安価『手塚』

「油断せずに行こう」
「どこの手塚だ」
コートに立ち、ラケットをブンブン振り回す。そいつの名は、手塚。なんの因果かテニス部部長だ。
そして俺は大石。これまたなんの因果かテニス部副部長だ。ちなみに触角角刈りではない。念のため。
「さぁ、この俺の、恐竜を絶滅させる威力を持ったサーブを受けてみろ!」
誰のために行っているかわからない解説を進めていると、ネットの向かいからそんな威勢のいい声が届く。
「だからどこの手塚だって言ってんだよ」
内心呆れつつ呟く。余り体格のよくない手塚のサーブは、球威が高くなく、軽々と返球できる。
どこぞのテニスギャグ漫画よろしく、打球がバウンドせずに滑るため返球できないだとか、雷のような軌道を描くだとか、
人が吹っ飛ぶほどの威力を秘め、全治数ヵ月の怪我を負わせるだとかいうことは、もちろんない。
それどころか、うちのテニス部は弱小。県大会どころか地区大会一回戦すら抜けるのは珍しい。
だが、楽しければいいのだ。別に勝つことだけが目的じゃない。俺たちはテニスと言うスポーツを通じて、青春の汗と涙をry
…何てやってる間にもラリーは続き、俺にチャンスボールが飛んでくる。そして、それを華麗なスマッシュでもって手塚のコートを射抜いた。
「15-0」
「くそぅ…だが、俺のサーブは108式まであるぞ!」
「だからどこの…いや、それは手塚じゃねぇ。それから108本もサーブ打つつもりか」

そんなこんなで俺たちは空が朱に燃えるまで白球――黄色いけどな――を追った。

茜射す夕暮れの街を、俺たちは歩いていく。キャラにはまるきり合わないが、俺はこういった詩的な表現が好きだ。
…やめろ。恥ずかしい。笑うな。指差すな。触角玉子とか言ってんじゃねぇ。ふざけんな。
「あ、そういや、俺、明日誕生日だ」
俺の隣を歩く手塚が唐突に呟く。
「なんだ?ラーメンでも奢れってか?」
「いや、そうじゃなくて…」
口ごもる手塚。それを、少し前を歩いていた河村が茶化す。
「手塚はアレが気になってんだよな。どんな女の子になるかねー!胸が小さかったら俺が大きくしてやるよ!」
無言で、指をわきわきと動かす河村に蹴りを入れる。河村は変態だ。違ごうことなき変態だ。これでもかと言うほど変態だ。某気は優しくて力持ちな河村と交換して欲しいほどだ。
無論、打球で腕の腱を切られたりするのは御免だが。
ところで、アレ、とはもちろん巷で話題の女体化現象ってやつだ。まぁ、男子高校生足るもの、こうした下世話な話が出るのもままあることだ。俺は苦手だが。
ちなみに、中の人は元は苦手だったが、抑圧されて弾けたタイプらしい。…俺は何を言ってるんだ?中の人ってなんだ?
まぁ、そんなことはどうでもいい。崩れてしなを作る河村を視界に入れないように注意しながら、俺たちは歩を進めた。
「で、どーすんだ?今日だけは替え玉まで世話してやらねーこともねーぞ」
「じゃ、俺は杏仁豆腐とマンゴープリンな!」
「キメェ」
しゃしゃり出てきた河村を、それだけ言って蹴り倒す。
「…なして!なしてあたしを蹴ったの?!」
「マスクかよ…せめてテニヌで統一しろ」
そんなやり取りをする俺たちを、浮かない顔で見つめていた手塚が切り出す。
「あー…あのさ」
「どーしたよ?」
「やっぱ…帰るわ」
「そーか。んじゃ、また明日な」
「ん、また…明日」
「も、揉ませろー!!」
奇声を上げた河村に踵を落としながら手塚を見送った。なんとなく、あの紅い夕日が不穏な色に輝いた気がした。

翌朝。玄関先で靴紐を結んでいると、手塚からメールが入った。
「俺んちに来てくれ。頼む。」
簡潔な内容だが、むしろそれが逼迫した事態を告げているような気がした。俺は返信もそこそこに駆け出していった。

少し色素の薄い栗色の毛、整った目鼻立ちに、華奢な体つき。それらが小さくなった身体によく纏まっている。
そのなだらかな胸でさえ、ロリコンではない上に、どちらかと言えば硬派な俺にも欲情させる以外の効果を持たせない。
さらに、苛めてオーラ、襲ってオーラに加え、相反する守ってオーラを併せ持ち、上述の要素も相俟って心が吸い寄せられてしまう。当に『手塚ゾーン』…。
…それが女になった手塚に、俺が初めて持った印象だった。
そんな手塚を前にし、顔の赤くなった俺は勤めて自然に話しかけた。
「手塚…だよな」
わざわざわかっていることを聞く。手塚は一人っ子だからだ。そして、それに無言で頷く手塚。
「なんで…俺を、呼んだ…んだ?」
色々なことに耐えるのが精一杯で、途切れ途切れになってしまう。
「…大石が一番信頼できるから」
玉を転がしたような声に、一瞬ドキッとする。そして、感情の堰が切れたのか、俺の胸に飛び込んでくる。
「俺、もうどうしたらいいかわからないよ…大石、助けて…」
涙目で上目遣い。その最後の攻撃に、俺の意識は『手塚ゾーン』に吸い込まれていった。――なにがあったかは各自の想像に任せる。

その後、手塚はなんと男子テニス部に残った。
そして、そんな手塚の姿を一目見ようと、まずは校内から見学者が殺到。次に、新入部員が殺到。仕舞いには転校生が殺到した。
かなり遠くから来てるヤツもいるらしく、人の噂のスゴさを知った次第だ。
そうして、かなりの大所帯になったうちのテニス部は、かなりの強豪、いや、某テニヌの王子様に負けないトンでも集団になった。
今日もコートには威勢のいい声が響いている。

「俺様の美技に酔いな!」
「燕返し…」
「リズムにry」
「データは揃った」
「ばぁう!!」
「んんーーーっ、エクスタシー」
「ワシの波〇球は108式まであるぞ!」
「だからお前ら何処の…俺の放課後を返せーッ!」

「手塚ゾーン!」
「いや、お前それは洒落にならんからやめろ、マジで」

おしまい

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最終更新:2008年06月11日 23:24
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