『弓道の先輩』5

 こうして、俺の弓道生活は1日目は、明日への大きな期待と小さなもやもやを残して終わったのであった。
 …それから1週間、俺の小さなもやもやは、
 大きなもやもやへと成長しつつあった。




 雪野先輩に謝ろうとしてから一週間、俺は未だにあのことを謝れずにいた。
 そのため、部活中も登下校中も先輩を探してしまうようになっていた。
「お前さ、何で謝んねーの?」
 そして1週間目の部活、の筋トレ終了時、ついに岬が言った。
 こいつはどうして俺が謝っていないことを知っているのだろうか。
「だってお前、学校の行き帰り、雪野先輩探してるだろ」
「うっ」
「それに、部活の時も。しょっちゅう先輩見てるだろ」
「ううっ」
「落ち着きが無いって柳先輩に怒られるのもしょうがねぇよな」
 …なんだってこいつはそんなに俺のこと見てるんだ?
「それだけ見てるならわかるだろ…先輩、俺を避けてるみたいなんだよ」
 どうもあれ以来、先輩は俺に近付くことをしなくなった。
 たまに一年生練習を見に来たと思うと、
 他の部員(俺たち以外に7人入った)の様子ばかり見ている。
「そりゃ自意識過剰じゃないか?雪野先輩がお前ばっかり見れるわけねーだろ」
「だけど…」
「だけどじゃねー。お前、他の連中も初心者なの忘れてないか?」
「あ…」
 そうだった。俺は自分のことばかりで、そんなことを忘れていた。
「初心者は基礎が大事だから、上手い奴に教えてもらうのが一番」
 そう柳先輩が言っていたじゃないか。

 俺は雪野先輩の特別な後輩ってわけじゃない。
 以前は俺と岬だけだったし、運がよかったんだ。
 たまたま雪野先輩が俺を入部させるよう勧誘した、
 ただそれだけでそんな考えをするなんて、思い上がりも甚だしい。
 俺は自分自身に腹が立ったと同時に、先輩への申し訳なさがこみ上げてきた。
「確かに…そう、だったな。わかった。今日、先輩に話しかけてみるよ」
「ああ。そうしろ。だけどな」
「?」
「すぐに謝るな。最初は『射を見てください』っつって近付け。いいか?」
「わかった。ありがとうな。岬」
 俺が礼を言うと、岬は照れ臭そうに笑った。
「なーに、気にすんな。幸運を祈るぜ」
 そう言うと、さっさと先輩に筋トレ終了の報告をしに行ってしまった。
 岬に借り一だな、と思いながら俺もゴム弓を取りに向かった。

 …道場に入ろうとした瞬間、雪野先輩が出てきた。
「―――あ」
 二人の声が重なる。
 ほんの少しのにらめっこ。
 先に金縛りから立ち戻ったのは先輩だった。
「あ、ご、ごめん。すぐ退くから」
 まずい。このままだと逃げられる。
 そう思い、反射的に話し掛けた。
「あ、あの、先輩っ」
「あ、え、えっと、なに?ミキ君」
「よかったら、後で俺の射を見てください」
 先輩は何を言われたのか、わからなかったのだろう。
 ポカーンという擬音をつけるのに相応し過ぎる表情を見せた。
 だがすぐに自分を取り戻し、
「…あ、う、うん。わかったよっ。ゴム弓もっておいで」
 と慌てて言った。

「・・・・・引き分けの時、肩に力が入ってるね。あと…」
 雪野先輩に見てもらうのはたったの1週間ぶりなのだが、本当に久々な気がする。
 それもそうか。何せ入部して1週間しかたっていないのだから。
「だからここは・・・・・ミキくん?」
「あっ…ボーっとしてました…すみません。先輩」
 考え事をしていたせいで先輩の言ったことを聞き逃してしまった。
 しかし先輩は大して気にしているようでもない。
「んー、悩めよ、少年?」
「なんですか、それは…」
 どうやら機嫌は悪くないようだ。
 以前のことを謝るなら今だと感じた。
「あ、先輩、すいませんということがもう一つ…」
「え?なんかあったっけ?」
「俺、1週間前、先輩の手を掴んじゃったじゃないですか」
「あ、え…と、そ、そうだっけ?」
「あの時は、先輩に褒められて舞い上がっちゃって…」
「・・・・・・・・・・」
「ビックリさせてしまって、本当に、すいませんでしたっ」
 そう言って深々と頭を下げる。
 ここでは先輩の表情はわからない。
 今、どんな表情をしているのだろう?
「…どうして?」
 不意にそんな声が聞こえて、俺は顔を上げ、そして先輩の表情を見た。
 先輩は、今まで見たことも無いほど苦しそうだった。
「どうして、ミキ君が謝るの?」
「え…?」
 予想外すぎる発言に、俺は戸惑うしかなかった。
 それこそ、どうして先輩は、そんなに苦しそうな表情をしているんだろう…?
「だって、俺は…」
「ミキ君は、何も、悪いこと…してない…わるい、のは」 
 雪野先輩の体がぐらりと揺れる。
 俺は急いで、倒れようとする先輩の体を支えた。
「先輩!どうしたんですか!先輩!?」
 先輩はぐったりとして、顔色も…真っ青だ。
 俺の声を聞いた何人かが異常に気付いて、慌てて駆け寄った。
「雪野!どうしたんだ!?」
「何!?病気!?」
「ひとまず、え、救急車!?」

「落ち着け、お前ら!」
 雪野先輩の周りで慌てる連中に誰かが一喝する。
 その声の主は、柳先輩だった。
「三木、すまないが、ツバキを保健室に連れて行ってくれ。俺は部長に報告する」
 そう言うとあっと言う間に俺に雪野先輩を背負わせると、
 他の部員を諌めて部活に戻らせ、自分は道場に戻っていった。
 とにかく、俺も保健室に急がないと…

「うーん…そうね。簡単に言うわ。『月のモノ』よ」
 保健の先生は、先輩をベッドに寝かせて診察した後、
 診察の間、保健室の外の廊下で待っていた俺を呼んでそう言った。
「つ、月のモノって…」
「ん?わかんない?生理よ。生理」
「いえ、それはわかるのですが…それで気を失うなんてことが…」
「そうね、普通は無いわ。ただ…」
「ただ?」
「何らかの精神的ショックを受けたとか。普段から精神が不安定だったとか…」
「…」
「元々重い子なら…そう言う要素があれば、あり得るわ」
 何か、重いもので頭をぶん殴られた気がした。
 そう、精神的ショックは俺のさっきの不用意な発言のせいだろう。
 精神が不安定になったのは多分、俺があんなことをしてしまったからだ。
 つまり先輩が倒れたのは、全部俺のせいだ…
 俺が自責の念にかられていると、
 保健の先生は、その子を見ていてね、少し用事があるから、
 と言って出て行ってしまった。
 …保健室のカーテンで仕切られたベッドに先輩と俺二人きりかと思ったが、
 すぐに柳先輩がやってきた。
「三木、ツバキの様子はどうだ?」
 俺は率直に、雪野先輩が月のモノで倒れたこと、
 その原因は精神的なものである可能性が高いことを伝えた。
「そうか。こいつは強い奴だが…色々あったからな…」
 色々…?先輩は、俺がやってしまったことを知っているのだろうか?
「先輩、それって一体…」
「ん?あー…俺からは言い辛い。すまんが、な」
 言葉を濁す先輩に腹が立った。
 知っているのなら正直に、雪野が倒れたのはお前のせいだと罵って欲しかった。
 だが俺が先輩を睨んでいることに気付かなかったようで、
 柳先輩はとんでもないことを言い出した。 
「三木、お前、帰りに駅を使うか?」
「…いえ、使いません」
「なら、自転車やバスは?」
「使いませんが、それが…?」
「なら、ここの近所だな?」
「そうです。だからそれが―――」
「なら、すまないが今日は部活を早退して、ツバキを家に送ってやってくれないか」

「―――――――は?」




ご おわり

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最終更新:2008年06月11日 23:59
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