本日は晴天なり波高し。いや波知らんけど。
僕のお気に入りであるここからの景色も、近くの公園の葉が落ちたおかげで更に見通しが良くなっていい気分――
の、筈なのに。
「グスン」
「……いや今時、声出して『グスン』って……」
「なんだお前僕のやる事にケチつけようってのかよ!?」
「いやいきなり逆ギレすんな!? ちょ、落ちる、マジで落ちる!」
「……ふん」
その発言にここがどこかはたと気付き、渋々手を離す。葛谷の方は少し本気で顔を青くしていたけれど、むしろいい薬だ。
そしてまたそっぽを向いて体育座りを始める僕に、隣から少し困ったよう溜め息が聞こえて来た。ちくしょう、そんならとっととどっか行けばいいのに。
くそう、非童貞がそんなに偉いのか。むしろこんなやつに童貞扱いされるなんて屈辱、17年近く生きて来て味わった事がない。
……だがたとえ信じたくなくとも、僕より誕生日の早い葛谷が女体化していないのは紛れも無い事実だ。
それどころか一度、こいつが女を家に上げている決定的瞬間まで目にした事がある以上、間違いなくある点においてこいつは僕の屍を踏み越えた。人生とはなんと無情だろう。
もうやだ泣きそうだけど泣かない、だって男の子だもん。ちょっと目頭が熱くなったのはお尻の下の瓦が冷たいからだもん。ふん。
綺麗に晴れた冬の空。風が抜けて手足が少しかじかむこんな屋根の上で、男二人……じゃなくて今は男一人女一人なんだけど、認めたくない若さ故の過ちがあったもので。
そんな訳で女体化してしまってから初の休日を迎えた僕は、ただいま絶賛いじけ中なのである。
「つーか、お前寒くないのか? いくら長いっつってもそんなスカート一枚で」
「寒くないもん。ダッフルコートでカバーしてるもん。中だって完全に防寒してるもん」
「……まあ、そんならいいけど」
そちらにちらりとも目もくれてやらず、更にダッフルコートの襟に埋もれていく僕。……別にふて腐れている訳じゃない。防寒の為なのだ。なんだその困ったような仕草。ぽりぽり後ろ頭とか掻いてんじゃねぇ、落とすぞ。
……い、いや別に葛谷の事なんか気にしてないし見てもいないから今のは全部雰囲気から感じた想像だ。僕はこの抜けるような綺麗な景色に傷心を癒しているだけなのだ。というか何で言い訳してるんだ僕。
「まったく……」
「ななななんだよっ!? なんか僕に文句あるのかよ!?」
「いやだからなんでキレてんのお前!? ちょ、だから落ちるから襟首を掴むな!」
「……ふん!」
ぽいと離せば、一瞬たたらを踏みつつまた10センチくらい隣まで戻って来る葛谷。ちくしょうそのままどっか行けばいいのに。
大体、だ。
「……そもそも、お前は何でここにいるのさ」
「だから暇だから、と最初に行ったろ」
そんな事を飄々と首を竦めて言い放つ葛谷に思わずムカッ腹が立つ。ちくしょう、僕がこんなにへこんでいるというのにヘラヘラしやがって。
ダッフルコートに沈めた首をぐるりと回して睨みつける。
「ここは僕の家だぞ、なんなら出ていって貰ってもいいんだぞ」
「ならそこの向かいの屋根でこっちを見てるが、それでもいいんだな?」
向かいの家=葛谷の家
ちなみに真向かい。
「……ここでいい」
「身にあまる光栄にござります」
「バカ、死ね」
「へーへー」
……別に目が合うのが嫌なだけだ。隣にいてもらえるとホッとするだとか、そんな事は断じてない。仕方なくなのだ。
そのまま言葉もなく、たまに吹き抜ける冷たい風が長くなってしまった腰までの髪をなびかせる。
ピーチクパーチク、と雀がちょっと上の電線に乗って鳴いている。
特に言葉を交わさなくても居心地が悪いだとか間がもたないだとか、そんな事もなくて。
……まあ、それは悪い気分じゃない。
「……っ…………」
「ん?」
「……なんでもない」
流石に冷えて来てしまったのか、ブルリと一瞬震えてしまった体をごまかす。いや、別に降りようとか言われるのが嫌だとか、こうしていられなくなるのが嫌だとかそういう訳じゃなくて……だからなんで言い訳をしているんだ僕は。だから本当にそんなんじゃなくて――
「……ほれ」
「ふぇ?」
突然首元、というより頭に乗った、に近い感触を感じてひょっこりと首を出す。
「え、ちょ?」
「ぐだぐだ言うな」
そこを狙ったかのように、更に柔らかくてあったかい何かがグルグルと巻き付けられた。
「……マフラー?」
しかも女物。
「何これ?」
うろんな目でそちらを見れば、そこには何やら目を泳がして鼻の頭をかく葛谷の姿。コート懐が薄くなったところを見ると、初めからこれが入っていたらしい。
「……あー、誕生日プレゼント?」
「……誰の?」
「司馬の?」
つまり僕の?
ちなみに当然のように、誕生日=女体化した日、な訳だ。
「……遅いし」
「いやまあ、タイミングが悪かった」
「つーか嫌がらせ?」
「なぜに!?」
ふむ、この反応からすると本当に女体化した友人への嫌味だとかそんなつもりもないらしい。……うーむ、困った奴だ。これは友人として僕が忠告してやる必要がある。
「……うーん…………」
「な、なんだよ、嫌なら返せよ」
どう切り出したものかと、マフラーの先っちょを弄りながら思案する。
「……うん、別に嬉しくない訳じゃないんだけどね」
「な、ならいいじゃねーか、グダグダ言わずに――」
「そーじゃなくて」
少しだけ、言い淀む。
……ちくしょう、やっぱりどっか行けばいいのに。腹立つ。何が腹立つって
今までは妬ましかっただけのこの事実が。
「彼女いるんだから、こういう『残る』プレゼントはあんまり女にホイホイ渡しちゃダメ、ってこと」
……なんでこんな、口に出すだけで胸がチクリと痛むのか。
軽く口にしただけで、困ったように笑っている自分を自覚する。
身を切られるようとか、焦がすようとかそんな程度にすら育たず、燻るコレは、あまり自覚したくないのに。
そんな胸中を察する筈もなく、驚いたような顔で葛谷はこちらを見ている。困った奴だ。
「全く……その程度驚かなくても気付くって。ご近所の腐れ縁をなんだと思ってるんだお前は? 大体――」
「ちょちょちょ、ストップ」
「……? なにさ」
「いや、まあ、なんだ……」
制しておいて言い辛そうに口の中でゴニョゴニョ呟く葛谷を、不思議な気分で眺める
なんだ?突然図星をつかれたと言ったって、そんなにうろたえなくとも
「なんかよく判らんし、改めて言うのは悲しいが」
「うん」
「……俺、彼女いたことないが」
「………………」
無言で全力デコピンをぶっ放した。
「いってええええ!?」
「嘘をついてお母さんは悲しいぞ葛谷ああああぁぁっ!」
「何が!?」
「なら何でまだ男なんだよ!?」
「偶然だ!」
「だったら連れ込んでたあの子はどこん子だテメェ!?」
「いつの話だよ!?」
「11月くらいだ!」
「……ああ、それ多分兄貴の奥さんじゃね? すっげーちっちゃく見えるだろ、あれ23だぜ? あんとき喧嘩してうち来たんだけどさ」
「なんだってええええぇぇ!?」
「いやテンションおかしいから」
「……マジ?」
「激マジ」
冷静に頷かれた。
……勘違いだったらしい。
パシ、掴んだ襟元からと手を離す。
「お?」
と思ったけどもういっぺん掴み直す。
「おお?」
そのままグイと引き寄せる。
「おおお?」
……ついでに、そのまま背中から胸の中へぽふりと収まった。
「よいしょ」
「ぐお」
ぐいと位置を調整して、しっかりと安定させる。
「……あーの、司馬さん?」
「何ですか亮さん」
「つかぬ事をお伺いしますが、これは一体なんですか?」
「…………寒いだけだ」
それだけ口にして、もそもそとマフラーの中に埋まった。あーあったけ。
……違う!違うぞ!?寒いだけだ!ほんとにそんだけなんだからな!?ついでにこのマフラーの気持ちがあったかいとかそんなこっぱずかしい事ちっとも思ってないんだからな!?言い訳じゃな
「……ならまあ、これでもうちょいあったかいか」
「うぶ」
自覚している言い訳をマフラーの中で繰り返す僕を、更に包み込んでくるあったかいけど少し骨っぽい何か。
「……少し飛び出してる耳がとても寒そうには見えない程赤いんだが」
「あああああああかくねえやいっ!」
勢いでマフラーを引き下ろし、ガバア、と背中越しに振り仰いで抗議
「ほら真っ赤」
「てめーも人のこといえんのかゴルァァァ!?」
「自分認めとるやん」
「がー認めるわけあるかボケェェェェッ! もう帰れ! お前帰れ!」
マフラーを覆面のようにずり上げ押さえつつ、飛びのいて断固抗議する。
ここまでの辱めを受けながら、なぜ僕がこんな謎の空気ひしめくこんな状態に甘んじなければならないのだ。いやさっきのはあれだ、一時の気の迷いだ。
というか断じて僕がやりたくてやったとかそんなんじゃない。神だ、大いなる意思の賜物だ。あれ?それって運命じゃね?そんな思考が浮かぶ僕よ死ね。
だと言うのに、
「ダメ、このままほっとくとお前絶対ここに座りっぱなしで風邪引くだろ」
赤らめたままの顔でちょっとカッコイイ事言う奴はもっと死ね。
「わかった! わかったから僕もすぐに降りるからせめて先に降りてくれ! つーかお前なんか頭おかしいんじゃねーの!?」
「いや、まあ、好きな奴の真意が判ればこんなもんじゃね?」
「おかしい! 絶対お前おかしいよ!」
「ついでに自覚が沸いたようなので言っとくが、俺が先にハシゴ降りると、お前の防寒毛糸パンツが丸見えなんだが」
「昇る時に見てんじゃねーようわああああん!」
ほんと、流石の僕もいじけそうだ。
最終更新:2008年09月06日 22:41