安価『温泉』

66 :温泉:2008/04/12(土) 13:34:50.12 ID:ZKeDhtJt0
「温泉…?」
「そ、温泉」
 カラリと晴れた、ある朝のことである。
 巫女服に身を包んだ少女と学生服姿の少年が、そのせまい神社の境内でお喋りしていた。今度の休みに温泉に行かないかという提案を、少年が少女に持ちかけているところだ。
「すぐ隣の県なんだけどさ、格安で泊まれるらしくて」
「それって……、何人くらいで行くんだ?」
「俺とお前と、あとクラスの奴ら何人か誘ってる」
「ふぅん……」
 少女は、少年と二人きりでなはい事に少し不満を感じる。
「あれ? もっと大人数の方が良かった?」
 見当違いな受け取り方をした少年は少し焦った様子を見せる。
 ―――こいつは鋭いんだか鋭くないんだか、よく分からないな。
 少女は少年に気づかれぬ様、小さくため息をついた。


67 :温泉:2008/04/12(土) 13:38:53.02 ID:ZKeDhtJt0
 少女と少年―――真樹と武井は、非常に曖昧な関係にあった。
 つい先週のことであるが、武井の通う高校の文化祭で小さな、しかし当人達にとってはとてつもなく重大な事件があった。
 そしてそのゴタゴタの最後に、武井は真樹の目をまっすぐ見つめ……、
 ―――「好きだ」
「だあーっ、もう!」
 思い出しただけで顔から火が出そうだった。真樹は気を逸らすため、無茶苦茶に頭を掻きむしる。
「なんで“あんなこと”スラスラ言えるかなっ! あいつは!」
 告白。
 高校生らにはさして珍しくも無い出来事なのだろうが、こと女体化者にとっては別であった。
 未だに自分の心は『男』であると思っている真樹は、体も心も『男』の武井に告白され不覚にも嬉し涙を流していた。しかしと言うかだからこそと言うか、その事が真樹の中で整理できずにずっと放置されている。
 結果として、
「俺、まだ武井に返事してねーんだよな……」
 告白された後、真樹は武井の胸に飛び込んでいる。その時はそれが精一杯だった。その時のまま一週間も引き伸ばして、未だに「俺も好きだ」とも「ごめん」とも返事ができずにいる。
 そんな半端な真樹に痺れをきらしてなのであろう、今回の温泉への誘いは。
 恐らく武井はそこで決着を付けようとしている。
「………よなあ、きっと」
 真樹としても、この宙ぶらりんな状態をどうにかしたかった所だ。渡りに船というヤツである。
 ――問題なのは、彼女自身も自分がどちらの答えを選択するか、決めかねているという事であった。


68 :温泉:2008/04/12(土) 13:49:04.04 ID:ZKeDhtJt0
 結局心の中になにも指針ができないまま、真樹は温泉旅行当日の朝を迎えた。
 待ち合わせの駅に近づくにつれ、人ごみが多くなっていく。改札口前に着くと、そこはもう『人の川』であった。
「うぅわ……」
 人それ自体が苦手な真樹にとって、この場所は一種の危険地帯であった。
「あいつに誘われたらどこにでも行っちまうこのクセ、何とかしねーとなー…」
 独り言を呟くと、彼女の肩が不意に叩かれた。
 真樹は振り向きざま、その者の名前を呼んだ。
「おい、武井……!」
 しかし、
「って、あれ?」
 目の前にいたのは、彼女の予想した武井とは似ても似つかない可憐な少女だった。
「大丈夫ですか? 棒立ちになっていたようだったので……」
 心配げな声色で語りかけてきたが、その顔はあくまでもにこやかに笑っていた。
「あ、いえ、大丈夫です。心配かけてすみません」
 慌てて謝る。
「そう、ならいいんです。……もしかして、待ち合わせですか?」
「え? あ、はい。そうですけど。なんで……?」
「あそこで」
 少女はすっと真樹の背後を指差す。流れるような仕草だった。
「さっきからアナタを見つめている人がいたので。でも、今きた電車から降りる人たちのせいで、ちょっと近づけないみたいですね?」
 振り返ると、見た事のある顔が二つ並んでいた。永田と、武井。
 あれ? と真樹は首をかしげる。武井がもの凄い目つきでこちらを睨んでいるのだった。真樹は、まだ集合時間過ぎてないよな? などと考えていると、
「くす」
 少女がここで初めて、声を出して笑った。
「くすくす」
 “本当におかしそうに”笑った。


70 :温泉:2008/04/12(土) 13:51:32.70 ID:ZKeDhtJt0
「わ、悪い、遅れた……」
 武井に対して真樹が低姿勢になることは珍しいことだった。そうさせるほど武井の表情は険しい。
「何言ってるんですか真樹さん、集合時間まであと5分もありますよ?」
 永田が真樹のフォローをする。彼女は武井のクラスの学級委員長であり、さらに生徒会の副会長であったりもする。
「あ、うん……」
 真樹は永田にも低姿勢だったが、これは文化祭の一件以来彼女には頭が上がらなくなっているせいだ。
「ところで、真樹さん」
 永田は真樹の後ろをみやる。
「……その子は、知り合いですか?」
「え?」
 後ろには、さきほどの少女がにこにこと笑いながら立っていた。どうやらついてきたらしい。
「な、なんで君、ここまでついて来てるんだ?」
 真樹は問いかけるが少女は答えない。代わりににこにこと、武井を見ていた。
 そして真樹は気がついた。
 武井は、別に真樹を睨んでいたわけじゃない。
 この少女を睨みつけていたんだ。
「………ユウスケ」
 真樹は今の声が誰のものか分からなかった。それは永田も同じだったらしく、真樹同様きょろきょろしてしまっている。
「なんで……、ここにいる?」
 そこでやっと、この低く震える声は武井が出しているのだと理解する。
「…くす。一巳がいる所なら、僕はどこにだって行くよ?」
 重苦しい沈黙が流れた。


71 :温泉:2008/04/12(土) 13:58:08.14 ID:ZKeDhtJt0
 にこやかに笑う彼女―――福本祐介も、真樹と同じく女体化した者だという。まあそんな事は、彼女の外見と名前の食い違いから簡単に推理できるのだが。
 一人称が「僕」ということを除けば、生来の女性と言われても信じられそうな物腰をしている。
 物腰だけでなく、肩まで伸ばしたセミロングの髪に、長く伸びた睫。小さいがぷっくりと膨れた唇。そしてふわりと広がったスカートに低めのブーツ、落ち着いた色のガウンをきっちり着こなしているその姿は、大抵の女性なら見劣りさせるぐらいのものである。
 なにより、その表情。透き通るような笑み。それが彼女を女らしく引き立たせていた。
(……俺とは豪い違いだな)
 行きの電車の中、真樹は肘掛によっかかって考えていた。彼女はジーパンに前開きのパーカーという、一見すれば男に見えなくも無い服装だ。
 そんな彼女の向かいの席で、当の祐介が永田や武井のクラスメイトに話しかけていた。
 彼女はあの後、いきなり真樹らと一緒に温泉に行くと言い出した。無理矢理な提案だったが、後からやってきたクラスメイト達(主に男子)は特に反対せず、彼女の提案は受け入れられたのだった。
(いや、一人……)
 真樹は隣の武井を見る。憮然とした表情で、窓の外を睨んでいた。眉間に大量に皺を寄せ、口元もへの字に曲げている。
 この武井だけは、祐介の旅行同行に反対し続けたのだった。
 何故だろう、と真樹は考える。
 武井と祐介の間に、何があったのだろう。
「真樹ちゃん」
「へっ。は、はい?」
 急に呼びかけられ、声が裏返ってしまう。
 目の前に、祐介の顔があった。
「どうしたんですか? なんだか沈んでますけど」
「そんな顔してた?」
 咄嗟に顔に手を当てる。
「ええ。何だか凄く不安そうな顔してましたよ」
 あくまでもにこやかな表情は変わらずに、祐介は言う。
 ――というか、俺より酷い顔をしてるのが目の前にいるんだけどなあ。真樹がチラと武井の方を見ると、武井は急に立ち上がり他のクラスメイト達の方へ行ってしまった。
「あ……」
「あらあら」
 そのままクラスメイト達とお喋りを始める。こちらには一瞥もくれなかった。
 祐介は肩をすくめると、武井の座っていた場所―――真樹の隣へと腰を下ろした。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2008年07月21日 05:34
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。