33 :『きつねこいぬ 前編』 ◆FP9rUXa9Eo :2008/05/17(土) 00:08:37.19 ID:djLZmSnV0
人には得手不得手という物がある
完璧な人間なんて居る筈も無く、其れは仕方ない事だ
だから、「人付き合いが苦手」と言うのも認められても良いと思う
別に対人恐怖症と言う訳ではない
ただ、他人と対峙した時に何を話せばいいのか解らない
どうにも自分は、アドリブが聞かない人間らしい
この事を考えると決まっていつも最後は自嘲の溜息で幕を閉じる
「………はぁ」
今日もまたお決まりの溜息を残して、文庫本を閉じた
昼休みだと言うのに図書室は閑古鳥が鳴いている
どうやら若者の活字離れというのは思いの他深刻みたいだ
凝り固まった筋肉を伸ばすとコキコキと音がした
静寂が支配する空気が心地良い
他の図書委員の生徒は此処にはおらず、殆ど俺が一人で取り仕切っているのが現状
「別に此処まで人を遠ざけなくても、良いよなぁ」
他人が居ないと思うと自然と独り言が多くなる
独り言が多いのは何かの兆候だって見たな………さて、何だったかな
既に暦は11月
悪癖を拭えぬままに一年課程の半分が過ぎ去ってしまった
「はぁ……」
今日の溜息が二桁に達した
34 :『きつねこいぬ 前編』 ◆FP9rUXa9Eo :2008/05/17(土) 00:10:08.70 ID:djLZmSnV0
「きりーつ、れー」
食事は戦争だ
どこかで聴いた言葉だが、今ならその意味が解る
4時限目の終了と共に、校内が喧騒に包まれる
学食へと走る者
購買に向かって窓から飛び出る者
それに巻き込まれる弁当組
死屍累々の惨状がそこに広がっていた
徒党を組み、他の人を妨害する役目と買出しの役目を決めている者たちも多い
何故そこまでするのか甚だ疑問ではある
しかし成長期には食事が重要なピースである事も事実である
ならばこの闘争は必然とも言える
長々と前口上を述べてきたが、俺はこの内のどれにも入らないのが現状
理由を説明するなら俺の好物と言うか好きなものは得てして不人気で、遅く行こうが必ず売れ残っているからだ
何故此処まで人を遠ざけるのか、俺
最早才能だな
「ジャムパンとチョココロネと牛乳下さい」
「はいよ」
釣銭の出ないように予め用意したお金を渡す
もう慣れたもんだ
入学してから一日と欠かさず同じ物を食べている気がする。学校がある日限定で
人気のあるカツサンドや焼きソバパンは、いつも売り切れている
よく飽きないな、と言うのが素直な感想
そして俺が言える立場でもない事は重々承知
………明日は、争奪戦に参加してみようか
35 :『きつねこいぬ 前編』 ◆FP9rUXa9Eo :2008/05/17(土) 00:12:41.66 ID:djLZmSnV0
『1年B組の赤木 桃哉君。至急、職員室まで来てください。繰り返します………』
「もふ?」
くにがまえ型の校舎、その中庭で放送を聴いた
パンの包装紙を纏めてポケットに突っ込み職員室に早足で向かう
職員室前で待機している人物を見て、軽く気分が落ち込んだ
「先生……」
「あぁ、赤木か。よく来た」
「呼んだのは貴女でしょう」
「それは特に問題ではない」
目の前の白衣を着た教職員は、保健室を縄張りとした養護教諭
同時に、図書委員の責任者でもある
「早速だが、コレを図書室に運んでいて欲しい」
バン、と手を置いた所には本があった
……ダンボール10箱分の
「…………一人で運べと?」
「図書委員で真面目に役目を果たしているのがお前しか居なくてな」
「せめて手伝うと言う選択肢は?」
「か弱い私に、こんな荷物を運ばせるつもりか?」
元・男の養護教諭の威嚇。ついでに学生時代は暴走族の頭だったらしい
俺の攻撃力が大幅に下がった
「…………解りましたよ」
「そうか、すまんな。別に今日中じゃなくてもいいからな」
37 :『きつねこいぬ 前編』 ◆FP9rUXa9Eo :2008/05/17(土) 00:14:20.72 ID:djLZmSnV0
「ていの良いパシリだよな……」
積み重ねたダンボール2つを図書室のテーブルに置く
そしてガムテープを剥がし、中の本を取り出す
「コレは伝記……こっちは推理小説か」
新しい本特集の紙とインクの匂い
その背表紙に棚分けの為のラベルを貼っていく
果たしてコレは図書委員の仕事なのか
そうだとしても俺一人だけでやらねばならん義理でもあるのだろうか
恐らくはNoだ
それでも断れないのは……意志が弱いからだよな、俺の
ふと、重厚な雰囲気を持つ本達の中に異彩を放つ物があることに気づいた
「漫画雑誌?」
発刊日を見るに、何年か前のもの
全体的に明るい色の配色で、中央に何かのキャラクターが描かれている
題名は「Ray Out」……どこかで見た名前のような
高校の図書室に置くにしてはどうよ、この本。どうせ誰も来ないんだけど
言ってて悲しくなってきた
「ま、良いや。早く済ませよう」
ダンボール2箱分の本にラベルを貼り終え、その題名と本に割り振ったナンバーをパソコンに入力
新しく追加した本のリストをプリントアウトした後に、本を本棚へと入れる
コレで3回目になるので、もう慣れてしまった
………気がつけば30行ほど前の発言を、もう一度呟いていた
38 :『きつねこいぬ 前編』 ◆FP9rUXa9Eo :2008/05/17(土) 00:16:10.45 ID:djLZmSnV0
「ただいまー」
放課後にもダンボール3箱分、図書室に運んだ
コレで合計5箱。残りも5箱
明日には片付くかな……
「やぁ、お帰り」
「あ、姉さん」
俺が家に帰ってくるのと入れ違いに、姉さんが出かけようとしている所に出くわした
元・男、と言う注釈を加えておこう
「何処か行くの?」
「うん、ちょっと友達の家で麻雀」
俺と姉さん、見た目は似ているのに中身は大違いだ
俺が周りから孤立にしているのに対して、姉はグループの中心
あらゆる行事の中心に居るような存在だ
正直、うらやましい
何処かの誰かが『兄弟姉妹は片方が片方を吸収する』とか言っていた
なんとなく同意できる
正反対だものな。俺と、姉さん
「ふぅ……」
ベットに倒れこむ
軋む音がやけに大きく聞こえた
39 :『きつねこいぬ 前編』 ◆FP9rUXa9Eo :2008/05/17(土) 00:18:07.84 ID:djLZmSnV0
夕食も食べたし、歯も磨いたし、風呂も入ったし、明日の準備も終わった
「……… 疲れたなぁ」
体全体を包む疲労感
いつもより強力だった
寝転んだまま、首だけで部屋を見渡す
必要最低限以外のものは置いていない質素な部屋
片付いてるといえば聞こえはいいが、ただ買うものが無いだけ
無趣味である事がありありと表されている
健全な男子高校生が、コレで良いのだろうか
悪くは無いが、良くも無いよな
肉体的な疲労が湧き上がる
まぶたが重みを増し、視界がぼやけた
(………… 明日、か)
明日は、誕生日だ
明日から多分俺は、女になるんだろう
多分と言うより、絶対
女になれば、何か変わるんだろうか
………変わる日は来るのだろうか
強烈な疲労が湧き上がり、まどろみの中へと落ちていった
ひたすら睡眠を貪る中で、不意に意識が覚醒する
―――夢を見た、気がする
41 :『きつねこいぬ 前編』 ◆FP9rUXa9Eo :2008/05/17(土) 00:19:57.09 ID:djLZmSnV0
夢の中の景色は見覚えのある神社
そこに俺は居た
妙に狐の装飾が多い事から、そこが何処の神社かは見当がついた
夢の中で俺は、笑っていた
心の底から楽しい事を噛み締める様に、満面の笑顔を振りまいて
夢の中の俺は少し髪が伸び、丸みを帯びた体付きで、女になっていた
巫女装束を身にまとい、同じく他の巫女スタイルの女性と談笑している
女になってるのに何故自分か解ったのかは……直感と言う他無い
(本当、楽しそうだな……)
夢によくある、第三者の目線で自分を見ている状況
女になった俺は、今からは考えられないくらいに楽しそうだった
最後に笑ったのは、何時だっただろう
記憶をたどってみても、しかめ面を浮かべている記憶しかない
味気ない人生を送ったものだ
(でも、変われるのか?)
答えの無い自問
夢の中の俺…… 彼女が笑っているという事は、俺もああなれるんだろうか
夢の中の彼女が、不意にこちらを向いた
『大丈夫』
桃の花の香りように、安らぎを与えてくれる声
『絶対、大丈夫だよ』
42 :『きつねこいぬ 前編』 ◆FP9rUXa9Eo :2008/05/17(土) 00:21:26.13 ID:djLZmSnV0
「…………」
夢を、見ていた気がする
内容は覚えてないけど、多分、良い夢だった
時計へと目を移せば、午前6時
珍しく早起きだ
そして、その隣に置かれている卓上カレンダー
11月の赤丸を付けられた11日……16歳の誕生日になった事を思い出した
さようなら男の俺
こんにちは女の私…… ?
「んん?」
それほど身体に違和を感じない
腕とかを眺めてみても、変わっているとは思えない
ちゃんと男のモノが付いている事も実感できる
はて……… ?
「ヤッホーぅ!にょたんじょーび、おっめで ……… とう?」
ハイテンションで姉さんが入ってくる
ドアが悲鳴のような音を上げたが気にしない
予想した変化をしていない俺を見て、一言
「何で女になってないの?」
ですよねぇ?
43 :『きつねこいぬ 前編』 ◆FP9rUXa9Eo :2008/05/17(土) 00:23:15.00 ID:djLZmSnV0
特に水をかぶっても女に変身する、なんていう事も無かった
そのまま朝風呂に入って一息
なーんて優雅な朝を送りながらも、俺は男だった
少し、残念な気もする
「桃哉、遅刻するよ?」
小説家と言う比較的一日がフリーダムな職業を選んだ姉さんが、ソファに寝そべりながら言う
姉さんが撮り貯めしてた『笑えばいいとも』に目を奪われ、既に10分以上を無駄にしていた
「…………」
もう溜息もでねぇや
思いのほか、女になるのが楽しみだったらしい
教室のベランダから校庭を見下ろす
高校生が昼休みに外で遊ぶのは、珍しい光景なんだろうか?
ジャムパンを齧りながら感傷に耽る
争奪戦? 参加する元気も無かった
丁度ジャムパンを食べ終え牛乳で流し込んで居る俺に、声を掛けてくる人が居た
正直、珍しい。言ってて悲しい
「君が、赤木 桃哉君?」
片方はグラマラスで高校生にしちゃ発達した体付きと、お姉さん気質の顔
もう片方は男にしては身長が低く、幼さの残るか顔つき
金髪美女とショタっ子の、見事なペアだった
44 :『きつねこいぬ 前編』 ◆FP9rUXa9Eo :2008/05/17(土) 00:25:29.72 ID:djLZmSnV0
「……そうですけど」
「あぁ、良かった」
ほっとした態度を見せるショタっ子
はぐれメタル並みのエンカウント率でも誇ってるのかな、俺
ところでところで
確かに俺は他の人とあまり関わらない、というか関われない人生を送ってきた
引っ込み思案といえば其れまでだが。根暗といわれたらもっと其れまでだが。
そんな俺でも一般常識とかは理解してるつもりだ
まず、人間に尻尾やケモノ耳は生えていない
……… 別に頭がおかしくなった訳ではない
そう思いたい
しかし、その決意が揺らぎそうな事実が今俺の目の前にある
ショタな風貌の男子生徒、こっちはまず良い
俺を見つけれた事を喜んでいる仕草が不覚にも可愛いと思ったとか、そんな事はどうでも良い
問題はその隣。高校生らしからぬ体型を持つ、金髪の女生徒の方だ
校章の色からして同じ学年らしいその人からは
狐の耳と尻尾が生えていた
幻影だよな。目の錯覚だよな
おっかしいなぁ、俺疲れてるのかな
目を擦ってみてもその幻影は消えてくれない
それどころか、活発に左右にふりふりなさっている
「今日、図書室に新しい本が来るのって、本当かな?」
45 :『きつねこいぬ 前編』 ◆FP9rUXa9Eo :2008/05/17(土) 00:27:29.63 ID:djLZmSnV0
年上キラー、とでも呼ばれてそうなあどけない笑顔
天然だとしたら恐ろしい子……!
「えぇ、本自体は昨日届いてますから…… 正式な貸し出しは、明日ぐらいからですね」
「へぇー……あ、そうだ。新しい本のリストとかってないかな?」
昨日纏めた本のリストを取り出す
まだ本をジャンル別に整理してないが、まぁ見せてもかまわないだろう
「まだ半分ですから、載ってないのもあると思いますが」
そういって渡した紙を、しげしげと見ている
眼球の動きからかなりの速読だという事がわかった
やがて目的の物を見つけたのか、その動きが止まる
「ふんふん……… なるほど」
何度か頷きながら、その紙を俺へと返してくる
「ありがとね、赤木君」
同年代から名前を呼ばれたのは、いつ振りだっけ
そこ、苗字だろとか突っ込まない
「…… そういえばわざわざ別のクラスまで来て聞くような事ですか?図書委員に聞けば良いと思うんですが」
「えー、だって」
「君以外の図書委員、まったく仕事してないって有名だもん」
……… アレ? なんだか凄く虚しくなってきましたよ
47 :『きつねこいぬ 前編』 ◆FP9rUXa9Eo :2008/05/17(土) 00:29:17.67 ID:djLZmSnV0
「本の整理するので、これで」
「あ、うん。煩わせちゃってごめんね」
パンと牛乳のゴミを持って、図書室の方へと歩く
後ろの方では彼が手を振っていた……… 名前、なんて言うんだろ
「あ……」
彼の隣の金髪少女
その耳と尻尾について訪ねる事を忘れていた
……まぁいいか
埃っぽいと言う訳ではない
しかし何処か重厚な雰囲気を持つ図書室
普通の人は、こういう雰囲気の所為で入りにくいんだろうか
この空気に慣れてしまっているのは喜ぶべきか悲しむべきか………
「嘆いててもしょうがない」
口に出す事で強制的に気分を変える
とりあえずは今運んできた二つのダンボール、そのガムテープの封印を解く
ぎっしりと詰められた本達
英語のテストの長文問題ぐらい嫌になる
1つを手に取り、用意されたラベルを貼る
そして奥付のページに貸し出しカードをセット
淀みない動き。もう慣れたよ
「……… なーんで俺の他に図書委員が来ないのかなぁ」
48 :『きつねこいぬ 前編』 ◆FP9rUXa9Eo :2008/05/17(土) 00:31:05.83 ID:djLZmSnV0
責任者である先生がアレだから仕方ないといえば仕方ないが
それでも非常に理不尽な気がする
「お?」
ふと手に取った小説
見覚えがあると思ったら、姉さんが書いた物だ
姉さんのペンネームである「染井芳野」といったら、その筋では結構有名らしい
何が素晴らしいかは言葉に出来ないが、兎に角物語に引き込まれるんだとか
が、高校の図書室に置くにしてはどうなんだろうか
というのも、姉さんが書いてるのは『官能小説』だ
勿論、青少年の発育に有害な影響を与える描写がある…… 一冊分の半分ぐらい
コレを書くために友人のカップルにモデルをお願いしたりしているから、打ち込み具合は半端じゃない
特殊なシチュエーションを演じているところに出くわしたのも2度や3度ではすまない
(……… バニー姿で、家をうろつかないで欲しいよな)
一体どんな物を書いていたんだろうか
興味はあるが、足は踏み入れたくない
なんか戻って来れそうにない気がする、凄く
「まぁ、良いか」
頭に浮かんだ雑念を振り払いつつ、ラベル張りを続ける
官能小説があっても、読む人なんか居ないだろう
普段から誰も来ない訳だし
「……… となると、この作業に意味はあるのか?」
49 :『きつねこいぬ 前編』 ◆FP9rUXa9Eo :2008/05/17(土) 00:33:12.04 ID:djLZmSnV0
時々虚しくなりながらも、どうにか作業を終わらせた
あぁ、終わらせてやったさ。突貫作業でな
目から汗がとまらねーぜ畜生
で、放課後
ダンボール持ったまま階段往復は流石にキツかった
「と、いう訳で新しく入った本のリストです。目を通して置いてください」
「あぁ、ご苦労。一杯どうだ?」
本のリストを受け取りながら、俺にコーヒーカップを渡してくる
中には液体と言うには少しドロドロしすぎているような、真っ黒なコーヒー
飲んでみると、以外にスッと入ってくる
「苦いですね」
「なぁに、じきに慣れる。疲れも取れるぞ」
片手で器用にリストをめくりながら、同じようにコーヒーを飲む
そういえば、若干疲れが抜けたような……?
「………」
急激に頭が痛む
身体の感覚がなくなり、自分が立っているのかどうかさえ曖昧になる
視界がマーブル状にゆがみ、身体が何かに押される感覚が続く
「……ん? おい、赤木? 大丈夫か? 顔色が……… 赤木!?」
手からコーヒーカップが滑り落ち砕け散った
コーヒーで黒く染まった床が、だんだん目の前に近づいてきた
50 :『きつねこいぬ 前編』 ◆FP9rUXa9Eo :2008/05/17(土) 00:35:05.73 ID:djLZmSnV0
ガツン、と耳元でぶつかる音
側頭部に鈍い痛みを覚えた
コーヒーカップの破片がチクチクと痛い
「おい、赤木!? しっかりしろ!!」
白衣姿の公子先生が、身体を揺さぶる。
しかし俺の意識は真っ黒な何かに侵食されるようにおぼろげになる
視界の端から景色が色を失い、やがて……
――――めのまえがまっくらになった
香ばしい香りを嗅いで目を覚ます頃には、かなりの時間が過ぎていた
茜色に全てを染める夕暮れを通り越して、既に星空となっていた
学校の保健室、そのベットに俺は横たわっていた
「気がついたか」
公子先生が二つ持ったコーヒーカップの内1つを渡している。『きみこ』ではなく『こうこ』先生
湯気だっている中身を飲むと、寝ぼけていた頭がいくばくかはっきりする
「赤木、お前誕生日は?」
「今日、ですけど」
「童貞か?」
むせた
52 :『きつねこいぬ 前編』 ◆FP9rUXa9Eo :2008/05/17(土) 00:37:13.19 ID:djLZmSnV0
「一体なんですか、いきなり」
ん?
抗議した声が若干高い事に気がついた
コーヒーカップを持つ手もなんだかいつもより華奢だ
肌も白く、制服がかなりだるく大きく感じる
「えーと、もしかして?」
「その通りだ」
ガラガラとキャスター付きの姿見を持ってくる
其処に移っていたのは、女の子
若干背が縮み、男用の制服は完全にサイズが合ってない
まるでワイシャツを着てるような錯覚に陥る
メガネも少し大きめになっている
寝汗の為か髪がしっとりと額に張り付き、高潮した頬が何処か扇情的だ
「我々の世界へようこそ、とでも言うべきかな? 桃ちゃん」
「桃ちゃん?」
「赤木 桃哉が女になったから桃ちゃん。良い名前だろ?」
安直……という感想は拭えないが、一瞬俺も考えてしまった名前だ。文句は言えない
右手がズキンと痛む
今気づいたが、右手の甲にガーゼがテープで止められていた
「倒れたときにカップの破片が刺さってな。本能的に受身は取っていたみたいだが」
公子先生は飲み終えたコーヒーカップを机の上に置き、白衣を脱いだ
「さ、立てるか?送ってやる」
53 :『きつねこいぬ 前編』 ◆FP9rUXa9Eo :2008/05/17(土) 00:39:37.17 ID:djLZmSnV0
公子先生の車は女性らしい(というのも変だが)丸みを帯びた形状の小型車だった
中は搭乗者の性格を現すように片付いていて、無駄な者が見当たらない
景色が後ろへと流れていく
「しかし、お前ら兄弟……いや、姉妹は本当似てるな」
「お……私、と姉さんがですか?」
「あぁ、お前の姉があの学校の卒業生って事は知ってるだろう?」
公子先生は過去を思い出すかのように遠い目をしている
姉さんが通っている時から先生をやっていたんだろうか
「お前の姉が女体化するときも、学校で突然倒れてな」
「姉さんも?」
「あぁ、その時は大変だったぞ。何しろ衆人環視の中で倒れたからな。不治の病とか噂されてな」
特に前兆もなく倒れたら、普通何かの病気だと思うだろう
仕方ない事ながら、人間は残酷なもので
「結局、数日後に女体化した藤乃が登校してくる事で収まったんだがな」
「数日?」
「女体化を口実に休みを延長したんだよ。特に体調を崩したわけでもないだろうからな」
「………姉さんらしい」
「そうだな。ほら、着いたぞ」
何時の間にやら家の前についていた
「ありがとう御座いました」
「あぁ、親御さんに連絡入れてあるから安心しろ。後、藤乃によろしくな」
私を降ろした車はそのまま、夜の街へと消えていった。学校に戻ったとも言う
55 :『きつねこいぬ 前編』 ◆FP9rUXa9Eo :2008/05/17(土) 00:41:07.45 ID:djLZmSnV0
「ただいまー」
「おめでとー!!」
パンパンパン、と音が響き、火薬の匂いが鼻を突く
少し緊張して開けたドアの向こうでは、家族総出でクラッカーを鳴らしていた
「………何コレ」
「誕生日と女体化祝い?」
「何で疑問系なん……なのよ」
女性の喋り方を意識しようとすると、少し恥ずかしいな
今まで男として生きてきたんだから当たり前か
「うんうん、可愛くなったじゃない」
「着替えてくる」
満足げに頷いている姉さんを尻目に、階段を上る
学生服は今の私には大きくて、手で押さえないとずり落ちてしまいそうだ
階段を中程まで上ったとき、重大な事に気がついた
「……姉さん」
「なぁに?」
白々しく笑う
私が反抗期だったら殴り飛ばしたくなる衝動を抑え切れなかっただろう
「………服と下着、貸して」
言うまでもないが、私は女性用の服と下着を持っていない
持ってる筈がない
56 :『きつねこいぬ 前編』 ◆FP9rUXa9Eo :2008/05/17(土) 00:43:13.50 ID:djLZmSnV0
「黒のガーダーベルト吊りと、白の紐パンツどっちが良い?」
「普通のはないの?」
姉さんが官能小説家というのは前述した
モデルに書きたいシチュエーションと同じ格好をしてもらうために、下着や服は何種類も持っているとの事
しかし、それらはやはり官能小説を書く為の物
普通のデザインより、奇抜なものが多いのは仕方がないと言える
言えるけど……
「何で真っ先に勧める服装が、バニーガールなのよ……」
この人、私の姉なんだよなぁ……認めたくないけど
「服って何着か必要よね?」
「うん、まぁ……明後日休みだから、自分で買いに行くけど」
「そう、じゃあこのメイド服着てみない?」
「人の話訊いてる? ねぇ?」
私が平穏な生活を送りたいというのは罪なんだろうか
どうやら神様とやらはとことん私を異端に仕立て上げたいらしい
「胸はD……いやCくらいかしらねー……あ、そうだ。この間通販で買った奴がーっと」
先の事で悩むのは趣味じゃない
しかし此処まで他人とかけ離れてしまうと、ふと考えてしまう時がある
「じゃーん!お姫様ドレスー!」
………私の将来、どうなっちゃうんだろ?
―続く―
最終更新:2008年07月21日 04:29