『桜はいつもそこにある』

 眩しい日差しが駅前ロータリーにそびえ立つ、妙な幾何学模様のオブジェの曲線に反射してキラキラと輝いている。
 その煌めきはまるで希望の欠片のようで、私の中の乙女ちっくはまるで熱核ジェットエンジンでも搭載されたようにノンストップだ。今の私はきっと空も飛べるどころかホバー移動だって出来る。

 休日という事もあってか人通りの多い道を、間を縫って私は駆けて行く。少しでも早く、オブジェの下のその場所へとたどり着く為に。
 視界に入ったそこにはいつものように沢山の人間が、おそらく様々な理由で、けれどあまり変わらない理由で集まっている。けれど関係ない。私の眼はもうその中の一人しか映していないのだから。
 暇そうに欠伸を噛み殺して、だというのにそれが明らかにポーズだと判るくらい緊張した表情で所在なげに立ち尽くすその姿に少し笑みが零れる。

 駆けてゆく。脇目も振らず。こちらに気付き、驚いたように目を見開くその人へと。
 そう、今の私は――

「……待った」
「大丈夫大丈夫、今来たところだから――」
 アリスだって裸足で逃げ出す、夢見る乙女なんだ――

 

「調子のんな」
「ぶげぶ」
 定番の振りが飛んで来たので答えたら、いきなり頬をがっぷり四つに組まれた。いやまあ組むというかあれだ、つねるってレベルじゃなくてあれだ、握り潰しにかかられた。
「今来たとか見れば判るだろ? な? 疑問形じゃなくて一時間遅れて来たお前さんに端的に現状を伝えた言葉だってわかるだろ? な?」
「ひ、ヒョークヒョーク! イッふメリへンヒョーク!」
「いや判るんだ、俺もな? こんな事に付き合ってくれるお前には凄く感謝してるしな、雰囲気出そうとしてくれた事はよく判るんだ。でもな? おかしいだろ? な? 逆だろ常識的に考えて?」
「ひゅまんほんほひゅまんっひぇ! あやみゃゆかや、あやみゃゆかや!」

 目の前の友人の笑顔が凄く眩しいよ母さん。オブジェの反射光かなきっと。

 


 俺の友人の村瀬は、だいぶ前からウチのクラスの小野田に身の程知らずにも懸想していた。だというのにこのチキン、自分から話し掛ける勇気もありゃしない。
 そこで一年から同じクラスで多少の会話の機会もあり、小野田と知り合い以上友達未満くらいの俺が何かと発破をかけて来る事幾星霜。
 途中で女体化してしまった事もあってすっかり仲良くなってしまった彼女とこのチキンを何かと引き合わせてやって、遂にデートに誘わせるところまで漕ぎ付けたのだ。
 ここまでには聞くも涙語るも涙の努力の物語があったのだが、まあいい。無粋な真似はやめよう。老兵は死なずただ消え去るのみだ。

 そういう訳で、今日わざわざ休日の貴重な睡眠時間まで削って出て来たのはおそらく最後になるであろうお節介の為。


 解放されてもまだヒリヒリする頬をさすりつつ、ジロリと村瀬を睨み付ける。
「さて、人の事をさんざ偉そうに抓った以上、前にレクチャーしてやった準備はもう完璧に頭に入ってんだろうな?」
「おうよ、行く場所も歩くルートも会話のネタも昼飯に選ぶメニューだってもうバッチリ仕込み済みだ」
「ようし、その言葉信じよう」
 自信に満ちた反応に満足し、俺は自然な流れで隣に回り込み、胸ポケットから紙切れを出してひらひらさせるその右手をホールドした。


「…………や、あの、日比野さん」
「はい」
「……つかぬ事をお聞きしますが、何やってるんですか?」
 予想外の展開だったのか、一瞬こちらを見下ろし硬直していた村瀬が強張った声で聞いてくるのが何だか面白い。
 ので、さも不思議そうなキョトンとした顔で問い返す。
「ん? いや、雰囲気出してこーかと。予行演習ってのは本番と同じ事するもんだし。
 まあ実際にはヘタレのお前にここまで要求するつもりはないけど、俺でこれくらいの事に慣れとけばいざ本番で手繋いだだけでぶっ倒れたりするこたーなくなるだろうし。なんか問題あるか?」
「…………とりあえずお前の中での俺像のヘタレ具合が一番の問題……」
「はいはい恥ずかしいでちゅねー。オラ、つべこべ言わず行くぞ!」
 取り合わずにグイグイと引っ張ろうとする俺に、頑迷に抵抗を続ける村瀬。その顔はヘタレらしく早くも真っ赤だ。――まあ理由は大体想像がつくけれども。
「ちょっ、あの、いや恥ずかしいとかいやそれもあるがそうでなくて!」
「胸が当たってる、とかな」

 

 ニヤリ、と笑いかける。ちなみに乙女ちっくとは程遠い邪悪なものだろう事は自覚している。
「さて、行こうか?」
「……承知」
 めっきり大人しくなった体を愉快な気分で引き連れ、俺は悠々駅へと歩き始めた。

 そんな訳で、今日は最後のお節介。
 まかり間違ってもデートなんぞではない、『来週の本番を控えた下見兼予行演習』に、人の良い俺が渋々付き合ってやる訳だ。

 

 

「しかし、いつ来ても思っちまうんだが」
「ああ」

 予想されている事とは言ってもやっぱり少し辟易して、俺は目の前に広がる光景に思わず溜め息をついた。
「なんてこのネズミの国は、いつ来ても人が沸いてんのかね……」
 その視界の左上から、少し苦笑の混じったような声が聞こえてくる。
「それでも『海』の方が出来てからは少し分散したみたいに聞いた気がするようなしないような」
「そういうはっきりしない物言いは減点。小野田はグイグイ引っ張っていける人が好きですとはっきり言ってたからな」
「……善処します」
「んむ、気張りたまえ」
 列をなすチケットブースへと歩きつつ、開いた右手で苦笑する村瀬の頬をペチペチ弾く。

「ところで」
「ん?」
「腕離さない?」
「空気読め」
「………………」

 

 みんなが知ってるアルファベット三文字な某テーマパークに辿り着けば、やはりそこはいつものような大混雑で迎えてくれた。本当に世の中には暇人ばっかりだと心から思ってしまう。自分を棚に上げるのは仕様です。
 本当に、たいした興味もないのにこんな場末の遊園地くんだりまで来なくてはならない我が身を思わず憐れんでしまいそうだ。
 人ゴミも厄介だし歩き回るのも面倒。隣にいるのは見てるだけで癒される美少女どころかむっさい男が一匹。このどこに楽しめる要素がある。


 ――だから、浮かれてなんかいない。

 当然だ、浮かれる要素なんかある筈がない。
 心に立つ波紋を、隠して、隠して、覆い隠して沈めきる。左腕に感じる温もりが無性に遠く、揺らめいて。

 ……そんな感傷じみた下らない妄想を首を振って吹き飛ばす。
 本当に、面倒なだけだ。馬鹿馬鹿しい。誰かに言い聞かせるように口の中だけでそっと呟く。

 ――だというのに、『私』の中の何かが囁いた。


 ――なら

 なら、なんで

 それが本当なら、なんで――


「……日比野?」
「ひゃぐっ!?」
 突然目の前で振られた手に思わず奇声を上げて飛び上がった。

 

「…………」
「な、なんだよ」
 ポケッと村瀬の顔を見上げると、何を考えたのかみるみる内に頬を赤くして村瀬はそっぽを向いてぼそぼそ喋りだす。

「そ、そりゃ別に俺とじゃたいして面白くもないだろうけどな……だからってそこまで面白くなさそうにされると、俺にも男のプライドってもんがだな……」
「……プライド?」
 一瞬よく理解出来なくて呟き、その瞬間に理解した。
 そうか、こいつの目の前に立ってるのは『女』なのか。姿形だけではない、認識としての『女』。
 少なくとも、こいつの中ではそういう事。


「…………っ」
「あ?」
 思わず何かが込み上げて。


「っぶわははははッ!」
 吹き出した。
「ちょっ、何でそこで笑う!?」
 突然笑い出した俺にあたふたする姿が無駄におかしくて更に腹を抱える。ヤバイ、ツボに入った。
「ひっふふっ、くふはははッ! だめっ、ちょっ、止まらっ、ヒッ、うわははははっ!」
「……あーもういい、一生そこで笑ってやがれ」
「あー待て待て待たれぃ、いやあれだ、これは別に君のナリが非常に滑稽だったとかそういうんじゃないんだ、うん。……ぶふっ」
 先に行こうとした村瀬をなんとか引き止めると、今度はその憮然とした表情がツボに――
「…………」
「あーんむっちゃんごめんよーおいてかないでよー」
「喧嘩売ってんのかテメェ!?」
「うん♪」
「…………」

 

 そうだ、多くは望まない。
「つーか腕離さないと離れる事も出来ないし?」
「なら離せ」
「や♪」
「…………」
 俺には、これだけで十分じゃないか。

 


 まあそんなこんなで
「ふはははッ! 俺がッ! 風だーッ!」
「ぬ、う…………!」
 サンダーなマウンテンに行ってみたり
「くはははッ! 今の私は! 阿修羅すら以下略ーッ!」
「う、ぐ…………!」
 スプラッシュなマウンテンに行ってみたり
「ぬはははッ! 模擬戦なんだよーッ!」
「ぐ、む…………!」
 タワーオブなテラーに行ってみたり

「んじゃもう一回サンダー」
「待て待て待て待て!」
 意気揚々ともう一回ファストパスを取りに向かおうとする俺を、何やら切羽詰まった声が引き止めた。

 

 引く腕に抵抗されて渋々振り返る。
「何さ、ちなみに他のに乗ろうとか却下な。残念ながら俺はもううぃにーざぷーじゃあ喜べなくなっちまったスレた女さ」
「個人的にはジャングルクルーズくらいはまだアリな気がするが……いやまあそれはよくて」
「ん?」
 てっきり音を上げたのかと思い見上げると、意外にも村瀬の顔色はそれほど疲れた雰囲気という訳でもない。ならなんだろうか?

 首をかしげる俺の前で、村瀬は何やらかしこまって咳ばらいをする。
「……あー、ごほん、『そ、そろそろお昼だし、ご飯でも食べようか。一応めぼしい所はチェックしてあるけど、何か食べたい物とかはあるかな?』」
「大根」
「……そこに行き着いた理由が凄く聞きたいんだが」
 まあこいつの小芝居はこの際放っておくとして、腕時計を覗くと確かにもういい時間だ。確かにこのフリ自体は、棒読みっぷりは別にしても中々気が効いているとは思う。
 ふむ。
 では村瀬さん、予定外のハプニングのお時間ですよ。


「……で、どうするんだよ」
「うーん、そうだね……何処かで食べるのもいいんだけど……」
 打って変わってぶっきらぼうに尋ねてくる村瀬に、わざとらしくしばし思案したのち。

 教えてやろう小僧。
「……あの、さ、実は私、お弁当作って来たんだ」
 小芝居ってのはこうやるもんだ。


「……だから折角なら、村瀬君に食べて欲しくて……駄目かな?」
 もじもじ、と恥ずかしそうに頬染めて俯く美少女ここに現臨。手には朝から仕込んでおいたバッグを主張するように少しだけ掲げているのだ。さあこうなるとその胸元の紙切れフローチャートは役に立たんぞ、どうする村瀬!


「………………?」
 ……反応がない。ちなみに俺は下を向いているので奴の状況がよく判らん。

「……あの、村瀬君?」
「あ、ああ……うぁ?」
 小芝居モードを崩さず怖ず怖ずと問い掛け顔を上げる、と。

「あ、あの、俺……」
 ……なんか全開で照れてる馬鹿がいた。


「え、や、ちょっと村瀬――」
「ふ、へへっ、あ、ごめ、いや、なんかすっげ、ちょっと」
 戸惑う俺に対して、もう喜色満面で笑いが止まらない村瀬さん。
 ……待て、素で舞い上がる馬鹿が何処にいる。なんか勘違いしてないかコイツ。いくら女に耐性がないからってこれはひどい。

「いやだから」
「あ、そうか、弁当食える場所だよな? そこのベンチとかでいいか?」
「あ、うん……じゃなくてだからあのちょっとお兄さん」
「ほら、早く」
 こっちの呼びかけが聞こえているのかいないのか、今日初めて自分から俺の手をグイグイと引いていく村瀬。アホだ、こいつ真性のアホだ。
「折角だから飲み物でも買ってくるよ、日比野は何がいい?」
 ポンと花壇の前に据えられたベンチに座らせられて、にこやかに尋ねられる。もうご機嫌ってレベルじゃねーぞおい。
「え、あ、コーラ」
「了解、ちょっと待ってろ」
「あ、いやちょっ――」
 ……反射的に答えると、村瀬は止める間もなく飛んでいってしまった。後には一人取り残されてぼーぜんと座り込む俺。ベンチの冷たさがなんだか身に染みる。

 

「……ったく、なんなんだっつーの…………」
 何だか馬鹿らしくなってきて、ベンチに深く腰掛けると俺は空に向かって大きく溜め息をついた。
 いや別に何も実は作って来てないとかいう訳じゃない。これでも男だった時から簡単な料理くらいは出来たし、女になってからはお袋の言い付けに従って魚の三枚や四枚下ろすくらいは訳ないレベルにはなっている。
 手慰みにバッグの中の硬い感触を軽く撫で回す。ちなみにメニューはなんて事はない、おにぎりとか、付け合わせ代わりのちょっとした玉子焼きとか唐揚げ程度のものだ。何もそんなに喜ばれるもんじゃない。
 当然だ、そもそも単なる試験代わりに持って来たに過ぎないんだし、その辺りは村瀬だって判っている筈なのだ。

 だってのにまあ。
 俯いて、着慣れない若草色のフレアスカートの端を意味もなくヒラヒラ振ってみる。姉貴からの借り物だが、ちょっと緩くないかと言ったら殴られた。ちなみに親父にも殴られた事はある。

「……何が嬉しいんだ、あの馬鹿…………」
 喜ぶなら本番で喜べというものだ。小野田の性格からして、おそらく間違いなく作って来てもらえるだろう。
 もちろんそれに甘えないよう昼飯のメドはつけておけと言ったのもそりゃ俺だが。だが予想出来ないこっちゃなかろうし、ましてや予行演習で喜ぶ意味がまるで判らん。
 ……そりゃ俺だって、あれだけ喜んでくれると判っていたなら、せめてもう少しだけ手間のかかるものでも――


「……何考えてんだ俺は」
 浮かんだ謎の思考を首を振って振り払う。馬鹿馬鹿しい、なんで村瀬ごときの為に俺がわざわざ時間を割いてやらなきゃならない。
 むぅ、と眉間に皺が寄るのが自分でも判った。理由はないが非常にムカツク。
 大体そもそも――


「ねぇねぇ君、一人?」
「あ?」
 と、そんな俺の愚痴を断ち切るように頭の上から聞き慣れない声がかけられた。


 我に返って顔を上げると、そこには見知らぬ男が二人。帽子と茶髪の二人組のようだが、どうやら茶髪の方が声をかけて来たようだ。

「いや、何だか暇そうにしてたからさ。よかったら俺達とお茶でもどうかな?」
「男二人じゃどうもやっぱりむさ苦しくてさー、コイツが友達連れて来るっつってたのにまんまとすっぽかされて」
「バカ! いきなり俺の爽やかなイメージを惨めにすんじゃねぇ!」
「まあこんな感じなんだ」
「は、はぁ……」
 突然目の前でショートコントを始めた二人組に思考が追い付かず生返事をしたが、これはあれか。つまり。

「ナンパ?」
 首を傾げる俺に、少し茶髪の爽やか笑顔が硬直する。
「……いやうん、身も蓋も無いけど一言で言えば、かな?」
「いきなりフラれてやんの」
「まだそこまでいってねーだろ!?」
 帽子が茶々を入れ、またやいのやいのと二人はショートコントを始める。……ふむ、見た感じよくあるような典型的なDQNの類いという訳じゃないらしい。
 どうやら本当に、合コンをドタキャンされてこのままじゃ死ぬに死ねないと思ってナンパを始めた、という所なんだろう。女だけで遊びに来た子達を見つけてちょっと遊んで、あわよくばメアドゲット……といったところか。
 ……過去を振り返ると、ちょっとだけ親近感が湧かないでもない。
 とは言え俺も用事があるし、ついでに何も嘘をついてこいつらの心に傷を残す事もあるまい。そう思い、俺は正直に白状することにした。

「あー済まないが他を当たってくれ」
「そう言わないでさ、誰か友達がいるならその子を待つ間でも」
 猶も食い下がる茶髪に、俺はヒラヒラと手を振る。
「そうじゃないそうじゃない、お前の為だ」
「俺の為?」
 キョトンと俺を見る目に、気付かれないくらい軽く息を吐いて。
「俺は女体化者だよ。まあナリで女と勘違いするのも判るけどな」
 ……少しだけ、何かチクリと痛む胸を無視してニヤニヤ笑う。自虐と判っているが、自分の特殊性は十分に理解しているつもりだ。
 男ではなく、かと言って女と言い切るにはあまりにおおざっぱで不安定に揺れるこの体。
 ましてや、恋なんて出来る筈もないだろう事は。
 ――それに関しては、やっぱりどうでもいいと言い切るには、少し痛いけれど。

 

 まあでもあれだこれでこいつらもあっさり、引いて――

 と、何故か相変わらず不思議そうにこちらを見る目と目が合った。
「…………? それがどうかしたのかな?」
「…………へ?」

 今度はこっちが目を丸くする番だった。
「……いや、どうって、お前」
「? よく判らないけど、結局俺達とは絶対に遊びに行きたくないって事なのかな? それならまあ諦めるけどさ」
「いや、おま……」
「あーストップストップ。困ってるだろ」
 相変わらずズイと攻め立てくる茶髪に俺があたふたしていると、意外にも帽子が助け船を出してくれた。

「あはは、まあ大体判ると思うけどコイツこの通り空気読めない奴でさ、多分君の言いたい事すらよく判ってないと思うけど、悪気はないから許してやってくれないかな?」
「なんだよ、自分だけ物分かりのいい振りしやがって……」
「少なくともお前よりは理解してるっつーの」
 何と言っていいのかよく判らなくて口をつぐむ俺に、後ろの茶髪をあしらいつつ、でも、と不穏な前フリをしてくる帽子。

「君も悪い」
「へ……?」
 ビシッと指を突き付けられて思わずたじろぐ。
「今時そんなアナクロな考えでいる奴なんか誰もいないって。女体化者と普通の女の差なんてせいぜい男として暮らした経験があるかないかくらいさ」
「そ、そうか?」
「そう」
 俺としては極論な気がするのだけれど、目の前の帽子の自信満々な態度を見ていると少し自信がなくなってくる。
「それに」
 まだ何かあるのか。


 と、突然帽子は悪戯っぽく笑みを浮かべた。
「さっきからころころ変わる君の表情とか仕草……少なくとも俺は、素直に可愛いと思うけどね」
「なっ……!?」
 不覚にも顔に血が昇ったのを、はっきりと感じた。

「ほら、そういう所」
「ばっ、バカ言え!」
 くつくつと笑い出す野郎に思わず怒鳴る。が、自分でもそれがちっとも恐くないだろう事はよく判った。……思わず溜め息が出る。
「……ったく……調子の狂う……」
「じゃあさー」
「お」
 と、そこで今度は大人しくしていた茶髪が再び割り込んで来た。
「調子狂いついでに、折角だからちょっとでいいから俺達に付き合ってくれないかな? 別にそんな深く考えずに軽いノリでいいからさ。俺達を助けると思って」
 ……ね?と笑いかけてくる、その邪気の無い笑みに思わず気が抜ける。

「……ったく、ホントにまあ……」
 ぽりぽりと頭を掻きつつ帽子の方を見れば
「俺からもお願いしたいな。なんだか下心は別にして、君とは仲良くなれそうな気もするし」
「嘘こけ」
 なんだか余裕のありそうな表情が憎たらしくて軽く悪態をつくと、同意するようにうんうんと茶髪がうなずいた。
「そりゃアイツは俺と違って下心丸出しだからな。だからなんだったらついでにメアド交換も――」
「……お前にだけは言われたくない、何がだからだ」

「……プッ」
「お」
「あ」
 またショートコントを始めた二人に思わず軽く吹き出すと、何故か二人してこちらを見て固まった。

 

「……な、なんだよ?」
 突如二対の瞳に見つめられて戸惑う、と。

「いや」
「なあ」
 顔を見合わせ。

「可愛いなと」
「綺麗だなと」
「いや今のは綺麗というより可愛いだろ」
「どう考えてもおかしいのはお前の感性だ」
「……わかったわかった、どうでもいいから」
 食傷気味のコメントを頂いた。そうそう何度もお世辞に振り回されていられるかよ。

 ……だがまあ、中々面白い連中ではある。このままじゃあさよならとするのは少し非道かもしれない。もちろん今付き合う訳にはいかないが、まあ楽しませてくれた褒美くらいはやってもいいだろう。

「……仕方ない、お前ら」
 何だ何だとこちらを見つめる期待に満ちた二対の目。少し恥ずかしくなってコホンと咳ばらいをする。

「楽しませてくれた礼だ、今は友達と来てるから付き合ってやる訳にはいかない、が、仕方ないのでアドレスくらいはやろう。たいしたもんじゃないが仮にも女のアドだ、これではるばる合コンに来た面子も少しは立つだ――」
「「――ィィイイヤッホオオォォゥゥゥッッ!」」

 言い終わるのも待たずにやたらハイテンションな雄叫びがあがった。ガタン!と音が聞こえてそちらを見れば、凍り付いた表情でこちらを見る小さな男の子がキャラメルポップコーンをぶちまけて泣きそうになっていた。ゴメンなボウズ。

 そんな罪も知らず更にテンションを上げてバンバン背中をたたき合う罪人達。こうして憎しみは連鎖していくのかもしれない。
「うっはー! あいつら来なくてホント良かった! ぶっちゃけたいしたレベルじゃなかったし、やっぱ神様は見てんだな!」
「いきなりお前がこんなレベル高い子に声かけようとした時はどうしたもんかと思ったが……たまには役に立つじゃねーか!」
「……テンション高いな、お前ら……」
「「う」」

 

 けれど俺が呆れた目で見ている事に気付いたのか、慌ててまた取り繕い始めるのがまたどうにも憎めない。……まあいいか、たまにはこんなのも。

「じゃあちょっとお前ら、携帯――」
 そう言って、俺は携帯を取り出し――
「おーい日比野ー、買って来たぞー」
 と、そこでようやく村瀬が帰って来た。


「おう、遅かったな」
「ああ、なんか丁度自販機が見当たらなくて少し遠くまで行ってたんだけど――」

 そう言って言葉を切った瞬間、すっと村瀬の目が細まった。
「で、あんたらは何? 俺の連れに何か用かな?」
「……む、村瀬?」
 村瀬はそのまままるで威嚇するように二人に向き直ると、俺との間に立ち塞がる。……待て、コイツ何か勘違いしてないか。
 誤解を解こうとして、俺は村瀬の背中に声を――
「あ、あのな村瀬……」
 と、先に茶髪が前に出た。
「これはご丁寧にどーも、俺達は通りすがりの善良な一般市民です」
「で、その一般市民が日比野に何の用だ?」
「女の子が一人で淋しそうに座ってたんだ、口説いてるに決まってるでしょ」
 飄々と言い放った茶髪に、村瀬がまた一段と不愉快そうに眉をしかめる。……いやなんでまたお前はそんな誤解を招く言い方を。
「……そりゃ結構、でも今日こいつは俺と遊びに来てるんだ、判ったらさっさと散ってくれないか」
「それは少し横暴じゃないかな?」
 今度は脇から帽子が答える。

「一緒に来たとはいえ、日比野さんの『友達』の村瀬君が日比野さんの意思を無視して、俺達と仲良くするのをいきなり割り込んで妨害するのは少し理不尽じゃないかな?
 もちろん納得のいく理由があるなら別だけどね、僕らが嫌がる日比野さんを無理やり連れていこうとしてたとか、
 ――あるいは、日比野さんが既に誰かと付き合ってる……とか?」

 

「ッ……」
「……ふむ、大外れかな。ある意味大当り、かもしれないけど」

 ……どこか冷やかすような目で村瀬を見つめる帽子を、村瀬は明らかな敵意を込めて睨みつける。不穏な気配を感じたのか周囲はこちらを横目で見つつ明らかに散っていく。
 遊園地の賑やかな雰囲気にそぐわない一触即発の空気が、チリチリと焦燥を煽って――


「ま、いいや」
「……あ?」
 いともあっさりと、帽子はやれやれと言うように首をすくめた。

「何もこれ以上邪魔して日比野さんのご機嫌まで損ねる事はないだろうし。じゃあ俺達はこれで退散するから、ええっと、俺の名前は谷野俊介。日比野さんのフルネームは?」
 いきなり振られて思わず戸惑う。ついでに振り返った無言の村瀬の視線がなんだか痛い。
「……へ? あ、ああ、日比野綾人――じゃなかった、綾奈だけど……」
「じゃあ綾奈ちゃん、慌ただしくなっちゃったけどアド交換だけお願い出来るかな?」
「おい、何勝手に――」
「勝手も何もこれは綾乃ちゃんから言ってくれた事だからね」
「そーそー、別に何も俺達は、無理矢理綾乃ちゃんを連れていこうとしてたとかそんなんじゃねーんだから」
 再び割って入ろうとした村瀬に、ちっとも笑っていない笑顔で帽子が答え、更に不満げな顔で茶髪がそれに続く。

 ……本当か?と目で聞いてくる村瀬に恐々頷く。

「……なら勝手にしろよ」
 すると村瀬はそれだけ言って、不機嫌そうにそっぽを向いてしまった。なんだ、一体何がそんなに気に食わないんだこいつは。
「よし、じゃあ綾奈ちゃんのアド、口でいいから言ってくれるかな? ちなみに俺のアドはこれ」
「あ、こっち俺のアド!」
「あ、うん……」
 そう言って、名刺じみたアドの紙を差し出してくる二人。おそらく合コンの為に事前に用意してきたんだろうが、よくもまあマメな連中である。本当におかしな奴らだと思う。
 案外これがきっかけで仲良くなれれば面白そうではあるだろう。

 

 それは少し楽しみで。


 ――けれどアドレスを口に出しながら、俺は尚、こちらを向こうともしない村瀬が気になって仕方なかった――

 


 そうして茶髪と帽子――もといもう宮本と矢野と呼んでやるべきだろう――が後で絶対メールするからだのなんだの興奮しつつ去ったのち。

「………………」
「………………」
 ……俺は何やら壮絶な居心地の悪い空気に真っ向から晒されていた。

 真っ向から不機嫌な訳じゃない。話を振れば答えるし弁当もうまいと言ってくれた。
 だが付き合いが長ければ、いや、長くなくたってこれくらい判る。今の村瀬は明らかに気を使っているだけで、ふとしたら黙り込んで眉をしかめているのだから。そりゃもうさっきまでの上機嫌が何それおいしいのくらいの勢いで。
 飯も食わせた。もっかいサンダーなマウンテンにも行った。パレードも見た。仕方ないのでその他諸々こいつの好きそうなアトラクションに連れて回った。だがどうにも不機嫌が止まらない。
 だが何より問題なのは、実際のところこいつを不機嫌たらしめている根本的な原因が俺にはイマイチよく判らない事なのだ。

 いやまあもちろんさっきの二人とのゴタゴタに関係があるのは俺にだって判る。だが具体的に、コイツが何に対して不機嫌なのかがさっぱり判らない。
 あえて気になる事があるとすれば別れ際に帽子ことな矢野が何か村瀬に囁いていた事なんだが、それも村瀬は何か驚いているだけで、怒るだとかそういう雰囲気では決してなかった。本当にさっぱり判らないのだ。
 けれど、腕を組まない距離まで離れてしまった左上を見上げれば、村瀬が不機嫌な事実は確かにそこにあって。


 ――だから、都合のいい、有り得ない妄想が始まる。
 例えば、アイツらと仲良くしていた事に
 アイツらとあっさりアド交換をした事に


 ――嫉妬、してくれているんじゃないかとか。

 

 朝、少なくとも今日だけは忘れていようと決めた想いが、チロチロと染み出してそんな下らない妄想を沸き立てる。
 ダメだ、このままだと俺が腐る。梅雨の雨漏り部屋みたいなもんだ。このカビの生えた頭は今日何しに来たのかも覚えていないらしい。
 だから、
「……村瀬、もう帰らないか?」
 思ったよりあっさりと、その言葉を口に出来た。
「……え? で、でもまだ――」
 ――予定が。
 晩飯食って、ナイトパレード行って。

 ――いい雰囲気だったらそのまま押し倒せとか。勢いでハートマークまで付けた自分を今は呪う。こんなに心にザクザクとポテチのCMみたいにくるもんだとは予想していなかった。

「いやー、俺も流石に疲れちまったわ。まあどうせ今日は途中から予定からずれちまったし、やる事はもう判ってっだろ? ……こーんな日が傾いてんだからな」

 予定。
「……日比野がそうしたいなら、俺はそれでいいよ。日比野には……迷惑、かけてるんだしな」
 全て、予定。
「なら決まり! でも来週は最後までしっかり粘れよー? コレ、に繋げる為にも、な? グフフ」
 村瀬の中に。
「……その親指はやめなさい女の子、つーかいきなりそこまで行くとか俺はどれだけ猿なんだ」

 『今日』は、ない。

 

「すっかり桜も満開過ぎたなー、所々葉桜になってるし」
「まあ、雨も降ったし風の強い日も続いたからな……」
 ぶんぶんと落ちて来る桜の花びらを捕まえようとしつつクルクル回る。陽気に陽気に。夕暮れの寂しさを見ないように。
 隣からのテンションの低い受け答えなんか夢見る乙女の根拠の無いハイテンションには通じないのだ。
 しかし散った桜の花びらがアスファルトを白く染め上げている様は見る分には綺麗だが厄介だ。その上を歩くのが何だか悪い気がしてくる。そんな訳でステップは少し控え目にしておく。


 この桜並木はウチの近所で唯一誇れるものと言ってもいいと思う。今でこそすっかり落ち着いたが、一つ前の週末には花見目的で賑わっていたくらいだ。
 普段こそ無造作に延びた幹やあまり手入れされていない枝振りが、見栄えが悪いどころか通行の邪魔にすらなって欝陶しく感じる事すらある。
 けれど春になり、たった1、2週間の間にこの道と空を埋め尽くす薄桃色の花の咲き散る光景は、まるで陳腐な表現だけれど、本当に、この世のものとは思えない、なんて。

 桜を見ていると人は気がふれるのだとか、桜の木の下には死体が埋まっているだとか、そんな話をいくつも聞いた気がする。いやまあ何だかアレな話の数々だった記憶もあるけれど。


 ……けれど、なんとなく判る。

 例えば、街灯に照らされ公園の暗闇にぽつねんと一つ開いた一本桜。
 例えば、視界を覆い尽くして繚乱と咲き誇る満開の桜の空の下。
 そう。

 それが散って降り注いで、もしその花びらに触れてしまったのなら。

 ――もしかすると、変になってしまう事もあるんじゃないか。
 白い花弁と共に散る何かに巻き込まれて。その根に抱えられた死体のように。
 すうと、白い影が目の前を降っていった。


「――なあ、村瀬」
「……うん?」
 クルリと回って、村瀬の先を歩きながら顔は見ない。背中越しに聞こえる返事にはやっぱり元気がないけれど、それは些細な事だ。
「――実は、ずっと言いたかった事があったんだ」
 熱に浮かされたように、自分の体が酷く遠くてふわつく。何だか楽しい。
 何をしているのか、よく理解出来ていない。止まっている。何かが散ったのか。桜じゃない。風が吹いていない。
「おかしいだろ? お前とはいつも会ってるんだから言う機会なんかいくらでもあったのに。
 ――実は、俺も何で言わなかったのかもうよく判らないんだ」
 振り返り、微笑んで。

 おかしい。

「本当は」
  人は、
 そして
 「『私』は――――」
  狂う。
 私は――……


 その瞬間、ごうと風が吹いた。

 


「――あ……れ…………?」
「……日比、野?」
 頬にひらりひらりと掠めて舞い散る薄桃色の花びらが、急速に俺を現実に引き戻す。自分の長い髪が、嘲笑うように視界を揺れる。
 足を止めて向かいあうのはまごう事なき俺と村瀬。

 

 何だ、これ。
「……俺は」
 俺は今何をしようとした。

 村瀬を見ていられなくて上を見上げると、夜に近い藍色の空には白い月と白い桜と黒い枝。

「……ハハ、ばっかみて」 思わず苦笑してしまった。
 詩人気取りかよ。月と桜でおかしくなったってか。笑えない。
 そんな笑えない理由を免罪符にして、俺は一体何をしようとしたんだ。

 一夜のお情けを――とでも言い出すつもりかよ。この期に及んで何を期待してるのやら。大体俺にだってそんなのは許せないくらいのプライドはある。たとえ戦う前から負けていたとしても、だ。
 ふと小さな感触に目をやると、右手にはいつの間にか一枚の花びら。気付かない内に掴めていたんだろうか。……チクショウ、掴もうとしても掴めなかったくせに。

 苦笑する。
 うん、もう大丈夫だ。俺はマトモで、さっきのはなんかあれだ、空気に呑まれただけだ。
 改めて右手の白い花びらを見る。……どうやら少なくとも、散って触れた花びらが俺にもたらしたのは狂気どころか正気だったらしい。中々いい仕事した。しばらくこいつはお守りがわりに持っといてやろう。

 もう、大丈夫だ。


 そうして俺は顔を上げる。そこにはボケッとこっちを見たままの村瀬がいて、俺はまた苦笑する。

「――スマン、何でもないよ。ああ村瀬、俺少し用事思い出したからちょっと急ぐわ。お前はゆっくり帰っていいから」
 そう口にして、それ以上視線を合わせないように振り返る。何か、大切なものが散り落ちてしまうその前に。
「……じゃあ、な。また月曜日に」
 肩越しに、振り返らずに軽く手を振るくらいが限界で。
「……さよなら」
 俺は歪む苦笑を噛み締めたまま、桜の敷き詰められた並木を駆け出し――

 

「ッ――――!?」

 ――ぐいと、その瞬間温かい感触が俺の腕を掴んだ。


「言おうかどうしようか、ずっと迷ってた」
 驚いて振り返ると、そこにはなんだか異様な雰囲気を纏った村瀬。具体的にどうとは言えないがあえて言うなら目がおかしい。
「…………む、村瀬?」
「けど恐かったんだ。俺がそれを口に出してしまえば、下手するとこんな関係ですらいられなくなるから。……でもやっぱそんなのどうでもいいよな」
「ひ、ひぐっ!?」
 何故かやたら耳に響く声で語りかけられた後、突然腕を引かれて胸元まで連れ込まれてついでに髪の上に乗っていたらしい桜の花びらを優しく払われる。
「いやっ、おまっ、ちょ、なんのつも――」
「ほっといたら、それこそ後悔しそうだってよく判ったからな」
 慌てふためきつつ抗議しようと見上げれば、何故か返ってくる微笑。思わず鳥肌が立った。いや感じたとかじゃなくて普通にキメェ。ヘタレが謎のキザ男に変貌を遂げている。

「……だから、お前の気持ちなんか関係ない。気持ちが傾くのを当てもなく待ち続けるなんかもうゴメンだ」
「おう?」
 何故か人差し指と親指で顎をくいと。力加減が絶妙でちょっと気持ちいい――っておい。引っ張るなおいマジで引っ張んなってその先にはあの非常用避難スペースとかないっすよ?
 蜂の巣をつついたような『私』の思考と心臓と。それを知ってか知らずか引き寄せるその手は止まらずに――

 二人の唇が、そっと
「――俺が、俺の力で、日比野を、俺の――」
「ってやってられるかアアアァァァァァッ!?
「ひでぶっ!?」


 何だかもう臨界点を越えたので張り倒した。


「……あ、あぶなかった…………」
 ふう、と一仕事やり遂げた達成感に額の汗を拭う。……これでもう少し普通に迫られていたらと思うと冷や汗が出る。

 と、たいしたダメージもなかったように強姦魔がむくりと起き上がってこちらを睨み付けた。もう今日初めて袖を通したらしいお洒落着も桜まみれである。いいザマだ。ちなみに先程の妙な感じはどうやらさっぱり飛んだらしい。
「っつ……テメ、いきなり何すんだ!」
 ……飛んだら飛んだで、今度はまるで自分の事を棚に上げた物言いに思わずカチンと来た。
「そりゃお前こっちの台詞だ! 何のつもりか知らんが喧嘩売ってんのか!?」
「ふざけんな! 今ので喧嘩売る奴がいたら俺が見てみてぇよ!」
 もう止まらない。胸にとどめていたものが、満足に整理もされずに溢れていく。
「ふざけてんのはテメェだ屑が! そりゃ俺はお前には都合のいい女だろうよ! こんな他人のデートの下見までホイホイ着いて来て世話焼いて!
 だからもよおした相手までさせようってか!? それともこいつも予行演習ってか!? ハイハイそいつはすげーな予行演習! 今日のはぜーんぶ予行演習、全部ノーカンだからなんでもオッケーってか!?
 ああいいさ! 今日の事は始めから全部なかった事だって決まってるのは当然だろうよ! でもなそんなクズみてーな意識で小野田とデートして、本当に小野田を――」

「――始めっから、これっぽっちも小野田なんか関係ねぇよ!」


 …………え?


 説教に入り始めた俺が凍り付いた事にも気付かないで、割り込んだ勢いのまま村瀬は叫ぶ。
「この歳にもなってデートで他の女と予行演習? んなつもりハナからあるわけねぇだろバカかお前!? お前にとってはそりゃ予行演習だったかもしれないけどな、俺はすっげーバカみたいに真面目だったさ!」
 ……怒っているのに。
「何とか小野田とくっつけようとしてくるお前をどうやったら意識させずに誘えるかとかそんな下らねー事ばっか考えてさ!
 ほんと下らねー言い訳ばっかつけてさ! でもお前が俺の事をなんとも思ってないのは判りきってたから!」
 どこか、泣いているように。
「だってのにまた弁当一つに喜んで! あっさり他の男と仲良くなってるのに嫉妬して! 一緒に来たのに俺なんか眼中にないって言われた気がして! あの帽子の奴にはっきり言われたよ、『これなら放っておいても大丈夫かな』ってな!」
 叫び続ける村瀬を、止められない。

 

「その時初めてこのまま何もしないでいたら絶対に日比野はどっかにいっちまうって実感して! でもなんか出来るかよ、出来る訳ねーだろ!? それで一歩進むどころか二度と触れられなくなったら俺はどーすんだよ!?」
 怒りに声を震わせて、バンと地面を叩いた平手が散った白い花びらを舞い上がらせる。

「だから諦めようって、思って、思ったのにお前が!」
「あ、え?」
「お前が誤解しちまいそうなくらい切なそうに笑うから! 桜が綺麗に散るから! 桜吹雪の中のお前を手放したくないって思っちまったからッ!」

 だから、と。

「……俺は、日比野を――……日比野……を?」

 ……そこまで口にした瞬間、今度は村瀬が硬直した

 

「……む、村瀬?」
「………………」
 ぽかーんと俺を呆けた表情で見たまま時が止まる村瀬に、軽く手を振る。

「……」
 反応はせず、村瀬はじつと手を見る。ニギニギと。手つきが何かいやらしい。
 再び顔を上げる。
「………………」
「……あ、あんまり、見るな」
 ――あまりにも凝視されたので少し照れた。いやまあさっきのアレの後だし。


「……ァァァアアアアァァッ!?」
 月に吠えた。ホワイトドールではない、村瀬だ。


「さよならっ!」
「待てい」
 ビシと爽やかに敬礼して遁走しようとするパーカーのフードを反射的に掴む。
「よよよよ用事が!」
「テメーさっき俺になんつったよおい」
「いやーちかーん! おまわりさーん!」
「少し黙れ」
「ハイ」

 黙ったので、振り向かせて今度は胸倉を掴む。

「……あ、あの、離し」
「少し黙れ、と言ったが?」
「ハイ」
 大人しさは普段のヘタレを通り越して何かを悟った死刑囚のようだ。まあ心境は似たようなもんなんだろう。

 ……こほんこほんといつもより大目に咳ばらいを取っておく。

「で」
「ハイ」
「さっきの――まあ、あれだ、言った事というか……」
 ――告白。そんな単語が浮かんでカッと顔に血が昇るのが判る。

 

「――ご、ごほん、まあその、さっきの発言は本気かね?」
「……本気です」
「本気と書いてマジか? 武士に二言はないな?」
「……武士じゃな」
「少し黙れ」
「…………」
「オラ答えは!?」
「どうしろと!? ああもうそうだよもういいよ好きだよお前が好きだ! これ以外に説明する事は何もない!」


 あ、マズイ。

「……っ、ふぇっ……」
「…………おあ?」
 何か、散ってはいけないものまでついでにハラハラと散る、というか崩れ落ちていく。止まらない。

「…う、あ……っく、ひくっ、っ、ッ――」
「ちょ、ええ!?」
 堪えようのない鳴咽が、強く噛み締めて堪えようとする唇の端から零れ落ちて思わず俯く。

「ちがっ、っく、ゴメッ……ない、っく……ないて、ない、ふっく、ただ、ひっ、なんか、しゃっく……ふくっ……しゃっくりがっ……!」
 必死に目を擦りつつ弁解しつつ、それでも胸倉を掴む手は離さない。
 離れてしまいそうで。この手を握り締めていないと全てが桜のように夢と散ってしまいそうで。
「……はー、やれやれ」
 バレバレの強がりに、視界の外から困ったような溜め息が聞こえて、反論しようと顔を上げようとして。

 次の週間、掴んだ腕ごと強く抱きしめられた。

 

「……あんまり泣いてると、俺が本気で誤解するぞ?」
「それっ、どっ、っ、どっちに、ッひくっ」

 哀しいとか。
「……そんなもん、俺の都合がいい方に決まってるだろ」
 嬉しいとか。

「でもっ、ずっと前から小野田が好きって……」
「好きな奴が変わるのが――いや、一番大切にしたくなる奴が新しく出来るのがそんなに変か?」
「へんっだっ、だって、っく、俺は」
「俺の胸の中で泣いてる可愛い女の子だけど」
「――ッ、へ、ヘタレのくせにっ!」
「……だってこんな状態でヘタレてる訳にいかないだろ」
「ッ―――――!」

 悔し紛れにゴンゴンと掴んだ胸倉を叩いて、やたら幸せそうに笑われて腹が立ったのでまた叩く。叩く手の中にはさっきの花びら。


 くるくると風に踊る花びらは、さっきから止まずに降り注いでいる。

 

『まあ結局なんであのバカが迫って来たのかはよく判らん訳だが』
『あーはいはい本当にごちそうさまでした。バカップルに地球の法則が適用される訳ねーから』
『いや待て、それはおかしい』
『つーかもうやめろ、独り身にキサマらの毒を振り撒くんじゃない』
『いや待て、そんなつもりは全くないぞ』
『……ホント、人の言葉を見事に逆に解釈する彼氏といい容赦なくノロケてくる彼女といい、お前らにはきっと脳じゃなくて未発達の神経の塊が詰まってんだろーな、まあお似合いだが』
『まてまてまてまて、ホントに私はそんなつもりは――


 そこまで読んで悔し紛れに電源を切って俺は携帯を放ってベッドにくたばる。……やってられん。


「……ちぇ、結構マジだったんだけどなあ……あーくやし、俺っていい人過ぎだろ常識的に考えて……」

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最終更新:2008年09月06日 22:46
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