『RUN』

443 名前:1/7 ◆fZSWlrjmJs []:2007/06/11(月) 21:06:00.20 ID:Xr+cBy3t0
高校3年目の夏休み
外で元気に自己主張するセミの鳴き声が俺をあざ笑うように聞こえ今日何度目かの怒声を吐き散らす。

「くそったれ!16過ぎれば大丈夫じゃなかったのかよ!」
ドン!
こぶしの痛みよりも、今は心の痛みの方が痛い
本棚の上にはいくつもの賞状とトロフィー
すべて陸上の大会で勝ち取ったものだ
しかし、今の自分にはそのすべてが無価値になってしまった。

今日も学校では部活が行われている
だがもう俺は参加できない、したくない。
すでにいくつかの大学からはスポーツ推薦も来ていた。
陸上で有名な大学からもオファーも含まれている
だが、それもすべて無価値だ・・・






444 名前:2/7 ◆fZSWlrjmJs []:2007/06/11(月) 21:06:41.78 ID:Xr+cBy3t0

女の体になってからも、走ることはできた
でも、本気でタイムを出しに行くと、途端転んでしまう
今まで走ることが生きがいで、陸上に生活のすべてをかけてきた
故に
体に、脳に染み付いた『元の体』に最適な動き
それが今の体には通用しない
途端にリズムが狂い、足がもつれ、転んでしまう。
それが悔しくて、悔しくて
走れないのが悔しくて・・・何度も泣いた。

親からは「いい加減認めなさい、女の子でも陸上があるじゃない」と言われた。

確かに、女子にも陸上はある
だけど、今の俺は翼を折られた鳥だ
自分が一番わかってる、俺はもう飛べない―走れない―







445 名前:3/7 ◆fZSWlrjmJs []:2007/06/11(月) 21:07:33.04 ID:Xr+cBy3t0
「ちょっと走ってくる、飯先に食っといて」
新しく買ってもらったスニーカー
その隣にはこの前まで履いてたスニーカー
・・・こんなにも足が小さくなったのか・・・

本当はもうこんな体じゃ走りたくないのに・・・
何も考えたくなくて、がむしゃらに走る
ただひたすらに、走る
無我夢中になって、走る
本当は走りたくないのに、そう思いながらも
頭のどこかが―走れ―と命じるのだ。
何度も転んでは、起き上がって走り出す

気がつくと、どこか山の展望台に居た。
俺の家がある街が遠くに光って見える
何時だ・・・22時34分
数時間走りっぱなしだったのか・・・親・・・心配してるかな
空を見れば満天の星空と満月、こんな場所だと、こんなに星が見えるのか
大パノラマで夜景と星空を見てると、何もかもがどーでもよく思えてしまう
その場で座ろうとして、倒れた

ははっ、無理もねーや、何も飲まずに何時間も走ってたんだから・・・視界が薄れ、意識が遠くなりはじめる
―このまま死んでも、いっかなぁ。こんだけ走ったんだし―






446 名前:4/7 ◆fZSWlrjmJs []:2007/06/11(月) 21:08:28.26 ID:Xr+cBy3t0

「おい、大丈夫?」
「ぅっ・・・ゲホッケホッ・・・」
水、と言いかけて目の前にペットボトルの水が差し出されているのが目に入った。
「ほら、飲め」
ただのヴォルヴィックがこんなにおいしいと感じたのは、人生で初めてだ
「キミここまで歩いて上ってきたん?」
少し意識が覚醒し、水を差し出してくれた人物が女性だと認識する。
「いや・・・走って・・・」無意識だったから多分だけど
「マジで?どこから?」
遠くの街の明かりを指で指し示す
「嘘っ」
「マジっす」
「・・・なんか嫌なことでもあったん?」
「まぁ・・・ちょっと・・・いや、結構・・・かな」

「なんや訳有りっぽいなぁ、そーゆーときは走れば多少気晴れるよ?あ、でもそれでここまで走ってきたんやっけ」
「走れば走るほど・・・ダメになってくんです」
「なるほどねぇー、なんならうちの車乗ってみる?」
彼女が指差す先には、一台の車が止まっている。車には詳しくないからよくはわからないが
いわゆるスポーツ仕様な車なのは、分かった。この人は俗に言う『走り屋』ってヤツなのかな
「ちーっと怖いけど、多分気持ちいいと、思うよ?」






448 名前:5/7 ◆fZSWlrjmJs []:2007/06/11(月) 21:09:49.60 ID:Xr+cBy3t0

車が山道をあれほど早いスピードで走れるものだとは、想像できなかった。
怖いとか、死にそうとか、恐怖感は無く
すごく気持ちよかった!
自分も今まで速さを追い求めて走ってた、それと似た匂いを、ハンドルを握ってる人にも感じる

車は山道を下りると、街の方へ向かいファミレスへ向かった
「なんか悩んでるんやったら、聞くよ?ここやったら飲み物もあるし、ゆっくり喋れるやろ、好きなもん頼んでええよ」
「すんません・・・」
「気にせんとなんか頼み」
小さめのサラダを食べながら、陸上の事や女になってしまったこと、走れなくなったこと
それが悔しくてあそこまで無我夢中で走ったことを話し、最後にすいません。と付け加えた。






449 名前:6/7 ◆fZSWlrjmJs []:2007/06/11(月) 21:10:33.68 ID:Xr+cBy3t0

それまで黙って聞いていた彼女は、軽く苦笑交じりに口を開く
「なるほどなぁ、なんや昔の自分みたいやわ、ほんと」
「昔の・・・自分?」
「うちもな、元男やったんよ。そん頃はまだ単車で峠攻めてて、突然女になってしもて絶望した
昨日まで乗れた単車が、上手く運転できんくなって
んでムキになって山に行ったら案の定、コケて足と手骨折
完全に単車じゃ速く走れんくなった」
「それで車に?」
「しばらく悩んだよ、正直引き際かとも考えて山に近づかんかったけどでも、なんやろか、こう『疼く』んよね。体が『走りたい』って
我慢してもしきれんで、今の車買って、たまに今日みたいに山に登ってる
馬鹿みたいやろ?でもさ、楽しいんよねぇ、走ってると」

楽しそうに語る彼女は、すごく輝いて見えて、それが羨ましく、美しく見えた。
「俺は、どーしたらいいんだろう・・・」どーしたいんだろう・・・







450 名前:7/7 ◆fZSWlrjmJs []:2007/06/11(月) 21:11:16.86 ID:Xr+cBy3t0
「走ってみたら?」
「でも・・・」
「気が付いたらあそこまで走ってたんやろ?
んならもーちょい走ってみたら?うちの経験やけど、多分走らんかったら後悔すると思うよ
男から女に変わって走れなくなったって言うとったけど
それって単車から車に乗り換えたときの違和感みたいなんと一緒なんやないかなぁ」
「人と車を比べられても・・・」
「一緒やん?人も、単車も車も、同じ『走る』やんか
うちも最初車に乗り換えたとき、単車より速くなんて走れんかったよ
単車と車じゃ全く違うからね、でもそれって、男の体から女の体に変わったのと一緒じゃない?」

なんかものすごく違う気もするけど、ものすごくもっともな気がする
「もう少し、走ってみようかな」
「そか、よかったわ。少しは楽なった?」
「おかげさまで、すごく」もしかしたらこの人は魔法使いか何かか
それほどまでに俺の心は様変わりしている
「ほな家まで送るよ、このあたりなんやろ?」

「あ、それは有難いんですが・・・」
「どした?」


「走って、帰ります」

―『RUN』―END


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最終更新:2008年09月11日 01:03
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