「鏡ちゃん！」
向日葵のように無邪気な笑顔で駆け寄って来るのは、俺の彼女で妹。
そのまま腕にしがみついて、家の前まで放してくれないんだ。
俺が禎緒の恋人になったのは、もう半月も前になる。
最初の内は恥ずかしがっていた禎緒も、今では随分大胆になっていた。
「ねぇ鏡ちゃん！ アイス食べてこ♪」
「しゃーねーなぁ…。 ちょっと待ってろ」
最近、めっきり女の子らしくなってきた禎緒。
一緒にいる時間も多いせいか、しばしば、彼女に見とれている自分に気付いたりもする。
彼女といると幸せで、彼女といると温かくて―――
―――でも、彼女といると胸が酷く痛むんだ。
「ほら、クッキー＆クリームでいいんだよな？」
「わぁ、ありがと♪」
この関係の終わりを切り出せないのも、初めに拒めなかったのも、俺が悪い。
禎緒の笑顔が咲く度に傷を増やす俺の心。
そして今も尚、それは続いている。
「たっだいまー！」
「……おかえり」
最近、那菜の様子がおかしい。 避けられている気がするのだ。
どうやら禎緒も同じ事を感じていたようで、俺達は玄関で顔を見合わせていた。
「なっちゃん……」
「禎緒、心配すんな。後で俺が話してみっから、な」
「……うん……」
「……お前は出掛けるんだろ？ 友達に待たせちゃダメだ。 ほら、行きな」
行ってきます、と力無く手を振って家を出る禎緒。
俺はそれを見送って部屋に戻った。
……最近になってふと感じる、禎緒のいない時間。
以前にも幾度となく体験したことのあるそれは、なんだったっけ―――？
部屋に戻って自分の時間になっても、俺の頭から禎緒は離れようとはしなかった。 むしろ―――
―――ｺﾝｺﾝ
「お兄ちゃん、今、いい？」
半ばトリップしかかった俺を呼び戻したのは、久し振りに聞く『お兄ちゃん』という言葉だった。
今まで随分使い古されたその言葉が、酷く俺の胸に響く。
「……ん、あぁ、いいぞ」
扉を開けて入って来た那菜は、微かに震えていた。
「……お兄ちゃん……」
「ん？」
『お兄ちゃん』と呼ばれる度、俺は兄なんだと現実に引き戻された。
終わらない夢を見ているような日常。
禎緒と過ごす幸せな日々を消されてしまいそうで、俺は唇を噛む。
「……お兄ちゃんは今のままで…幸せ？」
那菜はスカートの裾を強く握り締めながら、声を震わせた。
その問いにあまりにも核心を突かれて、俺はごまかすように那菜に背を向けた。
きっとこの時の俺の顔は、何よりも醜く、歪んでいた。
「ん？ 何がだ？」
この期に及んで惚ける俺は、狡いのだろうか。
気付いてなければこんな質問、される訳がないのに―――
「惚けないでよ。 ……てっちゃんの事、お兄ちゃん本気で―――」
那菜は、気付いていたんだ。
隠して、隠して、そのまま終わろうとしていたのに―――
「五月蝿い！ お前には関係無いだろ!?」
―――だから、俺は遠ざけた。
気遣う余裕すら、ないままに。
「……関係、無いんだ……」
部屋に響く乾いた笑い声は、悲愴と失意に溢れていた。
俺が憤怒に任せて口にしたのは、拒絶の言葉。
それがどんなに酷い事かと気付けないくらい、俺の目は曇っていたんだろう。
「……あは…あはは……ご、ごめんね？ 私なんかが、偉そうに……」
何で那菜が謝るんだ？
何で那菜が泣くんだ？
那菜はそのまま、部屋を出ていってしまった。―――泣き顔を、隠すように。
那菜を追うことも出来ずに、俺は部屋で立ち尽くしていた。
那菜の泣き顔が、頭に錆のようにこびりついて離れない。
―――アイツのあんな顔は、初めて見たかもしれない……
【幕間】
―――関係ない……かぁ……
久しぶりの兄との会話は呆気なく終わり、私は失意の内に自分の部屋に戻っていた。
扉に寄り掛かってそのままへたりこむと、抑えていた涙が溢れ出す。
「……っく……ぅぇ……ｸﾞｽ……ぅぇぇぇ……」
また、止められなかった。
坂を転がり始めた石のように、お兄ちゃんは―――
「………行ってきます」
俺は兄貴に手を振って、家を出た。
きっと、なっちゃんは俺から兄貴を―――鏡ちゃんを奪い去ってしまう。
俺がなっちゃんに敵うものなんて、昔から何もないんだから。
『なっちゃん…話って…何？』
『てっちゃん…お兄ちゃんの事、本当に好き？』
『……え？ 何の……』
『……好き？』
『う、うん……だって、兄貴じゃん』
『……そう…だよ、ね……』
友達と遊んでいる間も、好きな物を食べている間も、なっちゃんの言葉はずっと纏わり付いて来た。
俺が女体化してから約２ヶ月。
でも、俺はずっと叶うことのない想いを抱えながら、生きていた。
物心付く頃からの10年を越える片想い。
胸が、痛い―――
【幕間終】
最終更新：2008年07月21日 20:49
