撒くぞと脅されていたらしい。




 ここまでエスカレートしてしまうと歯止めが利かなくなる。
他者を蔑ろにすることで確立され、肥大した自己と連帯感に際限はない。
誰が始めたということはもはや関係ない。
全員がいじめを盛り上げていくのだ。
いじめという儀式で連帯感を強めていくのだ。
贄を犠牲に、己の価値を確認するのだ。




 淡々と語る友人の声を聞いているとき、俺は涼の今後を思った。
遣る瀬無い気持ちになると同時に、同じ高校でなくて良かった、直接相談されなくて良かった、と思ってしまった。
そんな考えが浮かんでしまう自分をなんとか誤魔化して、合理化して、
それでも何か力になりたい、でも、面倒なことは避けたい………
そんな都合の良いことを考えてしまう自分が許せない情けない。
己の浅はかさを、自分がどんな人間なのかを、見せ付けられた気がした。
 その後、涼の力になろうという話をして、いや、約束だったかもしれない、友人と別れた。
聞かされなければ良かった、そう最後に思った。後味の悪い一日になりそうだった。
 西の空は夕日が山並みを濃燈色に染め上げて、東の空には夜の帳がかかり始め、空には星が瞬いていた。
今にも夕日が沈みそうになっているというのに蝉たちの合唱は終わらない。

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最終更新:2008年06月11日 01:57
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