『きつねこいぬ 後編』

「………ってな感じで、今日は友達の家に泊まろうと、思うん、ですが」
『ふーん、男?』
「女の子」
『何だ、つまらない』
「………父さんと母さんに伝言お願いね」
『はいはーい』
『……助けてくr』 ブツンッ

………ツーツーツー
唐突に切れた
最後に鳥野さんの悲鳴のようなものが聞こえたのは気のせいだろうか
気にしない方がいいか

黒のダイヤル電話の受話器を置く
この和風な家には見事マッチしている

「桃ちゃーん、お部屋の準備オッケーだよ!」
「あ、はい」

いきなりきつねさんが後ろから抱きついてきた
たわわに実る二つの果実
見事に自己主張していた
別に羨ましくなんかないから。本当だから

「何にも無い部屋で悪いが、此処を使ってくれ」
「わぉ」

お兄さんが襖を開けた先には、畳敷きの広い部屋
少なくとも、私の部屋よりは広い

漫画のような和室
ちゃんと掛け軸もかけてある
うん、畳の匂いって良いよね

「………さーて、どうしよう」

やる事ないな
唯一持ってた紙袋は私の服しか入ってないし
一人ファッションショーなんてのも悲しすぎるし

結局、外に出るという選択肢を思いつくまでに10分ぐらいかかるし


因みにこの家、山の上にある
詳しく説明すると、神社のある所から更に石段を登った所にある
毎日あの石段を上り下りしている所に、きつねさんのプロポーションの秘密があったりするんだろうか
………話がそれたな
場所が山の上だけに他の家とかが無く、敷地を贅沢に使った大きな家
雑巾掛けすれば簡単に筋肉痛になれそうだ

(……家も大きければ、色んな物が大きくなる……のかしら)

いかん、最近卑屈になってきてるな、私
等と、縁側を歩きながら思う。庭に面した、屋根付きの通路見たいな所
縁側じゃないかもしれないが、一応縁側と言っておく

オレンジ色だった景色は、既に薄暗く染まり始めていた
暦は11月。もう冬といってもいい

少し肌寒い風と共に、温かな食材のにおいが運ばれてきた

夕食はやはり日本風な雰囲気にそぐわず、見事な和風だった
黒いお膳に乗せられた料理は、少なくとも普段はめったに口にしない物が殆ど
天麩羅、魚の姿焼き、土瓶蒸し、炊き込みご飯、etc……
えらく手間のかかった献立だ
毎日こんな感じなんだろうか?
羨ましいと同時に、大変そうだ

お膳と言うところから、畳に正座で食べていると言う事を理解していただきたい
正座じゃないと下着見えちゃうんだよ……

「千春、はい、あーん♪」
「恥ずかしいんだけど……」
「あーん♪」
「あのー」
「あーん」
「…………あーん」

左隣では、見事にきつねさんと千春さんがいちゃついていた
しかしこの圧倒的な女性優位の状況、何処か既視感を感じるのは何故だろうか

「これ、美味しいですね」
「そう、其れは良かった」
「手作りなんですか?」
「まぁ、そうだけど」

お兄さんの目線が、いちゃつく二人に向いた
何処か遠い目。そして目頭を押さえた

「この二人は味について何か言ってくれた事なんて無くてね……褒められたのは初めてだよ」
「あー……心中、お察しします」


「さぁ、お待ちかね!お風呂タァーイム!!」
「おー!」

テンションの高いカップルの二人
私はそのテンションに付いていけず、お兄さんは呆れ顔
お風呂に入るのに、皆様何故か外出支度

「ほらほら、桃ちゃんも早く」
「え?え?」
「兄さん、浴衣持ってきてー」
「自分で行け」

「ちょ、あの、何処行くんですか!?」

物事は常々急転直下、流水の如く移り変わる
私は今迄………まぁ、不名誉な事だが
消極的な方面に積極的な性格に育ってしまった
その所為で彼女のテンションに着いていけない
何が言いたいかというと、この一言


「………疲れる」

きつねさん御一行が向かったのは、銭湯
木造建築の新しい建物
登ったところから別の石段を降りたところに、其れがあった
あった、というか現れた、というか
兎に角前触れも無しに、その建物の存在に気づいた
また何かの不思議パワーだろうか
それほど驚いていない自分がいて、複雑な気分になった

女体化してからの此処2日3日間ぐらいで色々な人生経験値が増えたような気がする
その原因はやっぱり『霊感』が身についたこと………

ではなくて。

やっぱり男から『女』になったのが原因だと思う
自分の存在が根幹から変換する
そう考えると、この女体化という現象は凄い事なのではないだろうか

等と問題の誤魔化しをしている場合じゃない
私が今最も考えるべきことは目の前の問題を何とかすると言う事だ
確かに私は女になった
しかし其れは肉体的な現象である
今の私の精神は自分を男と自覚してる部分が大部分と言う訳だ
そう、確かに私は女になった
なったからには女の子として生きていこうとも思う

思っては居るのだが

(………コレはまずいだろう。流石に)

と、目の前のロッカーをにらみつけながら思う
別にロッカーに恨みがあるわけじゃない。他に目線を移せないだけだ
私は今銭湯の更衣室に居る

………女性用の

私は今女なのだから、当たり前といえば当たり前だ
空調も完備されていて電灯も明るく、住んでもいいくらいに快適だ
……故に、お風呂上りの女性達が自らを隠しもせず、備え付けの長椅子に休んでいたりする

女として生きるというのは所詮心構え
まだ日が浅い私の心には男としての部分が多分にある
何しろ自分の身体をじっくりと眺めた事すらないのだ
其れがいきなり他人の、それも大勢の裸なんて刺激が強すぎる

(ええい、仕方がない)

出来るだけ見ないようにしよう
目をつぶりながらフリル大目なブラウスに手をかける
衣服を全てたたんでロッカーに放り込み、鍵を閉める
お風呂に入ろう
そして煩悩も雑念も全て洗い流そう

「桃ちゃん、ささ、早く行こう」
「はーい」

反射的に目を開ける
そしてその視線の先には、狐さんの高校生らしくない発達した艶やかな裸体が……

それほど見えなかった

「お?」

なんとなく視界がぼやけている
何かの病気か?

一瞬そう疑ったが、数秒後に疑問が解けた
今私は眼鏡をかけていない
その所為か視界がぼやけ、水彩絵の具が滲んだような視界が広がっている
こんな解決方法があったとは。何たる僥倖

えーっと、もう帰っていいですか
駄目ですかそうですか

きつねさんに手を引かれて扉の向こうは桃源郷
湯気がある事と眼鏡をかけてないお陰であまり見えないが
しかし視覚が制限された所為か、聴力と嗅覚が異様に敏感になっている
女性特有の甘い匂いとか
女の子同士の会話とか
のぼせ気味なのか、妙な色気を持つ喘ぎ声とか

「足元、気をつけてねー。はいコレ、シャンプーとリンス」
「どうも」

きつねさんに誘導されるように、シャワーの前に座る
ボタンを押せば一定時間自動でお湯が流れるタイプ
文明の利器、万歳

シャアァァァァァァ……と、適温に設定したお湯が私の身体を打つ
身体の中の疲れとかも一緒に溶け出して流れていくようだ
髪に付いたシャンプーを洗い流し、ふと隣を見た

不覚にも、目を奪われる

水滴を健康的に弾くその柔肌は、ぼんやりとしか見えなくとも何かしらの感動を与えてくれる
珠のような肌、と言う表現が一番しっくりくる傷ひとつない肌が、艶やかに光っていた
余分な贅肉は一切なく、その分胸部にはハリのある二つの丘が
まるで一枚の絵画のように完成された美しさ。少し、嫉妬した

―――その嫉妬が、男としてのものか、女としてのものか
その区別は、付かなかったけど

完成された美しさ、というものはそれほど感動はない
完成されたという事は、其れより上にはいけないって事だから

だけど

彼女は、「完成」されている美しさを持っている
其れとは別に、まだまだ美しくなる「未完成」も秘めている
両立するはずのないその二つを、彼女は持っている

(うらやましい)

美しさを持つ彼女が、か
そんな彼女を持つ千春さんが、か

男としての嫉妬と、女としての嫉妬
果たして今、私はどちらの感情を持っていたんだろうか
別にどうと言う事はないが
それでも今自分がどちらよりなのか気になる気持ちもあるわけで

「もーもちゃんっ!」
「ひぐっ!?」

両脇から伸びてきた腕が、私の胸をわしづかみにした
背中にも何かやわらかい感触が当たっている

「き、きつねさん!?」
「うーん、やっぱりいいわぁ……」

何か悦に入ってらっしゃる
その間にも両腕がせわしなく蠢き、私の胸を揉みしだいていた

力の入れ具合によって、面白いように形が変わっている
其れを感覚として理解すると、妙な気分が湧き上がってくる
……何かまずい。この感覚は何かまずい

「いい加減にしてくださ……!」

強めに言い返そうとしたその時
きつねさんの手のひらが、私の乳房の先端をいじり始める
背中に強い電流のような感覚が流れ、体中の力が抜ける
どうにか口を押さえようとしたが、もう遅い
きつねさんが鬼の首を取ったように、不敵な笑みを見せた

「ふふふふふふふふ………」
「あ、あの、コレは、その……」

瞬間、組み伏せられる
やばい、目がやばい

「いいのよ、お姉さんに全て任せて………ね?」
「い、い、い、いやぁ……!」

耽美なる囁き
このまま彼女が与えてくれるであろう快楽に身を沈めたい
其れは同時に今までの自分には戻れない事を確信させる
無意識に恐怖に襲われ、体が寒くなる
しかしその一方で、私の身体の中の何かが、それを求めるように疼く

「ほら……もう我慢できないでしょう? 期待、してるんでしょう?」
「あっ、ひゃんっ、あんっ、あぅ……!」
「んふふ……可愛い声で鳴いてくれるわね」

きつねさんは手に加えて、口を使い出す
私の乳房を咥えて、噛む舐める吸う等の口技と舌技
その慣れた様子には、熟練した業を感じさせる
なんて悠長な事言ってる場合じゃない
貞操の危機だ、私
他の女性客が反応してない事を見ると、また何か不思議な力を使ったんだろう
そうこうしている内にきつねさんの片腕が別の場所に移動する
私の下半身、自分でも触った事のない、その恥部へと

「あっ、其処はっ、んぅ……く……だめぇ……!」
「ほら、力抜いて……?怖がらなくても、いいの」

きつねさんに、修羅のオーラを感じた
指は私の恥部の周りを何度か愛撫する
その焦らしに、私の中の“女”がうずいた

そして時と見たか、指が新たな行動を取る
恥部の盛り上がった肉を何度がなぞる

そしてついに、一本の指が私の中n



――― そのまましばらく 阿修羅をも凌駕する存在でお待ちください ―――――――



『あっ!はぁっ!んんっ!うぅん!!』

「「……………」」

男風呂の描写なんて需要もないし、供給もしたくないから省略しよう

『ひぐ、だめ、ダメ、ダメぇ、らめぇ!』

本来むさ苦しい筈の男風呂に、女性の嬌声が響いていた
といっても結界のような物を張っているために、一部の人しか聞こえない訳だが
更に言うとこの声は、女風呂の方から響いてくるという事を断っておこう

そしてこの一部の人しか聞こえない声を聞く事の出来る、一部の人が此処には2人居た

「やってるねぇ………」
「犯っているな」

ご存知春日部 千春と、きつねの兄、その名も石鎚 いなり だ

「発情時期だね……そういえば」

桃ちゃんには悪い事をしたなぁ、と思いつつも、その表情は緩んでいる
別にこの状況を楽しんでいる訳じゃなくて、ただの地顔だ
女の子っぽいその風貌とこの常時笑顔で、何人もの男を落としてきた。男なのに

「懐かしいか?」
「懐かしいというよりかは………えぇまぁ、はい」

知ってる人は知っている
千春の前世、その名も中和泉 秋乃。元々は秋夫
彼女も同じような体験をしたのである。16年ほど前に
そして千春はその記憶を受け継いでいる

「……………頑張れ」

その呟きが届いたかどうかは定かではない
一応我らが主人公、赤木 桃は何とか純潔は守り通した事を此処に記しておこう


「…………」

待合室のソファに、ぐったりと横たわる
テレビからはバラエティ番組の音声が流れてきていた

「はい、牛乳」
「ありがとう、御座います………」

そうやってビン牛乳を受け取る彼女の表情には、ある種の諦めとかが滲んでいた
例えるならそう、仕事に疲れたサラリーマンのような、自分の人生に対する諦めのような物が
一方きつねの表情は至って健康で、寧ろつやつやと輝いていた
まるで桃の生気を、きつねが吸い取っているかのよう

(…………最悪だ)

きつねさんに襲われた事が、じゃない
寧ろ其れは、男としての部分が残ってる自分にとっては喜ばしいといってもいい

最悪だ、といったのは、そう思っている自分に対してだ
男も女も経験が無いくせに、快楽に溺れてしまった
しかも絶頂まで迎えて……って、何を言ってるんだ、私は
何より、それでもいいかと思ってしまっている自分が一番最悪だ

「ん? どうしたの? ……もっとして欲しいの?」

…………肯定に傾きそうな自分なんか嫌いだ

「待たせたね、二人とも」

そういって、千春さんとお兄さんが出てきた
男性にしては長風呂だ
にしても、千春さんが妙に私を見ているような気が………

「私、珈琲牛乳買って来るね」

牛乳を飲み干したきつねさんが、売り場へと走り去る
それにタイミングを合わせたように、千春さんが囁いてくる

「………災難だったみたいだね」

その言葉は、何が起こったのかを把握している事を示してくれていた

「………聞こえてましたか?」
「うん、ごめんね」

………もう学校行けない
お嫁にもいけない

「………ドンマイ」

そういう千春さんの目には、何か同じ体験をしたものへの同情が含まれているように感じた
同じ体験……
って事は、男と女が、同じお風呂に………?

「………!!!」

自分の妄想を沈めるために、牛乳瓶の中身を一気に飲み干した

着物と言うものは、案外快適だ
きっちりしていて暑苦しそうなイメージがあったが、実際はそうではないらしい
言うなれば夏涼しく、冬暖かい設計と言うか
とりあえず、快適な衣服だ

………寝れない時というのは、どうして余計な事ばかり考えるんだろうね?

布団から起き上がる
蛍光付きの時計を見てみると、午前0時を少し回ったくらい
まだ身体のほてりが取れてないのか、と問われればyesと答えるしかあるまい
とは言えその、他人の家でそういう行為に走る度胸も、私には無い
というか、女の子の身体でそういう事をしようと思えない
男のときですら、やる方が珍しかったというのに

「………はぁ」

本当、余計な事ばかり考える
少しばかり散歩でもしようか

11月の夜は、少し寒かった
当たり前か

「………おぉー」

満天の星空に、今更ながら感動する
縁側に腰掛けて、何も考えずに空を見上げる
縁側と言う名前はとりあえず定着させておこう


「何だ、まだ寝ていないのか」

「何だ、まだ寝てないのか」
「うぇ?」

顔を上げると、狐がいた
きつねさんじゃなくて、狐が
見事な毛並みを持つその狐の声は、何処と無くお兄さんに似ているような

「………お兄さん?」
「いなりで良い」

見事な跳躍を見せ、私の隣に座る
夜だと言うのにその体毛は輝いて見える
月の光の反射だろうか

「お狐様ですね」
「コレが本来の姿だからな」

神社に狐の組み合わせは、見事にあっている
神社は石段の下の方な訳だけど

しかしなんだね
喋る動物を傍らに置くと、何か魔法少女な気分になれるね
こう、マスコット的な
場所が神社で、マスコットが狐で、今着てるのが着物と言う状況に物凄いミスマッチではあるけど、精神的に
仕方ないじゃない、女の子だもん
3日ほど前から

「………すまなかったな」

いなりさんが思いのほか深刻にいった

「何がですか?」
「きつねの事だ………もっと言えば、銭湯の事だ」
「あぁ、大丈夫ですよ。別に」

確かに貞操の危機を感じたけど
元々私は男で、きつねさんみたいな女性に襲ってもらえるのは寧ろ光栄と言うか
ん?いやいや、其れもおかしいだろ私
少なくとも今は女な訳だし、嫌じゃないのはまだしも光栄って

………もしやその方面の性癖アリ?

いやいや、其処はやっぱり男としての感性が残ってると考えよう
うん、きっとそうだよ。うん

「人間の貞操観念と言うのを、イマイチ理解してないみたいでな……そうでなくとも、今日は面倒な日だというのに」
「発情時期……でしたっけ?」
「あぁ、其れだ。月一で訪れる厄介なものでな………」

その外見に似合わず保護者的な、深い溜息をついた
にしても私、狐と普通に会話してる
慣れって恐ろしい

「……最近は、あの少年が相手してくれるから楽にはなったがな」
「相手」

と言うのは、やっぱり、アレだよね。話の流れからみて
18歳未満お断りなアレやソレや
本人達が18歳未満だけど。きつねさんはどうだか知らないが

「どうかしたか?」

「へ?いや、なんでもないです」

表情にでも出てたか?気をつけなければ
変な事考えたのがばれたら、非常に気まずい事になる

「………君から見て、きつねをどう思う?」
「綺麗な人ですよね。胸も大きいですし」
「………」

見事にスベった
やばいやばい、この空気どうしよう
そして即答した3秒前の私の馬鹿
このシリアスな空気を察しろ馬鹿

等と悔やんでも取り返す事など出来ない

「後、凄くいい人です。私の事を友達って言ってくれました」

本音である
自分から他人に近づかない、と言う事は散々言ってきた
だからと言うか故にと言うか、他人から見た私は何処か近寄りがたい雰囲気を持っているらしい
ミステリアスな秀才、と言うのが周りから私に対する評価

………と言うのを、きつねさんから訊いた

「友達、か」

意味深に呟いて、いなりさんはその場を去っていく

「夜更かしは肌に悪い」と言う有難いお言葉を残して

「………友達」

類は友を呼ぶものなのか
きつねも、あの少女も、そして……秋乃も
皆、心に同じような孤独を抱えていた

「仕方ないと言えば、仕方ないな」

きつねは異端の女体化者で、同属である筈の狐の中でも嫌われ者
秋乃は心臓病と生まれ持った霊能力で、両親を除く身内にすら疎まれていた
そしてあの少女は、特異な体質を持っていた
体質というのは不思議なもんだ
其処に居るだけで他人に安らぎを与えたり、不快感を与えたり

少女の体質は、『孤立』
他人に近寄りづらい印象を与えたり、自分自身も他人と関わらなくなったり
そんな厄介な体質を持っているようだ

其れは何処か、昔のきつねを思い出させた
人間にも狐にもなりきれず、童話の中のコウモリの様に独りだった
だからこそ、彼女に関わっていったのだろうか
同じような境遇から、秋乃………千春に救われた、彼女だからこそ

(………考えすぎか)

行動するときに、そんなにごちゃごちゃ考えていても疲れるだけだ
案外、ただの興味本位かもしれない
どんな事を考えたにしろ、あの少女は笑っている

その結果だけで、まぁ十分だろう

「…………みゅ?」

見慣れぬ天井
1秒もかからずに、きつねさんの家に泊まった事を思い出した
時計は午前6時を指している
休みの日にしては早起きだ

なにやら不思議な夢を見ている気がする
砂糖が好物の宇宙人が地球に攻め込んできて、タバスコ片手に対抗する夢だ
いやぁ、楽しかったなぁ

パァン!

不意に、何かが破れるような音
訝しがって、外に出てみる
定期的に、その音は聞こえてくる
音を頼りに長い縁側(そういえば、渡り廊下とも言うか)を進んでいく
とある角を曲がると、音源が分かった

千春さんが居た。袴姿で

石段、つまり玄関とは反対に位置する場所に、開けた裏庭があった
其処に千春さんが立っており、その手には弓と矢が握られていた
少し先には砂山があり、白と黒の縞模様な的が置かれている

弓道か………

千春さんが矢を放つ
今度は当たらずに、砂山へと刺さる
良く見ると、的より砂山に刺さってる方が多いように見えた

「あ、おはよう」
「…おはよう御座います」

千春さんは額の汗を拭いながら、こちらに歩み寄ってくる
袴姿はなかなかにサマになっていた

「弓道部………なんですか?」
「あ、コレ? 高校に入ってから始めたんだけど、なかなか難しいね」

屈託の無い笑顔で笑う
少年の様でもあり、どこか大人びても見える
其れゆえに垣間見える、不思議な魅力
………きつねさんも、この笑顔にやられたのかな?

「桃さん、部活に入ってます?」
「いえ、特には」
「だったら是非弓道部に入ってみない? 楽しいよ」

まさかこんな所で部活の勧誘をされるとは
運動神経は悪くないとは思うが……
果たして私に出来るかどうか

「考えておきます」
「そう……あ、見学にも来てみてね。きっと楽しいから!」
「じゃあ、明日にでも……」

女体化してからのほうが、口数が多くなったような気がする
やはり、精神面での変化もあったんだろうか
女体化だけじゃなくて、自分自身も何か変わったと考えたいな

「そういえば、狐さんとは同棲してるんですか?」
「え゛っ」

身体が硬直した
訊き方がストレートすぎたか

「あ、スイマセン」
「いや、いいよいいよ………きつねさんとは、一応別々に住んでるよ」

ハハ、と照れ笑い
少々頬が赤くなっていた

「でも、将来的にはそうなりたいかなーって……思っては、居るけど」
「ほぅ」
「やっぱりそういうのは、仕事とかに就いて、自立できるようになってからかなー、なんて。ハハハ」

照れながらも、次々と人生設計を繰り広げていく
不思議と今までで一番生き生きしてる感じがする

「本当に好きなんですね、きつねさんの事」
「えっと、まぁ、うん………」

両手で弓をいじりながら、俯いてしまった
少々突っ込んだ事を訊きすぎただろうか
と思った矢先、千春さんがこちらを向いた

「そ、そういえば、桃さんには好きな人とかいないの!?」
「はぁ!?」

何を突然言い出すんだ、この人は

「ほら、桃ちゃん可愛いし! そういう人は居ないのかなって!」
「か、可愛いって……大体私は、女になって一週間も経ってないんですから!」

話を変えるためか、いきなりの爆弾発言
「可愛い」と言われて、まんざらでもない自分も居る訳で

その後は両者顔を赤くしての、恋話合戦
合戦と言うには、両者が相手に喋らそうとするだけの、小学生の喧嘩の様ではあったが

「…………何やってるんだ?」
「え?」
「は?」

いなりさんが起きてくるまで、20分ほども経っていた

その後は朝ごはんを食べて、顔を洗って、歯を磨いて……etc
洋服に着替えたときは、何故か懐かしいような気分になった
先日の女の子然とした物とは打って変わって、今度の服は結構ボーイッシュな感じだった

スタイルを良く見せる為か、少しキツめのジーンズパンツ
薄手の白いTシャツの上に、分厚いジャケット
コレに野球帽でも被ってみれば、立派な男の子

……に見える、女の子の完成だ

うん、なんだろうねこの複雑な気持ちは
何かこう、男の子と女の子のどっちつかずな感じが、今の私を暗喩してるようでどうもね

「えーっと、お世話になりました」
「あぁ、また来るといい」

洋服の入った紙袋を持って、深々とお辞儀
いなりさんがさわやかな笑顔でお見送り
遠くからは弓道の音が聞こえてくる
きつねさんはまだ寝てるらしい
なんでも発情時期が来た後は酷く眠くなるんだそうだ

「あ、少し待て」

石段を降りようとすると、いなりさんに呼び止められた
その手には大きめの茶封筒がある
姉さんが原稿を持っていくときに、良く使う奴だ

「コレを、君のお姉さんに渡して欲しい」
「中身は何なんです?コレ」

持ってみるとずっしりと重い
相当な枚数、紙が入ってると見た

「…………原稿だ」
「は?」
「だから、原稿だ」

原稿。確かにこの重みは、姉さんのソレと良く似ている
しかし、何故コレを姉さんに渡すのだろうか
と言う質問をぶつけてみた

「感想を聞きたいんだ」
「はぁ」

「先生にもし気に入ってもらえたら………俺も小説家を目指そうと思っている」

見た目とは裏腹の、何処か少年染みた輝く目で夢を語ったいなりさん
そのギャップに私は曖昧に頷く事しか出来なかった
とりあえず頼まれたからには、私はソレを完遂する責任がある

「ただいまー」

意気込んで帰宅した私なのだが、目の前に広がる光景に一瞬思考がフリーズする

「………」
「ん~……」
「む~……」

殆ど裸同然、つまりは下着姿で上下に重なり合って寝ている姉さんと戌井さん
ソレを無言でカメラに収める鳥野さん
一体何のプレイだ?
カメラのシャッターを押し続けていた鳥野さんが、こちらに気づいた

「あぁ、お帰り」
「あの………もしかしてお邪魔しました?」
「………とりあえず、誤解だ」

言いつつまた一枚、シャッターを押した

その後30分ほど

「コレは今度各小説に百合要素があるとかで実践してたんだが
 そうすると客観的な意見が書けないとかで俺がカメラ係を任されてだな
 何が言いたいのかと言うと決して俺の趣味ではないから其処は勘違いしないように」

と言う旨の弁明を聞いたのは別に特筆すべき事柄ではないだろう

「さて、どうしよう。コレ」

茶封筒を前にそう呟いたのは午後の8時過ぎ
お風呂を上がってからになる
いや、忘れてた訳じゃないんですよ
ただちょっとショッキングな出来事に気を取られてたって言うか
やっぱスイマセン忘れてました

「悩み事か」
「あ、鳥野さん」

頭上から声が降ってくる
ソファに座っているからで、決して其処まで身長に差があるわけではない
せいぜい20から30cmぐらいだ。充分ですねハイ

何故この時間に此処に居るかと言えば、彼女さんと一緒に泊まる事になったから
良くある事だ。〆切前とかには特に

鳥野さんは私の持つ茶封筒に目をつけ、その中身を看破した様だ
姉さんが使ってるのと同じ物だし

「どれ」
「あ」

私の腕の中から茶封筒が抜けて、上へと移動した
慣れた手つきでソレを開き、中の原稿用紙を取り出した
重さがkg単位あることが持っていた感覚からも明らかな、膨大な枚数の原稿用紙だった

「………これ、君が書いたの?」
「いえ、知り合いから預かりまして」

原稿用紙1枚を長くて30秒ほどの速読で読んでいく
自分で書いたわけでもないのに何処か緊張している自分が居る

「この人は……小説家か何か?」
「其れが初めて書いた物……らしいですが」

銀行員がお札を操るのを連想させるような慣れた手つきで、次々と原稿用紙をめくっていく
それでちゃんと頭に入ってるのか甚だ疑問だけど

「なかなかに面白い」
「本当ですか?」
「あぁ。コレを書いた人、教えてもらえるか?」

いなりさんの事を簡潔に伝える
主に、子供のように目を爛々と光らせて語った夢のあたりを

「アマチュアがこのレベルか……そして小説家志望………原石かもしれないな」

口元に手を当て、ブツブツと何か呟きだした
恐らく私の存在は目に入ってないと思う

あぁ、言い忘れていたが、鳥野さんは所謂『編集者』って奴だ
『先生!早く原稿下さいよ!』って役回りの人ね
わざわざ自分の彼女まで引っ張り出して原稿製作に協力するあたり、勤勉な方だと思う

「………ふぁ」

鳥野さんに預けておけば、姉さんにも読ませてくれるだろう

とりあえず、今日はもう寝よう

「行ってきます」

「行ってらっしゃーい」
「行ってらっしゃい。気をつけてね」
「転ぶなよ」

………ええい、自由人共め
小説家とその担当とその彼女め
朝の慌しい空気とは別世界とは
羨ましい……いや恨めしい……やっぱ羨ましい

「………はぁ」

久々に自然な溜息が出た
長年染み付いた癖はなかなか抜けないもんだね
冬の空を睨み付ける。妙に青い
女体化という現象と現実から離れた状況の変化の所為で、知らず知らずの内にいっぱいいっぱいだった
それでも時間がたてば少し落ち着いていく
そんな冷静な頭で考える事は、ただ1つ

友達、居ないんだよねぇ

きつねさんとか千春さんは別のクラスだし
同じクラスの人に仲の良い人は居ない
女体化による精神の変化が、必ずしもプラスに働く訳ではないらしい
親しい人が居ないというのが、こんなにも億劫だとは甘く見ていた

「うー……」

独り唸りながら、登校中は「いかにして友達を作るか?」について悩んでいた

積極的に話しかけるとか、
集団になってる所に加わるとか、
そんなアグレッシブな行動が出来るならこんな事で悩んじゃいない
だから「笑顔で挨拶をする」なんて小学生レベルの無難なところに落ち着いたのはある意味必然かもしれない

「おはよう御座います」
「おはよー」

「おはよう御座います」
「あ、お、おはよう……」

「おはよう御座います」
「おはよう」

「おはよう御座います」
「あ、うん」

「おはよう御座います」
「………おはよ」

~繰り返し~

「………ふぇ~」

無理に笑顔を作った所為か、ほほの筋肉が吊りそう
その努力が報われたかどうかは……微妙
大幅にキャラチェンジを計ったためか、10人に10人変な顔をされた
視線を合わせなかった人も多い

…………なんでだろう、涙が出ちゃう。女の子だもん

うん、どうしようね

放課後、部活に行く者や帰宅する者の喧騒の中で、そう呟いた
今日一日笑顔で居てみたものの、別に周りの環境に変化は無い
寧ろちょっと引かれてる様な気もする

「…………はぁ」

溜息一つ。懐かしい感覚だ
しかし千里の道も一歩から
良い方向に動いてくれると期待しよう
明日は積極的に話に加わってみようかな……玉砕覚悟で

以上の事を表情を変えず考えていた時
野球部やサッカー部などの怒号に混じって、高く響くような音が聞こえた

「弓道部………」

千春さんの笑顔を思い出す。あんな風に笑ってみたい物だ……じゃなくて
確か、弓道部に勧誘された
既に1学年の後半に差し掛かる時節
今更入るのも何か気が引けるが

「見るだけ、うん、見るだけだから」

誰に向かってか分からない言い訳をしながら、弓道場へと向かっていった

………ん。あれリトルウェイちょっと待って

「………弓道場って何処?」

弓道の練習場は矢を飛ばす為に作られるのだから、少し離れた所に作られる
少し考えたら分かりそうな物だが、そんな余裕もなし
結局自力で見つけ出すのに20分ほど費やす羽目になった

弓道場には建物が二つあった
一つは人が立つ為のもので、少し床の高い造りになっている
一つは少し離れた場所に建てられ、砂山に的が6個置かれている
時折弦の音と共に矢が放たれ、的に刺さったり砂に刺さったりしている

「えと、こんにちはー」

和風な印象を崩す事のない引き戸が軽快に開く
その瞬間、中に居た人の目線がいっせいにこちらに集まった

「わっ……」
「あ、いらっしゃい」

見事に萎縮した私に差し伸べられた救いの船
袴姿の千春さんが、妙に大人びて見えた

「あ、こんにちは」
「こんにちは、来てくれたんですね」

純度100%スマイル
無駄に羨ましい
筋肉が引きつりそうな頬を無意識になでていた
不公平だよ神様
人の上に人を作らずだよ神様

「千春さん、お知り合い?」

良く通る、凛とした声
恐らく先輩を思わしき令嬢
長くて艶のある黒髪と、大き目の黒い瞳
大和撫子という評価がぴったりな、そして弓道や茶道をやる事に全く違和感の無い
そして胸当ての上からでもその膨らみが分かる

(………負けた。完全に負けた。何かに)

何でこの世はこんな不公平な事ばっかりなんだろう

「あ、部長。こちら赤木 桃さんです」
「まぁ、この子が例の……こんにちは。よろしくね」
「こんにちは」

何が例の、なんだろう
まぁ、千春さんが何か言ったんだろう
にしてもこの人が部長さんか……2年かな?
この時期だと3年は引退してるだろうし

しかし綺麗な人だな
千春さんの周りにはこういう人が多いのか?
まるで何かしらの恋愛ゲームの主人公のような……
等と余計な思考に気を取られた所為か
後ろから迫る足音に気づく事が出来なかった
気づいたからと言って、どうにかできるとは思えないが

「すいませんっ!遅れまし――――た?」
「え?」
「あ」
「あら」

第三者目線から語るとすれば
部活に遅れそうになったきつねさんが前を見ずに疾走し、
入り口で突っ立っていた私にぶつかり、
バランスを崩した私が目の前の千春さんにを道連れに倒れ
まるで私が押し倒した形になったって感じ

「………えーと」
「………あはは」

コレにはお互い苦笑い
そして笑っている場合ではなかったと悟ったのは1秒後

「………ちーはーるー?」

修羅の憤怒する様を見た
襟を掴まれた千春さんが何処かに連れて行かれる

「ちょっと待って今回に限っては僕そんなに悪くないって言うか被害者じゃ」
「結果は全てにおいて優先する!」
「り、理不尽だぁ!」

千春さんの必至の抗議は、何の意味もなさなかった。南無。

弓道部の面々がそれらをポカンと見守る中で、部長さんが言った

「あの、略奪愛は色々と面倒ですよ?」

真顔だった

「………そんな気はありません」

「あの、部長さん」
「あぁ、そんなに他人行儀にならないで。私は倉田 音子……音子って呼んで」
「それじゃあ、音子さん」

………ん?音子?
音子、ねこ、ネコ、猫

「………猫?」
「はい? なんでしょう?」
「つかぬ事をお伺いしますが、貴女はもしや……」
「あら、気づいちゃいました?」

部長……音子さんが、他の人には聞こえない程度の声で呟いた
同時に、ソレが生えてきた
生えてきた、と言う表現もおかしいが、ともかく生えてきた

小さめの三角形の猫耳と、後ろの方で可愛く振られている尻尾
都内某所に行けば見られそうではあるが、本物ってのが高得点か

「改めまして、倉田 音子です。よろしくね?」
「はぁ………」

今更この程度で驚きはしない
驚きはしないが………

動物相手にことごとく、スタイル負けてるってどうなのよ?

何だろう、プライドみたいな物が音を立てて崩れていく

全く恨めしい。そして羨ましい。

基本、弓と言うのは狙った所に当たるようには出来ていない
最近は素材とか色々変わって一概には言えなくなったらしいが……兎に角昔はそうだった
昔は遠くから大雑把に攻撃するための物で、つまり足止め用の飛び道具な扱いだった
だから狙った所に当てる必要が無く、遠くへ飛べばソレでよかった

ソレを狙った所に当てるように技術を磨くのが、弓道と言うスポーツである

………という講義を聴かされた
この「アーチェリー許すまじ」な空気は一体なんだろう
派閥でもあるんだろうか

「………と、言う訳で。桃さんも一度やってみます?」
「え?良いんですか?」
「もちろんですよ」

先程まで「当たらない」を延々訊かされていたのに、初心者の私が当てる事ができるんだろうか
まぁ十中八九『否』だろう
しかし好奇心から引いてみたいのもまた事実で

「まず足は自分の身長の半分ぐらいに開いて…」
「あ、はい」
「で、弓は手じゃなく腕全体で支えるように……」
「な、なるほど」
「で、人差し指と中指で矢を挟む様に……うん、こんな物かしらね」

衆人環視の中、即興で弓の引き方を教わる
細かい指摘も多く、一片に覚えるのは難しそうだ
弦の強さは14kg。良く分からないがコレでも軽い方らしい

「うん、飲み込みが早いわね。其れで一回引いてみて」

笑顔でそういわれた
まぁ初心者だし、経験するだけでも勉強になるよね

頭の中で先程の講座を思い出す
まずは足を身長の半分くらいに開いて……手がこうで……
矢は羽が上を向くようにだっけ? で、こうして……
うん、よし

「やっぱり飲み込みが早いわね。是非入って欲しいわ」

後ろで音子さんが呟いた
他の部員は一時練習を中断しており、皆が私を見ている
普段なら恥ずかしがってるところだが、今はそんな余裕無い

痛い。弦が痛い。食い込んで痛い。本当痛い

そういえば部員の人たち皆グローブみたいなのつけてるなぁ
弦が痛いからか
もう良いや、早くやっちゃえ


「………ところで部長」
「なんですか?千春さん」
「胸当て付けなきゃ、危険だと思うんですよ」
「あ………」

バチコーン

「………てへっ☆」
「其れで済まして良い問題じゃないと思います」

「………うー」

まだ痛む胸に軽く手を添えながら、下校路を歩く
既にあたりは茜色を通り過ぎ、少し青みのある黒色に染まっていた
練習が終わるまで待っていたら、こんな時間になっただけだが
殆ど隅で蹲ってた記憶しかないが
皆、弓と矢の扱いには気をつけよーね
凶器だよアレは
二重の意味で

「あー、いたいた。おーい」

後方から聞こえてくる声
私の前に人は居ない
道端に女体化してから見え出したなんかモヤモヤしたのは置いといて
とりあえず、この場に居る人間はその声の人と、私だけだ
だというのに、私を呼んでいると認識するのに少し時間が掛かってしまった
正確に言えば、名指しで呼ばれるまで気が付かなかった

「こんばんはー」
「こんに……あ、こんばんは」

水野 涼子(ミズノ リョウコ)。弓道部。
先程見学していた時も、一年ながらにして、素人目にも分かる上手さを見せていた
制服姿に大きめの鞄と通学鞄を抱えたその人は、一目見て私と逆の人間だと分かる
栗色の髪は見る人に活発な印象を与え、薄暗い今の時間帯でもその笑みははっきりと見て取れる
傍にいると落ち着く人間、というのはこういう人を言うんだろう
言い忘れていたが、クラスが一緒だ。後、委員長をやってるらしい

「胸、大丈夫?」

開口一番、そんな事を聞いてきた
ちょっとセクハラの匂いもするが、彼女が言うと特に気にならない

「あ、はい。今はだいぶ楽に」
「痛いよねー、アレ。私もやったから分かるよー」

うんうん、と言った感じに頷く
その際に彼女の栗色の髪から、甘い匂いが漂った
付けすぎた香水のような下品な物ではなく、女の子が本来持ってるような、そんな匂いだった
つい自分の髪を確認する………特に匂いは無かった
そんな様子を見て、彼女はころころと可愛く笑っていた

「えーと、何か?」
「あぁ、ごめんね。赤木さんって意外と可愛い人だったんだなーって思って」
「か、可愛い?」

思わず赤面してしまいそうだった
彼女は心の底からそう言っているのが分かったってのもあるが、私の心のどこかではまだ男の部分がある
彼女の様に容姿端麗な異性から褒められれば、照れもするし嬉しくもある
もちろん、女としての部分でも嬉しいのだけど

「いや、私なんか……水野さんの方がよっぽど可愛いよ」
「ふぇ?」

誤魔化しの為に言った言葉だが、思いの他大仰な反応を取られた
「そ、そう。ありがとう」なんて言ったまま、彼女は地面を見つめるように顔を伏せていた
………何か気に障ることでもいってしまったか?
コミュニケーション能力が低いというのは考え物だな、本当

「やっぱり、イメージと違うね」

この空気を何とか打破しようと取り合えず口を開きかけた時、見事なタイミングで言葉を奪われた

「イメージ?」
「うん。赤木さんって女体化したでしょ? 男の時は……って言うか、今さっきまではもっとクールな人ってイメージだったんだけどね」

クールな人、か。確かきつねさんもそんな事を言っていた気がするな
ただ単に人付き合いが苦手で、口下手なだけなんだけど
無意識の内に人に与える誤解について考えていると、彼女は話を続けた

「ソレにね、赤木さんって結構女子の間で人気だったんだよ?」
「本当ですか?」
「うん、本当………狙ってた女の子も少なくないしね」
「ソレは……何やら惜しい事をした気がする」
「赤木さんが女体化したときは、多くの女子が枕を濡らしたよ。『告白しとけばよかったー』ってね」

まさか、と言う言葉が出かけた
その次の感想は『物好きな人達だ』だった
自分自身に対してそんな評価をするのは、多分自信が無いからだろうな

「で、お恥ずかしながら私も実はその一人でして……ハハ」

本人は至ってなんでも無い事の様に言おうと勤めたようだが、若干声が上ずっている
多分、心の何処かで諦め切れてないんだろう……って、何か他人事だな私
過去の事になったとは言え、考えてみればコレは告白じゃないか
真面目に返事を返すべきだろうか。しかし今の私の状態じゃどうしようもないし。
冗談めかして言ってるという事は、多分真面目に答えちゃいけないんだろう
だから、私も冗談っぽく返した

「女の子同士で良いなら、お付き合いしますよ?」
「ははっ、その冗談はちょっと面白いなぁ」

本心を言えば少し本気だったんだが
いかん、きつねさんに襲われた所為かその辺の認識が曖昧になっている
一歩間違えれば禁断の園だぞ。落ち着け私

「あ、私はこっちだけど、赤木さんは?」
「私は逆方向のこっちです」

やがて分かれ道となり、彼女とは別の道を行く事になる
少し名残惜しい
どうしよう、何か言うべきだろうか。無難に「さよなら」とか「またね」とか
等と数瞬の思案をしている内に、彼女は何かを思い出したかのように手を叩いた

「あ、そうそう、忘れてた」

そう言いつつその手は鞄をまさぐっている
少ししない内に一枚の紙を掴み、其れを私に差し出してきた

「どうぞ」
「コレは?」

言うと同時に理解する
長方形の紙に書かれている文字は、『入部届』

「無理にとは言わないけど、出来れば入って欲しいな。ちゃんと弓を使えた時の嬉しさとか、知って欲しいからさ」

やはりその表情は笑みで、素直に可愛いと思った
多分彼女は本気で楽しんでもらおうと持っているんだろう
でなきゃあんな笑顔は出来ない………と、思う
先程散々な目にあったので、少し弓は怖い
でも、彼女と一緒に居られるのは、少し魅力的かな、とも思う

「前向きに考えておきます」
「そう?よかったー」

希望通りの返事だったのか、彼女の笑みが柔らかいものになった
具体的にどんな感じかは言えないが、なんとなく
入部届けを鞄にしまい帰路に着こうとすると、もう一度呼び止められた

「赤木さん」
「なんですか?」
「その、えっと……私達、同じクラスだよね?」
「えぇ、まぁ。そうですね」
「うん、そうだよね……でさ、何時までも敬語って、ちょっとよそよそしいと思わない?」
「はぁ………」

彼女は両手を後ろに回し、言うか言うまいか悩んでいる様に視線を左へ右へと動かしていた
そして目を一度つぶり、何かを決心したように開いた

「だから、その、名前で呼んでもらいたいなぁー、なんて」

……ずいぶんと高いハードルを設けますね
いきなり名前呼ぶってそんな……無理のしすぎで心臓が跳ね回りますよ
なんてことを思っても口には出さず
そして、そのハードルを越えるために心の準備に入っている自分が居た

「名前、ですか」
「無理に、とは言わないけど……」

そんな上目遣いで言われたら、断れるわけないじゃないですか、男として。女だけど
私に出来るのか?いや、できる。出来ると思えできると信じろ気合を入れろ
私の信じる私を信じろ

コホン、と咳払いを一つ

「ええと、それじゃあ」
「うん……!」

妙な緊張感に包まれる
彼女……水野 涼子はこの世が終わるかどうかの瀬戸際の戦いを見守るヒロインのように、気を張り詰めていた
さぁ、言え。言うんだ私。此処で言わなきゃお前は一生孤独なヘタレだぞ
………ソレは嫌だなぁ


「涼子…………ちゃん」


ごめんなさい、私はヘタレです

呼び捨てにするつもりだったのに、最後の最後で日和ました
ごめんなさい勘弁してください

「はぅんっ!」
「水……涼子ちゃん!?」

オーバーリアクションで涼子ちゃんが倒れる
地面に頭を打ちそうだったのを、何とか支える事が出来た

「桃ちゃんが……私を呼んでくれた………我が生涯に、一片の悔い、無し……」
「いやいやいや! まだあるでしょ!? 呼び捨てにして貰うとかいろいろさぁ! ねぇ!?」

そんな二人だけの世界は、30分ほど続いた
………友達って、こういうものなんだろうか。悪くない

「うん、よし」

幾度目かの確認を終える
「入部届」と書かれた紙に、自分の名前と部活名と住所とその他諸々
保護者の印もちゃんと押してある。抜かりは無い
其れを忘れないように鞄へと仕舞い、ついでに明日の時間割を確認しておいた
次の日の用意も終わり、ベットへと倒れこむ
仰向けになり、抱き枕にもなる大きめの枕を握り締めた
この間の休日のときに、姉さんが買ってきてくれたものだ

今の私の部屋は、男のときに比べて幾許か賑やかになっている
まず可愛らしいキャラのプリントされた目覚まし時計などのグッズが増えた
棚の上にはペンギンのぬいぐるみなどが置かれ、申し訳程度に香水とかもある
今の部屋はとりあえず『女の子の部屋』といえる物になっていた

全て姉さんの趣味で選ばれた物ではあるのだが

ふぅ、と深呼吸を一回する
今日は色んな事があった気がする
笑顔で挨拶、なんてのも、初めはともかく放課後には向こうから挨拶をしてくれた
部活に初めて触れた
美人の先輩を見た
弓を使わせて貰った

そして………友達が出来た

『桃ちゃん、また明日ね』

帰り際の、涼子ちゃんの笑顔を思い出した
知らずに笑みを浮かべている自分に気づいて無性に恥ずかしくなり、ベットの上をごろごろ転がった

快晴だ
天気の事なんて今迄気にする事の方が珍しかったが、今日はなんとなくそう思った
今、私は学校の廊下を歩いている
学生だから毎日学校に通うのは当たり前だ

一晩寝て、今朝起きた時、唐突に理解した事がある
其れはとても当たり前で、しかし何故か気づけなかった事

『自分を変えるのは、いつも自分』

私は今迄、『いつか必ず』、『女体化すれば』なんて、凄く他人任せに生きていた
けど、他人が私を変えれるはずが無い
考えてみれば凄く簡単だ。けど、其れに気づいたとき、私は凄くスッキリした

友達一人出来てこの変わりようとは、よっぽど寂しい人生を送ってきたんだな、私
なんて事は思わないようにした。何か虚しいので

昨日まで何処か重たげに感じた扉が、今日は何処か軽かった
ガララ、と音を立て、扉が開く
その音に反応して、クラス中の人が私を見ていた
昨日までは萎縮するような光景が、今日はすんなりと受け入れる事が出来た
いくつかのグループで話している人達の中に笑顔でこちらを見ている人が居た
私も作り物じゃなく、自然と笑顔を浮かべ、その集まりに近づく
そんな私を、人々は何処か驚いた様子で見ていた
一度深呼吸
そして、言う

「おはよう」

~終~

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最終更新:2008年07月21日 04:31
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