137 :ナガ:2008/04/13(日) 20:49:08.50 ID:0mGoxFoR0
「なんで世界って破滅しないの?」
「はい?」
いきなりそれですか、お姫様。
俺は紙パックの牛乳を飲みながら、牧田を見る。牧田の髪は伸びた。男だったときよりも長く伸びて、頬が丸みを帯びて、全体的に甘いにおいがして、女の子になった。
元々睫毛が長かったから、牧田は美人といえるかもしれない。でも、目がいつも暗いから、美人と評されることは少ない。
「破滅すればいいのに」
「いつかは、破滅する」
俺は自分の手首を無意識に触っていた。いつかは人なんて死ぬ。いつかは、破滅するさ。
人間なんて、この世界なんて。
「いつかって、いつ」
「いつか、だよ」
解るわけねーだろ、いつだかなんて。そう言うと、牧田が頬を歪めた。笑っているような怒っているような、不思議な歪みだった。
「宇宙だったら、わかるかもな」
「あー…、うん、そーね」
俺は窓際の空いている席を見た。その席の主は、三日連続で休んでいる。
138 :ナガ:2008/04/13(日) 20:49:39.87 ID:0mGoxFoR0
本名は西岡礼二。あだ名は「中二病」「宇宙人」「頭がインフルエンザ」
散々なあだ名ばかりだ。しかし、それも仕方ないと思ってしまうくらいの奇行をする変な男だった。
背も高くないし、顔も並。お洒落でもないし、頭も良くない。だけれど、俺は個人的に宇宙が好きだった。勿論恋愛ではないが、宇宙の価値観が俺は好きなのかもしれない。
細い体に張り付くような学ラン姿は他の男子と違って、死神のように見えた。目つきは牧田ほど暗くもないし、陰惨でもない。なのに、他の人間とは明らかに違う匂いがするのは何故なのだろう。
「宇宙、今、何やってんだろ」
「さぁ…」
俺はなんとなく、予想がついた。多分、宇宙の叔父さんと一緒に何かと戦っているか(宇宙の叔父さんもオカルト的な意味で有名な人だった)、それか、刺青でも彫っているんだろう。高校生の分際で。しかも犯罪なのに。
「タトゥ、増えているかな」
「その可能性も否定できないよな」
俺と牧田はぼんやりと宇宙の席を眺めた。俺はなんでここにいるんだろう、と思った。
139 :ナガ:2008/04/13(日) 20:50:28.59 ID:0mGoxFoR0
休みが明けて、宇宙は高級車に乗って登校した。校門の前で俺に気づいた宇宙は目だけで俺に笑いかけた後、車の中にいる誰かに向かって何か言った。
それから、ドアを閉めて俺に向かって歩いてきた。
「よう」
「おはよ」
宇宙と隣り合って歩くと視線が集まるのが嫌だった。けれど、俺だけすたすた歩くのも嫌だ。
「お前さ」
「ん」
「出席日数大丈夫なわけ」
「大丈夫、多分。それに俺、大学行かないと思うし」
「ふうん」
行けない、ではなく、行かない、なんだと思った。今の時代、金を払えば大学や専門学校に行ける。でも、宇宙はそれを選ばない。それが強さのように思えた。
宇宙は、孤独でも生きていけるだろう。他人から痛みを与えられても生きていける。そういう強さを持っている。だから、憧れるし、妬ましくもある。
「今まで何やってたの?」
昇降口に行くと、宇宙はクラスメイトに視線を飛ばした。仕方なく、俺は黙り、人気のない廊下に着くまで口を開かなかった。
「刺青彫ってきた」
「ふーん」
やっぱり、と思った。多分、また幾何学模様の刺青が増えたのだろう。今回は腹か背中か、もしかしたら腕とか足かもしれない。
「昇降口で言えばよかったのに。誰もお前のこと怖がって教師に言わないよ」
「はは、まぁ、念のため」
笑う宇宙の目を見、俺は内心うそつき、と呟いた。嘘つき。俺たちのこと考えて言ったんだろ。俺と牧田の内申とか考えていったんだろ、
ばれたら俺たちに飛び火するって思ったんだろ。
「宇宙」
「ん」
「俺も刺青彫ろうかな」
「…刺青ってのは、長生きしたくない奴が彫るんだよ、馬鹿」
微笑み、宇宙は教室に歩き出した。その背中はピンと伸びて、清々しいくらいに何も背負っていない。
牧田が以前言った事を思い出した。
宇宙は空っぽだね。
そうだ、宇宙は空っぽだ。がらんどうだ。
140 :ナガ:2008/04/13(日) 21:03:51.51 ID:0mGoxFoR0
その日の昼休み、牧田は不機嫌だった。
「アッタシィ、彼氏と別れてモトカレとやり直そうと思ってぇ、でもぉ、今の彼氏がちょーうざいって言うかぁ。メールちょーウザ。
やだ、かわいそー。つーかちょーストーカーっぽくね?ぎゃはははきもーい!」
「…何の真似?」
なんだこれ、とりあえず一人二役以上やっているであろう牧田は、声は可愛いのに顔は怖い。
俺の疑問に牧田の代わりに宇宙が答えた。
「今日の体育のときの女子の会話だって」
「全員が全員、そういう話してるわけじゃねーだろ」
「まぁそうだろうけど」
牧田は俺と宇宙の会話に加わらず、机に突っ伏した。
「ウザい。マジでウザい。なんで世界って破滅しないの?」
またそれかよ。
141 :ナガ:2008/04/13(日) 21:04:22.79 ID:0mGoxFoR0
「お前らも言い返せよ!」
いきなり顔をあげて切れた牧田に俺と宇宙はわざとらしくびくついて見せた。それがお姫様はますます気に入らなかったらしい。
「お前らもさ…っ!」
「何を?」
牧田の弁当から勝手に肉を摘む。牧田母は料理がうまい。
「ホモとか、中二病とかだよ!好き勝手に言われ過ぎだっつーの!」
ホモ、という言葉に傷つく。でもゲイと言う言葉も嫌だ。結局、自分がそうだと認め
るのが、ちょっと怖い。でも否定も出来ない。これが俺だから。
「ありがとな」
宇宙がさらりと言った。あ、そこに虫がいる、みたいな自然さで。
「有難いよ、牧田」
牧田が瞬きして、絶句する。俺は宇宙の顔を見、それから牧田の顔を見た。俺もあり
がとうと言いたくなった。
「ありがと、牧田」
言ってから照れた。畜生、恥ずかしい。俺、高三男子だぞ。青臭いことなんていいた
くないお年頃じゃんか。
「あ、俺、よ、ヨーグルト購買でか、買ってこよ」
「俺のもついでによろしく」
「うう、うん」
顔を赤くしながらそそくさと背中を向けた俺に、笑いを含んだ声で宇宙が言った。
「お前も、ありがとな」
恥ずかしすぎて、早足になった。
145 :ナガ:2008/04/13(日) 21:43:20.92 ID:0mGoxFoR0
購買で二つヨーグルトを買うと、購買のヨシコちゃんが「いつもありがとね」と笑ってくれた。ヨシコちゃんは可愛いと思う。他の女の子だって可愛いし、牧田だって勿論可愛い。
だけど、俺が高校二年生のときに恋をしてしまったのは、男だった。
男には興味がない。だから、何故、三上のことを好きになったのかわからない。どこを、なぜ。そう考えて考えて、答えは出ない。
高校を卒業したらどうせ進路も別れるだろうし、あまり仲が良くないからこの片思いは勝手に消滅すると信じきっていた。あのとき、三上に触れることさえなければ、俺はまだ三上が好きで、死にてえと思いながらも想い続けていたかもしれない。
文化祭の後片付けのときだった。
ダンボールを片付けていた俺は、何度も教室とゴミ捨て場の往復が嫌で、大量にダンボールを手にして階段を降りていた。そして、足を滑らせた。
うわ、落ちるわこれ。
冷静に思った俺は思わず目を閉じた。背中が冷えた。
そのとき、誰かが俺の腕を力いっぱい引っ張った。俺は後ろに倒れ、手からはダンボールが大量に落ちていった。誰かの肉体を下敷きにし、天井を呆然と眺めていた俺の後ろで、誰かが呻いた。
「く、るし」
「ごめん!」
慌てて体を起こし離れ、相手を見た俺は硬直した。心臓だけがはしゃいだ。
「みかみ、くん」
「あぶねーな。大丈夫かよ」
「あ、うん。ありがと」
三上の額にかかる前髪が埃で汚れていた。ダンボールについていた埃がついたんだと、とっさに額に手を伸ばしてしまった。それが大きな間違いだった。
触れた三上の額は、温かくて、愛しくて、俺はまた硬直した。三上の手が振り払ったのは一秒も経たないときだった。
「き、きしょい」
「ごめ、ごめん。ほ、埃が」
ついていた、と言おうとしただけだったのに、三上は俺を怪物でも見るような目で見た。
「お前、なんなの?」
「ご、ごめん」
148 :ナガ:2008/04/13(日) 22:05:36.70 ID:0mGoxFoR0
それから、三上の俺を見る目ががらりと変わった。
俺のことなんか眼中に無かった男は、俺を見て顔をしかめることが多くなった。すれ違うたび、「きしょ」「きもい」と言われるようになった。でも、耳にしなかったふりをすればいいと思っていた。
ある日、廊下で三上とすれ違った。いつもと違っていたのは、人がいない放課後で、俺はジャージで、三上が制服だったということだった。
ジャージの上から手首をつかまれたと思ったら、そのまま空き教室に引き摺られた。混乱していて、まともに抵抗が出来なかった。今も、あの手首の痛みを覚えているくらい、強烈な痛みだった。
俺を空き教室の壁に押し付けた三上は俺の頬を叩いた。何度も叩いて、叩いて、自慰をしろと迫った。
逃げようとしたら、腹を蹴られた。サッカー部員である三上の蹴りは強烈で、腹が破裂するかと思った。
しゃがみこんで呻く俺に、三上は吐き捨てた。
「しろよ。俺のこと好きなんだろ、ホモ野郎」
ホモじゃない、俺はお前が好きなだけ。
そう言いたかったが、痛みで咳き込んだだけだった。
「しろ」
「や、だ」
そう答えると、また蹴りが一発飛んできた。俺は見事に転がった。
死ぬ。駄目だ、死ぬ。
そう思ったとき、窓硝子が割れた。石が転がって、誰かが椅子を投げたんだと理解できたとき、割れていないほうの窓から宇宙がひょいとやってきた。
「こんばんわんこ。三上くん、ぶっ殺すよ」
笑うことも無く、普通の無表情で言った宇宙は俺の傍によると、俺の体を引き摺り上げた。
「殺すよ。殺されたいならおいで」
芝居がかったところも無く、脅しでもなさそうな響きだった。ただ、自分のことを相手に告げているだけ。そんな「殺すよ」だった。
「帰ろ」
呆然とする俺と三上をよそに、宇宙だけが能動的に動いていた。
気づけば俺は宇宙と一緒に教室に戻り、宇宙に着替えを手伝ってもらった。俺たち二人はファミレスに一晩中居た。そのあいだ、ずっと宇宙は俺の傍にいてくれた。それが救いとなった。
150 :ナガ:2008/04/13(日) 22:24:20.93 ID:0mGoxFoR0
冬には、俺は隣の隣のクラスに行くことが多くなった。そこには宇宙がいて、俺は彼の傍にいるだけで安堵した。
そのうち、宇宙と同じクラスの牧田が加わり、三人でだらだらと過ごすことが多くなった。
宇宙の体に刺青が彫ってあることに気づいたのもその頃で、なんとなく三人共通の秘密、になった。
クラスで生きていくことは辛かった。耳を塞ぎ、貝のように過ごした。痛みも忘れたふりをした。
三上は、俺をいないものとして扱った。だけど、時々視線を感じたのは自意識過剰ではないと思う。三上の視線は、痛くて、怖かった。
高三になり、宇宙と牧田が同じクラスになったことに安堵した。三上と三上の彼女が一緒だったのはキツイと思ったが、我慢した。三上の彼女を発端に「ホモ」とひそひそ言われるようになったが、一度宇宙がドアを蹴り壊してからぴたりと止まった。
時々、牧田みたいに女になればこんなことにはならなかったんだろうかと思ったときもある。だけど、俺は男で、もう童貞じゃないから「もしも」は考えないようにした。
ヨーグルトを二つ持って階段を上がると、三上が居た。身をすくませ、恐る恐る通り抜けると、「おい」と声をかけられた。
思わず止まり、振り返ると三上の目が俺を見た。死ぬかと思った。
「…ゆかと別れたから」
「は?」
三上の彼女、鈴木ゆかさん。可愛くて、ギャルで、性格は悪い。でも、仲がよさそうだったのに。いや、なんで俺に報告?
「あの、意味がよくわからな、いんですけど。な、なんで、俺に言うの?」
「お前、中二病と付き合うの?」
「は?い、いや、違いますけど…」
なんで、俺の問いに答えてくれないんだろう。やっぱり、三上は怖い。
「牧田と付き合うの?」
「い、いや、違います」
「じゃあ、誰と付き合うの?」
「え、誰だろ…」
156 :ナガ:2008/04/13(日) 23:19:32.23 ID:0mGoxFoR0
誰と付き合うんだろう。
誰と?
そもそも、なんで付き合うことすら考えたことも無い。
「あ、あの、俺、教室、帰りたいし」
三上は無言で俺を見ているだけだった。目を逸らし、笑う。
「あ、あの。俺、三上君に迷惑かけたの、謝る。ごめんなさい。あ、と」
もう、好きじゃないから、赦してください。
そう言った俺の声は震えていて、みっともなさに死にそうだった。
なんで世界って破滅しないの?
牧田の声が頭に響いた。そうだね、なんで破滅しないんだろう。
「なぁ」
「は、い」
「お前、童貞?」
「いや、あの、違います」
「俺は童貞だから」
「え」
三上に視線を戻すと、三上が口を開いた。
「待てるなら、待っててくれよ。俺、女になったら、お前と、付き合いたいから」
呆然と立ち尽くした俺を置いて、三上は歩いていってしまった。
158 :ナガ:2008/04/13(日) 23:25:34.01 ID:0mGoxFoR0
教室に戻ると、牧田が「おっそーいダーリン!」とふざけ、宇宙が「おかえり」とヨーグルトと引き換えに俺の掌に小銭を渡した。
「遅かったな」
「うん」
生返事をし、席に座った。机に突っ伏し、小さくなる。一体、何で三上はあんなことを言ったんだろう。
「世界、破滅しないかな」
そうしたら、何も考えなくて済むのに。
宇宙の笑い声が聞こえた。
「俺が破滅させてやろうか?頑張れば出来るかもな」
「がんばってよ、宇宙」
牧田が弾んだ声で言う。
「がんばって破滅させてよ」
俺は二人の会話を聞きながら、明日世界は破滅するかもしれない、と思った。
俺の世界は破滅して、それからまた新しい世界が構築されて、生きていくのかもしれない。
そう思ったら、刺青を彫りたくなった。
手首の痛みを忘れられるような痛い刺青が、欲しくなった。
終わり。
最終更新:2008年09月04日 17:22