既に「はい」と答えてしまった後だった。
つまり、俺が気付いた時にはもう手遅れだった。
岬はまたもや嬉しさのあまり感情が爆発し泣き喚き、
先輩たちは一日に二人も新入部員が入ったことで歓喜していた。
いまさら、「やっぱやめます」と言う勇気は俺には無かった。
さん
結局俺と岬はその日、練習の終わりまで残ってしまった。
俺たち以外には見学は来なかった。
「二年、掃除っ!」
『はいっ!』
号令と二年生の返事が響く。
部長が俺たちのところに歩いてきて、紙切れを1枚ずつ渡した。
「…それが入部届だ。明日の部活の時に集めるから、名前を書いて持ってきてくれ」
「はいっ!」「・・・・はい」
やる気満々な岬。ブルーな俺。
エース先輩に見事にハメられた気がした。
ちょっと苦い顔をしていると、岬が話し掛けてきた。
「まさかお前が、あの先輩に『はい』って返事するとはなーっ」
散々なだめられてようやく落ち着いたと思ったら、今度は凄く嬉しそうだ。
「…うるさい」
「はっ…エース先輩の魅力>>>>>俺の長年の勧誘ってことか?これは!?」
「おーい、経験者、入部するんなら一日フライングして雑巾がけ手伝ってくれ」
一喜一憂してコロコロと一人芝居をする岬。
いいかげんに鬱陶しかったのでパンチを食らわせてやろうかと思ったが、
タイミング良く、雑巾とバケツを持った柳先輩の声が飛んできた。
「うぃす!・・・・・・・・どぁっ!」
すぐ反応した岬がダッシュで走っていったが、先輩の1m手前で見事にコケた。
どうやらこけた時にひざ小僧をぶつけたらしく、
起き上がれないでいるので柳先輩に足蹴にされている。
ざまー見ろ。天罰だ。
「ねえ、そこの一年生、ちょっとチリトリ持っててくれない?」
岬を見て一人笑う俺に、箒をぶんぶん振りながらエース先輩が言ってきた。
「…はい」
負の感情があるせいか、先輩への返事が少し、刺々しくなってしまった。
「あ…さっきは…ごめん。ちょっと…あざと過ぎたかなーって後悔してた」
それを感じ取ったのか、先輩は体を小さくして、
さっきとはまるで違う調子で謝ってきた。
「いいです、別に。俺も『はい』って答えたわけですし」
「そっか…」
俺がチリトリを持ちながら無愛想に答えていると、
先輩は物凄く申し訳なさそうな、しおらしい態度をとる。
それがとても可愛く感じられるのと同時に、
その感情が、先程までの先輩への負の感情を消し飛ばした。
「先輩」
「ん…なに?」
ゴミを取り終えて、それをゴミ箱に捨てながら先輩に話し掛けた。
相変わらず先輩は気まずそうだ。
「そんなに気にしないでください。嫌なら嫌ってはっきり言ってます」
「うーん…そう…?」
「そうです。俺が気にしてないんですから、本当に」
「わかった。ありがと」
正直、気にしていたが、言ったことは言ったことだ。
先輩も少し気が楽になったようで、朗らかに笑ってくれた。
箒とチリトリを片付けようと背を向けた先輩に、
俺には一つ、どうしても聞きたいことがあった。
「あ、先輩、一つ聞きたいことが」
「ん?私生活のこと以外ならなんでも聞いてくれっ」
俺が呼び止めると、先輩はくるりと振り向いて、柳先輩と同じことを言った。
「俺、三木浩二って言います。先輩の名前はなんて言うんですか?」
先輩は、ありゃ、という顔をした後、完全に失念してたよと言って苦笑いした。
「雪野。雪野ツバキ。これからよろしく。ミキくん」
雪野先輩はそう言うと、今度はにっこりと笑って右手を出してきた。
俺もにっこりと笑って、先輩の右手と握手しながら、こう言った。
「こちらこそ、よろしくお願いします。雪野先輩」
この後、俺たちは部長によって部員の前で紹介された後、家に帰ることになった。
「三木がおなーじぶっかつ!ぶっかつ!いぇーい!」
「あぁぁぁ…うるっせぇ!」
岬と俺とは家が近所、かつ二人とも徒歩通学なので、自分の家に帰り着くまで、
はしゃぐ岬にツッコミを入れ続けるのが凄く面倒だった。
―――家に帰ってから、両親に弓道部に入部することを話すと大反対され、
ペットのタマ含む家族全員による大げさな家庭裁判が起きた。
母さんは「こんな子じゃなかった!」と泣き喚き、
父さんは「テニスを捨てるとは軟弱者め!」と怒り狂った。
妹は「テニスしないお兄ちゃんはお兄ちゃんじゃない!」とヒステリックに叫び、
タマは「フギャー!」と毛を逆立てた。
しまいには「うちではお前の弓道のための道具代は出さん!」とまで言われた。
だが、弓道部に入部するという俺の意志は変わらなかった。
先輩と、よろしく、と言い合って『握手』したから。
さん おわり
最終更新:2008年06月11日 23:56