『二人の妹~P.D.F.B~』3

俺と禎緒が付き合い始めて一月が経った。
未だに俺たちと那菜の間はギクシャクしており、それは両親にも解ってしまう程、悪化している。
俺はというと朝食の時も夕食の時も、那菜の顔を見る事が怖くなってきていた。

『今のままで、幸せ?』

那菜と顔を合わせる度に浮かんでくる、2週間前の言葉。
誰だって好きな人と時間を共有できれば嬉しくて、ただそれだけで幸せになれる。 そう思っていた。
でも今は一人になった時の喪失感が、『好きだ』と言う気持ちを超えてしまっている自分に気付いてしまったんだ。

そしてある日、禎緒の迎えを済ませて部屋に戻ると、ドアの隙間から紙のような物がはみ出している。
訝しげに思いつつ、俺はそれを拾い上げた。
―――花柄の可愛らしい封筒と便箋……那菜からの、手紙だった。

『親愛なるお兄ちゃんへ

 この間は余計な事を言ってしまってごめんなさい。
 出来れば、この手紙は捨てずに、最後まで読んで下さい。

 好きになっちゃいけないはずの誰かを好きになるって言うのは、すごく、すごく辛いよね。
 別に憶測でものを言ってる訳じゃないよ? だって私の方がもっと、ずっと長い間恋してるから。

 お兄ちゃんにとって私は妹で、すごく可愛がってもらったね。 ありがと。
 でも、それは私にとって凄くイタイから、少しの間離れることにしました。
 ―――でも、まさかそう決めた直後に、お兄ちゃんと禎緒ちゃんが付き合い始めるとは思いませんでした。』

一枚目の便箋は、そこで終わっていた。
無言で手紙を読む空間に、紙が擦れる音が響いた。

『……女体化した娘って、すごく可愛いよね。
 私が今まで会った人は皆、整った顔で、髪も綺麗で、スタイルも良くて―――
 お兄ちゃんが禎緒ちゃんの"女の子"なところに惹かれてしまったのも無理はない気がします。
 ―――私なんか、絶対に敵わないくらい、禎緒ちゃんは可愛くなっちゃった。

 でも。 …だからこそ伝えておきます。 私は、お兄ちゃんが―――鏡輔さんが好きです。
 もうずっと前から……兄妹としてじゃなくて、一人の男の人として、好きです。

 ―――やっと、伝えられた…。
 本当はちゃんと言いたかったけど、こんな風に伝えても困らせるだけだけど―――我侭な妹でごめんね。

 報われることのない恋って何でこんなに残酷なのかな? ドラマとかではみんな最後は楽しそうに笑ってるのにね。
 好きな人に自分を好きになってもらうってだけの事がこんなに難しいなんて、ね。
 お兄ちゃんは、頑張ってね。

                                       那菜』

手紙を読み終えた俺は、那菜の部屋の前に来ていた。
伝えなければならないことがあるような気がする。 しっかり話さなければいけないことがあるような気がする。
那菜は、強い。 たとえカタチがどうであれ、傷つくことを顧みない。

―――俺は? 不意に浮かんだ疑問は、自分の中ではもう、答えが出ているもの。
俺は弱くて、臆病で、怖がって、雁字搦めになってしまっている。

ノックしようとする手が、そのままの形で止まっている。

「……那菜、いるか?」
「……お兄ちゃん? ちょっと待って……」
「いや、そのままで良い。 ごめんな…そんで、ありがとう。 ……それじゃ」

俺は車の鍵を持って家を出た。
ガソリンは満タン。空は綺麗な夕焼け。

「よし、行くか」

夕日を背に、車は走り出した。

対向車のライトが眩しかった。

空が赤から黒へと変わっていった。

国道の街灯がオレンジの橋を作り出した。

長いトンネルがあった。

短いトンネルがあった。

ライトアップされたお城跡が見えた。

一度だけ入った薔薇園があった。

信号が点滅し始めた。

牛蛙の鳴き声が一面に広がっていた。

遠くの空に金星が光り出した。

明かりの無い山道を、登って、登って、また登って。

彼女とよく来た公園に着いた。
別れを押し付けて、遠くに行ってしまった彼女。
俺は携帯電話を取り出した。



【幕間】

……遂に、お兄ちゃんの部屋に手紙を置いて来てしまった。

変じゃなかったかな……ちゃんと読んでくれるかな……

長い長い私の片想いは、多分今日、幕を降ろす。
―――そう考えていたら、なんだか泣けてきてしまった。

優しいお兄ちゃんには、私なんてただの妹に過ぎないだろう。
でも私は馬鹿で、どうしても一縷の望みを捨てきれないのだ。

「……那菜、いるか?」

扉の向こうから聞こえた、穏やかなお兄ちゃんの声。
今すぐ扉を開けて、その胸に顔を埋めてしまいたかった。
でも、枕に押し付けた顔は見せられたものではない。

「……お兄ちゃん? ちょっと待って……」
「いや、そのままで良い。 …………ごめんな……そんで、ありがとう。 ……それじゃ」

―――――終わっちゃった………

解っていた結末だった。 覚悟は済ませたはずだった。
明日からもいつもの私でいなくちゃならない。
目を腫らしたままでお兄ちゃんの前には出られない。


―――でも、それでも涙は溢れた……





家に帰ると、鏡ちゃんはいなかった。
車もないし、友達と遊びに出掛けたのかな?
そして夕ご飯。 最近喋ってくれないなっちゃんと、久し振りに顔を合わせた。

「―――!? ど、どうしたの?」

なっちゃんは、目を赤く腫らしていた。
今の今まで泣いていたんだろうか。 まだ少し、鼻にかかるような声だ。

「ん? 何でもないよ? はい、醤油」

昔から、悲しいことがあってもそれを他の人に話そうとしないなっちゃん。
俺にはそれが羨ましくて、でも壊れそうで見たくなかった。

俺が夕飯を終えて部屋に戻ろうとした時だった。
半開きの鏡ちゃんの部屋。 電気を消そうと中に入って、見つけてしまった手紙―――

【幕間終】



「……あぁ、うん―――またな」

下界と天海、両の星空に挟まれながら、携帯の電源ボタンを押す。
湿気を多く含んだ風が今は少し冷たくて、木々のざわめきが心を洗ってくれているようで。
―――久し振りに聞いたアイツの声は、消え入りそうなくらい弱ってしまっていたけれど。


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最終更新:2008年07月21日 20:50
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