安価『歯科助手』

 私の名前は江波戸晴美。歯科助手をやっている。

 この仕事の面白い所は、どんな人間でも口をバカみたいにあんぐり開けているのを見られるってこと!

 それが金持ちだろーと貧乏人だろーと、年寄りでも子供でも、椅子に寝かせられたら皆、アホみたいに口を開けるの。

 その情けない顔を見てたら、「人間ってしょせん皆おんなじよねー」とか本気で思っちゃうわ。




 その日、一番初めに来た患者さんは、とっても可愛い女の子だったわ。

 でも不思議なのは、その子の名前がどう見ても男の子だっていうこと。

 私はすぐに「ピーン」と来たわ。

(この子、例の女体化症候群って病気の…)

 ってね。

 おっといけない。「病気」って言っちゃダメなんだっけ。


「はい、じゃあ椅子に座って待っていて下さいねー」

「はい」

 その子はにっこりと微笑むとイスのほうに歩いて行ったんだけど、私ちょっと驚いたわ。

 単純に可愛いってのもさることながら、その態度。

 だって、普通の人は怖がってるか、覚悟を決めてるか、慣れちゃってるかのどれかなんだもの。

 私たちに向かって、あんな笑顔を振り向く人なんて初めて見た。

 なんだかまるで、笑っているのが当然、って感じ。

 隣の椅子で、いい年こいてぷるぷる震えてる患者さんとは大違いね。

 そんな訳だから私は彼女にちょっと興味を持って、話しかけてみたの。

 まあ普通はそんなことしないんだけど、ちょっと先生が準備中ってこともあったし、ね。

「歯の治療は何回目くらいなんですかー?」

「僕、初めてなんです」

 おお、初めてなのに笑いかけてきたっていうの? スゴイ子ねー。

「だから少し怖くって。ホントだったら来たくもなかったんですけど」

 口でそんなこと言ってるくせに、顔はさっきっからずーっと微笑んでたりする。よく分かんない子ね。

「じゃあ、なんで歯医者に行こうって決心したの?」

「それは、やっぱり前歯が虫歯になってると、話してる時に格好悪いじゃないですか。そんな顔を、見られたくなくて」

 その時、その子のほっぺたが少し赤く染まった。

 はは~ん。

「誰か、そういう顔を見せたくない相手がいるの?」

「えっ? そ、それは……」

 ちょっとイジワルな質問だったかしら? かわいい反応してくれちゃって。




 それにしても本当だったんだ、とか改めて思う。体が女体化すると、心も段々女の子に近づいていくってのは。  さっきのアノ反応……、どう見ても乙女のソレだわ!




 結局、歯の治療の方はそれほど重度でもなかったんだけど、本人の希望で麻酔を打ってから切削して、詰め物をして終わった。

 隣に座ってる人なんか「俺ほんと注射とかダメなんです。なんとか麻酔ナシでできませんか? え? あ、はい。確かに触られると痛いですけど……。そこを何とか……。ダメ? 絶対ダメ?」とか言ってたのに対して、全然騒がなかったし度胸があるわね。

 そしてもう一つ。

 なんだかこの子、……口を大きく開けててもサマになってるのよね。

 口をゆすいでから立ち上がったその子に、私はもう一度話しかけてみた。

「これで彼氏にも嫌われないわね?」

 言ってから「もしかして彼女かも?」なんて思ったけど、彼女の次の反応で確信したわ。

「彼氏……ですかぁ?」

 口元に手をあてて恥ずかしがるなんて、アンタどこの少女漫画から抜け出してきたのよ?

 けどいきなり、その子は変なことを言い出す。

「そうですね、早く見つけ出して、前みたいに……」

「え?」

 私が意味が分からず聞き返すと、その子はまたさっきの微笑を口元に作って、

「あなたも、見つけたら教えてくれませんか? 一巳って言う高校生なんですけど」

「は……はあ」

 いやいやお譲ちゃん、何でいきなりそんな事を言い出しているんだい。

「一巳くん、こういう顔なんですけど」

 そう言ってそのカズミくんとやらの写真を渡してきた。あら、なかなかイイ男。

「僕の……とても大切な人なんです」

 また、微笑む。

 その時私は“気づいて”しまい、背筋が凍りつくような気がした。

 この子は笑っているんじゃないんだ。ただ、他の人がある感情になると普通はなってしまう表情が、この子の場合「微笑」に見えるだけで。

 全部、嘘っぱちなのだ。

 私たちが、勝手に認識を間違っているだけ。だから、いくら口を開けていようと、私たちは「綺麗」だなんて感じるんだ。

 だから、今この子が本当に抱いてる感情は―――


「むぎゃー!! 前歯の感覚がねえーーー!!」

 不意に隣の椅子から絶叫が聞こえる。

「ていうか、唇の感覚もねえーー!! そして鼻の感覚もないのです!!!」

 訳も分からずエセ丁寧語を使い始めた隣の患者に気を取られ、再び前を見てみるともう彼女は清算をすませ玄関に立っていた。

「あ……」

 私が声を掛けようと診察室を出ると、その子はまた例の微笑を顔に浮かべ、

「一巳くんを……、あ、いえ」

 そこで彼女は言い直す。


「武井一巳くんを見かけたら、教えてくださいね」


 そう言って、彼女は去っていった。

 私はちょっと呆然としていたけれど、スグに後ろから、

「ああー、なんか助手さんに手を握ってもらったら俺頑張れる気がするぅー」

 とか何とかほざいてる患者さんがいるので、すぐに現実に引き戻されてしまった。

(あの子……なんだったのかしら)

 そんな事を思いながら、さっきっからうるせえ患者さん用にトンカチを握り締め、私は診察室に戻っていった。

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最終更新:2008年07月21日 05:33
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