題名『ヴォーカリスト』
その日、新入社員歓迎パーティーで飲みすぎた私は
少し酔いを醒まそうと適当に古本屋へ足を運んだ
普段ほとんどお酒など飲まないのだが、こういった機会では飲まざるを得ない。
吐くほど弱くも無いけれど、まっすぐ歩いて帰れるほど強くない
かといってタクシーを呼ぶほどでもなく、駅まで徒歩で帰ることにしたわけだ
店内は冷房が効いていて涼しく、気持ちが良かった
何か適当にCDでも買って帰ろう―そう思って立ち寄ったCDコーナー
私はそこで天使を見た
いや、もしかしたらどちらかと言うと、悪魔かもしれない
―すごい美人・・・背が高くてかっこいい
私とは正反対だ
無地のTシャツにブーツカットのジーンズにスニーカーというのに
その姿はブランド物を着こなすモデルよりも、何か引き付けるようなオーラを感じる
顔は何やら眉間にシワを寄せてながらCDのジャケットを見つめていた
「あーっ!V/Rの限定アルバムだぁ」
5年前メジャーデビューするんじゃないか、とも言われていたのだが
突然の解散&ヴォーカルの南響(キョウ)の引退宣言をし
インディーズ界から突然姿を消した天才ヴォーカルは今でも忘れない
高校時代、友達に連れて行ってもらった
V/Rにも、私にも始めてのライブで
同じ高校生とは思えないその歌声に、たちまちファンになってしまった私はその後、V/Rのライブだけはずっと追っかけていたのだ
でもこのアルバムだけは入手できず、ずっとインディーズショップや、ネットで探しても
ついに手に入れることはできなかった
「これ、探してたんですか?」
「え・・・あっ、はい」
よほど酔っていたのか、思わず口から漏れていたことを今自覚して戸惑ってしまった
こーいうとき、どうすればいいのか・・・
「えっと、デビューライブからファンで、でもコレだけ買えなかったんです。ずっと探してて
でも見つからなくて・・・」
「どうぞ」と、CDを私に差し出す手、この人は買わないんだろうか
「いいんですか?貴方も買おうか悩んでたんじゃ・・・」
「私は、もう持ってるんでどうぞ」
「あ、じゃぁ・・・ありがとうございます」
CDを手渡すと、女性はすぐに去ってしまった
長年探してきたモノと、まさかこんなところで出会えるとは
―今日はラッキーだ
会計を済ませて店を出ると、見事に雨が振り出したところだった
きっと今日はの運をすべてこのCDで使い切ってしまったのだろう
駅まで走るか、止むのを待とうか悩んでいると、先ほどの女性が傘を差し出しながら
「どこまでですか?」
「ちょっと先の駅まで」
「じゃぁ使ってください」
「え・・・悪いですよ、そしたら貴方が濡れちゃいます」
「私は家がすぐ傍だから」と無理やり傘を持たせられてしまった
「あのっ、せめて連絡先でも!ここ帰り道なんで、今度返します」
何か書くもの・・・そうだ、CDが入ってる袋に本屋の広告があったはず
その人は広告ではなく、CDとボールペンを受け取り
CDを開いて歌詞カードの裏に何やら走り書きし
ポケットから出した紙と一緒に返してくれた
「これ、良かったら」
???
何やらチケットのようだが、よく見ると『南響子』の文字
「南、響・・・子?」
「元、南響。傘、コンサートこれなかったら別にいいから、返せなくても気にしないで」
酔いがいっきに醒めて、驚きから立ち直ると、もうそこに彼女の姿は無かった。まるで通り雨のような出会いに
今までの出来事が夢かと思うが、手元には南響のサイン入りCD
そして、南響子のライブチケット
夢ではないのは確かだった
最終更新:2008年09月11日 01:00