長期休暇明け。未だ夏の匂いの消えない朝。
「…………どーも」
クラスに入って開口1番、ざわ……とさざめき立つ見慣れたクラスメイト達。
「ゴホン、あー静粛に静粛に」
それを咳ばらいして窘めると、再びクラス内に静寂が戻った。
横を見れば、クラス担任の佐藤先生が困った顔で、目線で自己紹介を促している。新任の女教師には確かに荷が重い場面だろう。
そこで私は、いつも通りらしく挨拶する事にした。
「テヘッ、この度不覚にも可愛い可愛い女の子になってしまった加藤翔太、改め翔子です! 判らない事だらけで大変だけどみんな、よろしくねッ♪」
「――――――」
刹那の静寂。
「――う、うわああああああッ!」
「ヒッ!」
「あら♪」
――それが過ぎ去った瞬間、そこは阿鼻叫喚の地獄絵図だった。
「嘘だ……嘘だ嘘だ嘘だああああァァァッ!」
「いやだ、俺はいやなんだああああァァァッ!」
「僕は悪くない、僕は悪くないんだッ――――!」
「思い出を、ひと夏の甘酸っぱい青春の一頁を返せぇぇぇっ!」
「カトォォォォォォッ!」
「……お、姉、様…………アハハッ、アハハハハッ!」
「静流ちゃんしっかりッ! クッ、ダメ――メディック、メディーック!」
「幻想……あれは全て幻……」
「な、なんなのよー……ヒック、グスッ」
「大丈夫ですか先生? 大丈夫、すぐ収まりますから♪」
眼前のカオスに驚き、尻餅をついて涙目の先生を助け起こす。
と、視界の端に教室の後ろの方からつかつかと歩いてくる影があった。
「やー俊樹、久しぶりだねー」
「……よう翔太、お前が女体化のショックで失踪しますだのと手紙を寄越して今日で何日だったっけか?」
久しぶりの泣く子も黙る三白眼が、刺し殺さんとするような光を帯びて私の目を貫く。
なので、満面の笑顔でそれを見返した。
「いやーだって俊樹に会ったら俺だとばれたろうし、俊樹だったら俺の親見たらそれが嘘だって判ったろうし、そのつてで他の連中にばれるかもしれなかったし
今年の夏はあんまり遊ぶ余裕もなかったし? いやー様々な20の恋の経験、ご馳走様でした、合掌」
俊樹の後ろの方でまた阿鼻叫喚が始まった気がするが気にしない。
と、俊樹の拳が震えている事に気が付き、意地悪くニヤリと笑った。
「……テメェ」
「なにー俊樹妬いてんのかい? 自分の所に私が来なかったからって――」
その瞬間、教室に響いた鈍い音が、狂乱をぴたりと止めた。
その音が何か一瞬考え、後頭部の痛みに自分が黒板に叩き付けられたのだと気付く。
肩を強く押さえ付ける手。
眼前には恐ろしい形相をした鬼の姿。
「……と、俊樹?」
「…………いい加減にしろよ、クソが」
どう見ても、俊樹はキレていた。
……え、何でこの人こんな怒ってるんですか? もしかして失踪本気にしてたんですか?
予想外の展開に頭がグルグルと回り、ただ呆然と目の前の俊樹の顔を見つめる。
「……街で、見かけた」
「え…………?」
真摯にこちらを見詰める瞳に、ぶつかった。
「一目でお前だって事くらい判った。元々危なかったのは知ってたしな。
――気に食わなかった」
「――へ?」
「俺に女体化した事すら知らせず、他の連中と楽しそうに、恥ずかしそうに歩いてるのを見た瞬間はらわたが煮え繰り返った。悩んで、悩んで、連絡しようにも出来なくて。
だからこそ、何でこんな気分になるのか素直に考えた」
「俊、樹……?」
そして気付く。
数センチ先にある、酷く真面目な顔。
「お前は、そんな気はないのかもしれない」
「あ……」
近付く。近付いてくるのか、近付いてゆくのかは自分でも判らない。
だから。
「それでも、俺は、お前が――」
判らないから、目をつむった。
「愛理ちゃんに何さらすんじゃボキャア!」
「もう悠那さんが加藤でも構わない! 貴様に抜け駆けはさせん!」
「……あれはあれでありかもしれなかったけど、やっぱり嫌なの!」
……再び目を開いた私が見た物は、阿鼻叫喚から回復したクラスメートにフクロにされる俊樹の姿だったのだが。
最終更新:2008年09月06日 22:31