まあなんて言うかあれですよ……それはさ少し前まではね、女の子っていいなあとか、女体化したら自分の胸とか触り放題じゃないですか、やばくないですか。とか、本当に頭の悪い俺らしいことばかり考えてたわけですよ。
だからさ、童貞なんだし16歳の誕生日がさっさときて女体化できたらいいなあなんて思ってた、自分の本当に考えの浅いことを後悔しているんですよ。
ただ、俺の誕生日は四月五日で、学年で一番最初に誕生日を迎えて、部活にも入ってなくて、身近な人たちに女体化経験者が一人もいなかった俺がこんな考えになってしまったのは仕方がないんじゃないかと思うわけです。
人づてに聞く話なんてのは、「サッカー部の先輩見た? 見てないの、ああもったいない。今さもう部活には参加できないからってマネージャーやってくれてるんだけどな……やばい可愛くなってるぞ。もともと男だっただけあって気さくに話しかけてくれるし、俺普通に惚れそうなんだけど」だとか「軽音部、今度ボーカル変わるらしいよ、ほらこの前女の子になっちゃったていう先輩に。声も綺麗らしいし、なにより見た目に華があるからってさ」だとかこんな感じの話ばっかりですよ。
そりゃあ男に好かれるなんて可哀想だなあとは思うけれど、それ以上に誰々が女体化したって話には必ずついて回る「綺麗になった」や「可愛くなった」惹かれてしまっていたわけですよ。
だって俺はクラスでも目立つほうではなかったし、女の子ともほとんど話せないようなやつでしたから、このままの学生生活を送るよりは、女体化して可愛いとか綺麗だとか言われて過ごしたほうがきっと楽しいものになると思ってしまったんですよ。これは俺がおかしいわけではなくて、多くの男子が同じようなことを考えていただろうと思います。
そんな考えのまま迎えた十日前、俺の誕生日です。自分の体が以前と違っていることにはすぐ気がつきました。
まあ当然です。前日には祈るとまではいかないまでも、強い期待を抱いて電気を消したんですから。とはいえ前日に女体化のことを留意していなくても、この胸や、前よりずっと煩わしくなっていそうな髪を見ればすぐに気付いたでしょうけれども。
とりあえず今の自分の姿を確認しようと布団をでて、洗面台のとなりにある姿見の前へと向かいました。そして鏡に映る自分の姿は……まだ、見ることができませんでした。期待と不安が入り混じってなかなか目を鏡へと向けさせてくれないのです。もしかしたら自分は可愛くも、綺麗にもなれていないかもしれない。前と同じような、けして目立つようなタイプではないままかもしれない。そんなことを考えてしまうのです。今までの地味な自分が他学年の話題にまでのぼるような人間になれるとは思えなかったんです。
けれど、期待していようがしていなかろうが今日という日を迎えればこうなってしまっていたのです。もともと自分で選んでこうなるわけではないですから、当然です。それに、 いくら綺麗になれていなかろうとも前よりは目立つことはできるだろうと──女体化する人なんてそんなに多いわけではないですから、間違いないでしょう──思いました。
そして僕は顔を上げ、新しい自分と向き合いました。
息ができませんでした。きっと、このときの俺は女体化する前なら相当に気持ち悪い顔をしていたでしょう。
目を見開き、口を大きく広げ驚きをあらわにした表情はあまり格好のいい物ではありません。けれど今の僕のその顔は、間違いなく「綺麗」と言われるであろうものでした。
気持ちを落ち着かせて、今の自分をよく観察してみます。まず目に入るのは大きく真っ黒な瞳です。まるで黒真珠のような(染色処理などでつくられたものでなく、天然の黒蝶真珠のような、です)不思議に惹きつけられる輝きを放っていました。明かりもつけていないのに輝いているように感じられるその瞳は、他のどの部位よりも存在感を放っていて、俺はしばらく鏡に映る自分と見つめあってしまったほどです。……それほどまでに美しい瞳だったのです。
続いて目に入ったのは、前よりも幾分伸びているであろう黒い髪でした。昨日までは耳にかかるくらいの長さだった髪が、今では肩にとどこうというところまで伸びてきているというのだから不思議です。さらにその髪は今までの俺の髪なんかとは違っていて、染めたばかりの絹糸のような艶を持っているというのだからこれまた不思議です。さらに、いままでは髪の手入れなんてほとんどしていなかった俺が、これからはちゃんと手入れしていかなければいけないような気持ちにさせられたというのも、また不思議でした。
新しい顔の造形は、どれもとても綺麗でした。薄い唇、小さな顔、細い手足、少し目立つくらいの大きさの胸。そのどれもこれもが以前の俺の「理想の女の子」に近いものでした。
しかし、妙なことに、今の俺にはそれほど綺麗な自分の体を見ても何の興奮もしないのです。ただ自分のことを綺麗だなあとは思っても、触れたいだとか、そういう性的な欲求は全く起きないのです。以前の俺が女の子になったらやろうと思っていたあれやこれやそれは、何一つ現実感のないくだらないものに思えました。
どうしてだろうか……俺は考えてみました。もし昔の俺ならば、こんなに綺麗な女の子を自由にできるとなったら、間違いなく喜び勇んでそりゃあもう色々なことをしたでしょう。でも少し待ってください、その想像の中では綺麗な女の子は第三者で、決して自分自身ではありません。ではもし自分が綺麗な女の子になったらどうするかを想像してみましょう。
……やっぱり、やることは大差ありません。まあ男であったときの想像なんですから当然でしょう。
では今は、まさにそれが現実なった今はどうでしょう。全く何かをしようと思えません。そうです、自分の体に興奮するなんてナルシストです。俺はそんな変態的な志向は持っていませんでした。だからいくら体が変化していても、自分に欲情することなんてできいんです、きっと。けれど、先ほどまでの俺は、鏡に映る自分の姿を見て綺麗だと思いました。これはナルシストに近い考えではないでしょうか。では何故性的な欲求は起きないのでしょうか、やはり自分で自分に興奮するという行為に抵抗感があるからでしょうか。いや、抵抗感という感じではありません。なんというか、そもそもそういうことをしたいとも思えないのです。では何故?
このあたりまで考え、諦めました。女体化した人間とはきっとこういうものなのだと、そう思うことにしました。
「あら、あんた。今日は随分早いのね」
母の声です。彼女が今の俺の姿を見たらどう思うだろうかと思い、きっと驚くだろうと思い、驚かせてやろうと思い、起きてきたばかりの母に顔を向け、いってやりました。
満面の笑顔で、「おはよう」と。
……と、ここまでが十日前の朝のことです。そう、ここまではよかったんです。そうです。 ここまでは、良かったんです。
問題は、ここから先にあったのでした。
俺はなんだか喜んでいる様子の母さんを後にして、少し外に出てみることにしました。ジャージにシャツ
なんていう、前だったら格好悪くて外に出たくないような格好でも全然平気です。だって、いまの自分の姿なら
この格好でも誰も笑いません。むしろみているほうが照れてしまう位だと思います。今の自分の姿に僕は──以
前自信がなかった裏返しかもしれませんが──中々の自信を持って、美人だと思えるのです。
そんな、やっぱり少しナルシストっぽいことを考えていると、近くに見覚えのある人影が見えました。同じク
ラスの由紀君、それなりに仲の良かった地味なやつです。どうやら早朝のランニングか何かのようです。随分走
っているらしく、汗がダクダクです。滴ってます。なんだかちょっと格好いいです。
ただ、由紀君は部活とかには入ってなかった気がします。何のために走っているんでしょうか。由紀君は若い
のに健康ばっかり気にしてる変なやつではなかったと思います。そんなのはウチの弟で十分です。
気になるので話しかけてみようと思います。多分僕が誰だかなんて気づかないでしょうし、反応が気になりま
す。ただちょっと由紀君早いです。追いつくのが大変そうです。とはいってもランニングなので、少し頑張れば
追いつけるでしょうし、追いかけようと思います。もう一度ここを通るという保証もないですし。
思ったより楽に追いつけそうです。多分男の時より運動能力も上がってます。女の子になって運動もできるよ
うになるなんて、前の僕はどれだけ怠惰で貧弱だったんでしょうか。
「ねえ、そこの走ってる少年さん」
一応知らない人の振りです。そっちのほうが楽しそうです。
「え、なんですか……!」
照れてます照れてます。嬉しい反応です。女になった甲斐があるというものです。しかも、普段はそういうキ
ャラじゃないので、余計に面白いです。なんだか少し可愛くもあります。
「お姉さんねえ、最近ランニング始めたんだけどさ、なんだか少し他の人の走ってる道も聞いてみたくってね。
いやなんか、いいコースがあったらなと思って」
我ながら妙な会話の話題です。いいコースだなんて、これじゃあまるで弟です。
「コース……僕の走ってる道、ですか?」
「そうそう、教えてくれるかな」
「いいですけど、この辺の道には詳しいですか?」
「いちおーね、地元民だからさ。そこそこは詳しいと思うよ」
「そうですか、ならきっと分かると思うんですけど…………」「うんうん」「であの道を曲がってですね……」
「えっ、そっち山じゃない?」「そこの山も抜けてですね……」「そんな道、さすがに走ったことない、という
か行った事がないです」「そうですか? ただもう少し先まで行くんですよね」「……お前、どれだけ走るんだ
よ」「いやでもあの辺の場所を越えたら折り返して同じ道ですね」「あのあたりが既にわかんないけどな」「そ
うですか」
おかしいです、走る距離が。びっくりしたおかげで軽く素になってしまいました。
それにこいつ、これだけ走るのに今の時間、こんなところ走ってたら学校に遅れるんじゃないですかね。それ
ともこいつの足にはターボか何かが付いてるんでしょうか。そんなのは弟だけで十分です。
「こんな距離、一体何のために走るの?」
「いや、走るの好きだし、高校では陸上部はいるつもりだし」
おう、初耳ですぜ。んー。てことはあれですか、マネージャーとかとなんかいかがわしいラブストーリー展開
しちまったりするんですか。うらやましい限りですね。その前に女体化してしまえばいいのにって話です。
「ふーん、だから今のうちに特訓てやつ? 格好いいねえ、青春だねえ」
いや決して本気で格好いいなんて思ってないですよ。……今の俺のキャラから考えてこういわないとおかしい
なって思っただけです。ていうかなんですか。この恥ずかしい弁明は。
「……えっやっ、そう、ですか。ありがとうございます」
おーおーやっぱりいい反応です。恥ずかしいのを我慢して格好いいなんていった甲斐があるってものです。こ
の調子なら学校であったときが楽しそうです。
「それじゃ、君の走ってる道は遠すぎて参考にならなそうだから、この辺でお暇するよ。じゃあね」
「はい、それじゃあ……」
お別れの挨拶も満面の笑みです。完璧です。次に会うときどんな反応をしてくれるのか楽しみでしょうがない
です。いやいや妙な期待はしてないですよ?
……あれ、妙な期待ってなんでしょう?
最終更新:2008年10月08日 22:23