安価『谷間』

 その高校では、今日が文化祭2日目だ。

 そしてとあるクラスでは、チュロスとちょっとしたジュースを売っている。

 そのブースにいる少女――永田は、隣に立っている少年のことを横目で見ていた。

「………」

 ボーっとしている。

 ハッキリ言って、生気が抜けていた。

「……はあ」

 時々ため息なぞをついている。

「すいませーん、チュロス三本とソーダ二本とコーラ一本くださーい」

「……はいどうぞ」

 そのくせ、仕事はきっちりこなしている。

 普通ならここで永田が「どうしたの?」「何か心配事があるの?」とでも訊くのだろうが、あいにく永田はこの少年のため息の理由を知っている。

 そして出来るならその話題を出したくはなかった。

 聞きたく、なかった。






 昨日のことだ。

 永田は二日目にシフトが入っているので文化祭一日目は存分に遊び倒すつもりでいた。

 仲の良い友達数人と校内を廻っていると、ふとその視界を横切る者がいた。

(武井……くん?)

 彼女が密かに、ずっと心の奥底で想い続けている少年だった。

 しかし、武井は一人ではなかった。  その横には永田も知っている人物――真樹という少女が一緒に歩いていた。

 ……ぴしり。

 胸の中で、何かが音を立てた。

 武井と真樹はそのままどこかへ去っていく。

 急に立ち止まった永田に友人たちも気づかず、彼女はひとりぼっちで立ち尽くしていた。


 けれど本当の“事件”は、その日の後に起きた。

 午後。

 悲鳴。

 どよめき。

 そして―――

 そして、抱きしめるように、絶対に離さないように、真樹をその腕の中に包み、校舎を後にする武井。





 時は戻り、再び永田の横には少年――武井がぼけっとしている。

「ふぅっ…」

 今度は永田がため息をつく。

 そして、きゅっと表情を引き締める。

(無理かもしれない……、無駄かもしれない……。けど、それでも、諦めたくないのよ)



「ね、ねえ。武井くん?」

「んー?」

 緩慢にこちらを振り向く。

「あんまりお客さん、来ないね?」

「あー…、そうだねえ」

「そ、それでさ、私たちの午前のシフトがそろそろ終わるでしょ? だから、午後のシフトまで校内を廻って、客呼びとか……し、しない?」

「うん。……うん、そうだね」

 そこで武井はぐうーっと大きく伸びをし、ぱん! と自分の頬を引っぱたいた。

「よし! そうしよう!」

 全快とまではいかないが、武井復活である。

(そうよ、これが武井くんなんだから!)

 永田の表情も、自然とほころんでいた。




「って、委員長…」

 武井は永田のことを“委員長”と呼んでいる。

 当然というか当たり前のことだが、彼女がクラス委員長を務めているからだ。更に言うならば、生徒会副会長も兼任している(誰も反対しなかった)。

「その格好はナンデスカ?」

 白と黒を基調にデザインされたエプロンとワンピース。頭にはカチューシャをし、ワンピースの胸元はぎりぎり下品にならないように開放されている。

 言ってしまえば、いわゆる『メイド服』である。

「こ、これはですねっ、その、私が何か宣伝用に着るものは無いかと友人に打診したところ、あいにくコレしかないと……」

 あたふたと言い訳をする。嘘のようだが、事実である。

「その友達って、もしかして芸術クラス……?」

「…なんで分かったんですか?」

「いや、なんとなく」

 余談だが、夏休みに武井がスク水を借りた人物も芸術クラスの人間である。

「この服……、ダメですか?」

 永田が腰をかがめ、覗き込むように訊いてくる。

 ぎゅうっ、と、その豊満な谷間が強調される結果となる。

「うえ!? あの、えと、いいんじゃないかな!?」

 しどろもどろと、それだけ言い切る。

 目線は完全に泳いでいる。

(これって逆に、下品な人とか思われてるんじゃないかしら? …きっとそうよ。ああー、私のバカ、バカ!)

(うわあぁ、委員長ヤバイって。もう少し自分って兵器の破壊力を自覚してくれよ…)

 こうしてギクシャクしながらも、二人は人ごみの方へ歩いていった。




 通り過ぎる人のほぼ全員が振り向いてきた。

 男性諸君が振り向く理由は言わずもがなであったが、女性たちもそのメイド服を着た人物が永田だと分かると驚いて見つめてきた。それほどに普段の毅然としたイメージと現在の彼女はかけ離れていた。

(み、見られてる……)

 本来ならば顔を真っ直ぐに上げ、大声で宣伝しなければならない所なのだが、永田は腕を前に組みうつむいて歩いてしまっていた。

「うう……」

 しかしそうする事が、より谷間を見せ付ける結果となっている事実に気づいていない。

 その少し横では武井が、声を張り上げ自身の店の宣伝をおこなっている。時々彼女のほうを見る事もあるのだが、すぐにそっぽを向いてしまう。

(嫌われてるー?!)

 永田は内心焦ってきていた。

(わ、私も声を出さなきゃ…っ)

「一年四組、チュロス屋やってまーす! き、来てくださーい!」

 手に持ったダンボール製の看板を振り上げながら、必死で声を出す。

 ぶんぶん。と、腕を振っている。つまりその結果、一緒に揺れるモノがあるわけで。

「…っだー!! もう、委員長!」

 武井は堪え切れずに、永田の手を引き人気の無い場所へ連れて行く。

「え? え?」

 永田には何が何だか分からない。




「委員長」

 立ち止まると同時に、武井は真剣な表情で話を切り出した。

「は、はい?」

「その~、なんつーかさ、もう少し自重というか自覚というかをシテクダサイ」

「それは……、あの、何のことですか?」

 武井の言っている意味が本気で理解できず、その事に少し泣きそうになる。

「ソレが……」

 と、恐る恐る永田の胸を指さす。

「気になってシカタガナイノデス」

 科白の後半は顔を真っ赤にしながらも、最後まで言い切る。

「へ? ………あっ!」

 永田も数秒遅れて顔を真っ赤にする。慌てて胸元に手を当てて隠そうとするが、女の子の手のひら二つで隠しきれるものでもなかった。

「………」

「………」

 気まずい沈黙が流れる。




「えーと、気の利かない言い方になってすみません……」

「私のほうこそ……何か色々すみません」

 二人、見つめあう。

 どちらが先かは分からないが、自然と笑いあっていた。

「……なんだか、本当にどうにかしていましたね、私。こんなの、私らしくなかった」

「うん、そこは全力で肯定させてもらうよ」

 永田がまた笑う。

「そんな服なんか着なくても、委員長はいつもの制服姿が似合ってるっつーか、委員長らしいっつーか。うん、俺は好きだよ」

「すっ……!?」

 永田の動きが止まる。

「だからさ、着替えてきなよ。委員長だって無理してるんだろ?」

 そう続けたが、彼女はもう聞いていなかった。さっきよりも顔を真っ赤にし、耳まで熱を帯びている。

「ほら? 行こうぜ」

 数歩先に歩いていた武井が、振り向いて呼んでいる。

「は…、はい!」

 声が裏返ってしまう。

 追いつき、並んで歩き出す。今度はうつむくことなく、堂々と胸を張って歩く。…胸元は看板で隠しているが。

 そして彼女は深く、再確認する。

(ああ、私はやっぱり、この人が好き)

 ……と。


 ―――だがしかし、

「!?」

 横で歩いていた武井が硬直する。

「う……嘘だろ?」

 直後に、武井は走り出す。

 そして永田は、聞きたくない名前を耳にする。

「おい! 真樹っ」

 叫びながら、武井は人ごみの中に消えていく。

 ―――横に誰もいなくなり、永田はまた“ひとりぼっち”になってしまう。

 ……びしぃ。

 永田の心の中で、何か、とても大事な何かに、ヒビが入った。

 もしかしたらもう二度と直す事が出来ない、とても大きなヒビを……。

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最終更新:2008年07月21日 05:32
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