安価『エッチ』

(ああ、だるい……)
 蒲団の中で彼女は身じろぎをする。つい昨日、天気雨に急に打たれ、その時はちゃんと対処したつもりであったが風邪を引いてしまった。
(あいつはどうなってんのかな……)
 雨が降っていたとき、彼女と一緒にびしょ濡れになってしまった少年の事を考える。だがすぐに、
(ま、あいつは風邪引かないだろ)
 と考えを改める。
 昨日の雨など、まるで嘘のように晴れ上がった日の、けだるい午後の事である。





「おーうい、真樹―?」
 扉の向こうにいるであろう少女に声を掛けてみる。
 学校も終わり、今朝見かけなかった少女を心配してやって来れば、どうやら風邪を引いていると言う。
「開けちゃうぞー?」
 この武井という少年は、何の返事も無いので勝手に扉を開けた。
 かちゃり。
 5畳半程度の部屋に蒲団が敷いており、その中に埋もれるように少女が寝ていた。鼾もかかずに、実に静かに眠っている。
「……結構大丈夫そうだな」





 急に扉の向こうから馴染みのある声が聞こえて来た。返事をするのも億劫なので無視していたら、そいつは部屋に入ってきた。そして寝ている真樹の顔を覗き込むと、
「……結構大丈夫そうだな」
 そう呟いた。
(な、何で勝手に入って来てんだよ)
 咄嗟に寝たふりをしたはいいが、そのせいで声を掛けづらい状況になってしまった。今から起きだしても、返事をしなかった事や、寝たふりをした説明をするのも面倒くさい。
(ていうか、なんで寝たふりなんてしちまったんだ……?)
 一人で悶々と考え込んでいると、少年が急にこちらに顔を向けじっと見てきた。
 少し薄目を開けて少年を観察していた真樹は、あわてて目を瞑った。





 視線を感じて、武井は少女の顔をまじまじと覗き込んだ。
 だが、別段目を開いている様子はない。
「ま、目を開けて寝る人もいるからな」
 少し落ち着いて周囲を観察してみて、改めてここがこの少女の自室なのだと気が付いた。
 だが―――、
「男部屋、だなあ……」
 まるっきり「女のコの部屋に入っちゃった!」という感じがしない。
 勉強机(らしい)の上には雑誌や漫画が大量に置いてあり、床には服やバッグなどが散乱している。





「男部屋、だなあ……」
 少年がそう呟いた。
(うるっせえ)
 真樹は心の中で毒づく。
「あ、でも――」
(ん?)
 一拍おいてから少年は、
「女のコの部屋っぽい、いい匂いはするかも」
(嗅いでんじゃねえええ!!!!)





「女のコの部屋っぽい、いい匂いはするかも」
 全くの想像なのだが、女の子の部屋は何やら蜂蜜だかお花だとかの、イイ匂いがするものだと武井は思い込んでいる。
 すると、蒲団の中の少女が少し身じろぎした気がした。
「……?起きたのか?」
 武井は屈みこんで、少女の顔を見つめた。今までここまで近づいて顔を見たことは無かったな、と武井は思った。
 熱がある為だろうか、頬がほんのり赤く染まっており、普段より艶っぽい。
 瞼は閉じており、まつ毛が綺麗に上に向かって伸びている。
 小さく閉じられた唇も、何故だかいつも以上に潤って見え、触れたら崩れてしまうプリンのように見えた。
 小さく、本当に小さく呟いた。
「かわいい………」





 小さく、本当に小さくしかなかったので確証は無かったが、真樹にはこう聞こえた。
「かわいい………」
 と。
 途端に体中の血液が顔に登ってきた気がした。
 居ても立ってもいられず、がばりと起き上がってしまう。
「うお!?お前、起きてたの!!??」
 少年は目を白黒させる。真樹はこくりと頷いた。
「え?……寝たふり?」
 これにも頷く。
「って事は……、今までのも全部見てたり、聞いてたり……?」
 頷く。
「……………エッチ」
「こっちのセリフだあああっ!!!!」

 適度な運動は風邪に良いんだっけ、家の中から武井を蹴り出してから真樹は思った。

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最終更新:2008年07月21日 05:22
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