安価『耳掃除』

「…………なあ」
「んー?」
 ニヤニヤしながら下から見上げてくる視線が非常に鬱陶しい。しかしながら、今の俺はそれに文句をつけられる立場ではない事も理解しているつもりだ。

 だが、だが――――

「……本当にこれじゃないといかんのか? なんならあれだぞ、大負けに負けて『学食のカツカレー唐揚げ付き、食券もパシる』とかでもいいんだぞ? っつーかそれで手を打て。後生だ」
 これが俺達の中でどれだけ大きな譲歩なのか、こいつにだって判る筈だ。
 それは転じて俺がどれだけテンパっているかを如実に表している。情けないが、正直ちょっと泣きそうだ。
 流石に我が竹馬の友たる下のこいつもそれを少しは察したか、考える素振りを見せる。
「……それは確かに魅力的な提案だな」
「だろ!? じゃあそれで手を――――」

「だが断る」
「――オイ」
 ……少しでも期待した俺が阿呆だった。こいつはこういう奴である。

「今までだって特例を認めた事は全くないし、お互いに本気で無理だと思った義務を課した事はなかっただろう?」
「う、いや、そりゃそうだが……」
「ましてや今からの行為がお前に及ぼす損害があるか?」
「う、ぐ……いや、しかし一寸の俺にも五分のプライドが……」
「最早益体の欠片も残ってないそんなプライドはシュレッダーにかけて焼き芋しちまえ」
「……うう……言葉の暴力は立派なイジメだと思うんだ……」
「愛故の鞭だと思えば痛くない。大体これは俺達の共通の夢じゃなかったか? 熱く語り合ったうだるように暑い夏の午後は俺の幻想だったのか」
「うるへーボケ」
「小学生かお前は」



 俺の最後の足掻きを、何の躊躇いもなく冷たい目で見上げて斬り捨てる親友。
 先生、本当に泣きたくなってきました。いやそりゃそんな事を語り合った日もあったさ? だがそれは――
「される側なら何も問題はなかったのに……」
「つべこべ言うな。俺勝者。お前敗者。ドゥーユーアンダスタン?」
 びしり、びしりと人差し指で自分と俺を指すイジメっ子。最早その目に情けは残っていない。こいつの前世は絶対にアウシュビッツの監守辺りに違いないと心から思う。


「……あーいしー…………何故膝枕中の相手からこうも苛められなければならんのだ、俺は……」
「ここまで来ておいてまだお前がブチブチと口からクソを垂れるからだドアホウ。男なら男らしく覚悟決めて耳掻きを、女なら女らしくはにかみつつ耳掻きを始めろ。ちなみに個人的にははにかみ希望だ。答えは『はい』か『イェッサー!』以外認めない」
「……なんならあまり必要なさそうなその白い膜を丸ごと掻き出してやろうか貴様」
「御免被る。あまり激しいプレイは趣味じゃない、相手が親友の美少女とは言えな」
「美少女言うなバカ」
 ……昼休みの屋上。膝枕で交わされる男女の会話は意外とこんなもんだったりして、非常にアホらしいもんである。



 何故こんな事になっているかと思えば答えは簡単だ。
 予防のしそこねで俺が女になって一月程。男の頃から親友と幾度となく交わされていた戦い(今回はオセロ)に久々に、かつ女になってから初で臨んだ戦いに俺は敗れた。ただそれだけのよくある話である。
 件の親友が訳の判らん条件を出してこなければ、だが。

「……なあ?」

 うまい具合に日光を耳の奥まで届かせようと微調整を繰り返しながらなにげなく話かける。なんだかんだと周囲に人は殆どおらず、聞こえてくるのは精々グラウンドのざわめきと通る風の音程度。天気も快晴。ちょいと上を見上げれば真っ青もいいとこだ。
 周りにいる奴はちらちらとこちらを眺めているだけで、音源にはなっていない。…………晒し者……いや、やめよう。
「……んー?」
 顔面を俺の腹側に沈めながら、くぐもった声で答える親友。まあ一応女とは言え、正直恥ずかしがるような仲でも性格でもないので別に構わない。夢が叶って少し羨ましいのは事実だが。

 ようやくいい角度を見つけて、注意深く耳掻きの先端を差し入れた。俺と違いしっかり男を保ったイケメン君は、耳の形も整っているようで軽く嫉妬。

 男としてか、女としてかは判らないけど。


「あのさー」
「んー」
 気持ちよさそうな間延び声だ。クソ。こっちは伸びた髪が風に靡いて一々かき上げ直してるっつーのに。
 全く涙ぐましい俺である。色々と。

「……なんで俺にこんな事させてんー?」

 ビクリと、一瞬膝の上の頭が反応する。


「おっと、危ねーからあんま動くなマヌケ」
「………………」
 普段あれだけ雄弁な癖に、軽口に答える事もなくスカートに顔を強く埋める親友。俺だって一度そんな経験したいっつーのに羨ましい限りだ。


 こしょこしょ、と目に付いた耳垢を剥してはポイと捨て。……全く、判りやすい奴は耳垢も判りやすい場所にあるんだろうか?


「……あのさー」
「…………んー」
 グリグリ、と更に顔を強く埋めるバカ一人。動くなっつってるだろうに。

「……俺、男として扱え、っていつも言ってるよなー?」
「………………」
 ……返答無し。こんなに女扱いのぞんざいな奴が未だ男とは、随分世の中は不条理だ。

「……おーい」
「………………」
 こしょこしょ。
「お、大物を深部に発見。ちっと動くな」
「……んー」
「……起きてるじゃねーか」
「…………」
「……ま、いいけど」

 流石に抵抗著しく一時撤退。風に煽られて鬱陶しくなってきた髪をかき上げ再度アタック。いっそもう少し伸ばそうか。その方が面倒はないかもな。……誰かさんも長い黒髪について熱く語っていたし。

 ごそ、ごそ。
「イテ」
「我慢しろ。改革に痛みは付き物なんだから」
「……阿呆」
「そりゃわるぅござんした」


 ごそり。
「っ……!」
「オーケ、取れた。見るか? すげぇぞ」
「要らん」
「左様ですか御主人様」

 渋々ながらポイと捨てると耳掻きをひっくり返して、ポンポン綿毛を突っ込んでやる。これが一番の至福だと俺は思うのだが如何なものか。というか万人共通だと信じてやまない。

「……おぉぅ」
「……やっぱお前バカだろ?」
「……ならお前はこの至福の一時を甘受せずにいられるというのか? いやいられまい。はぅあ」
「……まあ否定はしないが」
 顔はあまりよく見えないが、取り敢えずウットリしているのだけは痛い程判る。イケメンがなまらウットリしていると非常にキモい。ギャップ的にブサより酷い。


 グルグルと回し、軽く払うと完了である。初めてながらなかなか上手く出来たものだ、流石俺。
「うし出来た。そら、反対やるからゴロンとひっくり返れ。豚の如く」
 終わったと宣言したのにぴくりとも動かないバカに、ペシと軽く即頭部をはたく。
「…………」
「……おーい」
 ……動かん。
「…………」
「……動け、何故動かんジ・○!」

 ぴくりとも反応しない馬鹿が一人。
 ……うわ、スルーかよ。ボケを流す行為は或る意味悪態より人の心を傷付けると思うんだ。

 ……ふぅ、と溜め息を一つついた。

「――あーもう、時間は有限なんだからテキパキ動けよ。動かんなら力づくでいくぞ、そ――――」
 持ち上げようと頭にかけた手を。
「……なあ」
 ガチリと掴まれる。



「……どうかしたか?」
 ここで聞き返す辺り、俺の性格も決して良くはないかもしれない。

「あのな」
「おう」
 掴みながら、笑える程真摯なまなざしを向けてくる『親友』。膝枕の上からだと言うのに、まあ随分な迫力だ。

「以前話したと思うが、女の髪をかき上げる仕草は素晴らしい魅惑とエロスに包まれていると思っているんだが」
「ああ、その意見には概ね同意するな」
 また風が髪を遊ばせて、掴まれていない左手で渋々髪をかき上げる。

「ついでに主張するが、俺は黒髪ロングストレートを死ぬ程愛している」
「いや時代はツインテだろう。金髪か黒髪かは選り好みしないけどな。銀髪もあり」
 覗き込むようにした為か、長い髪の先が『親友』の顔に当たって少しこそばゆそうである。

「……これは羞恥プレイか?」
「壊そうとしてるのはお前だろうバカ。頑張れ男の子、俺は知らん。まあ随分頬を赤く染めちゃってこの子ったら」
「都合のいい時ばかり女ヅラを……」
「え、ぼかぁ元より女っすよ?」
「……気色、悪かったりしないか?」
「一応女になった時点で精神はそこそこ女側に引き摺られるように出来てるみたいだな。人体の神秘」
「……っつーか、いいのか? 俺で、とかその他諸々の含意で問うが」
「何が?」


 白々しく問うた直後、膝から重みが消える。

 フワリと、風が吹いて。髪が靡いて。

 触れたか触れないかは、どうにもガサツな俺には判断がつかない程度。

「……まだ惚けんのか?」
 下にある赤い顔についニヤニヤしてしまう訳だが。
「さてねぇ、私はどーにもニブいからねぇ、アキラちゃんが言葉に出来ない事が何なのかイマイチ判らないんだぜ? ウフフフフ」
「気色悪いぞ変態。――――こんな羞恥プレイを……一生の不覚」
「まあそこそこ一生もんだぜ? こっちとしても」
「………………」

 小っ恥ずかしい事をまあこいつは堂々とブツブツ云々、と口の中で呟く親友は、おそらくこれから見る事も殆ど無いだろう程うろたえていて非常に面白過ぎる。いやガチで。思わずクケケケケと笑いが漏れる程。


 ひとしきり呟いた後、こちらを見上げる眼はまあまたもや馬鹿らしい程真摯で。



 目下の『親友』は丁度今、『親友』としての最後の言葉を口にしようとしていた。


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最終更新:2008年09月06日 22:17
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