一度も女性と肌を触れあわせることもなく、ボクは本日から飲酒解禁となった。
肌を合わせるどころか、手だってろくに握ったことがない。会話らしいもあまりした覚えがない。
だって、ほら。女の人って、怖いじゃないですか。だいたいいつも見下してくるし、
見下すって言うか、見下ろしてくるし。だいたいみんなボクよりでっかいし……
まぁ、ボクが小さいんだけどさ……
「はぁ…… 女の子になっちゃえばよかったのに……」
最近ではそんな台詞がすっかり口癖になってた。
聞くところによると20年前だったかな、女性化した元男性が最初に発見された日というのは。
連日新聞の一面を飾るほどの大ニュース。えらそうなお医者さんが方々走り回ってそれはえらい騒ぎだったらしい。
ボクの生まれた頃の話だから、ボクらの世代は女性化なんて当たり前だと思ってるし、なんでそんなことで大騒ぎするのかどうもよくわからない。
さすがに20年もたってるから研究も進み、今では女性化についても多くのことがわかってきている。
曰く「誕生からきっちり15年たった瞬間、その時点で童貞である男性のうち4人に1人が女性化する」とのこと。
ちなみに病名はつかなかった。健康な女性として日常を過ごしていけるのに、病気と呼ぶのはおかしいということなんだそうだ。
人権保護とかなんとか、そういうことらしい。
つまりその日から、人間の男というのは「童貞で居続けると約1/4の確率で女性化する生き物である」と再定義されたわけだ。
女になりたくないって叫んでる奴もいたけど、実のところ確率が微妙なんでみんなあんまり危機感無かった。
ボクはたぶん女の子っぽい。女っぽいんじゃなくて女の“子”っぽい。
編み物が趣味だし、料理も一通りこなすし、走り回るよりもひなたぼっこしながら編み物している方が性に合ってる。
いまどきそんな女の子もいないよって言われそうだけど……
それに、甘いものも大好きだ。今だってケーキを買って帰る最中だし。ちいさいけど切ったのじゃなくて丸いやつだよ。Happy
Birthdayのプレートとサンタさんのマジパンが乗ってるんだよ。
今日はクリスマスイブ、町は賑やかお祭り騒ぎ。こんな日に誕生日ケーキ買うのはちょっと恥ずかしかったりした。でもしょうがないじゃん。こんな日に生まれたのはボクの所為じゃないし。ケーキおいしいし。
そうだ、せっかく飲んでいいことになったんだし、近所のコンビニによってお酒買ってみよう。えっと、免許証は…… うん、持ってきてる。ないと子供だって間違われちゃうからね! ――…… orz
えぇそうですよ、どうせ大人に見えませんよ。車運転してると警官に止められますよ…… orz
ま、いいや。気を取り直してお酒買いに行こう! 最初は甘いのがいいかな?
――キンコーン! キンコーン! キンコーン!
ふと、通りがかった時計屋さんから午後3時を告げる鐘の音が聞こえる。
あぁ、そういえば、ボクの出生時刻って午後3時だっけ? 占いしてみるために調べてみたことがあるんだ。出生直後の病院の写真が見つかって、まだサルみたいな顔だったボクの枕元に「出生時刻:12月24日15時00分」って貼ってあった。
――ドクン!
不意に、心臓の音が聞こえた。
――ドクン! ドクン! ドクン!
どうしたんだろう、心臓の音がうるさい。だんだん大きくなって、もう周りの音も聞こえない。
――ドクン! ドクン! ドクン! ドクン! ドクン!
あれ、目の前が暗くなって、なんか感覚がなくなってきて……
あれ、ボク 今 ……倒れ て ………る ?
………………
…………
……
ん? あれ? 天井が白い……
これはあれかな? 小説にありがちな見知らぬ天井パターン?
とすると、ここは病院? あ、そうだ。見回してみるとお医者さんと看護婦さんがいる。
あれ? 看護“師”さんって言わないといけないんだっけ? あれってどうして女の人固有の名称を取り除く方法に進んだんだろう? 男の人の方にも固有名称つけちゃえばよかったのに。そういうもんだいじゃないのか。
「君は、柊 誠(ひいらぎ まこと)くんで、間違いないね?」
あ、優しそうなお医者さん。ちょっと声が高め。
「あ、はい。間違いないです。あれ? ボク、なんでこんなところに?」
そうだよ。病院なんだよ。なんでこんなところにころがってなきゃなんないのさ。
「あぁ、うん。君はね、町中で倒れたんだよ」
「はぁ、そうですか……」
うん、まぁ、気がついたら病院っていえば、そのパターンだよね。
「えっと、病気とかなんか…… ですか?」
「説明すると長くなるんだけど…… 念のため聞くけど、この免許証は君のものだよね?」
いつも見慣れた免許証が目の前に差し出された。
「当たり前じゃないですか。写真だって貼ってあるでしょう?」
いつもそうだ。外見が14歳とか15歳とかくらいにしか見えないからって、いつも免許証が偽物なんじゃないかって疑われる。
まぁその疑いを晴らしてくれるのも免許証なんだけど。
「それから、ちょっと鏡を見てもらってもいいかな?」
お医者さんがそういうと、看護師のお姉さんが手鏡を抱えてその横に立った。
ボクは鏡をのぞき込むためにベッドから身を起こした。あれ、顔にかかる髪が鬱陶しい。こんなに伸びてたっけ? 切りにいかなきゃ。
鏡をのぞき込むと――
「……え?」
……女の子がいる。上永井。もとい、髪長い。
あれ? この鏡ボクの方向いてるよね?
じつはちょっと斜めで、ボクの斜め後ろの女の子が映っているとか。いやいや、間違いなくこっち向いてる。
えと、それってボクって事? だってボク男……
まさか、女の子に? なっちゃったとか…… ?
だってだって! 女性化って15歳の誕生日じゃん! ごく少数例外もいるって聞いたけど、それでも±2年の範囲っていってたはず。ボク今日で20歳!
ちょっとほっぺたとか摘んでみた。うん、鏡の中の女の子も摘んでる。ボクだ。
いや、ちょっと待とうよ! そりゃ15歳前後の時は変わるかもって思ってたよ。でも例外を考えても17歳でならなかったらもうならないはずじゃん!
それが……
それが!
「今更かよ!!」
……
あれ? お医者さんとか看護師さんとか驚いてる。そりゃそうか、いままでぼーっとしてたと思ったらいきなり鏡に向かってツッコミ入れるんだもん。
とにかくこれが、ボクが女性化した直後の風景。
大学2回生の冬、12月24日の出来事……
メリー ……クリスマス ?
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ケーキおいしかった! 倒れたからちょっと崩れちゃったけど、サンタさんもまっしろけっけだったけど、味には関係ないし。
で、あれから、医者の方も女性化に慣れているようで、手続きなんかも簡単に終わった。
実家の両親にも連絡したけど…… なんか大笑いされた。orz
「せ、成長遅いと思ってたけど、ま、まさか、まさか今更 あはは、あははははは」
だってさ。豪快な両親だとは思ってたけど、大爆笑はないんじゃないかな? テーブルとかドンドン叩いてる音が聞こえたし、そこまで笑わなくても……
誠ってなまえは、両親とも話し合った結果そのまま使うことにした。字は変える、別の漢字にするか平仮名にするかは、申請書類提出までに余裕があるからもうちょっと考える。
“真琴”とか?
服の方は、前のものがある程度着られそうだ。これからどんな趣味の服を選ぶかは、自然に任せようって事になった。
でも最初からちっこい服がさらにぶかぶかってなんだよ~…… orz
その他諸々の手続きも、ちょうど冬休みに突入して余裕があったんでだいたい済ませてきた。
女性化証明書とかいうのをもらったよ、運転免許サイズのカードで、変化前と変化後の写真が貼ってある。これを見せることで、男性時にとった免許なんかも使えるんだってさ。
とにかく、そっちは簡単に片付いてよかった。 ……って事にしよう。問題は大学の方か……
明けましたさ。えぇ明けましたともさ、おめでとうございますとも。
明けて初日、通常講義の方は別の大学の人が潜り込んできてもかまわないような場所だからまあいいとして、問題は研究室だよね……
うちの大学は2年の後期から研究室が始まる。最初のうちは通常講義の方がメインで、だんだんと研究室よりの生活にシフトしていくことになる。
特別“研究”ってほどの研究もまだしない。
いまのうちはそんなに頻繁に行く必要はないんだけど、顔見せないと怒られるしなぁ……
教授への挨拶は簡単に終わった。うちの教授、既知の情報についてはまったく興味ない人だし。多少例外的ではあっても、女性化自体は既知の情報だし。
「そうか。わかった」
だってさ。簡単過ぎにもほどがあるだろう!
さて、問題は学生が集まる方の教室だ。絶対いじり回される。っていうか先頭に立っていじり回す先輩の顔が浮かぶ……
「仕方がない…… いくか……」
一通りの連絡は、やたら優秀な事務のお姉さんの手によって迅速に終わっているらしい。
ボクはおそるおそるノブをひねると、開き直ってえいやっ! とドアを開けた。
「あぁ、あけまして、お… おめでとう ございます!! ひいらぎ まこと! 恥ずかしながら生きてかえってまいりました!!!」
うあぁ、あれ? あいさつ間違えた? やばい、テンパってる……
「うわっ! ショタっ子がロリっ娘になった!」
「桜子さん、それひどい……」
やっぱりいじってくるだろうなぁと思った桜子さんが、よりによって扉の目の前にいた……
この人、桜子・ダンジェルマイアさん。3回生にしてすでにこの研究室の主。この大学の支配階級に属する人。ボクの天敵(だってデカいし)。いちおう紅一点。
ハーフだかクォータだか言ってた気がするけど、黒目黒髪でどう見ても日本人にしか見えない。身長以外は……
なんか身長170超えてるらしいですよ。モデル体型っすよ。体型っていうか実際にモデルで稼いでて、金回りいいらしいよ。
でもって、“でぃす いず 理系女”な人。学問では頼れるけど日常生活は危なっかしい。
以上、桜子さんの解説を、自律制御機械システム研究室上空よりお伝えしました。 ……上空?
「って桜子さん! 抱え上げないでよ!」
あう、高い高いされてしまった…… うぅ~、おろせ~! じたばたじたばた……
と、抱え上げられたボクのからだが、横からかっさらわれた。
「ふぅ、ようやく解放された…… って肩の上のっけるなよマジンガー! 高い! 落ちる~!!」
横からかっさらって、あろう事か肩の上にのっけたこいつ。本名 鉄 築(くろがね
きずく)、ボクと同じ2回生。この研究室の2回生はボクとこいつしかいない。
愛称はマジンガー。だって空にそびえる鉄の城。なんか身長2メートル超えたんだってよ。名字も鉄だしね。
あぁ、これが2メートル超の視界か。うわ、別世界。たっけ~。天井ちけ~
「って、高いよ! おーろーせー!」
ひとしきりじたばたしたらやっと下ろされた。やぁ久しぶり、ボクの地表。あいたかったよ。
「っつ~かデカいよマジンガー、その身長少しよこせ!」
けりっ! けりっ! むぅ、涼しい顔しやがって……
「あっはっははは、あははは、あは、あ~っははははははは」
く、桜子さん大爆笑してる……
「はははは、あ、あんたら、いいコンビだわ。あはははは」
「桜子さん笑いすぎ……」
マジンガーはマジンガーでまじめな顔して黙ってるし。いま肩にのっけたのだってこいつ大まじめなんだぜ。わけわかんないよこいつら。もう……
「ところでまこちゃん」
「まこちゃんはやめて……」
突然大まじめな顔して桜子さんが話しかけてきた。膝立ちして視線あわせるのやめて、なんか丁度いい高さなのが余計惨め……
「休み長かったから、長いことうちに人来てないのよねぇ~」
う、なんか嫌な予感……
「わかるわよね? ね?」
新年早々このパターンですかそうですか……
で、お持ち帰られ中……
「桜子さん、部屋の掃除後輩に強制するのやめようよ~……」
それからオーバーオールの肩紐をひっつかんで仔猫みたいに持ち運ぶのやめて。そこ掴まれてるとコート着れないからちょっと寒い。
「だってまこちゃん、お掃除だけじゃなくてお料理も出来ちゃうから便利なんだもん」
「“もん”じゃないよ! それから、まこちゃんはやめて」
桜子さんは日常生活がダメだ。何も出来ない。片付けようとしても余計散らかるから片付けるのあきらめたんだってさ。だからって……
最近はよくボクが犠牲になってる……
ちなみに、ボクは桜子さんにタメ口きいてるけど、これは桜子さんが研究室に敬語禁止令出した結果。堅苦しいの嫌いなんだってさ。
家着きましたさ。片付けましたともさ。散らかりすぎだろ!
そしたらやっぱりご飯までつくれってさ。えぇ作ってますともさ。
「桜子さーん。せめて少しでも片付け手伝おうよ~」
「無理ー! 邪魔なら出来るけどー!」
キッチンの外からのんきな声が返ってくる。片付けるのあきらめるほどの片付け下手だし、まぁそうだよね。あきらめて料理に専念しよう。
むぅ、でも相変わらずいい調理器具そろってるなぁ。本人さわってもいないんだろうね、これら。
すっごい圧力鍋。煮物が一瞬ですよ。やっぱ電子レンジと圧力鍋はスピード調理の味方だよね。欲しいなぁ、これ。
「えー、野菜ばっかり~」
「桜子さん絶対野菜足りてないからダメ! 文句言わない! “でとっくす”とかいうやつだよ? 健康だよ?」
作りましたともさ。並べましたともさ。エプロンでっかいけどね!
丁度いい高さの踏み台が用意されててむかついたけどね! 使ったけどね!
「それにね、日本人には鰹があるの! 出汁が浸みてれば何でもおいしいんだよ?」
“うまみ”って味覚を発見したのは日本人なんだってさ。感謝しなきゃ。
煮物しか出さなかったけどね!
「でも、案外元気じゃん。まこちゃん。突然性別が変わってへこんでるかと思ったら、うん、なんか安心した」
「え?」
……あれ、そうかも。なんかどたばたしてそれどころじゃないって気がしないでもないけど。
「それに、前はもうちょっとびくびくしてたのにさ。元気そうじゃない」
「……あれ?」
そういえばそうだ。どうしてだろう、今日は桜子さんが怖くない…… いつも通りの傍若無人なのに。
前は女の人っていえば無条件で怖かったし、でっかい桜子さんなんか天敵だったのに……
女の子になったから? なの? っていうか
「ていうか! まこちゃんはやめて!」
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桜子さんがこわくなかった。
桜子さんがこわくなくなった。
女の人がこわくなくなったのだろうか? それとも、桜子さんだけかな?
桜子さん、ある意味男らしいしなぁ……
以前は女の人に面と向かって話されると、無条件に身構えてたのに。もしかしたら逆に、男の人がこわくなってたりして。
そんなばかな。
というわけで通常講義が始まる前の講義室。
「じぃ~~~~……」
マジンガーこと鉄 築(くろがね きずく)。タメ。いちおう男。
ちょうど後ろに座ってたんで、椅子に後ろ向きにひざ立ちで乗って、じっと見てみた。
「じじ~~~~~~……」
う~ん、座っててもデカイな。目、細い、見えてるのかなこれは。髪、短髪、長いのは似合わなさそう。
肩幅もでっかいなぁ。昨日はこの片方に乗っけられたんだ。片方で十分って、何このサイズ差……
「じじじぃ~~~~~~~~~……」
――ぺたぺた。
う~ん、がんじょうそうな下顎だねぇ、料理とかもりもり食べてくれそうだ。髭もよく剃られてる、ザラザラしない。
「…………ふっ、まさかね」
マジンガーがこわいわきゃないか。正義のスーパーロボットだしね!
ほかの男の人もこわくないのか? マジンガーだけなのか? 今のところ、そんなに危機感は感じて無いかな。
「……? ……??」
お、マジンガー困ってる。まぁマジンガーだからいいや。
っておい!
「あ…… 赤くなるなよ!」
な、なんだよ。相手はちょっと前まで男だったボクだぞ。その反応はちょっと、なんというか ……ねぇ?
な、なんか変な空気になってしまった。どきどき……
町に出よう!
桜子さんは大丈夫になった。マジンガーは平気そうだ。あとはどこまで感覚が変わったか試してみたい。
今日は研究室には行かない。研究テーマはまだだし、たまに顔を出してお手伝いでもすればいいんじゃないか? ってくらいだし。
ということで、マジンガーをつれて町に出ることにした。
――ぐつぐつ ――ことこと
うん、いい感じにできてきた。ロールキャベツは鍋底一杯にきっちり敷き詰めるのがコツだね、こうすれば楊枝で止めなくても型くずれしない。
…………って、あれ? ボク今家で料理してる?
あぁそうだ。一回は町に出たんだ。
とりあえずゲーセンでも行こうとか言って入ってみたんだけど、二人で来て一人用のゲームやってもしょうがないし、やることが見つからなくてさ。
対戦格闘とかやってみようかと思ったけど、知らない人たくさんいるじゃん?
二人で対戦するからどけとは言えないし、並んだら別の人との対戦になるかもだし、それは怖いから絶対無理だし。
エアホッケーの台があったからやってみようかと思ったけど、そもそも運動得意じゃ無いし。……っていうか台に届かなかったさ! 届かなかったともさ! わるいか!!
で、しょうがないから服でも買いに行こうかって話になって、でも予算が無いから服の某有名量販店が2階に入っているスーパーに向かったのが運の尽きで……
そこの1階で、ボクは見てしまったんだ!!
タ イ ム サ ー ビ ス ! キ ャ ベ ツ 大 特 価 ! !
だってしょうがないじゃん! 安いんだよ? 時間限定なんだよ? ちょうど荷物持ちがいるし。
それで、大喜びで買い込んで、よし! キャベツといえばロールキャベツだ! と、そんなわけで今に至る。というわけ。
とはいえ、さすがに買いすぎたかな。傷む前に調理して冷凍しておこうか。入りきらなかったら研究室にでも差し入れて、それでも多いかも……
しかたない、今日の荷物持ちに振る舞ってやるとしよう。
んで。
「おいしい?」
口をいっぱいにしたままのマジンガーがこっくりうなずいた。そうか、旨いか旨いか。
うん、旨そうに食べるなぁこいつ。ちょっと嬉しくなっちゃうよね。
やっぱり思った通り、もりもり食べてくれる下顎だ。
味あわずに飲み込んだりなんか絶対にしてこなかった下顎だ。
よく噛んでよく噛んで、しっかりたっぷりと味わって、一口一口をめいっぱい味わいきってから飲み込んでくれる下顎だ。
よく動くなぁ…… うん、いいな。
…………なんか気づいたらずっと見てた。
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桜子さんが何事か画策中。内容は教えてくれない、ただスケジュールを空けとけってだけ。ん~、悪巧みが似合う人だ。
というわけで、また桜子さんちに拉致られました。掃除はいつも以上に念入りにしてくれとのこと。どうやら悪巧みの実行現場はここらしいよ。っていうか……
「手伝えよ!」
って叫んだところで相手はここにはいない。食材の買い出し頼んじゃったし。いられても掃除の邪魔だし……
なんか、態度デカくなったよねボク、身長と反比例して……
さて、掃除しながら踏み台と一緒に移動してきたボク。無いと届かないからね!
最後はここ。お手洗い。厠。トイレ。うぉ~た~くろ~ぜっと
――呼び方変えてもものは変わってくれないけどね……
ひとんちのトイレって抵抗あるなぁ。でも念入りにって言ったし、ここもだよね。っていうか『トイレ用の洗剤買ってあるから』とか言われたしね。
「しかたない、やるか!」
で? 洗剤はどこなのよ。置き場所聞いてないよ? でもまぁ普通はトイレに置いてあるよね。普通は…… でも相手は桜子さんだしなぁ……
とりあえずトイレに入って作り付けの棚を空けて中をみてみる。上の段に置かれてたらアウトだ。届かないし…… 踏み台置くスペースは無いし……
はてさて下の段はと。トイレットペーパーの買いおき、生理用ナプキン、便座除菌スプレー…… 以上?
む、無いじゃん。それにしても便座除菌スプレーどうする気なんだろう? 便座カバーかかってるから使えないよ、これ旅行用じゃん。
……っと、あれ? なんかいま、大変なものスルーした気がした…… ? ??
え~と、なんだろう。あれ?
トイレットペーパー。これはちがうな、ツッコミようがない。
便座除菌スプレーは今つっこんだとこだ。
あとは、生理用ナプキン…… あれ?
えっと、おかしい…… あれ? おかしいよ?
だって、ほら。え~と…… あれ? まさか…… だって……
………… …………
……ボク ……まだきてない ……生理
………… …………
…………
「なっ! なんだって~!!!」
いや、ちょっと待とう! おかしい! だってボクもうハタチだし!
性別変わったのが12月末で、今が2月になったところで、丸1ヶ月は余裕で過ぎてる!
月のものって言うくらいだからだいたい月1で来るはずで、1回は来てないとおかしいはずで……
「ど、どうしよう…… どうすれば……」
おろおろ……
とりあえず、トイレ掃除はマジンガー呼び出して押しつけた。あとでなんかおいしいものでもごちそうしてやろう。
で、ボクは速攻で家に帰ってPCの前。わかんないときは文明の利器があるじゃないか。こういうこと人にきくのはちょっと、恥ずかしいし……
たすけて! ボクらの味方インターネット様! えいっ、検索!
え~と、なになに?
「『生理って、気合いで2~3日遅らせられるよね』って何の体験談?」
うわ~、役にたたない! 次!
「え~、うわっ! アダルトサイトだ!」
えーいウザイ! 次!
「『大豆イソフラボンは女性ホルモンのエストロゲンと似た働きを……』、ふむ」
大豆…… ねぇ…… ほかには――
「『過度のストレスによりホルモンバランスが崩れ、生理が止まる……』?」
いや、そんなストレスは感じてないと思う。次! ん? なんか古いニュース記事が来たな。
「え~『女性化現象に起因した自殺が急増している問題を受け、政府は医師による専門のカウンセリングルームを……』……」
カウンセリング…… これか? これなのか? 知らない人には相談しづらいけど、医者なら何とか……
そしてカウンセリングルーム。婦人科医が常駐していて、女性の体特有の悩みならなんでも聞いてくれる。
ちなみに、女性化証明書を見せれば、変化から半年以内であれば女性化に特有の悩みに限り無料だ。
周りはボクと同じで人生の途中で性別が変わったタイプの人。だから、変なふうに思われたりしない。だから気にする必要は無い。はず……
でも、こえぇ~…… 入り口くぐれない…… 数メートル歩けば入り口なのについついケータイとかいじってるボク……
そうだ! こういうときは顔を隠すために帽子を目深に! 目深に…… まぶか……
無理! 今ベレー帽! たいして隠れない!
こういうときは『えいやっ!』で行くしかない! 案ずるより横山やすし(誤)!
で、行ってきたさ。これだけ気合い入れて行った結果が
「まぁそんなこともありますよ」
だった場合はどうすればいいんだよ~
「もうちょっと様子を見てみましょう」
っていつまで見ればいいんだよ~……
しょうがない、今できることをやろう。
そう、たしかネットで検索した結果にもあった。気休めにしかならないかもしれないけど
『大 豆 イ ソ フ ラ ボ ン !!!』
というわけで本日の晩ご飯。以下、用意するもの。
豆乳。成分無調整無添加。大豆の力をください!
豆腐と厚揚げ。せっかくだから大豆製品さらに追加!
ネギ。束で安く売ってた。冬にはこれだよね。
春菊。こればっかりは譲れない!
鶏肉。低カロリー高タンパク。
鱈(たら)。冬が旬のお魚。大口魚とも書くらしい。
チキンブイヨン(顆粒)。要するに洋風のお出汁。
土鍋。これがなければ料理が出来ない。
マジンガー。本名 鉄 築(くろがね きずく)。ため年。
あとは、しいたけ、三つ葉、その他。それからみりんなどの調味料に、水。こんなものかな。
「というわけで。今日のご飯は豆乳鍋~♪」
む、マジンガーが『何で呼ばれたんだろう』って顔してる。
「掃除押しつけちゃったしさ。そのお返しだと思っておいてよ。
それに、鍋は1人より2人の方がおいしい!」
むぅ、まだ疑問顔だ。
「いいから黙って食えよ!」
できれば喋りながら食えよ! ……無理だろうなぁ、無口なんだよなぁ。
何だかんだ言って、差し向かいの食事って楽しいよね。
うんうん、あいかわらず気持ちいいくらいよく食べる。作りがいがあるってもんだ。
最近料理が楽しい。今まではただ、一人暮らしに必要だから料理してただけだけど、今は楽しい。性別の変化が関係あるのかな?
まぁ、こんなにうまそうに食べる人間が目の前にいたら楽しくもなるか。
まだ余裕ありそうだな。あとでラーメンの麺でも投入してやろうかな。
後日、大豆イソフラボンが効いたのかどうかしらないけど、来た。
「う……おぉぉ……おぅ……」
めっちゃ重いんですが…… 来なければ不安だし、来れば来たで憂鬱だし……
あぁー! もう! あーもうっ!!
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ついに、研究室最後のイベント、卒業研究発表の日がやってきた。研究室に入ってずっと研究してきた成果を教授達にぶつけ、卒業を勝ち取る儀式だ。
内容は割愛!
だって興味ないでしょ? 今年はボクら2回生は無関係だし。
ついでに、まだ3回生の桜子さんも発表はまだ。手伝いには駆り出されてたけどね。
で、ボクとマジンガーは、今日なにも無かったはずなのに桜子さんに駆り出されて駆けずり回り中。
「かぶせないでよ。町中で被るものじゃないよ~」
買い出しの荷物の中から、なぜかアメリカっぽい帽子(プラスチック製)を取り出してかぶせてくるマジンガー。しかも真顔で。たまにわけわかんない。
こんにゃろ。いつか鼻眼鏡かけさせてやる。 ……顔まで届かないけどね!
マジンガーは買い出しの荷物をガンとして持たせてくれない。それどころかついでにボクまで持ち運ばれそうな勢い。それは勘弁
「痛まない物は大体終わったかな?」
桜子さんから預かったお買い物チェックリストを確認。うんうん、大体おっけ~。
「さぁあとは食料品だー!」
チェックリストの最下段には『食料品。全部任せた!』と太字四倍角下線つきで書かれている。
今日に料理は全部ボクの自由だ。ふふふ、うでがなるじゃないか♪
予算は十分。桜子さんから渡された現金入りの茶封筒はまだまだ余裕。 ……ていうか余裕あり過ぎ! 分厚いよ! えぇい、ぶるじょわじ~め!!
まぁおおかた何やってるか予想がつくと思うけど、今日研究発表を終えてくる先輩方の恩出し会ね。
ちなみに昔、“恩出し会”のことを“追い出し会”だと誤解してたのは秘密だ。随分失礼なことやるなぁって不思議に思ってたよ。
で、会場。やたらとセキュリティに厳しい桜子さんち。高級賃貸マンション。リビング広いの。月いくらくらいするんだろう……
セキュリティ装置は立派だけど、桜子さんのセキュリティ意識はいまいちなので台無しのような気もする。結構前からボクにスペアキー渡しちゃってるし。
ところで、モデルのバイト代で払ってるって言ってたんだけど、片手間にやってるようなモデルさんってそんなに稼げるの?
さて、部屋の飾り付けはマジンガーの担当、当然ボクは料理担当。
マジンガーデカイよ、踏み台もなしに部屋の天井に飾り貼り付けたりしてるよ。ボクなんか踏み台があっても無理!
まぁ向こうは任せておこう。さてさてお料理お料理♪
乾き物なんかはとっとと開封して、埃よけにキッチンペーパーかぶせてとっとと並べておいた。
ビネガー使ってるものは酢酸の殺菌効果で大丈夫だろうと一緒に出しておいた。
冷たいものはボールに入れたままラップして冷蔵庫、あとは盛り付けるだけ。
のこりはあったかいまま出したいものだ。
「さて、切るものも切り終えたし――」
あとはみんなの到着時間を見計らって一気に火を通すだけだ。
と、自然とボクの目はボールに山盛りになってる白っぽい物体に向かう。ボクの大好物、ハーブ入りポークソーセージ♪
さりげなくこれだけ量が多いけど、いいよね? 料理担当者の特権って事で。役得役得♪
さて、これをボイルしたいんだ。焼かない。塩でゆでるだけ。
とするならば、だ。
「あれを使いたいな……」
棚の上の方にあるでっかいやつ。ボクの部屋には無い調理器具。円周よりも深さの方があるおナベ。いわゆる“ずん胴”。
「重そうだなぁ……」
重さ以前に棚の上の方だから届かないんだけどさ。届いてもボク一人じゃガスレンジに乗せるのも一苦労だろうけど……
そうだ、こういうときこそマジンゴー♪
「マジンガーマジンガー。ちょっときてちょっと」
しばらくするとマジンガーが体を縮こまらせながらキッチンの入り口をくぐって来た。
って、なんで三角帽子かぶってるかマジンガー!
……うん、突っ込んでやんないことにしよう。真顔だし。
「あれとって、あの深いやつ。ついでに水もいれてガスレンジに乗っけてくれるともっとうれしい」
さすが2メートル超の大巨人マジンガー、ナベの置いてある場所がむしろ低く見える。
うわ、すげ~。水をたっぷりいれたずん胴をあんなに簡単にガスレンジの上に乗せてる。
「さすがマジンガー。頼りになる」
常人にはできない力業に思わず感嘆の声が漏れてた。
お、マジンガー照れてる。こいつめこいつめ♪
そんなバカなことをやってたら、僕のオーバーオールのポケットから越天楽が流れ出した。メールの着信音だ。桜子さんからだな。
メールを確認すると――
『もうそろそろ着くよん(はぁと)』
だってさ。“よん”って……
「さてと、仕上げに取り掛かりますか♪」
桜子さん、いろいろ引き連れて帰宅。ボクもエプロン姿で玄関まで出迎える。
「まこちゃ~ん、たっだいま~♪ 逢いたかったよ~」
なんだかテンションの高いお祭り好きの桜子さん。おもむろに僕の手を取ると、その甲にキスを――
「するなするな! なんなのさ、そのハイテンションは」
「まあまあ、いいからいいから。気にしない気にしない♪ ほ~ら、高い高~い♪」
「やーめーろーよー…… 助けろマジンガー!」
そういうとマジンガーは持ち上げられているボクの体を横から掻っ攫い、そのまま上に持ち上g――
――ゴンッ!!
…………
静寂…… 痛い静寂……
床に下ろされ、天井にぶつけた頭を抱えてうずくまっているボクを中心に、みんながあっけに取られて固まっている……
――じろり!
ボクはうずくまって頭を押さえたまま、マジンガーの顔をにらみつけてやった
む、おろおろしている。
――ぎろっ!
さらににらみつけてみた。
お、マジンガーがわたわたし始めた。
わたわたしてる2メートル超の巨人――
……あれ、ちょっとたのしいかもしれない。
――じと~~
ふふふ、あわててるあわててる。
そのまましばらく目線であそんでた。
「それでは、諸先輩方の晴れの門出を祝して、かんぱ~い」
桜子さんの手によって完璧にビールを注がれた大ジョッキ(!)を抱え、なぜか桜子さんの音頭で恩出し会はスタートした。
桜子さんの後ろについて来てる人達って4回生の3人だけかと思ったら、なんか酒屋さんまでついて来ちゃってて、業務用生ビールサーバを台車に乗せてやがんの。
どんだけ飲ませる気なのかと……
「これ、中野さんが止めるべきだったんじゃ?」
そんな愚痴を、ちょうど横にいた4回生の中野さんに言ってみた。
「僕の言うことを聞く人だと思いますか?」
質問で返されてしまった。うん無理だと思います。
この人、中野さん。研究室の中心人物。桜子さんによって敬語禁止が言い渡された研究室の中で、唯一敬語で話す人。
敬語じゃないとうまく喋れないらしいよ。“関西芸人がネタでしゃべる東京の言葉”みたいになるらしい。
ちなみに、桜子さんによってつけられた愛称は『中の人』。たぶん同じ4回生に牛(にゅう)さんっていう中国人留学生がいるのが原因。
もうひとりの4回生の山縣さんなんて、全く関連性ないのに“かえるくん”って呼ばれてるし……
あ、4回生の方々は今後出て来ないと思うし、忘れてしまうがいいと思うよ(ぉ
「まこちゃん! 飲んでるかー!」
桜子さんが早くもごきげんだ。というか玄関からずっとこんな調子だ。
「大ジョッキ重いよ。それからまこちゃんはやめて」
男性陣も引き気味。そういった空気を一切気にする事なくビールを注いで回るハイテンション桜子さん。
なんかビールサーバ背負っちゃってるんですが……
「ボクまだ注がれるほど飲んでないよ……」
「いいから飲め~♪」
そんなこんなで、泡が弾けてできただけの透き間にすかさずビールを注ぎ足す上機嫌桜子さん。
このテンションは酔ってるのか、地なのか……
………………
…………
……
「うぁ? ……ん~ ……?」
あれ? 寝てた?
「うゆ?」
上体を起こしてみまわしてみる。ん~、死屍累々って感じ?
電気もつけっ放しのまま、全員その辺の床に転がっている。
あれだな、桜子さんがハイペースでビール注ぎ足して回ったからだな。
あ~、桜子さんビールサーバ抱えて寝てる…… だらしないなぁ、もう……
ところでボクは――
「……なんでマジンガーの上で寝てるんだろう」
う~ん、ぜんっぜん覚えてない……
つ~か硬いな、なにこれ、筋肉?
……うん、その、なんというか
「……あったか ……い ……な ――」
…………
……
翌朝、起きてからえっらい慌てた……
いや~、酔ってるってこわいね orz
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<<<
「桜子さん、視線が痛いんですが……」
今、居酒屋なんだけどさ。
今日はマジンガーと一緒に遊んでた。
で、その途中に大学のそばを通りがかったんだけど、春休みだってのにうちの研究室の電気がついてるのが見えてさ、暇だったからちょっと寄ってみたんだよね。
そしたら桜子さんが一人でなんかやってた。
そこまではよかったんだけど、そこからいきなり桜子さんが『飲みに行くぞー!』とか言い出して強制連行ですよ……
ボクが力技で持ち運ばれたんで、仕方なくマジンガーもついて来てる。
「しょうがないじゃん、どう頑張っても大人に見えないんだから」
「桜子さん…… フォローする気ゼロですかそうですか……」
居酒屋さんに行くとなると、必ずこの店にくる。なぜなら、毎度行く店を変えると、そのたびにボクが身分証明書を提示しないといけなくて面倒だから。
べつにお気に入りのメニューがある訳でもなんでもなく、お店の人がボクを覚えてるから。
で、いつもは何も言わなくても奥の座敷に案内してくれるんだけど――
「今日に限って個室空いてないなんて…… しかも入り口そばなんて……」
入ってくるお客さんが、みんな例外なく ビクッ! ってする……
「小学生がビール飲んでたらびっくりするわよね~♪」
「小学生って言うな! 免許証見せても成人してるって信じてもらえないことがある人間の気持ちが分かるか!」
4回に1回くらい『よくできてるね』って言われる。そりゃよくできてるさ、本物の運転免許だしね。
まだ男の子だったときは、間違われてもせいぜい中学せいだったのになぁ……
うぅ…… 視線が痛い…… ボクのせいじゃないのに…… もう
「マジンガー! かわれ! 席かわれ!」
そうだ、少しでも入り口から遠ざかればもうちょっとましになるはず。マジンガーの巨体に隠れるようになるし――
「えぇぇぇっ!」
不意に横合いから女の人の声が……
「…………」
今度は逆にお店から出て行くお客さんがビクってしてる…… そこまで驚かなくても……
「…………」
目が合ってしまった。うう、ボクのせいじゃないのに…… ボクのせいじゃないのに……
「うわ~ん、もういや~! おうちかえる~!」
「ありゃま、まこちゃんがこわれた……」
居酒屋から逃亡。自宅着。で――
「なんでボクの部屋に集まってるかな……」
「まだ飲み足りない! あの程度の飲みでこの私から逃れられると思わない事ねぇ。おーっほっほっほ」
そのテンションはなに?
「で、マジンガーは――」
あまり広くない部屋で2メートル超の巨体が申し訳無さそうに縮こまっている。
「――帰るタイミング失ったからついて来たって感じか」
どうもこの大男はふいんき(なぜか(ry) に飲まれ易いところがある。
「ボクの部屋にお酒はないよ?」
「ふっふっふ~。この桜子ねーさんに抜かりはないっっっっ!!」
――ピンポーン
……なんだよこの忙しいときに。
桜子さんの高級マンションとは違ってボクの部屋はワンルームだから、入り口は目と鼻の先だ。
――ガチャ
「ちわ~。三河屋でっす」
「サブちゃん!」
これ、酒屋さんのサブちゃん。なんでこんなとこいるのさ。
ちなみに名前は『三郎』とかそういう名前では一切なく、お店の名前も『三河屋』じゃなかったはずだけど、桜子さんのご命令でそう呼ぶことになってる。
「ふっふっふ~、すでに電話で注文済みよん♪」
「“よん”じゃないよ! それにサブちゃんとこ近所じゃ無いじゃん! わざわざご苦労様です!」
「いや~、大のお得意様の注文ですから」
がんばるなぁ、この酒屋さん。桜子さんちの近所だよこの酒屋さん。桜子さんち結構遠いよ。
「この距離を笑顔で運んでくれる程のお得意様って…… 桜子さん、ふだんどれだけ飲んでるのさ!」
「ちょっちね、ちょ~っち」
絶対にちょっとどころじゃないよ、このアルハラ女王は……
こうなったら仕方がない
「買い物行こうか……」
食べ物でお酒に対抗してみるか。無駄なあがきだけど。
というわけで。
「鳥団子の水炊き~~」
さっきまで包丁で一生懸命鳥肉を叩いて練ってた。つかれた。
「また野菜ばっかジャンよ~、肉食わせろ~」
また桜子さんはつくらないくせに文句ばっかり……
「鳥団子だって立派な肉だよ」
「もっとこう『肉~!!』って感じのが欲しい。具体的には牛! ビーフ!」
脂肪分を避けたからね。揚げ物も避けたし。
「あまり油っこいものばかり食べてると死んじゃうよ」
「私は大丈夫!」
どんな根拠で? むう、簡単にはひいてくれないか。
「ちなみに、最後には雑炊になる予定」
「雑炊? 雑炊か~ むむむむむむ…… な、なら、雑炊ならよし!!」
あれ? 雑炊で納得した。まぁでも鍋物の後の雑炊って楽しみだったりするよね。
最後にご飯入るとおなかも満足し易いだろうし、ちゃんと食べることで胃の容量狭めればアルコールも少しはへらせるだろうし。
さてマジンガーのほうは――
「♪」
いきなり鍋にくぎづけって感じだ。うん、こいつは料理で釣れるな。こんど晩飯で釣ってレポート手伝わせよう。
「マジンガーが待ちきれないって顔してるから、食べ始めよっか♪」
丸いちゃぶ台の真ん中にお鍋。それぞれクッションを敷いて床に座っている。
椅子なんてボクの部屋にはないよ、場所取るからね。
たたんで部屋の隅に立てかけられるちゃぶ台と、適当にかさねておけるクッションが楽でいいよね。
桜子さんが他人のペース一切考えずにお酒を注ぎまくるので、対抗してこちらは桜子さんの取り皿に野菜を投入しまくる。
2メートル超の巨体は体型的に目立ち易いらしく、マジンガーは桜子さんのアルコール攻撃の標的になってる。
済まないが犠牲になってくれマジンガー。骨は拾ってあげよう。うんうん。
そして自分のコップはさりげなく鍋の死角に隠すボク。なんて悪い奴なんだろうw
で――
「くあぁ~~~~あ……」
――くー くー
大あくびして寝やがりましたよ桜子さん。まだ雑炊前につぶれやがった!
うぅむ、野菜の抵抗も桜子さんのペースにはかなわなかったか。
マジンガーも真っ赤な顔で微妙に左右に揺れてる。こいつもだめだ……
一人だけ正気で残ってしまった。これはかたづけ係決定ですか? いいけど、吐くなよ? そのへんの片付けはいやだからね!
「つか、大丈夫? マジンガー」
妙に規則正しく揺れてる。でっかいメトロノームみたいだ。いやだな、こんな巨大メトロノーム……
「お~い」
――ぺちぺち
ん~、顔熱いね。起きてるのかもよくわかんないし。糸目だから、起きてるかわかんないのは普段からだけど。
――くわっ!!
「ちょっ! ちょっと!!」
いきなり目を大きく見開いたかと思ったら、突然ボクを抱えあげた。ってか――
「ひざに乗っけるなー!!」
「……ぐ~zzzz」
寝やがった!! 座ったまま!! 人をあぐらの上に座らせたまま!!
「とりあえず手をはなせ~!!」
じたばた、じたばた。うぅ、抜けない……
「……ぐ~zzzz」
なんかこう、ひざの上に、あつらえたかのようにすっぽりはまり込んでいる状況がなんか許せない!
同い年なのに親子みたいな体勢が、なんか負けた気がする!
う~む、まいった。いかんせん腕力差があり過ぎる……
どうしよう、この状況。まえにマジンガーの上で寝ちゃってた時は全員泥酔状態だったけど、いまボクだけ素面だし……
っつか、もしかしてそのときもマジンガーが乗っけたとか!?
「なにその状況……」
…………
とりあえず、この場をどうしよう。
「はぁ、めんどいからこのまんま寝ちゃおうかな……」
案外と安定してて体勢的には楽だし。背中あったかいし……
「……!!」
いや、やばい。緊急事態だ! 今すぐ立たないと! ちょっとやばい!
理由を具体的に言うのを避けてみるなら、隠語で『お花摘み』。
でも授業中に「先生、ちょっとお花摘みに」って言い出す子がいたらまちがいなく変な子だよね!
うわ~、お酒飲んだ後はやばいよ。男だったときより我慢が利かなくなってるのに!
「はなせマジンガー! 今すぐ放せ! は~な~せ~~~~!!」
うく、暴れると膀胱に響く……
「放して、マジで、後生だから~~……」
ところで後生ってなに?
…………
……
えっと、まぁ、間に合いましたよ。えぇ。間に合いましたとも。必死でしたからね。
……なんというか、ちょっとね。うん、マジンガーの腕にフォークの傷跡がついてるけど、止血しといたから大丈夫だよね?
だって、だって! ボクのせいじゃないもん!!!
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――前編――
「き、きてくれたんだね。まこちゃん」
「“ちゃん”て言うな! まぁ呼ばれたら来るさ」
ここは大学研究室棟の隅っこ、第2製図室の横にある屋上へ続く階段の踊り場。
第2製図室って講義の時のみカギを開ける製図室で、しかも奥まった位置にあるから人気がない。
なんかカバンに手紙が仕込まれてて、ここに来いって書いてあったから来たんだけど……
封筒にハートマークついてたのがそこはかとなく嫌な予感……
問題なのは呼び出したやつだ。
同じ科だった気がするけど、あまり付き合いのないグループのやつで、名前は西とかいったかな?
つか、なんなんだよそのハチマキバンダナ!
それにそんなデザインのメガネってどこ行ったら売ってるのさ! もっとましなのがいくらでも安売りしてるよ!
上着は妙に分厚いネルシャツで、裾はズボンに入れてるくせに前ボタンは無駄にあけてる。
中にキャラクターもののTシャツが見えるし……
背中に背負ってるバッグからなんか筒状のものがはみ出てるんですが……
どうしよう、典型的過ぎるよ。手紙に差出人書いてあったら来なかったのに……
「なんで呼び出したかは、わ、わかるよね」
「……正直、あんまり想像したくない」
緊張しているのか、ゆびぬきグローブをつけた手で取り出した迷彩柄のハンカチで、しきりに汗をぬぐってる。
汗はいいんだけど、そのグローブはなに? なに用? 体型だけでゴールキーパーに選ばれちゃった人?
あまり人様の外見をどうこう言うのもなんだけど、あからさま過ぎだろ!
ちょっと人として言っちゃいけない致命的な一言を吐きかけてやりたくなってきた。
なんかハァハァ言ってて怖いんだけど…… 逃げていいかな?
「あ、あのね。ぼ、僕と……」
うわ、くる、これはやばい……
「つきあわないかい」
……えと、突然半身になって親指を立てて、上の歯を強調するような笑顔を投げかけるそのポーズが予想外。
そのウィンクはぶっちゃけキモイよ。歯が無駄に白いのもむしろなんか嫌。
やっぱり、かっこいいポーズのつもりなのかな?
発言内容はだいたい予想内だけどね…… どう無難に断ろうかな……
「え~とね。ボクはちょっと前まで男だったんだよ? 中身も男の子みたいなもんなんだよ?」
「そんなささいな事は問題じゃないさ」
たぶんさわやかな笑顔を浮かべたいんだろうなーって思われる表情で断言しやがった。
「……一応さ、参考として聞きたいんだけど、ボクのどこがいいの?」
「そりゃ、まこちゃんを僕のものにしたら、ロリっこのボクっこに合法的にあんなことやこんなことができ――」
「デブでも食ってろピザ!!!」
――げし!
だれがおまえのものになどなるか! この変質者!!
あぁもう、腹が立つ! 思わず蹴りをいれてしまったじゃないか、ボクが過去に持ってたことのある器官に向けて――
泡吹いて倒れちゃったけど、ボク悪くないよね? よね? ね?
「って事があったのさマジンガー」
講義室に戻って来たら、ボクがカバン置いた席の後ろにマジンガーが座ってたから、洗いざらい今の出来事をぶちまけてみた。
大学は春休み中なんだけど、空く講義室を利用して春季特別集中講座なんかが開かれたりしている。
みんな休みたいから、ほとんどの講座は人数も少ないんだけど、この英会話の講義だけはなぜか人数が多い。
「はあ……」
なんか精神的につかれたんで、後ろの席に向かって突っ伏してたら、マジンガーが頭をなでてきた。
なでんな! って思ったけどはねのける気力もない……
――てん♪ てん♪ てん♪ てっけてん♪ てっけてん♪
いきなりボクのオーバーオールの前ポケットから、ダースベーダーのテーマ・ウクレレヴァージョンが流れ出した。
「あぁ、桜子さんからメールだ」
最近桜子さんからの着信をこれに設定しなおしたんだけど、緊張感なさ過ぎた。ちょっと後悔。
「あ~、まただよ」
桜子さんからのメールの内容、ヴァレンタインチョコの催促。最近、毎日定時に送ってくる。
なんで『貰う側』になる気まんまんなんだろう?
ヴァレンタインと言えば、今までは辛い日々だった……
あ、貰う当てがなかったから辛かったんじゃなくて、むしろ逆。
どうもちっこいのが災いしたのか、『特定の方々』にすごくもてた。
もうちょっと具体的に言うと、そっち系のお姉様方とおばさま方…… しかも大挙して来るんだよ……
トラブルを避けるためヴァレンタイン前日までに学校の机の引き出しやロッカー、げた箱は厳重に封印した。
当日は休み時間毎にカバンを持って走りだし、隠れ場所を探してはガタガタ震えてた。
あれは辛かった……
想像してご覧よ、自分よりでっかい人達が、ちょっと目を血走らせながらチョコを持って一斉に突進してくる様を。
うぅ、思い出したら背筋が寒くなってきた……
だからもう男だった時は、身長の高い桜子さんなんてものすごい恐怖の対象だったね。
それが今年からは、もう『貰う側』にならなくていい! なんてすばらしいんだろう!!
今年はあげる側なのか。
「チョコって言えば、一度つくってみたいと思ってたんだけど、カカオってどこに売ってるのかな?」
マジンガーに問いかけてみたけど、やっぱ知らないか。『?』って顔してる。
「なぁ、まこと。俺達友達だよな」
「ふい? なんだよいきなり」
突然背後から、この場合は一個前の席から声をかけられた。
ん~、だれだっけこいつ? 外見にインパクトがないから頭に残ってないなぁ。
ザ・普通って感じの外見だ。たぶんあんまり付き合いのないグループの人。
「もうすぐヴァレンタインだよなぁ」
「らしいね」
で、誰?
「俺達友達だよな?」
だから、誰?
「もうすぐヴァレンタインだよなぁ」
「……」
ようするに、チョコの催促か……
「え~と、ちょっと前まで男だった奴に貰ってもうれしいもんなの?」
「うれしい!!」
うわ、即答かつ力説っすか……
「おまえだけがこの男臭い情報機械工学科の希望なんだ!」
どこまで飢えてるんだよ工学部生は…… でもって最初っから義理ねらい……
まぁ工学部なんて建築科以外は男だらけだもんね。なんとボクがこうなるまで100%男でやんの。
元男なのに紅一点だよ。なにそれ。
「なんとか建築科に期待してくれ。一応この大学にもあるんだし」
「別校舎だがな」
「サークルかなんか入れば接点できるんじゃないかな?」
「今から?」
まぁ無理か。
「なぁまこと、友達だよなぁ!」
また横合いから同じような内容で声をかけられた。増えやがった……
「友達だよな! まこと!」
「俺達友達だろう?」
「なぁまこと――」
だぁー! なんかわらわら湧いてきた!
ちょっとまて。なんか囲まれてる?
「待とう。ね、落ち着こうみんな。落ち着いて、ね?」
やばい、これはやばい……
「え~い群がるな!」
だめだ、これはだめだ。昔と同じだ……
思い出しちゃった。でっかい女の人達から逃げ回って、隠れて震えてたあの日を……
「まって、ね? ちょっとまってよ!」
「ま~こ~と~」
「にじり寄って来るなぁーー!」
だめだって、イヤ…… まって、嫌だよ…… こわい!
「なぁまこと~」
イヤ、こわい…… たすけて……
たすけて…… たすけて…… たすけて…… 助けて! 助けて! タスケテ!
「助けろマジンガー!!!」
――ガタッ!
マジンガーが勢いよく席を立つ音がして、ボクのオーバーオールの背中を掴んで引っこ抜くように持ち上げ――
あとはよく覚えていない。
気が付いたら、人のあまりいない図書閲覧室の奥に避難していて、マジンガーにしがみついてガタガタ震えてた。
ひどい顔だ。涙でぐしゃぐしゃ……
あ、英会話の講義受けられなかった
――後編――
カカオ豆をローストし、胚芽や皮を取り除いて残った胚乳のことをカカオニブという。
ちなみにローストするのは胚芽などを取り除く前でも後でもいい。前にやることを豆ロースティング、後でやることをニブロースティングという。
これを粉砕し、衝撃を加え、ペースト状にしたものが、彼の有名なカカオマス。
このへんで味を調整するために砂糖とかを混ぜる。
さらにこれを暖めて油脂を溶かし、練り上げていく作業をコンチングと呼ぶ。数日かけるのが普通らしいけど、今回は省略して1時間でいいや。
こいつを温度管理しながらうまく油脂を安定させることをテンパリングという。
全部調べた。いや~、ネットって便利だねぇ。
「ん~ いい匂い♪」
ちょうどテンパリングが上手くいったみたいで、油脂が安定したらしいとこ。とりあえず一安心。
これから整形ね。
「でもまいったなぁ、カカオ売ってないんだもん」
もう歩いた歩いた。どれだけお店歩き回っても見つからないから、最後には園芸店にまで行っちゃったよ。
この子達は、本当はだれかに育てられるはずだったんだなぁ…… もうチョコだけどね。
「さて。だれにあげよう」
チョコをカカオ豆からつくってみたい欲求に負けて、つい勢いだけで作りはじめてしまった。
「とりあえず桜子さんか」
催促がしつこいし、あげなかったらなにされるか……
最初に思いつくのが女の人ってのがアレだけど……
それから――
「マジンガー…… かな」
まぁ、あれだ。いろいろと助けてくれるし、まぁ恩を感じてやらないこともない。
恩返しだ。あくまで恩返しだからな!
こないだも英会話の時間に、あの講義室から助け出してくれたし。
……あれは怖かったなぁ。半分冗談のつもりだったんだろうけど、群がる男達が手を伸ばしながらゆっくりと迫って――
「うぅ~、思い出したら背筋が寒くなってきた……」
女の子になって女性恐怖症が治ったと思ったら、今度は男性恐怖症か。
でも『異性恐怖症』って表現したら今まで通りなのかな?
「……異性 ……か」
そうか、『男』が『異性』になっちゃったんだ……
「マジンガーも異性…… なのか…」
マジンガーと異性同士。男の子と、女の子……
――あれ?
「なんでマジンガーは怖くないんだろう?」
「さて。だいたいできた」
桜子さんには、小さいボール型にココアパウダーをまぶしたやつをいくつか。
マジンガーには、まぁヴァレンタインデーの慣例として、一応ハート形。
同じ科の連中もびっくりさせちゃっただろうし、一応小さいのを配ってやろう。
「ただしカカオ100%で」
砂糖とかなんにも混ぜなかったちっこいやつも結構作った。あとでセロファンかなんか買ってきて包もう。
でだ。問題はハートチョコだよ。まさか輪郭だけ作って満足って訳にはいくわけがない。
「じゃ~ん♪ チョコペン!」
さぁて、なに書こうかな。定番としては『でっかく“義理”』だろうけど、在り来りじゃおもしろくないし。
ん~、“義理?”とか書いてちょっと悩ませてみるとかどうかな。
「な~んかおもしろいのないかなぁ……」
こんなのはどうだろう。さらさらさら~っと、うん達筆!
でかでかと“人情”
「よし! 完璧に訳が分からない♪」
開けた時のマジンガーの困り顔が目に浮かぶようだ。
……ん~、なんかちょっと、観光地の土産物屋にある『“勇気”って書かれたキーホルダー』みたいな雰囲気を醸し出してるな。
「“日光山”とか書いた方がおもしろかったかな? あと“芦ノ湖”とか」
ま、いいか。済んだことだ。
「むぅ……」
やっぱ、削って書き直そう……
「言っておくけど押し寄せてくんなよ! きたら逃げるからな!」
講義室。いちおうチョコ持ってきたって言ったら、なんか列ができた……
みんなある程度大人だし、こないだの取り囲んだ件は悪かったと思っているらしく、なんとなく遠慮気味ではある。
異性恐怖症が復活してしまったボクは、唯一平気なマジンガーに半分かくれながら義理チョコを配っている。
チョコボールサイズだけど……
「うぉおぉおおぉぉお! 今年は身内以外からチョコが! チョコがー!!」
「興奮し過ぎ……」
やたら興奮しながら受け取って行く奴もいる。飢えすぎだろ工学部生、そんなにうれしいもんかな?
ボクはヴァレンタインって言えばいやな思い出しかないから理解不能だよ……
「あ、まだ包みあけないでね~」
ネタがばれるから(ぉ
「じつはこのチョコには、はずれが混じってます」
当たりは混じってませんが。全部カカオ100%だし。
「だれがはずれを引くかは、帰ってからのお楽しみ♪」
全員が引くんだけどね。カカオ100%が大好きって人は別だけども。
そんなことを言いながら配っていたら、ちょっと楽しくなってきた。
……とか思ってたら、そんな気分に水を差す奴が――
「ま、まこちゃん。ぼ、僕のために、作ってきて、くれたんだね」
西だ。こないだボクを呼び出してコクってきた――しかもその理由が『ロリっこのボクっこに合法的に(以下略)』だった――西だ。
ぜんぜん懲りてないだろこのハチマキバンダナ男。なんかハァハァ言ってて怖いんだけど……
おまえのためなわけないじゃん。冗談は服装だけにしろよ!
「う、うれしいよ。ありがとう!」
そんなことを言いながら、指出しグローブの手を、延ばしたまま硬直しているボクの手に伸ばして、握り締め――
「ひぃっ!」
さ さわるな、手をなでるなよ…… 駄目 無理、無理だって、怖い! 嫌! 嫌だ、イヤ イヤ! イヤ!!
「イヤーーーーー!!!」
――ゴッ!
…………
……
「え?」
――ゴス! ゴン! ごろごろごろごろ……
……え?
………えっと、え?
え~と、ボクが恐怖のあまり相手の正中線上を真上に蹴り上げた足が、見事にスカって……
転がっていく西。
「え?」
知らなかった。人間って、あんなに飛ぶんだ……
見ると、飛んでいく西に向かってマジンガーの太い右腕が伸びている。
えっと、もしかして、助けてくれた? たすか…… った? の?
……怖かった ……怖かった ……怖かったよぉ~
「怖かった… 怖かった! うわぁぁ~~……」
もうマジンガーにしがみついて泣くだけ泣いた。
落ち着くまでずっと、頭をなでてくれてた。
講義室にも居づらかったし、研究室まで退避。
「む、誰もいない」
いつも桜子さんが常駐してるのに。それにあんなにチョコの催促したんだから、待ちかまえてると思ってたのに。
さきにマジンガーを済ますか。
鞄からチョコを取り出して、あらためてマジンガーに向き直る。
――ドキッ!
え?
あれ? なんだろう、あらためてこういうことをすると、なんだかどきどきする。
なんでだろう……
いつもそばにいてくれたマジンガー
いつだって守ってくれるマジンガー
ボクの作った料理を、本当にうれしそうに食べてくれるマジンガー……
うわっ、なんでだよ。なんかボクの顔が熱い。
「うん、よし」
今日はいつもの感謝の気持ちを伝えよう。今だけは本名で呼んでみようかな。
「鉄 築(くろがね きずく)……君?」
うわっ、言いづれぇ~
「いつも、助けてくれて…… あ あ ……あり」
うぅ~、なんか緊張する……
「ありが…… とう……」
チョコを差し出す。うぅ~恥ずい、顔が見れない。
マジンガーはチョコを受け取ると、優しく頭をなでてくれた。それでやっと顔が見られるようになった。
全然しゃべらないマジンガーだけど、最近は顔を見れば何が言いたいかわかるようになった。
いまは『開けていい?』って言ってる。
「あ、あけて、いいよ」
包装を開けて中のチョコを見たマジンガーは『?』って顔をしている。やっぱりね。
あれからチョコペンの文面を削って変えた。今の文面は――
――Ich furchte Sie nicht. Das ist sehr herrlich
独語。機械翻訳に放り込んだだけ。
訳が正しいかどうかなど知るもんか(ノ`□´)ノ⌒┻━┻
「それから、もう一個」
鞄をあさると、ボクは手編みのマフラーを取り出した。趣味なんだよ、編み物。
それをマジンガーの首にかけ…… 首に…… 首! にっっっっ!
――ぴょん! ぴょん!
とどかねー!
「ひゃぁ!」
脇の下に手を入れられて、持ち上げられてしまった。
マジンガーの顔が目の前にある。うわっ、なんかまたドキドキしてる……
「編んでたら、ボ、ボクには、長かったからさ……」
とか言いながら、マジンガーの首にマフラーを巻き付ける。
「きゃっ! ………な、なんだよ」
なんか、抱きしめられてしまった……
相変わらず力強い腕だよな、こいつ。
不思議だ。こんなことされても怖くない。ドキドキするけど、怖くない。
普通の男の子なら、もう手を触られただけでも怖くなっちゃったのに。
『わたしはあなたが怖くない。それがとても嬉しい』
チョコの文面に込められた、今のボクのシンプルで正直な気持ち。
――番外――
バレンタインから数日。
このイベントを境にボクの周辺は様変わりした。
ボクの異性恐怖症再発は十分に学科内に知れ渡ったらしい。
そしてハチマキバンダナ男こと西はあいかわらず空気が読めない。
なもんだから、最近は西が接近すると、たまたま近くにいた工学部男子が自動的に壁になってくれるようになった。
みんないい人達だねぇ。
でもマジンガーのそばが一番安全。この剛腕にかなう奴はそうそういるもんじゃない。
マジンガーなら、きっと第六十四代横綱にだって勝てる!
バレンタイン後っていうと、ちょっとおもしろいことが――
「マジンガーマジンガー」
ここは図書館の奥、資料スペース。過去の卒業生の論文とかそういうのが置いてある、人気のないところ。
「こないだみんなに『はずれ入りです』って言ってチョコ配ったジャン」
資料集めにも飽きた――というか、最初からあまりやる気がない――ので、雑談開始。
マジンガーからは相変わらずほとんど言葉が返ってこないけど、表情が反応しているから良しとしてあげよう。
「講義室で、チョコの当たり外れについて話してる声が聞こえてきたんだけど……」
まさか配った本人が『聞いてます』って顔をしている訳にはいかなかったんで寝たふりしてたけど。
「なんか、『当たった』って主張してる人が結構いるんだよ……」
しかも少なくないんだよ。困ったことに。
「全部はずれのカカオ100%だったのにねぇ~」
しかもコンチング(チョコの素をひたすら練る作業)がいいかげんだから舌触りも悪いはずなのに……
ま、中にはカカオ100%が大好物だっていう人もいるかもしれないけどね。
「男ってみんな見栄っ張りばっかりだねぇ」
そういうのもちょっとかわいいかも、とか思っちゃったり。このへんの感覚もボクの以前と変わったところかな。
天気は穏やかで、図書館に差し込む午後の日差しはとても暖かくて。
二人でちょっと微睡んだりしながらのんびり過ごした、そんな穏やかな日常。
春はもうすぐそこだ。
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――番外 教習所編――
ボクが十七歳で、あと何ヶ月かで誕生日という頃。まだ男の子だった頃の話。
十八歳の誕生日とともに車の免許を取ることを目標に、ボクは教習所に来ていた。
「すいませ~ん、車の教習の申し込みを……」
「あらボク~、どこから入ってきたのかな~。車の免許はねぇ、十八歳にならないと――」
つ【原付免許】
受付Aは、免許とまことの顔を見比べている。
「……ええぇー!?」
受付Aは奇声を発した。
「そこまで驚かなくてもいいのに……」
ちなみに原付免許は、あまりにも子供扱いされるので、十六歳の誕生日ついカッとなってとった。反省はしていない。
「じゅ… じゅ…… 十……」
受付Aは混乱している。
「十七歳と9ヶ月」
まことの攻撃。
「え? え? えー!?」
会心の一撃。
「……うぅ~ん――」
――どさっ!
受付Aは倒れた。
「……そこまで驚かなくってもいいじゃん」
まことは若干の経験値と多大なるショックを獲得。
その後、受付・講義・実技でことごとく驚かれるのを教習証と原付免許で回避しつつ、なんとか普通免許を獲得――
「で、現在に至る…… と」
『そこの乗用車、止まりなさい』
毎度おなじみ、パトロール中のお巡りさんです。仕方ないから路肩に寄せて止まる。
パトカーから降りてきたのは、女性警官みたい。よかった、女性なら普通に話せる。
「お嬢ちゃん、だめでしょう車なんていたずらで乗り回しちゃあ」
つ【普通免許】
「お仕事ご苦労様です。なにか問題でも?」
「あら、よくできてるわねぇ」
「本物ですから。ちなみに4回に1回くらいのペースでそう言われます」
「え? 本物?」
「照会でも何でも好きにしてください」
「……え? えぇぇぇぇえぇぇぇえぇえぇぇえぇ!?」
「…………またかよ」
えぇえぇ、女の子になっちゃってからこんな風に呼び止められることが増えましたよ。縮んじゃったしね……
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「とりあえず、マジンガーがバカじゃないらしいところまでは理解した。バカは風邪ひかないって言うしね」
今現在ボクの目の前には、2メートル超の巨体が、頭に濡れタオルを乗っけたまま、ベッドに横たわっている。
デカいベッドだなぁ……
「……いや、やっぱバカなのかな?」
バカは風邪ひかないってのは、おバカさんは風邪ひいたことにすら気づかずに行動するってことらしい。
今日の状況がこんなんだったから――
ここは、もういいかげん見慣れた講義室。
2回生までのうちに結構単位数は稼いであるんで、これからはあまり来なくなるんだろうなぁ。
なんて思いながら、なんとなく辺りを見回してたら、マジンガーがやってきた。
「あ、マジンガーおは…… よう?」
思わず語尾が伸びた。だって、ほら――
「マジンガー、なんか様子おかしくね?」
なんか顔色おかしいよ? こころなしかふらついてるような気がするし。
「マジンガーマジンガー、ちょっとここ来て。ちょっと見せてみ?」
そういって、ボクはマジンガーの額に手を…… って届くわけないジャン!
仕方がないから机によじ登って額に手を当てることにした。
いつもオーバーオールだからこんなことしても大丈夫。スカートじゃ登れないだろうけど、履いたこともないしね。
「どれどれ? …………って、あちぃよ!!」
額に触れた手から伝わってくる温度は、明らかに平熱じゃない。けっこう高そう。
「寝てろよ! 何で出て来たんだよ! 今日必修科目ないだろ!」
帰って寝てろというのに席に着こうとするマジンガー。
「……ぅあぁ~ もう! 帰るぞマジンガー!」
ボクはマジンガーの手を引っ張って連れて帰ることに…… ことに! うごかねー!
「動けよマジンガー!」
――げしっ!
病人に蹴りいれるのはどうかと思ったけど、蹴っ飛ばしたらようやく動き出した。
まったくもう、なにやってんのかなこいつは……
あぁ、今日は車で来ててよかった。普通こんな大荷物持って帰れないよ。
なんとかしてこの大荷物をマジンガーの部屋まで運び込んで、ベッドにほうり込んで、体温計を投げ付けてやった。
そんなこんなでこの状況だ。やっぱバカの方かな?
――ピピピピッ! ピピピピッ! ピピピピッ!
たった今計り終えたらしい。どれどれ?
「え~と、よんじゅ……」
え?
「40?」
…………ぉぃこら
――パン!
とりあえず一発ひっぱたいておいた。大丈夫、ボクの力じゃ痛くないから。
「わかってんのかよ! 風邪だって人間は十分死ねるんだぞ!」
バカだ、間違いなく大バカ野郎だ。
あぁもう! 頭に来てこっちが熱出しそうだよ!
人間は42度で死ぬ。人体を構成する蛋白質が変質を始める温度がそこだからだ。
電子式じゃない体温計を持っている人は確かめてみるといい。目盛りは42度までしかない。それ以上は必要ないからだ。
体が42度以上を出そうとしても、そのエネルギーは蛋白質の変質に消費される。そうすると生命活動が続けられなくなり、やがて冷たくなって行く。
だから、体温計にそれ以上の目盛りは必要ないんだ。
そのまえに41度を越えたあたりで、普段から高温の肝臓が真っ先に壊れて死ぬらしいけど。
その一歩手前。そんな状態でこいつは……
「大学行くとか行かないとか、そういうレベルじゃないだろ! 何考えてんだよ!」
本当に何考えてるんだこいつは。
講義もだいたいボクと同じペースで履修している、取得単位数も大体同じはず。なら単位的には余裕があるはずだ。
なのになにを無理して出てくる必要があるんだ。
「とにかく、寝ろ。トイレ以外ではベッドから降りるのも許すつもり無いから」
バカをやった理由がなんであれ、今はまず治すことが先決だ。話は後で聞く。
2リットルのペットボトルって重いよね。コンビニ行って買って来た。
「はい、スポーツドリンク買って来たから、飲んで」
風邪ひいた時は、十分に水分を取って寝ることだね。水分補給にはスポーツドリンクがいいってさ。
コップ一杯のスポーツドリンクを飲ませると、もう一度ベッドに横たわらせて、額に濡れタオルを乗っけた。
「頭まともに働いて無いだろう。40度越えると普通は気絶するんだってさ」
十分怒鳴りつけたからか、マジンガーも若干申し訳無さそうにしている。
――むぎゅ
なんとなく、マジンガーがなにか話しそうだったから、思わず手でその口を塞いだ。
顔見てれば分かる、たぶん『すまない』とでも言うつもりだったんだろう、でも久しぶりに口を開いておいて第一声が謝罪だなんて、そんなの許さない。
「言いたいことは熱が下がったら聞いてやる。今は熱を下げることだけ考えて」
謝罪なんて聞きたくない。せっかく声を聞くんなら、もっと明るい声がいい。
それに今は、喋っている暇があるなら一瞬でも早く寝た方がいい。
「ボクがついてるから、安心して気絶してればいい。それだけ熱がでてれば、ちょっと気を抜くだけで気絶できるはずだよ」
そのまま顔を見つめていると、やがてマジンガーはあきらめたように目を閉じ、そのまま眠りに沈んで行った。
糸目だから目を瞑ったのが分かりづらいんだけど、そこはまぁ、付き合いの長さだ。
さてお昼だ。
今日は焼き梅粥。アルミホイルに包んで焼き網の上で焼いた梅を、普通に作ったシンプルなお粥に混ぜただけのもの。
コンビニに梅干しが売ってたのにはちょっとびびった。
マジンガーは自炊ができない人なので、冷蔵庫にはほとんど物が無くてまいったよ。何か食べさせなきゃ風邪も治らないのに。
でもさすがに米と塩は有ったね。で、米・塩・風邪ってキーワードが揃えば、出てくるのはお粥しかないじゃん?
ん、背後で物音がする、起きたかな?
「マジンガー、目、覚めた? ちょうどお粥ができたよ」
振り返ると、マジンガーがベッド上で身を起こしていた。
「よし、とりあえず熱測っておこう」
そういって、手近に用意しておいた体温計とタオルをマジンガーに放り投げると、おしぼりを電子レンジに突っ込む。
待つこと少し。
――ピピピピッ! ピピピピッ! ピピピピッ!
――チンッ!
体温計と電子レンジがほぼ同時に音を鳴らした。最近の体温計ははやいね。
「よ~し、見せてみ?」
そういって、体温計を奪い取った。え~と、39度ジャスト。おぉ、1度下がってる。まだ予断は許さないけど。
人間の免疫系が最も活発に働ける温度が39度らしい、それを越えるのは体温の調節機能が狂っちゃったときなんだとか。
だから、39度まで体温調節ができているってことは非常に喜ばしい。
「ひとまずは良しとしよう。さて、汗かいてるだろう? 体拭いておこうか」
電子レンジで温めたおしぼりもいい感じにほこほこだ。
「ほらほら、とっとと脱いだ。背中くらい拭いたげるから」
マジンガーは一瞬何か言いたげな表情を作った後、諦めて上を脱いだ。うん、やっぱりちょっと汗かいてるね。
「さて、背中向けろ背中向けろ。拭いたげよう」
なんとなく顔が赤い気がするのは熱のためだろう。マジンガーは素直に後ろを向いた。
「うーん、あいかわらずでっかいな……」
広い背中だ。ボクはやたら拭きがいがある背中をほこほこのおしぼりで拭いていった。
ほんと、広い。なんていうか、頼りがいがある。
なんかこう、背中に寄りかかってみると安心できそうというか…… 吸い寄せられるものがあるというか……
うん、安心する……
あったかい。ちょっと汗くさいけど、いやな感じじゃない。
と、マジンガーが身じろぎして、ボクのほっぺたが押し返される。って――
「うわぁ!」
ボ、ボク今なにやってた!? 背中に抱き着いてなかったか!?
「うゎ! わわ! と、とにかく! せ、せ、せ、背中は終わったから! あと、まかせた!」
ボクは思わずおしぼりを投げ付けた。
「そ、そそ、そそそそ、そうだ。下も脱げ、洗って来てやるから! ボ、ボ、ボクが帰ってくるまでに、着替えとか済ませとけよ!」
ボクは服を引ったくってコインランドリーに向かって一目散に逃げ出した。
そろり、そろ~り。
うん、静かだ。
近所のコインランドリーで洗い物を済ませて、簡単に昼食を済ませて、物音を立てないようにマジンガーの部屋に戻った。
「寝てるね? 寝てるよね?」
よし、寝てるな。ふぅ~、起きて出迎えられたらどうしようかと思った。
うん、おかゆも空になってる。
ボクは服をタンスにしまってから、額のタオルを取り替えてやった。
…………
ふぅ~。静かだ……
「静かすぎてやることがない……」
暇をもてあますと、あたまはなんかよくわかんないことを考えはじめる。
目の前で寝ている人物。マジンガーこと鉄 築(くろがね きずく)、ため年。名字も名前も一文字という珍しいやつ。
ボクとの身長差80センチ弱。
ボクが唯一怖がらなくていい男性。
ボクを守ってくれる大切な人……
がっしりしたアゴ。あまりしゃべらないけど、ボクの作った料理を本当においしそうに食べてくれる顎。
さっき寄りかかった背中は本当に頼もしくて、安心できて……
「ボクは、どうしたいのかな……」
ぽつりとつぶやく。
男友達だったときの見方とは変わってしまったのかもしれない。それに、変わっていかないといけないんだと思う。
ボクは、どうなりたいのかな?
今は布団に隠れて見えない、ボクの頭を優しくなでてくれる大きくて暖かい掌。放したくない掌……
もう一度マジンガーの顔をぬぐって、タオルを取り替えてやった。
マジンガーの顔…… 目は細いけど、結構整ってると思う。いつも優しい表情を浮かべている。
……ちょっと、かわいいかも。
う、やばい。なんかドキドキしてきた……
「マジン… ガー?」
何となく手が伸びて、マジンガーのほほをつつく。なんでドキドキしてるんだろう……
――がしっ!
「うひゃぁ!?」
手を捕まれた。
「お、おぉ、ぅおおぉぉおぉ、起きてんのかよ!」
マジンガーはボクの目を見ながらゆっくりとうなずいた。ボクがこんなにあせってるのに、余裕そうな顔しやがって。
「なんだよ、なんか言いたそうじゃん」
うぅ~、心臓があり得ないペースで鳴ってる……
「今日、朝起きたら、だるかった」
「そうだろうよ」
マジンガーの声、久々に聞いたかも。低音で、結構いい声。
あぁ、もう! 心音が止まらない!
「休もうかと思った」
「休めよ!」
喋るときは、いつもこんな風にぽつりぽつりと話す。長い文章にするのは苦手みたいだ。
「休むと、君に会えない」
「な、ななな、な、何言って……」
鼓動がすごい、さっきで限界だと思ってたのに、心臓ってまだ速く動けるんだ……
「…………寂しいと、思った」
「!?」
ななな、なんだよ! 何言ってんだよ! 久々に声を出したと思ったら突然なんだよ!
え? どういうこと? どういう意味? なに? 何が起こったの?
「なんだよ、どういう意味だよ。それに、“会いに来たけど風邪こじらせて死にました”じゃ意味ないだろう」
…………
規則正しい寝息が聞こえる……
「寝たのかよ!」
投げっぱなしかよ! 重要そうなことつぶやいて一人でどっか行くなよ!
熱に浮かされた上でのうわごとだろうか? なんかすごいこと言ったよね?
その日はずっと、わからない言葉の真意を探りながら、頭を抱えて過ごすことになった。
後日。マジンガーの言葉の真意はわからないまま……
「ごんだごどに、だるようだぎはじだよ(訳:こんなことになるような気はしたよ)」
頭が空回りした上での知恵熱か、それとも単純に感染しただけか、ボクが風邪を引いた。
鼻が詰まって呼吸が苦しい。頭が回らない。
マジンガーが困り顔のまま看病とかしてくれようとしているけど、ごめん、頼りにならない……
「まこちゃ~ん、風邪引いたって~? 看病にきたよん♪」
もっと頼りにならない桜子さんまで来た。
…………
案の定、部屋がすごいことになった……
「だぁ~!! しずがにぢでろ~!」
その後に思い出してみるに、よく風邪をこじらせて死ななかったと思うよ……orz
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日本人の心、ソメイヨシノ。
最近の研究では、DNA鑑定の結果オオシマザクラとエドヒガン系のコマツオトメの交配種だとしてほぼ間違いないと言われている。
片親のオオシマザクラの原産地が伊豆諸島であることから、伊豆諸島で偶然交配がなされたものが人手により江戸の染井村に運ばれ、園芸種として育てられるようになったという説がある。
交配種のためか次代を生み出す能力に欠けていて、一応小さなサクランボはつけるが、その種から芽が出ることはない。
世界中のソメイヨシノは一本の親木から挿し木で増やしたもので、みんな同じDNAをもっている。言わばクローンだ。
まぁこんな時期に桜の説明をしてるんだから何の話かは大体分かると思うんだけど、案の定桜子さんがこんなことを言い出した訳で……
「花見に行こう!」
基本的に人の迷惑とか後の展開とか一切気にせず、酒の機会とか絶対に逃さない桜子さんのことだから、まぁ言うだろうなとは思ってたけど――
「行ってらっしゃい」
ボクは無理なので。
「何言ってるの、まこちゃんの料理がなきゃはじまんないじゃない!?」
まこちゃん言うな! それに――
「花見って、お酒飲むんでしょ?」
「いい日本酒があるのよ」
酒に釣られるのはうちの研究室では桜子さんだけだよ。マジンガーはボクの料理で釣れるみたいだけど。
「花見って言えば、人がたくさんいる公園に場所とるんでしょ?」
「それが楽しいんじゃない」
いや、静かに飲む酒も覚えようよ、桜子さん……
「その人込みの中で、ボクがお酒飲むの?」
「あっ……」
……沈黙
自分で言うのもなんだけど、ボクはとてもじゃないが大人に見えない。車運転してると高確率で止められるし、免許証見せても信じてもらえない。
そんな外見のボクが人ごみのど真ん中で堂々と酒飲みだしたら何を言われるやら……
だからって、酔っ払いの中にしらふで取り残されるのはもっといやだ。
さすがの桜子さんだって、今回ばかりはあきらめてくれるだろう。
…………
……
――それから数日。
「無理だったか……」
さすが桜子さん。ボクはもうあきらめたよ…… orz
マジンガーがボクのとなりではてな顔をしてたたずんでいる。そりゃそうだよね、今日いきなり呼び出されて――
「さぁ、花見よ!」
と言われても……
「桜子さん桜子さん。空、青いね~……」
見上げれば一面の青空だ。
「絶好のお花見日和ね!」
「本当に一面の青で……」
見上げると雲ひとつない晴天で、青しか無くて…… できれば別の色もほしいなぁ。桜色とかさぁ……
「花なんて無いじゃん! ここ何階だと思ってるのさ!」
ここは桜子さんのマンション。ほら、上の方が段々になってるマンションって見覚えない?
だいたいそんな感じの場所。日当たりのいいルーフバルコニー。
つまり階層的には上の方。こんな高いところに木が生えていてたまるか!
桜子さんちのキッチンを借りてお弁当作ってさ、さぁ何処へ出かけるかと思えばバルコニーに出るんだもんなこの人……
「ちっちっち、あまいわねまこちゃん!」
「あまいですか…… それとまこちゃんいうな~(棒読み)」
「あちらをご覧!」
そんなこと言って柵の外側を指さす桜子さん。しょうがないから柵にしがみついて見下ろしてみる。
「……え~と、あれのこと?」
えっとね、マンションの正面、ここから見ると遥か下の方に小さな児童公園があってね、そこにあるにはあるけど……
「That's right!」
「ざっつらいと! じゃないよ! 遠いよ! それに柵のそばによると風がきついよ!」 そんな状況で酒が飲めるか!
「さぁ、バカなこと言ってないではじめるよ♪」
「バカなこと言ってる人からバカなこと言ってないでっていわれた…… orz」
桜子さんは楽しそうに、荷物係のマジンガーから重箱入りのお弁当をひったくると、ガーデンテーブルに広げ始めた。
こうして、花見にこじつけた飲み会がスタートした。
「マジンガー、今日は無事だったか」
飲みも一区切りついたあたり。今日のマジンガーはまだ正気を保っているようだ。
桜子さん? もちろんつぶれてるよ。つぶれないわけ無いじゃん。
本当に花を見ながら飲みやがったよこの人は。一升瓶抱えて柵の前にしゃがんで。
で、今は柵に寄りかかってぐで~っとしている。
「マジンガー、あれ運んどいて」
さすがにほっぽっとく訳にはいかないのでマジンガーに頼んで部屋に運んでもらうことにした。
おお、すげぇ。マジンガーが抱え上げると、あの桜子さんが小さく見える。170あるんだよこの人。
さてと。桜子さんはカウチに転がしておいて、と。
「ん~、料理が余ってるなぁ……」
たぶんマジンガーに押し付ければ全部食べてくれるだろうけど……
「あ、そうだ!」
…………
……
というわけで、児童公園まで降りてきて見ました。せっかくお弁当にしたんだもん、少しでも出掛けたいじゃない。
でもさっき十分飲んだから、飲み物はソフトドリンクのみ。
「お酒はないけど、マジンガーはボクのお弁当だけで十分だもんね~?」
とか冗談めかして聞いて見る。
うわっ、まともに頷かれた。すっげ~いい笑顔をカウンターで食らってしまった。やばい、ちょっとドキドキしてきた……
「え~と…… た、食べようか」
もうすでに箸もって待ち構えているマジンガーの前にお弁当を展開してやった。
ちょうど桜の下に設置された、むやみにカラフルな子供用のテーブルセット。マジンガーの体には全然合ってないのがなんか逆にかわいい。
窮屈そうにしながらも、うれしそうにボクのお弁当に箸をつけるマジンガー。あぁ、なんてうれしそうなんだろう。
空になったコップにポットからお茶を注ぎながらマジンガーを眺めるボク。
なんかちょっと幸せかもしれない。
「おいしい?」
なにげなく問いかけてみる。
すっごい首振られた。縦に。なんかうれしいかも。胸の辺りがぽかぽかしてきた。
一本だけど満開の桜に、笑顔が満開のマジンガー。
ぽかぽかの陽気に、ぽかぽかのボクの心。
今のボクはたぶん、とても贅沢な時間を過ごしている。
最終更新:2008年09月13日 20:33