「今日は何食べる?」
「えっと・・・カレーでいいかな?」
「またカレー?」
夕食の食材を求める買い物客でごった返す夕刻のスーパー。 俺は友人とともに今日の晩飯の買い出しに来ている。
高校生二人がこの時間にスーパーに来ているのは、特に不思議でもない。 だが、俺達は1週間に3、4回は足を運んでいる。
母親から御使いを頼まれた訳でもなく、友人とこれからパーティーをするわけでもなく。
買い出しに来ている理由は、俺が一人暮らしをしているからである。
俺の実家は、山奥にひっそりとたたずんでいる。 別に変な事情があって、そんなところに家を構えているわけではない。
先代からその地で旅館を営んでおり、両親共々そちらでせっせと働いている。
そこから一番近い高校が今通っている高校であり、通学するには実家からでは無理な話。
だからこうして麓の町でアパートを借りて暮らしているのだ。
「しっかし、お前カレー好きだよな。」
パンパンに詰まった買い物袋を手にしながら、俺の方を見て笑う。 そうそう、紹介遅れたが、俺の隣にいるこいつは、一年の時から同じクラスの渉。 2ヶ月ほど前に女体化した奴だ。
男の時から髪を栗毛色に染めており、女体化してからも相変わらず明るい色をしている。
こいつには一年の夏くらいから非常に世話になっている。今も相変わらずだ。
俺は料理ができない。一応、作る気になれば作れるのだが、からっきしダメである。
胡椒を一振りしたら蓋が取れてドバッ。
醤油で味付けしようとしたら蓋が取れてドバッ。
終いには、フライパンを火にかけたことをすっかり忘れて、直で触り火傷・・・。
渉は料理を作ることが趣味であり、その腕はそこら辺の女子より上であると思っている。
入学当初から仲良くなり、夏ごろに渉が料理好き(上手)ということを知り、試しに頼んでみたらふたつ返事で答えてくれる。
それからは、こうして学校帰りに一緒に買い物に出かけ、それから俺の家で料理するという毎日だ。
こいつが女体化してからも、変わらずにやってくれている。 女体化した次の日も、いつもと変わらぬ笑顔で俺の家に来てくれていた。
本当に、こいつには頭が上がらない。
スーパーから家まで歩いて10分。 その間、俺たちは他愛もない話をしながら歩いて行った。
秋色も深まってくる11月前半。山からのおろし風が、痛く体に突き刺さる。
「早く家に行こうぜ・・・寒い・・・」
あと少しでパンツが見えるんじゃないかというくらい短い丈でスカートを履いている渉。 こいつはいつもこのことで指導の先生とやりあっている。
風のいたずらに少し期待しつつ、歩くペースを少し早めた。 俺も寒い。早く家に帰りたかった。
「ただいま。」「お邪魔します!」
誰もいない部屋だが、俺はこちらに来てから毎日「ただいま」と言うように心がけている。
何故こうしているのかは自分でもよく分からないが、いつの間にか家に上がるときはこう言うようになっていた。
俺たちは鞄をベッドの上に放り投げ、早速夕飯の支度にとりかかる。 俺は渉の補佐役なので、指示を待つ。 その間は、渉の一挙一動を眺めていた。
スーパーから買ってきたものを手際よく冷蔵庫に入れ、使うものは台所に置く。同時に鍋や皿なども用意する。
こいつの手際のよさにはいつも感心している。 いい奥さんになるだろうといつも思う。
「よし、後はなんちゃらかんちゃらするだけだから、テレビでも見ようぜ。」
どうやらあとはなんちゃらかんちゃらするだけのようだ。 渉は汚れた手を洗い流すと、冷蔵庫から缶ジュースを二本取り出した。
「ま、今日もお疲れ様!」
「おう、お疲れ!」
何故お疲れと言うのか分からない。 だがいつもこう言っている。 あれだ、飲み会の時とかの「お疲れ様です!」みたいな感じだ。
プシュっと炭酸の抜ける心地よい音が響き、一気に半分まで飲み干す。炭酸が渇いた喉を刺激し、突き刺さるような痛みがくる。 だがこの痛みがまたいいのだ。
「ね、智って好きな人いるの?」
「な・・・突然何言い出すんだよ!」
ジュースが変なとこに入り、俺はごほごほっとむせる。 突拍子もない渉の発言に、驚くばかりだ。
「何ってさ、彼女いれば俺なんか要らないでしょ?」
どこか寂しそうな表情で言ってくる。 今までこんなこと言わなかったのに、何故なのだろう。
話の意図が全く掴めないでいる俺。
「ごめん・・・あんまり気にしなくていいから。」
そんなこと言わないでくれよ。 余計に気になるだろう・・・。
その後は微妙な空気の中、互いに何も喋らずテレビを見ていた。 何か話しかけようと考えるのだが、何を話していいのか分からず。
ただ時間が経つのを待つばかりであった。
渉は時計を何回か確認している。カレーが出来る時間を確認でもしているのだろうか。
それから程なく、渉は無言で立ち上がり台所へ向かう。 そろそろよい頃合いなのだろう。
カチャカチャと食器を手に取る音がする。 いつもは俺もこれくらいのことは手伝うのだが、今日は気が進まない。
あちらに行こうという気にならないのだ。
カレーの盛られたふたつの皿をトレーに載せ、無言のままテーブルに置く。 俺も黙って待っている。
「いただきます・・・」
いつもは二人一緒に食べ始めるのだが、渉は準備が終わるとさっさと食べ始めてしまった。
黙々とテレビを見ながらカレーを食べている。 俺の方を見ようとは一切しない。
俺はため息をつき、いただきますと呟いて渉の後に続く。
(なんだよ・・・さっきから変だぜ・・・)
時折渉のことを見ながらカレーを食べる。 別に俺が悪いことをしたわけでもない。 だからと言って渉も悪いことをしたわけでもない。それじゃあ何が原因なのか。 それも全く分からない。
俺が渉のことを見ると、こちらのことを一瞬だけちらっと見てくる。 だが、すぐに目線を反らしてしまう。
今までであれば、「何見てんだよ」の一言で終わったはずなのだが、俺を避けるように目線を反らす。
それにしても、今日のカレーは特においしいよなぁ。
いつも思うのだが、日に日に渉は料理が上手くなっていっているように思う。
元々料理を作ることが得意だったということもあるのだが、最近になってよりいっそう上達したように思える。
特に、こいつが女体化してからの上達度は尋常じゃなかった気がする。本当、何がどうなっているのか分からない世界だ。
渉は先にさっさと食べ終え、テレビに夢中になっていた。 夢中になっていたと言うより、俺と接したくなかったと言う方が正しいのだろうか。
俺と一緒にいるということを紛らわすために、テレビに夢中になっているような気がして仕方がない。
何せ、画面に映っているのはNHKのニュースなのだから。 こいつがニュース、増して何を言っているのか分からないNHKのニュースに釘付けになんかなる訳がない。
ワカラン。 こいつは一体どうしたんだ・・・。
俺は現状を打破すべく、重い口をどうにかして開いた。
「なあ・・・どうしたんだよ・・・渉・・・?」
渉のことを見ながら、語尾を強調して言う。 こちらを振り向こうとしない。
「何か俺が悪い事でもしたのか?」
説得するように言う。 だがこちらを振り向こうとはしない。
「・・・おい、何か言えよ!」
テーブルを叩き、がちゃんと食器の揺れる音がする。 それでもこちらを振り向こうとはしない。
もう我慢の限界であった。
俺は渉の方へ行き、胸倉を強く掴む。 男の頃はこういう事をふざけあってやっていたが、こいつが女になってからは初めてだ。
「ひぃ」っと小さな声を出す。 頬には一滴の涙が伝っており、ふるふると震えていた。
何でだ? 何で泣いているんだ?
今までだったらこんな表情見せなかった。 今までだったらこんな態度見せなかった。
「ふざけるなよ」と嫌がるお前を見せてくれよ。
必死に涙を堪えているのだが、止まりそうにない。 そんな姿を見ていると、俺も泣きたくなってくるだろうが・・・。
「なあ・・・何で泣いてるんだよ・・・」
「・・・」
「黙ってちゃ分からねぇだろ!」
「・・・」
俺が怒鳴ると、さらに渉は泣きじゃくる。 声まで上げて泣き出してしまった。
その姿は、まるで産まれたばかりの赤ん坊のように、 ただひたすら泣きじゃくっていた。 どうすれば泣きやむのか、全く埒が開かない。
とりあえず、掴んでいた胸倉から手を離す。 これ以上問い詰めても、渉にも悪いし、何より俺自身も気分が悪くなってくる。
本当に、どうすればいいのか分からない。 生まれてこの方女性と付き合ったことのない俺だ。 女性の気持ちが分かる気がしない。
いや、女性の気持ちどうこうではなく、こいつはついこの間まで男として生きていたんだ。
体は女性であっても、まだ心が女性になっているとは・・・思えなくもない。
どうにもならない状況。
俺は一回天を仰ぎ、ふうと一息ついてから渉のことを抱きしめてあげた。 こうする以外に思いつかなかった。
こいつの涙で服が濡れるとか、そういうことはどうだっていいのだ。 とにかく、今はこうするしかない。
畜生・・・。 俺まで涙が出てきちまったじゃねぇかよ・・・。
「上を向いて、歩こう。 涙が、こぼれないように。」
俺はこのフレーズ通り上を向いているのだが、涙がこぼれまくって仕方がない。
堤防が決壊したかのように、俺の目から大量の涙が溢れ出してきている。
理由は分からない。 こいつが泣いている理由と同じだ。
「智・・・」
「うん?」
渉が擦れた声で俺に話しかけてくる。 ふと渉を見ると、にっこりとした表情で俺のことを見てきている。 眼はまだ充血している。
「好き。」
「・・・うん。」
こいつが次に口を開くときは、こんな言葉がくるだろうなと思っていた。 いや、何となくである。
完全に「これが来るだろうな」とまで思っていなかった。 だが、何となくそんな感じがしたのだ。
もう出せる涙も枯れたのだろうか。 渉がこれ以上泣くような様子はない。 むしろ先ほどの時と一転して、とてもにこやかな表情をしている。
胸につっかえてたものが取れたからなのだろう。 俺の胸に身を預けていた。
「渉・・・」
「うん?」
「今までありがとな・・・。 そしてこれからも・・・。」
決まった・・・。 自分の中で何かすごくカッコいいことを言ったような気がした。
少しばかり渉の頭にクエスチョンマークがついているような気もするが、気のせいにしておく。
「智・・・」
そう言うと、渉は目を閉じる。 これが何の合図かは、俺でも分かる。
俺も目を閉じ、自分の唇と重ね合わせる。 先ほど食べたカレーの匂いが、何となくわかる。
「やっぱり、カレーの匂いしたね。」
俺が何かダメなことをしでかした時のように、渉はくすくすっと笑う。 いつものこいつが戻ってきたような気がした。
俺達は再び互いの唇を重ね合わせた。
最終更新:2008年08月02日 15:49