文化祭を間近に控えたある日。俺達はこれまでのように二人、放課後の誰もいない教室で文化祭に披露するコントの練習をしていた。
のだが。
「ああそうそう……ってんなことある――かぁい♪」
「あんっっじゃそらこんボケがあぁぁッ!」
「おごぅおっ!? お、おれッ、おれッ!」
胸に謎の軟着陸を遂げる腕を全力でキメにかかる。俺達がやるのは逆ギレコントじゃない筈なんだが。
「この腕は何か!? 昨日から今日にかけてツッコミどころか箸も持てんようなハリボテに変わったのか!? そんなゴミは折れ! 折ってしまえ!」
「すとッ、ちょっ、折れる、ほんとに折れる!」
「……チッ」
間接の軋むような感触を腕に感じて、仕方なく解放してやる。まあ肩を抑えて机を転がる冬木の姿を見てちと鬱憤が晴れたのでよしとしよう。
「……つーか、ほんとお前何やってんだ? さすがにもう文化祭まで後少しだし、ふざけていられる時間もないんだぞ?」
「んなこと判ってるけどよ……」
机の横に仁王立ちしたまま白い目でのたうつ様を見下ろしていると、何やら挙動不審に視線をさ迷わせる冬木。
「ん?」
その視線を追ってみて――
ヒント:机と腰の高さは同じくらい
ガゴン!と冬木の頭の1センチ程横に上履きの踵をたたき落とした。
「…………えぇっと、あのぅ……」
「なあ」
「ハヒッ!」
満面の笑みで笑いかけつつ、机を踏みにじるように足に力をこめる。
「そんなに俺のパンツが気になるか? あ?」
「いや、あのぅそんな格好をすると余計にごぶっ」
「なあ喧嘩売ってんのか? メロスの物真似でーすっつって経堂駅前のコンビニに身ぐるみ剥いで捨ててやろうか? まあ物真似だってお笑いの修業だと思えば辛くないよな?」
「いやあの、それ修業どころか文化祭までにシャバに戻ってこれなく」
「黙れ」
「へぶぅ」
口答えする邪魔な口を後頭部から掌でゴリゴリとすり潰す。ああ快感。
と、しばらくその肉を凌辱する感触を愉しんでいると。
「……っだああああッ!」
「うぉ!?」
甘んじてすり潰されていた肉の塊が突然跳ね起きた。
そのままツカツカツカと鬼のような形相で迫ってくる冬木。
「てめぇなあいい加減俺にだって我慢の限界があんぞ!」
「な、何言い掛かりを……」
冬木の突然の剣幕に思わずたじろいで後退る――と思ったら窓に頭をぶつけた。そのまま目の前まで来てガンッ!と窓に手をつく冬木。
何故だ、俺は何も悪い事はしていない。冬木の腑抜けっぷりに怒る権利はあっても怒られる理由はない筈だ。
これは説明のゆく納得を――
「だったらこうも堂々とパンツ見せてんじゃねぇよこのスポンジ頭ッ! テメェこれで俺がどんだけ自制してるか判ってんのか!?」
了解、その喧嘩買おう。
「す、スポッ……!? あんだこらやんのかテメェェェェッ!? 俺だってなあ、好きでこんな体になった訳じゃねぇよこの能無し野郎がァァァッ!」
「性的な意味ならいくらでも犯ってやんよこのクソビッチがァァッ! こちとら昨日からテメェのその頭からっぽの行動でムラムラしてんだよああッ!? 昨日の想像じゃないリアルのテメェの身体が今夜のオカズじゃゴラァァァッ!」
「知るかゴミがぶっ殺してやんよォォォッ!」
頭に血が昇った勢いのまま、いつものように俺はつかみ掛かり――
「……いや待て」
「あ?」
かけたところで、ふと冷静に今の言葉を吟味してみる。
顎に手を当て、よく考える事しばし。
「……ちょっといいっすか冬木さん?」
「………………なん、でしょうか……」
さては冷静になったのか、露骨に目をそらしながらダラダラと冷や汗を流す冬木さん。その態度がもはや答えているようなものだが。
「俺が女体化したのは一昨日でしたね。つまりボクが女なのはまだたった二日なんですよ冬木さん」
「……ああ、うん」
グイ、と襟元を掴んで引き寄せる。が、まだ頑なに横を向く容疑者。
「……ちなみに冬木さん」
「……はい」
「昨日の夜は何をオカズに」
「退避ィィッ!」
「ちょっ!」
胸を突き放して逃走をはかった容疑者の腕をそのままガッチリと抱え込む。
「イヤアアアッ! やらかい! やらかい感触が俺の腕を犯そうとしてる!? 離して、離してよ、誰か、誰かァァッ!」
「意味わかんねぇ!?」
そのまま拮抗した揚句、しばらく引っ張り合ったのち。
「……判った、判ったからもう勘弁して下さい……」
ようやく冬木容疑者は折れた。
「つまり容疑者は、一日前まで友人だった人間に一目惚れした揚句その日のうちに妄想の中でこれでもかという程」「もう勘弁して下さい刑事さん……オレ、これ以上喋ったらもうホント死ぬしかないんです……」
机に伏せたまま動かなくなった冬木を冷たい目で一瞥する。
「まあお前より文化祭のコントの成功の方が大事だし」
「ひでぇ、ひでぇよ……」
泣き崩れる容疑者。ちょっと面白いとか思うのは俺の性格が悪い訳じゃないと思う。
「……でツッコミが出来なくなったのはつまり?」
「……これで胸なんか触ったら、俺はもう…………うわああああっ! もう勘弁してくれよぉぉぉっ!」
「……ハァ…………」
頭を抱えたままほとんどマジ泣きすら交じり始めた哀れな男の姿に、思わず深くため息をつく。……全く、いつかこいつは犯罪者になるとは思っていたが、俺にまで迷惑が及ぶとは思わなんだ。
……背に腹は代えられない。ここはきっと俺が、身を持って正してやるしかないのだろう。
放課後も随分過ぎた。もうそうそう人は来ない、と思う。
「……お、おい犯罪者」
「……うう」
「呻いてないでちょっと顔上げろ」
「……なんですか刑事さ…………………ん?」
――顔を上げた姿勢のまま硬直したその目にはおそらく、制服のリボンを解いてブラウスのボタンを外している美少女の姿が映っている筈だ。表情は出来る限り冷静にしている……つもり、だ。
「さ、触るのが辛いなら慣れちまえばもうツッコム程度は問題なくなるだろ? い、いやまあ自分で言うのも何だが、俺のはまあ、たいしたもんじゃなひ、あ、いや、ないんだが……」
「…………」
……あまりの無反応に、逆に動揺して二つ目のボタンを何故かはめ直してしまった。やっぱり変か、この体はどっか変なのか。
リアルの女を知らない身としては困る、その反応は非常に困る。
「……あ、い、いや、どうせ数日前までは男だったんだし、気持ち悪かったり重かったり嫌だったらほんとべつに――」
「い、いやじゃない!」
慌ててボタンを戻そうとした手を掴まれて――
「あ……」
「う……」
必然的に、軽くだがそこに触れる手。
「…………」
「…………」
予期していなかったせいで咄嗟に予定していた言葉が出ず、居心地の悪い沈黙が流れる。
「……だ、だからもうお前は、ここまでやらせんなと……」
仕方なく、取り繕うように冬木の手を取り――
「ほ、ほれ……」
「――――ッ!?」
強く、ソコに押し付けようと――
「――――ご、御免したーーーーっ!」
「……ハイ?」
したところで、この期に及んで犯罪者は逃げ出した。
ドンガラガッシャンと机の群れを蹴散らしながら豪快に閉められた扉。
「…………ふ」
ポカンとその惨状を見ていた俺の顔はさぞ間抜けだったろうが、さすがにいつまでもそうしている訳にもいかなかったので。
「――ふ、ふっざけんなああァァァァッ!」
とりあえず、冬木の机をぶっ飛ばした。
「おーいどしたー?」
「うぇ!? いやなんでもないっす!」
「……そか。女体化しちまってやってられん気持ちは判るが、あんまり物に当たるなよ? じゃあ俺は帰るからな」
「お疲れ様っした!」
この惨状を目にして何も言わないウチの担任は、きっと凄くいい人だと思う。
「……ハァァァァァァ…………」
……なんか色々とどうでもよくなって、窓際の自分の席に突っ伏した。
ぶわさと上からのしかかってくる長くなった髪を、指でぐるぐる巻き取ってみる。なんだかちょっとおいしそうだ。そんな感想を抱くくらいどうでもいい感じだ。
というか、何で俺はこんなに落ち込んでんだろうか。全く女はよく判らん、童貞に理解するには荷が重いぜ。
ふと外を見れば、案の定そこにあるのは脇目もふらず校門へと突っ走っている冬木の姿。
「……結局練習出来てねぇじゃねーか……しね、この甲斐性無し」
思わず呟いて、その背に一つ中指を立てた。
これが夫婦漫才なんて囃し立てられるのは、まだ後の話だ。
最終更新:2008年09月06日 22:40