プロローグ

もう春と言うには遅い、だが夏と言うには早い、そんな時期。
生ぬるい風がふたりの髪を揺らす。それが止むのを合図に、目の前の少女に告げた。
「好きです。俺と付き合ってください。」
彼女は一瞬戸惑った表情をし、そしてしばらく顔を伏せた。
また風が俺たちの前を横切った。彼女の口が開く。
「ごめんなさい。」
理由は、聞くまでもなかった。


「どうしたんだ。」
「また勇気が女にフられたってさ。」
翌朝、教室の雑踏の中での会話だ。
「ああ、なるほど……。勇気、いい加減諦めろよ、な。」
友人は机に座っている俺と目線を合わせるようしゃがみ込んで、優しい口調で言った。
「お前ももう女の子なんだから。」


女体化。この言葉が日常的に使われるようになってからもう数十年経つという。
俺の身にそれが降りかかったのは高校一年生の冬、今年の正月だった。
当初、友人たちはまさか俺が女体化するとは思っていなかったらしい。
女体化を防ぐ方法がただひとつだけある。女を抱くこと。文字通り「男になる」ということだ。
俺は誰とでも分け隔てなく仲良くする性質だったのでそう思われたのだろう。だが実際はそれが逆にたたったらしい。良い友人は良い恋人にはなれない。
とにかく、身体は変化したが俺はあいかわらず以前のままだった。恋愛対象は依然女の子だし、名前もそのままだ。
名前に関しては親戚中からせめて漢字だけでも変えるよう求められたが (そもそもユウキというのが漢字だけ変えれば女の子っぽくなるよう付けられた名前だった) 、ずっと付き合ってきた名前を手放す気にはなれなかった。
ただ、中身の深いところまで変わっていないのかと聞かれるとあまり肯定する自信は無い。

物思いにふけっていると教室のドアが開き担任の先生が入ってきた。
この学校では朝にホームルームは無い。こういう時は何が起こった時か決まっている。『仲間』が増える時だ。
「……ってると思うが、今までと同じように接してやるように。」
こんなおおげさな発表会開いておいてよく言うよ。
「よし、入れ。」
再びドアが開かれ、新品のブレザーに身を包んだ少女が顔を赤らめうつむいて入ってきた。
教室内にどよめきが広がる。歓声やら何やらがあちこちで飛び交う。もう六人目だというのによくもまあ飽きないものだ。
「静かに。」
先生が、低く、それでいてよく通る声で言った。それでも一気には収まらない。徐々に室内の声が小さくなっていき、やがて誰一人しゃべらなくなったところで次の句が告がれた。
「みんなに挨拶しろ。」
先生と入れ替えに少女が壇上に立つ。
「立花アユム改めアユミです……漢字はそのまま『歩く』って字だけど。これからもよろしくお願いします。」
彼女はペコリと頭を下げた。なるほど、立花か。あいつ割と大人しめだったからな。


放課後になって部活に行こうかという時に呼び止められた。
「伊東くん、ちょっといい?」
立花だった。申し訳なさそうに俺の顔色を伺う。
「ん、どうした?」
「ここじゃあ話しにくいから、屋上でもいこう。」
「あ、ああ……。」
屋上は人がめったに来ない。秘密の話をするにはうってつけだ。
それにしても、てっきり俺は女体化のことについてでも聞いてくるのだと思っていたのだが……。

「好き……でした。」
「え?」
開いた口がふさがらなかった。風が冷たい。
「伊東くんが女体化してから、いつの間にか好きになってて、だんだんその気持ちが大きくなってきて……。」
「なんで、今ごろ、それを?」
あまりにも青天の霹靂だったので言葉がぶつ切りでしか出てこなかった。
「だって伊東くん女の子しか見えてなかったから、僕も女の子になったらいいのかなって。」
「お前、そんなことで女に!」
「うそうそ、冗談だよ。」
俺が今にも襲い掛かりそうにでも見えたのだろうか、優しく手で制すると、ふう、とため息ひとつついてフェンスにもたれかかった。
「本当はね、ただ単に踏ん切りが付かなかっただけ。」
風の音と、吹奏楽部の練習する音だけが響く。彼女は何度か口を開いては声を出す前に引っ込めた。そういう繰り返しが五回ほど続いて、ようやく沈黙を破いた。
「だから……ダメになっちゃったけど、いい機会だから、せめて思いだけは打ち明けようと……。」
「ダメじゃ、ないよ。」
口を付いて出てきた。もともと俺は惚れやすいところがあって、女体化してからも既に三人の女の子にアタックしては撃沈していた。そんな俺が生まれて初めて向こうから思いを寄せられたのだ。どうなるかは火を見るより明らかだった。
「俺と付き合おう?」
彼女は驚いた顔で見上げてきた。よく見ると目が潤んでいる。
「伊東くん、本当にいいの?」
「恋人同士なんだから、これからは名前で呼び合おうぜ。」
ぽかんと口を開けたまま、じわじわと笑顔に変わっていった。そして最初の表情から百パーセント変わったところで、これまで聞いたことのないくらい元気な声が、二人きりの屋上に響きわたった。
「よろしくね、勇気!」
「こちらこそ。あ、歩……。」
言い出した俺の方が恥ずかしがっているのを見て、歩は笑い出した。いつの間にか俺もつられて笑っていた。
空が青い。新しい季節のはじまりだった。


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最終更新:2008年09月06日 23:19
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