『隣のお兄ちゃんが女体化』後編

僕がお姉ちゃんを避け始めてから、更に月日は流れた。
無理をして朝早い時間に家を出るようになった。帰りも家の前にお姉ちゃんがいないか確認してから帰っていた。

―――合わせる顔が無かった。あんなに泣かせて、無理矢理唇まで奪って…もう、死んでしまいたくなった。
好きで、好きで、好きで……でも、会うのが怖かった。お姉ちゃんは、優しいから。
僕があんな事をした後でも、笑って赦されてしまいそうだったから。
いや、きっとそうだ。お姉ちゃんにとって僕は、ずっと弟みたいな僕のまま。咲くことの無い、蕾。
どんな花の蕾よりも膨らんでしまったその蕾を、僕は枯らすことなんて出来なかった。
方法を知らない…ううん、それもあるけど、ずっと綺麗なままとっておきたかったんだ。

そして遂に、僕はお姉ちゃんと会わなければならない時が来てしまった。
お姉ちゃんのお母さんが…48歳という短い生涯を閉じてしまった。
突然の事故だったらしい。僕もいつも通る商店街の歩道。居眠りのトラック。

―――よくある事故だ。いつもニュースで流されている、ありがちな事故。
でも、今回ばかりは亡くなったのはおばさんで、とても、とても身近な人だった。
小さい頃から両親が共働きの僕の面倒を見てくれて、それはもう一人のお母さんみたいな人で―――。

僕は、お通夜に出席していた。両親の両祖父母ともに健在の僕の家では、経験のないことだった。
僕は両親とご焼香の列に並んだ。仏壇の前では、お姉ちゃんとおじさんが参列した人々に挨拶をしている。
こんな時にも、僕の心はお姉ちゃんの事で張り裂けそうだった。黒いスーツに身を包んだ、僕の好きな人。
お姉ちゃんの悲しそうな顔に、何だか僕が責められている気持ちになった。

僕がそんな不純な気持ちで並んでいると、焼香は僕の番になった。
仏壇の前には、いつも元気だった、おばさんの写真―――。
目の前にお姉ちゃんがいるのも忘れて、僕は嗚咽を噛み殺しながら泣いた。





「ゆうちゃん、アイスあるわよ!」おばさんが、笑って僕に話しかけた何年か前。
「ゆうちゃん…卒業と、入学おめでとう!」おばさんが、僕にケーキを作ってくれた何ヶ月か前。
「おおきくなったわねぇ…ゆうちゃんももうすぐ高校生ね」おばさんと話した、3日前。

僕のお姉ちゃんへの気持ちは、いつもおばさんの笑顔と共にあった。
でもそんなおばさんにも、もう何もお礼は言えない。
僕の頬を流れ続ける涙は、伝えられない『ごめんなさい』と『ありがとう』の塊かもしれない。

僕はご焼香の後、お姉ちゃんに挨拶はせずに列をはずれた。
今のお姉ちゃんに僕が掛けてあげられる言葉はあるのか?そう考えていたら、自然と列をはずれていた。

僕たちは火葬の列へと並んでいた。おばさんは、薄白けた煙になって空へと昇った。
骨壷へと骨を移す時に、僕はお姉ちゃんと一緒に竹箸を持った。震える手が、邪魔をする。
背の小さかったおばさんの骨は、白い灰となって白い箱へと移されていく。

おばさんはこんな僕を見て何て言うのかな?「そんな顔してちゃだめよ」かな?
それとも「しゃきっとしなさい!男の子でしょ?」かなぁ…ねぇ、おばさん、答えてよ…

そんなことを考えながら、おばさんのお葬式は終わった。
参列者の波が、蜘蛛の子を散らすようにひろがっていった。

僕たちの家族は、親密な付き合いがあったということで、後の親族の集まりにも参加することになった。
お酒の席ということもあったのだろう。賑やかな席になった。
でも僕はそこにいる気分にはなれなくて、部屋を出て台所の椅子へと腰掛けていた。
お母さんたちが、忙しそうにお酒や料理を運んでいる。

やがて全てを運び終え、台所はとても静かなものになった。
ボーッともうだれもいない台所を眺めていると、お姉ちゃんが入ってきた。





「…あ、勇気…こっちにいたのか…」お姉ちゃんは、赤く腫らした目を隠しながら言った。
きっとお葬式が終わるまでずっと我慢してたんだろうな…
「あ、うん―――」僕は気の抜けた返事しか出来なかった。
キュッキュッ、シャーーー…お姉ちゃんは、水道の水で顔を洗いながら、目を冷やして、顔を拭いた。

お姉ちゃんは、僕に背を向けたまま無言でシンクの前に立ち尽くした。
その静かな空間が、僕にはとても重いものに感じられる。いたい、いたい、いたい…
罪悪感が、邪推が、僕を締め付けていた。声さえ出せないような、重圧。

「…勇気…」それまでの沈黙を破って、何かを決意したように、お姉ちゃんは喋りだした。
お姉ちゃんに呼ばれる僕の名前…勿論何を言われるかの不安はあった。
でもそれ以上に、自分の好きな人の声を聞いただけで、幸せになれた。

「…あの時…俺にキスした時…どんな気持ちだった…?」お姉ちゃんは、まっすぐな瞳で僕を見た。
僕は視線を逸らす事すら出来ず、ただただ考える。言って良いものか…言って拒絶されでもしたら…
考えれば考えるほど、嫌な結果しか出てこなかった。
自分であんな事したんだから、そうだよね…僕は、考えることを止めた。
どんな結果になっても、例えそれで僕が途方に暮れることになったとしても…
それが僕に伝えることの出来る、お姉ちゃんへのまっすぐな気持ちだから。

「…僕は…」僕はゆっくりと、自分の気持ちを紡いでいった。
「お兄ちゃんがお姉ちゃんになっても、好きだったのは変わらなくて…」
「自分でも、いつ好きが違う好きになったのかはわからなかった…」
お姉ちゃんは、僕の目を見たまま、そして僕はお姉ちゃんの目を見たまま、言葉を放つ。









「…お姉ちゃんはいつも変わらず優しかったから…でも、僕の気持ちは変わっちゃって…」
「一緒にいるだけでも辛いくらい、お姉ちゃんが大好きになったんだ…それであの時…」
あの、夕焼けの光景が甦って来る。まだ覚えているお姉ちゃんの感触で、また僕は少し、胸が締め付けられる。

「『嫌いにならないで』って言ったお姉ちゃんを見て…そんなのある訳ない!だって僕はこんなに―――」
「…あの後もずっと…怖かったんだ…お姉ちゃんに嫌われるのが…全部…ッグッ…僕が悪いのに…ッ…」
お姉ちゃんへの懺悔の気持ちでいっぱいだった。お姉ちゃんへの好きの気持ちでいっぱいだった。
好きが変わってからの…何年分かの涙が止まらなかった。謝罪の言葉は幾千、幾万考えたはずだった。
「…ごめんなさい…お姉ちゃん…ングッ…ごめんね…」―――でも、その一言しか出てこなかった。

涙で霞んで前が見えない。嗚咽が抑えきれずにまともに息が出来ない。
顔がぐしゃぐしゃなのは自分でもわかっていた。

―――ふと、僕の顔に柔らかいものが当たる。
そのまま頭を抱えられた僕は、お姉ちゃんの胸だということに気付いた。
温かさと柔らかさに包まれた僕に、お姉ちゃんは言った。
「この馬鹿…」キュッと一層強く抱かれる。
「何でそんなトコばっかり似てるんだ…」お姉ちゃんは、僕を放して少し、困ったように笑った。
「…確かにあの時はな…弟みたいに可愛がってたお前に抱き寄せられて…キスされて…」
自分でもわかる。今、僕の顔は真っ赤だろう。そしてお姉ちゃんの顔も、赤く染まっている。
「…あの時…俺が抵抗してたの、わかったか?」お姉ちゃんは、はにかんだ様に笑う。
抵抗…してた?僕はそんな事には気づかなかった。頭を横に振って答えると、お姉ちゃんは続けた。
「まぁ、最初だけだけど…お前の力には敵わなかったよ。俺も弱くなったもんだ…」そう言って、掌を見つめた。





ほんの少しの静寂の後、お姉ちゃんは「それで…」と続けた。
「俺が女で、お前が男だって、意識したのはあの時からだったんだ…」お姉ちゃんは、何かを決意したように、言った。
「お前にあんな風にキスされて、嫌じゃなかった…なのにお前は…」
「自分を責めるなよ!…文句なんかあったら、すぐにでも殴りに行ってた…」
「頼むから、あんな風に避けたりしないでくれ…」

―――刹那、涙を溜めたお姉ちゃんの顔が近づいてくる。
それまでだらしなくぶら下がったままだった僕の腕は、抱きしめるべき人の背で交差する。
細い…細いお姉ちゃんの身体は、椅子に座ったままの僕に預けられた。
いつだって欲しかった僕の大好きな人は、僕の腕の中。夢幻のような幸せ。
長いキスを終えると、お姉ちゃんは僕の膝に乗ったまま、抱き着いて来た。
お姉ちゃんは一言、「母さん…」そう弱く発して僕の腕の中で泣いた。
…ずっと、我慢していたんだろうか。縋るように泣き続けるお姉ちゃんは、とても弱く、愛しいものに思えた。

「僕で…いいの?」お姉ちゃんの嗚咽が収まった頃、静かにお姉ちゃんに聞いてみた。
お姉ちゃんは真っ赤な目をパチクリさせると、涙を拭って、僕の目を見つめてきた。
僕の首に回されていた手が解かれる。「目を瞑って…」そう一言だけ聞こえた。
僕が目を瞑ると、パン!という音と共に僕の両頬に衝撃が走った。お姉ちゃんの両掌は、そのまま僕の頬を捏ね繰り回した。
「い!い!か!!?お前"で"じゃない、おまえ"が"いいんだ!今度言ったら噛み千切るぞ」
最後の一言はともかく、僕の心の中に、温かいものが宿った。
恥ずかしそうにそっぽを向いたお姉ちゃんを、後ろから抱きしめる。
やっと、やっと一緒に歩ける、僕の好きな隣のお姉ちゃん。
「おばさんに、報告しなくちゃね」僕がそう言うと、お姉ちゃんは「うん…」と一つ頷いた。

「お姉ちゃん、名前で呼んでいい?」「あ?やだ!」「なんで?」「恥ずかしいから!」
「えー…クスクス」「だめだぞ!」「"愛"?」「だーっ!(///」「"愛"」「おま…どこさわっt(/////」

                       ―――――――――――fin―――――――――――


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最終更新:2008年07月21日 21:03
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