安価『再会』

その日、とある私立高校の文化祭で、真樹という少女の身にちょっとした事件が起きた。

 彼女が“女”になった際のトラウマを、実に一年ぶりに抉り出されたのだ。

 それは、彼女の人嫌いという性質をさらに強める結果となった。

 ……のだが。


「なーんで、俺はまたココに来てるんだ…?」

 翌日、真樹は再びその高校の前に来ていた。

「―――そういや昨日、武井が『まだ模擬店は倍以上ある』とか言ってたしな」

 そうか、それでか。などと自分を納得させている。ちなみに武井というのは彼女を文化祭へ誘った張本人であり、また彼女を昨日の事件から救った人物でもある。

「俺の中学校には文化祭なんて無かったしな」

 さっきから独り言をぶつぶつ言っている。傍から見るとかなりの危険人物だ。

 校門を一歩でもくぐれば、そこはもう若者たちの熱気うずまく文化祭会場だ。

 ごった返すお客と、ジュージューと何かが香ばしく焼ける音。それにつれて四方からおいしそうな匂いが立ちこめ、耳からは呼び込みの怒声が入ってくる。

 五感全てを満足させないと済まないような気迫が、そこら中に満ち満ちている。

「う…うわあ」

 真樹は思わず腰が引けてしまう。

 しかし混雑した校庭では、立ち止まった人など障害物である。

「うわっ、と!」

 通り過ぎていく人たちが、どん! と肩で真樹を押しのけては去っていく。

「昨日よりひどくなってないか…?」

 口に出してから気づく。

 ―――そうか、昨日と人の割合が変わっているんじゃない。俺が独りだからだ。

「あいつが……いないから」

 鼻の奥がツンとする。

 その理由を考えたくなくて、真樹は入り口でもらったパンフレットを読むことに集中しようとする。

「そうだよ。また武井に案内させりゃあいいんだよ。あいつを捜して……」

 パラパラとページをめくる。だが、急にその手が止まった。

「武井のクラスって……?」

 高校なら知っている。学年だって知っている。けれど、クラスを知らない。

 ―――急に、自分のやっている事がバカらしくなる。

 武井の事について、実は何にも知らない自分がバカらしくなる。

 知ろうとすらしなかった事がバカらしくなる。

 無駄。

 徒労。

 空回り。

「あーあ……」

 やっぱり“こんな所”、俺のいるべき場所じゃなかったんだ。

 ……帰ろうかな。

 すると、不意に聞き覚えのある声が聞こえてきた。

 彼女が今、一番聞きたかった声。

「一年三組ぃー! チュロス売ってまーす!」

 とても騒がしい場所のはずなのに、なぜその声が鮮明に聞こえてきたのかは分からない。

 だが気づくと、真樹は声のする方に歩いていた。

「武井…」

 あの野郎、俺を困らせやがって。この償いはきっちりさせてやるからな。

 もはや支離滅裂である。なぜ自分が怒っているのか、真樹自身にも分かってはいない。

 その感情は、彼女が文化祭に来た理由と根っこは同じである。つまり、

 ――はやく武井に会いたい、と。

「チュロスとジュース売ってまーすっ!」

(もう少しだ…)

 声はほとんど間近まで迫っていた。

 しかし、急に声がしなくなる。

「……?」

 武井の声が途絶える少し前、真樹は武井のすぐそばに誰か女の子の声を聞いた気がした。

 嫌な予感がした。

(どこ行ったんだ…?)

 前に進もうとする。

 けれど人ごみは険しく、人それ自体が苦手な真樹は立ち往生してしまう。

「くそっ」

 意を決して人の波を掻き分ける。

 全身に鳥肌が立つが、そのことを意識の外にやった。

 ただ、前に。




 人気のほとんど無い校舎の隅の隅。

 そこに武井はいた。扇情的に胸元の開いた服を着た少女と、二人きりで。

 何かを語り合っている。笑いあっている。

 それを見た時真樹は、なんとも見当外れのことを考えていた。

(そうか……。俺以外とだって、武井は会話するんだよな……)

 考えてみれば当たり前のことだ。

 ただ、真樹は自分以外と喋っている武井を見るのは初めてだった。他の誰かに笑いかける武井を見るのも初めてだった。近くにいるのに、自分の事に気づかない武井なんか、初めてだった。

 一歩、二歩、真樹は後ろに下がる。

(邪魔しちゃ、ダメだ……)

 その考えだけで動いていた。

 悲しいだとか寂しいだとか、楽しい悔しい嬉しいむかつく。どんな感情もなかった。邪魔してはいけない、それだけの思いで動いていた。

 すると、二人がこちらにやってくるのが見えた。

(見つかる……!)

 それはいけない。

 邪魔しては、いけない。

 しかし、目が合ってしまう。

「っ!」

 逃げなければ。


「おいっ! 真樹っ」

 武井が後ろから追ってきている。

 早く逃げなければ。

 ほんの二、三分前までは一秒でも早く見たかった顔なのに、今はその顔を見たくない。そして見られたくない。

「ちょっと、大丈夫!?」

 誰かが横から声を掛けてきた。

「こっちよ!」

 真樹が走っているのを誰かから逃げていると思い(実際そうなのだが)、匿おうとする少女たちだった。

 普段ならそんな気遣いは煩わしく思うだけの真樹だったが、今はありがたい。少女たちの指図どおりにわき道に逸れ、手ごろな教室に飛び込んだ。

 それに続いて3人の少女が教室に走りこみ、すばやく扉を閉める。

 数秒遅れて足音が近づき、

「真樹!? おい、どこ行った!」

 武井の声が大きくなる。

 息を殺して潜んでいると、次第に足音と声は遠ざかっていった。

「……ふーう」

 少女の一人が息をつくと、他の二人もそれにならう。真樹もやっと呼吸ができた。

「今の、武井くんだったよね?」

「うん。武井くんが怒鳴ってる所なんて初めて見たよー」

「あんな人だったとはねー」

 口々に喋りはじめる少女たち。

「あ、ちが……」

 真樹は武井の弁護をしようとするが、上手い言葉が出てこない。

「悪いのは……俺で…」

 言葉を探す。

「あいつの……邪魔しちゃって…。俺はいつも自分のことしか考えてなくて……迷惑ばっかかけてて……だから……」

「………」

 少女たちは何も言わない。

 ただ、ゆっくりとした動作で教室の鍵を閉めた。

「え…?」

「…………なあんだ、自分が迷惑かけてるって自覚してたんだ?」

 カーテンを閉めながら、三人の内の一人が言う。

「でもねえ、分かってんなら謝らなきゃ」

 もう一人がそう言うと、他の二人も「そうそう」と同意する。

「な、何言って……」

「あんたが昨日、よりにもよってPTAの前で大騒ぎしたせいでスッゴク迷惑した人がいる、って言ってんの」

 真樹の脳裏に一人の人物が浮かび上がる。

「それって、村松とか言う……」

「呼び捨てにしてんじゃねーわよ」

 後ろにいた女の子が真樹を蹴っ飛ばしてきた。急な出来事に反応できず、そのまま倒れこむ。

「タツヒコくん、あのあと校長室にまで呼び出されたのよ?」

 顔をあげて、真樹はぎょっとする。

 さっきまでは親切そうな顔をしていた三人だったが、今では見る影も無く冷酷に真樹を見下ろしている。

「私たち、タツヒコくんのために何とか仕返ししてやろーと思ってたんだけどお」

「ほら、アンタこの学校の生徒じゃないじゃん? どーやって見つけ出そうかとか本気で考えてたのよね」

「そしたら自分からまた来てくれるなんて、アタシたちってラッキーよねえ?」

「ほんとほんと」

「しかもちょっと演技したら簡単に騙されちゃって!」

 きゃはははと笑いあう。

 そこで真樹は完全に理解した。この少女たちの行動理由と、今やろうとしていることを。

(こいつら……っ!)

 カッとなって立ち上がろうとするが、

「なに立とうとしてんのよ」

 足を引っ掛けられ、派手な音を立てて顔面から床に叩きつけられる。

「っつ!」

「私たちが『いい』って言うまで何もしちゃダーメ」

「あ、鼻血出してる。写メっとこ」

 カシャリ、と軽快な音と共にフラッシュが焚かれる。

「騒がれる前に服脱がしとこーよ? 逃げられてもヤだし」

「賛成ぇー。裸撮っとけば後で何度も使えるしねー」

 真樹の背筋に冷たいものが走り抜ける。

 慌てて逃げ出そうとするが、それよりも早く少女二人が真樹の両脇を固める。

「てめえら……っ」

「あー、だめだめ! 今あんたが大声出して助けを呼んだら、そりゃ助かるかもしれないけど、その代わり誰が罪被ると思ってんのぉ?」

「……は?」

 真樹には、この少女の言った意味が理解できない。

「あんた、さっきまで大勢の目の前で誰から逃げてきたと思ってんの?」

「……!」

「アタシたち全員『武井くんがこの子を襲ってましたあ~』って言っちゃうかもよ?」

「やってみろ! 俺が証言してやる! アイツじゃねえって!」

「『この子は武井くんに、そう言えって脅されてるんです~』」

 猫なで声で、さきほどとは別の少女が言う。

「分かったでしょ? 王子さまを助けに呼んだら、王子様が犯人になっちゃうの」

 昨日、武井が真樹を抱きかかえて学校を去っていったことを、彼女たちは知っているようだ。

 真樹の体から、力が一瞬で抜けていった。

「やめろ……」

「えー? やめて欲しいの~?」

「どうしよっかなー? 何したらやめてあげよっかー?」

「んじゃあ、自分で服脱ぐってのは?」

「さんせー!」

「自分で脱いだんなら、それは私たちが脱がせたワケじゃないもんねえ」

「あ、私ムービー撮れるよ? 証拠にしよっか」

 きゃいきゃいと、まるで「どの服が似合うか」とでもいうように、少女たちは全く普通の調子で話し合う。

(迷惑は……かけられない……)

 真樹はもう、それ以外考えないことにした。


「きゃあーっ。マキちゃんってダイターン!」

 三人の少女が一斉に声を合わせる。

「ふつーそこまでしないよぉ? マキちゃんって“インラン”なんじゃない?」

 きゃーっ、と叫ぶまねをする。

 カーテンが閉め切られ薄暗い教室の中、三人の前で真樹は下着一枚になっていた。

「もう……いいだろ?」

 最初からずっとその映像を撮っている少女に、真樹は問いかける。

「何言ってんの。あと一枚残ってるじゃん」

「……そんなっ」

「ほらほら反抗しなーい! 武井くんの所為にされたいのー?」

 ばんばんと机を叩く。

「だめだ!」

「じゃあさっさと脱ぎなさいよ」

 はーやーく!はーやーく!と少女たちは捲くし立てる。

 今自分がやらなければ………。

 しかし身がすくんでしまい、どうしても手が動かない。

 そして、真樹は願ってしまう。

 絶対に助けを呼ぶまいと誓った人の名を、口にしてしまう。


「武井……!」


 ピロリロリン!

 急に気の抜けた音が、少女たちのケータイから鳴り響く。

「え?」

 それに気をとられた瞬間。

 ガン! バキッ!

 扉が蹴破られる。

「―――真樹っ!!」

 扉の向こうには……

「武井……? おまえ……」

 真樹が何か言いかけるよりも先に、三人組が素っ頓狂な声をあげる。

「ええっ!?」

 真樹には分からないが、三人全員に村松からメール送られてきたのだった。内容は「マキには手を出すな」の一行のみ。三人は混乱するしかなかった。

「はやく何か着ろ」

 そんな三人を尻目に、武井は床に散らばった服を真樹に渡す。

「なんで、どうして……?」

 ワケが分からないのは真樹も一緒である。

「鼻血も出てんじゃねーか、くそっ」

 ハンカチを取り出し、ぐしぐしと力任せに真樹の顔を拭く。

「ど……やって」

「委員長に手伝ってもらった」




 村松に三人を止めるようメールを(半ば強制的に)送らせてから、永田は長い長いため息をついた。

 彼女は走り去った武井を追い、そして急にカーテンが閉められた教室を見つけたのだった。そして中で交わされた会話を盗み聞き、単純に突っ込むだけではダメだと悟り村松を捜したのである。

「私ってばどこまで人がイイんだか……」

 壁に背中を預け自嘲する。

「あーあ」

 そのままズルズルと壁を伝い床に腰をおろす。

「………真樹さん、どうせなら、羨む気持ちもなくなるくらいに、幸せになってくださいね?」

 たとえそれが、この心にどれだけヒビを作っても。




「っつーわけで、こっちにゃ生徒会の副会長もついてるんだけど? どーする? このままどっかに消えるんなら何もなかった事にしてやるよ?」

 あくまで三人には顔を見せず、背中を向けたまま武井は語りかける。

「まだこれ以上何かするっつんなら……」

 武井は握ったこぶしを振り上げ、近くの机に思いっきり振り下ろす。

 派手な音を立てて、机の天板がへこむ。

「ひっ」

 短くなにか叫ぶと、三人は一目散に逃げていった。

 後には、真樹と武井のふたりだけになった。

「……真樹」

 武井は、どこまでも真っ直ぐに見つめてきた。

「武井」

 このまま武井の胸に倒れこみたかった。でも、

(武井には……あの子が)

 たとえ元男とはいえ、女の自分がそんな事をしたら、迷惑だ。

 だから、

「あのさ、俺……」


「好きだ」


 真っ直ぐな視線で。

「今までずっと黙ってた。俺、お前の事が好きだ」

 真樹はぽかんとしてしまう。

「は、はあ?」

「好きだ」

 もう一度。

「な、な、何で今言うんだよ!?」

「俺、ホントは今、謝ろうとしてた。昨日も、今日も、こんな目に合わせて。だけど、謝るとまたお前が嫌がると思って」

「そ、そんだけの理由で告白したのか……!?」

「うん。変か?」

 どこまでも真剣な表情で。

「ば、バカじゃねえか! おかしいよ! 絶対におかしい!」

 急に、武井の輪郭がぼやける。

「!?」

 泣いていた。

 昨日も、今日も、どんな物を見ても、どんな目にあっても、一度も流さなかったのに。真樹の目からは止め処も無く涙が溢れていた。

「ばーか」

「うん。そうかも」

「告白ってのは、もっと、違うところでやるだろっ」

「うん」

「何で今やるんだよ」

「ごめん」

「お前が好きな子、他にいるんじゃないのかよ」

「いない」

「っとに、バカなんじゃねえか……?」

「うん」

「何で俺なんだよ……」

「どうしても」

「俺は元々男なんだぞ……?」

「うん」

「俺なんかで……いいのかよ……」

「うん」

「ばぁか………」

「うん」


 武井の胸に飛び込んでいた。

 あたたかかった。




 武井は文化祭の後片付けがあるので、真樹は先に帰した。

 武井は心なしかウキウキとしている様に見える。隣では永田が少しさびしそうに、けれど少し嬉しそうに、笑っていた。

 そんな武井の肩を、ちょんちょんと叩く者がいた。

 振り返ると、私服姿の少女だった。制服でないのなら、この学校の生徒ではない。

「あ、すみません。一般のお客様は5時まででお帰りになってもらってるんです」

 武井が決まり文句を言うと、なんとその少女はがばと武井に抱きついてきた。

 周りの生徒がどよめく。

 武井も動きを止める。

「久しぶりっ、一巳くん!」

 武井を思いっきり抱きしめた後、少女はにっこりと笑ってそう言った。

 とても魅力的な笑顔だった。


「感動の再会、ってヤツだね」


 しかしその笑顔は、どこか嘘臭く、とても虚ろで―――

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最終更新:2008年07月21日 05:34
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