日が暮れようとしていた。
――あぁ、何でこんな事になっちまったんだろう…?
仄暗い体育倉庫の中で、俺はゆっくりと目を閉じる。
――暗い、暗い、暗い…底なし沼の奥深くに沈んでいった俺の心。
…これは俺が与えた彼女の哀しみへの罰。
身体に力が入らない。
――いつから彼女を傷付けていたのだろう?頭の悪い俺は、必死に記憶を遡った。
俺とはーたんの思い出は、幼少の頃から続いていた。
「初菜ちゃん、一緒に帰ろ!」
「うん!いいよ~!」
「焦太君は高校、どこ行くの?」
「俺?別府高校…かな。初菜は?」
「私も…一緒だね」
「焦太君―――私と付き合って!!じゃないと―――」
俺の回想はそこで停止し、今度は先程までの情景が浮かぶ。
冷たい…冷たい……絶対零度の眼差し。感情を全て消し去ったような、悲しい瞳。
蛇に睨まれた蛙のように動けなく、俺は彼女に何もしてあげられなかった。
コゲさん、と彼女が敬語を使うようになったのは、俺が女体化してから間も無くだった。
周りの友達は皆、改名した「焦子」という名前で呼んでくれた。
―――俺は本当に馬鹿だ。
好きな人が自分を特別な呼び方で呼んでくれるだけで嬉しくて、女体化しても悲しまずにいられた。
ずっと…ずっと好きだったんだ。いつからかなんて解らないくらい、前から。
"知りませんよそんな事。貴方が私を拒んで、結果的にこれ以上ない形で私を裏切った。これが事実です。"
"その復讐なんですから、今更貴方の心がどうあったかを知ったところで関係ありません。"
"フフッ、最低の女でしょう?嫌ってもいいですよ?"
"心で嫌う分には自由ですから。嫌えば、いいんですよ"
彼女はそう言って、呼び止めることも叶わずに行ってしまった。
―――自分の心を、傷付けながら。
―――あぁ、そうか。全部悪いのは俺じゃないか―――
俺が彼女の笑顔を殺した。俺が彼女の心を壊し続ける。俺のエゴで彼女は自分を責めた。
―――ようやく少しずつ動くようになった体に鞭を打ち、俺は教室へと向かった。
――重い…。体が、心が、まるで枷を付けられているように。
階段を昇る一歩が、気の遠くなるような作業だった。
それでもなんとか教室に辿り着くと、自分の筆箱からカッターナイフを取り出した。
…これでやっと―――
人気の無い近くのトイレで水道の蛇口を捻る。
ジャーーー…と静かな室内に水音が響いている。
チキ、チキ、チキ…
俺はどこか合わない焦点を白く、細くなってしまった自らの腕に向けた。
袖を捲り、手首を露わにする。未だ赤々しく残る手錠の痕を見て、思い出してしまった大切な人の笑顔―――
もう向けられることの無い過去を振り払って、伸ばした刃をそこに当てた。
ヒヤリとした鉄の冷たい感触が妙にリアルで、逆に恐怖は無かった。
―――あぁ、この右手を引けば―――
俺はゆっくり力を込める。
俺も壊れてしまったんだろうか。
鏡には、笑いながら泣く自分―――
目を閉じて、俺は、右腕を引いた―――
最終更新:2008年07月21日 21:13