安価『ドリル』
「綾ー、押し入れのなか片付けしなさいよー!」
一階から、威勢よく母の声が聞こえる。
押し入れ。僕はここを、自戒の意味もこめて「魔堀」と呼んでいる。
この空間のなかには、僕の「全て」が入ってると言っても過言ではないかもしれない。
子供のころ遊んだおもちゃ、脱ぎ散らかした衣服、小中学校のころ使っていた教科書にアルバム。
僕の生きてきた15年の軌跡が、この薄い引き戸を隔てた空間のなかには詰まっている。
僕が女体化したのは、今から3日前。
女として生きていくのに事足りる程度の用品は揃えたけれど、まだ心の中では男だった自分を捨てきれないのが本音。
たった72時間やそこらで性転換に順応できるほど、僕は器用でもない。
かといって、このままずるずると女になる前の自分を引きずっていたくもない。
母も、恐らく僕のジレンマを察してくれているのだと思う。
その上で、僕に「押し入れを片付けろ」と言ったのだと思う。
古い自分を一新し、僕が過去と決別することができるように。
ところで、皆さんにこんな経験はないだろうか?
古本を整理してるうちに、ついつい読み耽って作業が捗らなくなってしまったことが。
そして、まさしく今の僕が―――
「うわ、懐かしいなこれ。昔熱中したなぁ」
―――その状況にある。
端を発するのは、僕が今手に持っているロボットのおもちゃ。
僕が6歳くらいのころ、大流行した代物だ。
押し入れを片付ける機会がなければ、僕はこの人形を思い出すことすらなかったかもしれない。
「そういえば・・・」
ひとつの事象が呼び水となり、記憶が数珠繋ぎに蘇るのはよくあることだ。
僕の場合、呼び水になったのはこのロボットの人形だった。
「まだあるかな・・・」
さながら土に埋めた餌を掘り返すように、僕は玩具箱をかきわけて「それ」を探す。
やがて、ほのかな達成感をもって「それ」は見つけ出された。
「あ・・・あった!」
誰にともなく声をあげ、僕はついに見つけた。
「それ」―――僕にとって最も大事な思い出の品を。
僕が発掘したのは、やはり10年ほど前に流行したロボットアニメの人形。
左右の手にに嵌められた、大きなドリルが特徴。
蘇る当時の記憶。このドリル人形は、元々僕の持ち物ではない。友達から譲り受けた、大切な逸品。
今でもその友人と僕とは、同じ高校に通うほどの仲だ。このドリル人形見せたら、果たしてどんな顔をするだろうか。
「綾ー!悠平くん来たわよー!」
「あーい、今行くー」
噂をすれば影、人形の本来の持ち主が僕を呼んでいるようだ。
悠平の反応を想像するだけで、何故だか胸が不思議とそわそわするような心持ちがする。
今日は、楽しい日になりそうだ。
おわり
最終更新:2008年09月08日 20:58