安価『暗黒微笑』

「いいんちょ! こっちの問題はBでおk?」
「委員長、昨日のプリントなんだが……」
「委員長、今日のHRは自習にするから頼むぞ」

 日々方々から頼りにされるのは悪い気はしない。 でも、それは体よく責任を押し付けられているだけ。
眼鏡をかけていて、大人しそうで、しっかりしているから。 そんな理由で学級委員を任されているとわかったのは、遠くから聞こえて来た男子達の戯れ言だったのだろう。
でも僕は聞こえないフリをして、席を立った。 本当に僕を頼って、僕に委員長を任せてくれる人もいるんだ。 そう信じていないと、潰れてしまいそうで……

 僕のクラスには友達と呼べる人がほとんどいない。 地元から離れた高校だというのが大きな理由だけれど、本当はもっと違う理由があるんだ。
それが、クラスで僕を孤立させている原因。 本当の意味で、心から信用することができる友達がいない理由。
高校入学から間もなく、まだこの学校で委員長と呼ばれていない頃。 僕は、女体化してしまった。
クラスの中で、それぞれ仲の良い人達が集まる時期に、僕はどっちつかずの存在になってしまったんだ。

 薄暗い音楽室で一人、コントラバスを引きずり出す。 僕の唯一落ち着ける、場所。 僕の唯一落ち着ける、時間……
低く、深く……染み入るような弦の音色に聴き入っていると、途中から素っ頓狂なピアニカの音色が割って入って来た。

「……またお前か」

 時々現れて、誰か他の人が来ると消える怪しい男。 いつもいつも僕の演奏の邪魔をして去っていく、奇特な奴。
今日もまた、彼は窓から入って来た。 僕は溜め息を交えて、睨み付ける。

「お前とは随分だね。 俺はただ君の事が好きなだけなのに」
「流石に6回目ともなると有り難みの欠片も無いな」

 そう、もう6回目なのだ。 互いのクラスも、名前すらも知らない、けれど気軽に話せる、不思議な関係。
僕が彼を睨み付けて、彼は僕に告白し続けて……

「今日はね、お別れの挨拶だから、真面目に聞いてほしいんだ」






「……は?」

 一瞬、何を言われたのか全く解らなかった。 理解をした頃には、彼の目には大粒の涙が浮かんでいたんだ。
突拍子も無く打ち明けられた事実にいつもの調子でいられるほど、僕が落ち着いている訳ではなかっただけなのだ。

「俺が最初に君を見たのは……クラスで皆に頼りにされてる姿だった。 宿題か何かを教えてる君の横顔が何か寂しくて、ただそれだけなんだけど、それがずっと頭から離れなかった」
「おい、お別れって……」
「次に君を見たのは…此処で独りでソレを弾く姿だった。 教室の時とは打って変わって、ただ楽しそうにソレを弾く君に惹かれていった」
「だから、人の話を……」
「それから、君の二つの顔の訳を知りたくなった。 君を知りたくなった。 ずっと、見ていたくなった」

 ……こんなに、饒舌な奴だっただろうか。
  勢いに呑まれて何も言えなくなってしまった僕は、ただ独白を続ける奴のこんなに必死な顔を初めて見たのだ。
ただただ真剣に、僕だけを見つめて……

「でも、人の心は縛れないってわかるから…だから、今日俺を受け入れてもらえなければ、諦めようと思ったんだ」
「……」
「……聞いてくれてありがとう。 自分勝手でごめん」

 音楽室に拡がる静けさは、時折彼の啜る鼻の音で途切れた。
泣かれても困る。 これじゃまるで僕が悪者みたいじゃないか。

「……何て言ったらいいかわからんけど…理由だけ、聞かせてもらっていいか? 転校とかならアレだけど……―――!」

 言ってから気付くなんて、僕は少なからず動揺していたらしい。
そもそもそう簡単に転校なんてあるはずがないんだ。 昔ならまだしも、最近なら―――

「――女体化、か…?」

 親に叱られた子供のように、ばつが悪いと顔を伏せる彼。
『童貞なんだろ』と言っているも同然なんだから仕方ないのかも知れないけれど、女体化なんて珍しくもないじゃないか。

「成る程……そりゃ好きな娘にそんな事カッコ悪くて言えないか。 でも僕も元はそうだったんだよ?」
「そんな事言っても……俺は、昔の君は知らないし……」
「じゃあ何なら知ってる? 好きな食べ物は? 昨日買った本は? 恋愛遍歴は? これからどうにかして、知りたいとは思わないの?」
「……」

 いつになく、苛立っていた。 少なくとも僕は、女体化する事に劣等感なんて持ち合わせていなかった。
ただ人より奥手で、顔なんて平凡で、機会が無かっただけの事。
僕と彼は似ているのだ。 ただ、それだけに、癇に触った。

「動くなよ? 動いたら、そこで終わりだ」

 本気で僕を知りたいと思ってくれた奴が、意気地無しだった事に。
ただ童貞だからという理由だけで、何もかもを諦めてしまう、弱い奴だったという事に……

「!? 何を―――」

 僕は彼を押し倒して、唇を塞いだ。 冷たい床の感触が、カサカサの唇の感触に塗り替えられてゆく。
ふと彼の身体をまさぐると、今となっては懐かしいモノが、苦しそうに自己主張をしている。

 目を逸らす彼の顔を無理矢理引き戻し、僕は微笑った。
解放の対価である辱めという罰と、僕に夢なんか見ないように、と―――

おわり。




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最終更新:2008年07月21日 21:59
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