『高幡家の日常』

 今現在、俺の部屋では緊迫した空気が流れている。
 目の前にはかなり長い靴下を持った妹。その目は獲物を狙う狩猟者のごとく鋭い。
 口元にはぞっとする微笑を浮かべ、じりじりと獲物、要するに俺へと近づいてくる。
「一部の方に大人気らしいよニーソ。身近なところで僕とか」
 にっこりと、観たものを恐怖させる笑顔で妹は喋りだす。
 しかしここで怖がっていてはまずい。
 今でさえ家庭内の権力がそれほど高くないのに、あんなものを穿かされては全員から慰み者にされてしまう。
「じゃあ何でお前が穿かないんだよ」
「こういうのは観て楽しむもんであって、自分に萌えるもんじゃないからだよ」
 俺の精一杯の抵抗もどこ吹く風かと妹は気にもせず、距離は着実に縮んでいく。
 もともと何の変哲もない部屋だっただけに、妹との間にあるのは足の低いテーブルだけだ。
 左手にはベッドがあるが、退路としてはまだ使えない。
「俺はそんなもん穿きたかねーぞ」
 絶対に諦めないと分かっていても、つい言葉に出してしまう。まずい、なんか涙出てきた。
 しかし妹は、加虐心がそそられでもしたのかものすごくイイ笑顔だ。よく見ると頬もちょっと赤みがさしている様な気がする。
 女になって滅茶苦茶可愛くなったんだから、普通にしてればいいのに。
「まあ遠慮すんなって!」
「っ!!」
 欲望を抑えきれなくなったのか、妹が俺に突っ込んでくる。
 しかし、それと同時に俺はベッドへとダイブしていた。
 ぼふりと柔らかな衝撃を受けつつすぐに起き上がり、出入り口に向かって走り出

 ずる

「あ」
 掛け布団がすべった。
 走り出そうとしていた体勢が崩れ、床におもいっきり頭部を強打する。
「っっっっっ!!」
 思わず頭を押さえる。
「ぉぁぁぁぁぁ」
 いたいいたいまじ痛いなんか目から汗まで出てくる。
 しかし、うずくまって悶絶する俺に情けをかけるほど、妹は甘くなかった。
 肩に手を置かれびくりと身体が震える。
 恐る恐る振り向くと、満面の笑みを浮かべる野獣がそこにいた。





「ただいまー」
 家のドアを開け、久しぶりの帰宅を告げる。
 しかし、珍しく何の返事も聞こえなかった。
 はて、電気はついているし居ないわけではないと思うのだが。
 まあ、何か用事でもしていて聞こえなかったんだろう、多分。
 まさか返事するのもいやなくらい嫌われてるなんてことはない、と信じたい。
「いかんいかん」
 疲労からか考え方がネガティブになっている。幸い明日は休みだし、今日はゆっくり風呂にでもつかって疲れを取ろう。
 靴を脱ぎ、居間へと向かう。夕食ができているのか、食欲をそそる匂いが漂ってきていた。
 それと同時に、誰かが何事か叫んでいるのが聞こえた。
 おそらくミヤビの声だろう。ということは、ヨシキがまた何かしたんだろうか。
 仕事とは違う疲労で頭が痛くなってきた。
 居間に近づくにつれ、ミヤビ以外の声も聞こえてくる。
「それにしてもミヤビ、その服結構似合ってるわよ」
「あんたもそういう格好して、喋らなければ大分可愛いのにねえ」
「いやいやそのギャップがいいんだってトモねえ」
「おまえは少しは自重しろっつんだよ!」
 何のことなのかさっぱり分からない。
 居間へ入ると、ソファに母さんとトモが座っている。その傍にはミヤビとヨシキが、何か取っ組み合っている。
 と言うか、ヨシキが一方的に抱きついているように見える。傍から見れば女の子同士がじゃれあってるようにしか見えない。
 ヨシキは元男だったのに、えらく女の子に馴染んでるなあとしみじみ思い返した。

 あれ?何か違和感がある。

 叫んでいたのはミヤビのようだ。
 服装がどうとか言っていたが、ここからでははっきりとは見えない。とりあえず帰宅したことを告げることにする。
「えっと、ただいま」
「あら、おかえりなさい」
「おかえり父さん」
「あ、おかえりってああっ」
 それぞれ返事をくれる中で、抱きつくヨシキの拘束が一瞬緩んだのだろう、猫のようなすばやさでミヤビが私の背に隠れる。
「親父、助けてくれ。あとおかえり」
 いい加減言葉遣い直せばいいのに、と思いつつミヤビを見る。

 一瞬本当にミヤビなのかと目を疑った。

 羽織っている薄い青のカーディガンは、サイズが大きすぎるのか袖から指先しか出ていない。
 結構きわどい短さのスカートと膝丈まである紺一色の靴下は見てるこっちが恥ずかしいぐらいで、慌てて足から目を逸らした。
 ああ、さっきの違和感はこれか。
「ど、どうしたんだミヤビ、前は男物の服しか着てなかったのに」
 と言うか、潤んだ瞳で見上げられると対処に困るんだが。
 どこかからの視線が痛い。
「ヨシキに無理やり着せられたんだよ……」
「ああ、なるほど、それでか」
 ヨシキを見ると、ばつが悪そうに背を向けていた。
 どうも女体化してから、ヨシキはミヤビにばかりちょっかいを出すようになっている。
 やはり反動とかあるのだろうか、母さんと一緒に話し合ったほうがいいかもしれない。
「とりあえず、ご飯が終わったらヨシキは僕の部屋にきなさい」
「う、はい……」
 うなだれるヨシキを見ると、息子、いや娘か、とはいえ少し心苦しい。
「さ、とりあえずご飯にしようか。
 久しぶりに母さんのご飯が食べれるから楽しみだなあ」
 努めて明るく言い、席に着こうとする。食事のときぐらいは、明るい雰囲気でなくては。
「あ、ごめんなさいあなた。今日帰ってくるとは思わなかったから、お夕飯あなたの分まで用意してないわ」


 寒空の下、公園は静まり返っている。
 買ってきたおでんなどをベンチに広げ、ミヤビと一緒に食べるが、なかなか美味しかった。特に大根はつゆがよく染みてて美味しい、なんかちょっとしょっぱい気がするけど。
「親父、ほら、コーヒーでも飲め」
「ん、ああ、ありがとう」
 いつの間に買ってきたのか、ミヤビから缶コーヒーを差し出された。受け取り、ちびちびと飲みながら今後のことについて考える。
 ミヤビに聞いたところでは、日に日にヨシキの行動がおかしくなっているとかいないとか。
 行動については微笑ましい程度のものだが、これから行き過ぎたことをしないよう、少し注意しておく必要があるかもしれない。
 もっとも、それはヨシキの意図を聞いてからの判断になるが。
 缶から口を離し、息を吐き出す。

 頭の痛いことだが、家庭の平和のためだし、頑張ろう、うん。

「あ、このたこ結構旨いな」
「そう?あ、こんにゃくも美味しいよ」
「おお、ほんとだ」

 ミヤビも生粋の女の子なんだから、せめて喋り方だけでも女の子らしくしてくれるといいんだけどなあ……

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最終更新:2008年06月11日 23:50
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