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『弓道の先輩』4

 先輩と、よろしく、と言い合って『握手』したから。
 そう、もう引き下がれない。
 俺は入部届にしっかりと名前を書いた。


よん


「ぐっもーにん三木君!いい弓道日和だね!入部届に名前は書いたかな?ん?」
 朝一番に岬にエンカウントした。今日は厄日だろうか。
「…ああ。ちゃんと書いたさ」
 岬に名前と判子を押した入部届を見せていると、後から声がした。
「あ、本当に書いてくれたんだ。ありがとう」
 驚いて俺と岬が振り返ると、そこには雪野先輩が立っていた。
「せ、せせせんぱい!おはようございますっ!」
「あ、雪野先輩、おはようございます」
 岬が慌てて先輩に挨拶する。
 俺もぺこりと頭を下げた。
「ミキ君、岬君も。おはよう」
 先輩も微笑んで挨拶を返した。
 岬はその笑顔にノックアウト寸前のようだ。
「先輩、家がこっちの方なんですか?」
 岬が会話を続けるのも危うい状態なので、俺が話題を振ってみた。
 俺たちは家が近いから徒歩通学。
 先輩も見たところ徒歩通学のようだ。 
「うん。そうだよ。割と学校に近いから、自転車に乗るには微妙な距離なんだ…」
「先輩!俺と三木も学校とご近所さんでなんですとよ!」
 岬よ、お前は何処の国の人だ。
「だと思ったよ。駅は逆方向だし、二人とも徒歩通学だもんね」
「む、見抜いておられてあらしゃいますですか。さすが先輩!洞察力も素晴らしい!」
 岬、その言葉はよくわからん上に失礼だ。
 ほら見ろ、先輩がむっとした顔をしてるじゃないか。
「ねえ…ミキ君。ひょっとして、馬鹿にされてる?」
「されてますね。岬、先輩に失礼だぞ」
 とりあえず俺が一発、岬の鳩尾に鉄拳の一撃を食らわせておいた。
 その場にうずくまって苦しそうにしているが、そこらへんは自業自得だ。
「おーっ、凄いな。ミキ君、きみ、ボクシング部から勧誘されるかも」
「・・・・・・せん…っぱい…、・・・・・れの・・・・・しんぱ・・・・い・・・・・をっ」
 岬がゼーゼーと苦しみながら何か言っている。
 先輩はその岬を見ていて何故か嬉しそうだ。

「そんなことより、あんまりモタモタしてると遅刻するんよ?」
 自分の携帯を引っ張り出して時刻を見た瞬間、青ざめた。
 なんと遅刻成立5分前だ。普通ならば間に合わないだろう。
 どうりでさっきから他の生徒を見かけないわけだ。
「「ちょっ・・・・・!」」
 岬と俺の声が重なる。
 それを見ながら先輩は狙っていたかのように、にやりと笑った。
「ほらほら、少年諸君。遅刻が怖ければ走れっ」
 言われなくてもスタコラサッサだ。
 流石に俺たちは元テニス部、足の速さには自信がある。
 普通の奴らが間に合わなくてもギリギリ間に合わせることができるだろう。
 しかし、そうなると先輩は間に合わないのでは…
「ほら、ミキ君。少しペースが落ちたぞ」
 …と思っていたが、普通について来ていた。
 というより全力疾走な俺たちより遥かに余裕がある。
「―――くそっ!」
 岬の声が聞こえた。どうやら本気になったようだ。
 確かに、元テニス部が女の先輩に走り負けて遅刻しました、
 となっては男としての名誉に関わる。
 俺もペースを更に上げた。 


 ―――学校には遅刻をしなかった。
 だが、全力疾走で全ての体力を使い果たしてしまった。
 肩をあげ、息を弾ませる俺たちをのんびりと眺める先輩。
 どうやらこんなことは日常茶飯事のようで、
 全く疲れた様子も見せずに「じゃあ、部活で」と言って教室に向かってしまった。
「あの…先輩、マジ化け物だ…」
 ようやく落ち着いた岬がぼやいて、自分の教室によろよろと歩いていった。
 俺もまったくそれに同意しつつフラフラと教室に向かって、
 今日の授業全てをうたた寝に費やしてしまった。


「…確かに。入部届は俺が顧問の先生に渡すから」
 部長が俺の入部届を持って威厳のある声で言った。
 昨日も来た弓道場への道。岬も一緒だ。
 だが、昨日とは違い、服装は制服ではなく体操服。
 さらに、見学の生徒ではなく、部員としてきたのだ。

「とりあえず、一年生は遠的場で筋トレだよ。…岬君もね」
 部長から一年生の指導を任せられた雪野先輩に、
 そう言われながら案内された場所、遠的場…跡地は弓道場の隣にあった。
 その先輩曰く、昔は遠的という弓道の競技種目の一種の練習場だったらしいのだが、
 遥か昔の先輩が大暴発をして問題になってから、使われなくなったのだそうだ。
 長い間使われていないせいか、今はアスファルトの足場と遥か遠くに的場が見えるだけで、
 矢道には雑草がぼうぼう生い茂って、ジャングルのようになってしまっている。
 その上、日が照り付けているので、夏になると相当暑そうだ。
 しげしげと景色を眺めていると、雪野先輩が練習メニューを伝えてくれた。
「初めてだし、ってことで腕立て、腹筋、背筋、スクワット30回ずつだって」
 …随分とぬるいメニューだと思った。
 明日からは100回に増えるらしいが、それでも余裕だ。
 結局5分もしないうちに全部終わらせて道場に向かった。


「…そう、それが『執弓(とりゆみ)の姿勢』。次は―――」
 筋トレを終えた俺を待っていたのは先輩の個別指導だった。
 初心者の俺はまずは弓道の基本、『射法八節』(注)を習うことになった。
 俺に八節を教えてくれるのは雪野先輩。
 三年生を凌ぐほどの実力の先輩に貴重な練習時間を割いてもらうのは、
 俺としては非常に心苦しいのだが、
 柳先輩曰く、「初心者は基礎が大事だから、上手い奴に教えてもらうのが一番」らしい。
 俺のためを思ってということだし、素直に感謝して練習を見てもらうことにした。

「うーん、ミキ君は筋がいいね。体格もいいし、上達は早いと思うよ」
 あらかたの動作を教えて貰い終わると、雪野先輩が言った。
「え、本当ですか?」
「うん。初心者にしては安定してて、今日初めてとは思えないよ。将来が楽しみだなーっ」
 やっぱり、上手い人に褒めてもらえると嬉しい。
 思わず俺は、先輩の両手をがっしり握ってお礼を言った。
「ありがとうございます。先輩の指導のお陰です」
 すると先輩は驚いた顔をした後、急に俯いて、
「いや…指導なんて…べ、別に…何もしてないから…ミキ君の…さ、才能…で…」
 何やらごもごもと呟いた。
「それじゃ、交代みたいだから、行くね…」
 そして先輩は俯いたまま、交代の先輩によろしくと言って、
 さっさと道場に引っ込んでいってしまった。
 練習の間、先輩はそれっきり道場から出て来なかった。


 道場の清掃と解散の号令を終え、俺たちは着替え始めた。
「うー、う、腕が疲れた…」
 3時間近く腕上げっぱなしなのは流石にしんどい。
 岬もあーわかるわかる、と同意した。
「俺もそうだった。2時間くらいすると上げるのが億劫になるんだよな…」
「これは確かに、腕立て100回を終えた後だときついかもしれないな」
「ああ。さっさと先輩に認められて一緒に練習できるようにならないと…夏は死ぬぞ」
 照りつける太陽、熱されたアスファルト、その下でじっとゴム弓を構える。
 想像するだけで汗をかきそうだった。
「そう言えばお前は、先輩に見てもらってどうだったんだ?」
「ああ。俺か…柳先輩に『変な癖を直すまではゴム弓生活だな』って言われたよ…」
「おいおい。どーしたよ。経験者」
「うるせー。それよりお前は、雪野先輩に見てもらってたろ、どうだったんだよ?」
 岬がふてくされながら聞いてきた。
「ああ…それがな…」
 先輩の様子が突然変わったことを話すと、
「…そりゃー、いきなり手を掴まれたらビックリするだろ」
 見事に呆れられた。確かにそうだ。
「申し訳ない…舞い上がって思わず…」
「俺じゃなくて先輩に謝っとけよ」
 む、悔しいが正論だ。着替えてから謝りに行くか…

 その後、制服に着替えてから雪野先輩を探してみたが、
 もう帰ってしまったようで見つけることができなかった。
 しょうがないので謝罪を明日に回し、その日はそのまま岬と帰った。
 帰り道でも雪野先輩がいないかと探したが、無駄だった。
 こうして、俺の弓道生活は1日目は、明日への大きな期待と小さなもやもやを残して終わったのであった。




よん おわり

注『執弓』は弓道において基礎中の基礎の姿勢ですが射法八節には含まれません

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最終更新:2008年06月11日 23:58
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