「あらら?」
遊園地に対して不幸な妄想を膨らませていたのはもう数時間前
放課後、今回は特に明確な理由も無く図書館へと足を運んでいた
受験戦争の兵士訓練所を通り過ぎ、別世界のような3階
本棚と本棚の間に見える、ステンドグラスのようなガラス
差し込む陽の光で照らされる、木製の椅子と机
そして其処には、一般人には読破する事さえ難儀な専門書を読む女生徒の姿が
無かった
僕が今まで来た時は必ず………まぁ、まだ3回目だけど
とにかく100%の確立で居た
それが居なかったのだから、結構驚いた事を察して欲しい
「………まぁ、そんな日もあるか」
正直、本を読む気はさらさら無かった筈なんだけど
僕は何故か鞄を机の上に放り出し、できるだけ長く読めそうな本を探しに行っていた
気がついたら『蟷螂拳指南 上』と題された本を読み耽っていた
中国拳法には武術のご他聞に漏れず、様々な流派がある
太極拳とか少林寺拳法とか。因みに僕が中心にやってるのは八極拳と呼ばれる物
蟷螂拳というのは中国拳法の一つで、カマキリが獲物を捕らえる動作を基にして編み出されたんだとか
急所を突くための独特の手の形と、脚払いが特徴
因みにコレを練習していたら、傍から見れば変な人に見えるぞ
「七星天分肘………」
本から眼を離さずに、虚空に向かって技を放つ
見た目でいえば、裏手チョップのツッコミをしながら脚払いをしている変な人だ
実際そんな技だから仕方が無い
ご丁寧に挿絵付きで解説されている実践用の技を頭に止めておく
明日覚えてたら練習してみよう
……借りるという選択肢ははなからない。だって、多いんだもの
「ん?」
本を捲る音が、自分だけではない事に気づく
自然、目線は横に
「やぁ」
「どうも」
いつの間にか、アリスが出現していた
石ころ仮面でも装備しているのだろうか
「………」
「………」
何か空気に違和感を感じる
会話が無いのはいつもの事だが
何故だか相手が何かを話そうとしているような………
武術をやってるとこういう感覚が磨かれるらしいよ
「………女らしさって、何?」
「………はい?」
あんまり躊躇しなかったな
えーと、何?女らしさ?
「えーと……服とか化粧とかで見た目気にしたり、プリクラ手帳作ったりとか」
「いや、そーじゃなくて」
しかし、見た目金髪碧眼なお嬢様っぽいのにこの言葉遣いはいかがな物か
そういう需要もあるッちゃあるか
僕は何の話をしているのだろう
「何故にまた、そのような話題を?」
「クラスの人に言われた」
曰く、久しぶりに登校した学校では、その見た目によってちやほやされたと
その際会話とのギャップに辟易した一人のクラスメイトが、『もう少し女の子らしくした方がいい』といったとか
「で、女らしさって何?」
「あぁ、其処からの問題な訳」
首を傾けてこめかみに人差し指を当てる
考え事をする時の癖だ
「好みの女性像でも良いんだけど」
「それもそれで難しいね」
一瞬、ふくらはぎとかうなじとか二の腕について熱弁を振るいそうになったが止める
変態扱い確定だもんね
「可愛い娘」
「そーいうのでもなくて」
赤裸々に性癖を語れとでも言うのだろうか。サディストな
というかどちらかといえば無口な方かと思っていたのに、結構話しますね
「おしとやかなのが女らしい、って良く聞くけど………」
「おしとやか」
鸚鵡返し
その内メモでも取り始めそうだ、なんとなく
「とりあえず、話し方とか変えてみれば良いんじゃないかな」
形から入るのも重要だよね
心の何処かの冷静な部分が『僕は何をしているんだろう』って自問自答してるのが分かるよ
「話し方変えるって……どんな風に」
「クラスの女子とかの喋り方真似してみるとか………」
言ってから気付いた
今、もしかしなくても地雷踏んだな
「ふふ、友達づきあいなど小学校の頃からたしなんだ事の無いあたくしに向かってそないな事を……」
「ごめんなさい。後、無理するな」
台詞が棒読みで瞳が空虚だ。なんかヤバイ。色々ヤバイ
と、ここで妙案を思いつく
「恋愛小説とか読んでみたら?」
「僕……いや、私、文字が横に書かれてる本って読みたくないんだ……のよね」
「んー、まずは落ち着こう。後、君の言ってる本は日本ならどちらかと言うと少数派だ」
後、専門書って結構横書きの本多いはずだよね
アリスが今読んでる本もだけど
「まぁ、何事も食わず嫌いは良くないのね。何か適当な本でも借りてこようかしらですわ?」
「面白い人だねぇ、君」
山積みにされた恋愛小説
分厚い物からライトノベルまで
読みふけるアリス
既に三冊ほど読破している
速読にも程がありませんか
時間にして……2時間くらい、かな?
既にお外は真っ暗
館内照明と街の明かりの所為でそれほど暗くも感じないんだけど
(………そろそろ帰るか)
遅くなったらあの微妙に過保護な両親がどんな狂乱を招くかも計り知れないし
『蟷螂拳指南 中』を閉じて立ち上がる
「帰るの?」
妙に女性っぽい声
恋愛小説読んで感化でもなされましたか
「主人公みたいな恋をしたい」なんて言い出さないことを切に願おう
「今日は借りるんだ」
「うん、まぁ」
図書館の扉から外にでると、ひんやりとした風が頬を撫ぜた
僕の手には『蟷螂拳指南 中』が握られていた
ほら、人間の言うことなんて秒単位で変わるもんだし、ねぇ?
図書館の前の道は二手に分かれている
道の途中に図書館があるってだけで、別に分かれてるも何もないんだけど
「それじゃ、また」
アリスと僕の家は逆方向
彼女に背を向けて立ち去ろうとした時
「ねぇ」
かけられた声に反応して、身体を彼女の方に向けた
「明日も、来る?」
彼女の指差す先は図書館
小説の影響か、少し女の子らしい話し方になっていた
「そーだねぇ……本も読んでおきたいから、来るなら明後日かな」
………そう言えば、彼女が借りていた6冊ほどの恋愛小説は何処へ言ったのだろう
鞄……に入れたにしては、膨らんでないよな
それについて考えていると何やら不可思議な宗教的な思考に帰結しそうだな気がしたので早々にやめた
なんて、油断していたからだろうか
それとも前々から思っていた事だったのだろうか
唐突にその感情を自覚した
「………そう」
図書館からの光の加減の所為か愁いを帯びたような彼女の表情
それを見て、僕は彼女のことを
(可愛い………)
なんて、思ってしまっていた
「計兎」
「んぃ?」
家族団欒な食卓
わざわざ全員揃うまで皆待ってるんだから、物好きな人達だよね。僕含め
「最近、帰りが遅いが………悪い奴等とつるんでるんじゃないだろうな?」
7時帰りって、そんなに遅い?………遅いか、部活やってないし
「安心してよ。そんな意味の無いことしないから」
「そうか、それなら安心だな」
日頃の行いって大切だね
それはそうと、納豆ご飯に焼き魚に卵焼きって取り合わせはどうかと思います
「何で最近遅いの?」
話を蒸し返すな
頼むから聞いて欲しくないと言う思春期少年のプライベートな時間の露見を気にする心理をわかってくれ弟よ
でも訊かれたからには答えなければなるまいよ
「学校の中で天才って呼ばれてる人が居て、放課後に図書館で会ってるんだよ」
出来るだけ要点を端折って言う
嘘は言ってないよ、嘘は
「あら、そうなの。勉強を教えてもらってるなら安心ね」
「そうだな」
父と母の安堵した声
矢張り何処か心配だったんだろう
………嘘は言ってないよ、嘘は。勉強なんて事も言ってないけど
「兄さん」
隣から小声で囁いてくる。両親には聞こえない程度で
「………それって兄さんの彼女さん?」
………最近の中学生はマセてるねぇ
「やぁ、おはよう」
「………はよ」
登校した僕を、非常に不機嫌な雄治が出迎えてくれた
見事に寝不足が原因の不機嫌をアピールしていらっしゃる
昼に登校するのが普通だったから、生活リズムが狂ってるんだろう、きっと
両腕を枕にして寝ていた所為か、額が赤くなっていた
教室内には朝連の終わった人達が集団で入って来ている
そう言えば何故女子の皆さんは扉付近に集まるのだろうか。正直邪魔だよね、アレ
「…………計兎、女らしさって、一体何なんだ?」
「……………それを男の僕に訊くのかい?」
しかも何だ、流行ってるのかその話題は
「男とは思えないその童顔」
「うっ」
「男とは思えないその低身長!」
「グッ」
「男とは思えないその声!!」
「ああぁぁぁぁぁぁぁ………」
「……お前、もしかして女?」
ガスンッ
「人のトラウマ、わざわざ持ち出さないでくれる?」
「………サーセンっした」
「お前さ、正当防衛しかしないって良く言うけど、アレ嘘だよな」
「名誉毀損に対する、立派な正当防衛じゃないか」
「……お前も過剰防衛と言う言葉を知るべきだ」
“も”って事は他にも心当たりでもあるんだろうか
因みに僕の容姿は高校生にしてはなんと言うか、幼い
アリスが僕を先輩として扱わない理由も其処にあるのだろうか……ってまぁ、それはどうでもいいや
今でも着る服によっては女の子に間違われてしまう。失礼な事にね
小学生の頃はそれをネタにしてからかわれたんだよね
「にしても、女心ね………君に女装趣味があるとは」
「その結論に行き着きますか」
頭頂部辺りを押さえて、少し涙目
その様子を少し観察
別に身体つきが変わってる訳じゃない
実は女体化してた………なんてわけじゃあ無い様だ
となると、考えられる理由は
「彼女でも出来た?」
「………」
あら、図星?
結構適当に言ったんだけど
「へぇ~………誰?」
「そんなんじゃねーよ……もう黙ってろ女男」
本日二度目、鞄が唸った
うーん、正当防衛
相変わらずと言うか何と言うか授業中の事は霞がかった様にはっきりしない
それでも重要そうな語句は覚えてるから不思議なものだ
一種の睡眠学習?みたいな?
上の空の学校と睡眠時間を考えると、一日の大半は心此処に非ず、といった所か
気がついたらいつの間にやら時間は過ぎて、木曜日
今までコレといって描写は無かったが、木曜日とは“明後日”
つまり、図書館に行くと約束(?)した日だ
丸々一日分の記憶がおぼろげだ
(………悲しいけど、僕も男の子なんだよねぇ)
図書館の扉を前にして、何処か自嘲気味に笑っておく
形はどうであれ、“美少女に会いに行く”と言うシチュを少なからず期待している自分が居て
男である事を実感できて嬉しいような、悲しいような………
扉を開けると木と紙とインクの匂い
あと少しだけコーヒーの匂い
本の匂いと言うのはなぜか落ち着くね
「コレ、返却です」
「ハイ」
営業スマイルがぴったりと張り付いていらっしゃる受付嬢なお姉さん
接客業と言うのは大変なんだなぁ
「では此方、元の本棚に戻して置いてください」
戻すのは自分の手で、と言うのは何だろう、人件費削減の為だろうか
何だか裏側の事情に思いを馳せつつ2階受験戦争兵士養成所を通り過ぎ、3階へ
矢張り其処は静寂に包まれていた
いや、耳を澄ませば滓かにページを捲る音
「やぁ」
「……ん」
熱心に本を読みふけるアリス
終わってから直ぐに来た筈なのになぜか此処にいるアリス
しかし読んでいるのは眠くなるような専門書ではなく、恋愛小説
机の上にも山積みにされている。5冊ほど
「………なんか、豪華になってない?」
「寄付したの」
簡素な木製の丸テーブルは少し大きくなり、ピンクのフリルが付いたテーブルクロスがかけられている
板に脚を付けただけの様な椅子は一見華奢な、しかししっかりとした椅子に変えられている
背もたれと手すりも完備だ
しかし椅子に浅く座り、両手で本を抑えて読んでるアリスには何の関係もない気がする
この風景だけ見れば、小さな喫茶店の一部分、と見れなくも無い
「それ、何冊目?」
「………11冊、かな」
それは凄い
でも、一昨日5冊読んで、別の5冊持ち帰った筈だから昨日は来てない?
(僕が居なかったから ……って考えるのは、流石に自意識過剰だよねぇ)
アリスは恋愛小説を熱心に読んでいる
そんな冒険譚みたいに手に汗握る物だっけ?
僕も僕で特にする事もないので、適当に選んだ『三国志 徹底解剖!』なる本を読んでいる
何でもあるのなこの図書館
でも『蟷螂拳指南 下』が無かった。借りられてるのだろうか
「トケイ兎」
あらら何だか懐かしい感覚。僕ちょっとヤバイな
横を見てみれば、アリスが何かしらの箱を立派になった机に置いている
まるでケーキの箱だ。と言うか、ケーキだ
「美味しくできたかわかんないけど……食べる?」
「うん」
凄く良い笑顔ができた気がする
その快諾を聞いてアリスはいそいそと準備を始めた
持ち運び便利な紙皿、プラスチック製のフォーク×2、持ち手木製の細長いナイフ
保温性の高い水筒(魔法瓶?)に入れられた所為か、まだ湯気の立つ琥珀色の紅茶と紙コップ
飲食禁止だと言う事はこの際忘れておこう
「チーズケーキ?」
「うん」
チーズケーキって良いよね。余計な装飾やすっぱい果物も無いし
でもショートケーキやショコラケーキも好きだけど
と言うかケーキ好きだけど
いや、もっと言えば甘い物は全部好きだけどね
危なっかしい手つきでナイフを握り、チーズケーキ1ホールを中央から一刀両断快刀乱麻
うん、言いたかっただけなんだ
「どうぞ」
半円型になった傍らを紙皿に乗せて渡してくる
ウサギっぽいキャラクターのイラストが描かれたフォークも忘れずに。何かの皮肉だろうか
「……豪快だね」
呟きながらもフォークを手にする
別にそれほど不満は持ってないので
ケーキ丸々一個なんて夢のようじゃないか
………いや、まぁ、半分だけど。その方が現実的だと思わない?
「いただきます」
「いただきます」
半円の底角……とは言わないだろうけど、とりあえずその辺りにフォークを入れる
スプーンのように掬い取ったチーズケーキを、口の中へと運んだ
この間、アリスの目線はずっと僕の手元を凝視していた
口に含むと、その香りが鼻腔にまで広がった
正直に言えば、美味しい
店で売られてても不思議じゃないレベルだ
………そうだな。敢えて一つだけ不満を言わせて貰うとするなら
なぜかショートケーキの味がする所だろうか
「…………」
評価を気にしてか、アリスはずっと此方を見ている
どうしよう、正直に言うべきだろうか
味は凄く美味しい
チーズケーキじゃなくてショートケーキの味だが
此処でただ一言『美味しい』と言えば万事丸く収まるのだろう
しかしそれで後々彼女の為になるのだろうか?
例えば……彼女に彼氏が出来た時
僕が無責任に保証してしまった所為で、見た目と違う味の料理を出したとする
それが原因で彼女を傷つける事になったりしないのだろうか………
「どう?」
そんな葛藤を極力表情に出さないようにしていたら、アリスの方から感想を聞いてきた
どうする、僕。正直に言うべきだろうか
しかし美味しいのは事実な訳で
「何故かショートケーキの味になっちゃったけど、ビックリした?」
…………確信犯かぁぁぁぁぁ!!!
そりゃそうか。普通味見ぐらいはするよね。ん? ケーキって味見するのかな?
「美味しいね………チーズケーキとしてみなければの話だけど」
『美味しい』と言う評価にご満悦らしい
しかしどんな材料を使ったんだろう………このケーキ
いやまぁ、美味しいから良いか。何でも
「………それで、何で急にケーキなんか作った訳?」
「コレ」
差し出したのは恋愛小説。二日前に読んでいたような
「女は、男に手作り料理を振舞う物だって書いてたから」
手作り料理、でケーキが浮かぶのか。凄いな、色々な意味で
「それさぁ、男の前に“好きな”って単語付いてなかった?」
数秒の沈黙
ペラペラとページを捲っていくアリス
ふとその手が止まり、お目当てらしき文を追う
再び沈黙
「………うーん、ドンマイ?」
「気にするなーってそりゃ無理ですとも」
『主人公みたいな恋したい』
いつか、言い出しそうだな。本当に
………せめて、神頼みでもしとこう。言い出さないように
~つづくかもしれない~
最終更新:2008年07月21日 04:21