『蘭丸』

14 名前: ◆i7rqxtl05. [] 投稿日:2007/07/16(月) 21:50:12.57 ID:PWNObn1H0
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 我輩は猫であった。名前は蘭丸。趣味は読書だ。
 人間の頭脳はすばらしいな、本を読めば新しい知識がどんどん頭に入って行く。猫だったころには考えられなかったことだ。
 それにしてもこの「本」という機能はすばらしい。誰かが知識を書き綴り、それを「読む」という行動を通してその知識が誰かに伝わる。
 このすばらしい機能を考えついたものに、我輩から賞を送りたいものだ。
 これから語られる物語は、我輩が人間になった日から我輩の愛すべき主人が綴った、我輩たちの幸せな日々の記録だ。存分にうらやましがるといい。
 我輩はなんて幸せ者なのだろう。すばらしい。


    ~~~~~~






15 名前: ◆i7rqxtl05. [] 投稿日:2007/07/16(月) 21:51:05.14 ID:PWNObn1H0
 小春日和。窓から差し込む柔らかな日差しを浴びながら、ひざの上で丸まっている蘭丸を一撫でする。
 蘭丸は家猫だ。うちに来たあの日から、一歩たりとも外に出ようとはしない。
 ひとしきり部屋中を転がり回ったかと思うと、すぐに俺のひざの上にはい上がってくる。そんな猫だった。
 はじめて遭ったのは木枯らし厳しい冬のあの日、小学校へ通う道の途中だった。
『ひろってください』
 お世辞にもうまいとは言えない字でそう書かれた段ボール、その中に入れられた何匹かの子猫たちの一匹だった。
 最初は拾う気などなかった。ただなんとなく様子を見ながら通り過ぎるだけだった。
 だいたい母さんが猫嫌いなんだ。拾って帰っても怒られるに決まっている。小学生だった俺にはどうにも出来ないし、どうせ誰かが拾うだろうとも思っていた。
 次の日には、段ボールの中の猫は少なくなっていた。その次の日にもまた少なくなり、更に次の日にはとうとうただ一匹だけがとりのこされた。
 誰かが餌だけは取り替えている様子なのである程度安心して見てはいたのだが、これが一週間経ってもまだ残されている。
 この猫が真っ黒なのがいけないのだろうか? 黒猫だから引き取り手がいないのか?
 気が付くと、その黒い子猫のことを一日中考えている自分がいた。
 ある日曜の朝、学校は休みなのにいつもよりはやく目が覚めた。外からは雨の音が聞こえる。
 俺はあの黒い子猫が気になった。防寒のために段ボールに敷き詰められていた乾いた毛布も、雨が相手では意味がない。
 気づけば、パジャマのまま靴も履かずに走りだしていた。自分が濡れることなど考えている余裕はなかった。
 たどり着くと、ぐったりと動かなくなった黒い子猫を見つけた。雨に濡れて冷えきり、生きているのかすらあやしい。
 俺は黒猫を抱えて走った。
 家につくとすぐに黒い子猫を乾いたタオルで包み、ひざの上に乗せて一日中暖め続けた。うちの親に猫用のミルクを買いに走らせ、それを無理やり喉奥に流し込み、ただひたすら暖め続けた。
 苦労の甲斐あってその子猫は元気を取り戻し、かわりに雨に濡れた俺が風邪でぶっ倒れることになった。
 さすがに猫嫌いの母親も、この光景を見せられては再び「捨ててこい」とは言えなかったらしい。
 この日から15年、蘭丸はずっと俺の後をついてくる。大学で上京し、社会人になった今もそれはかわらない。
 だが、この関係も後少しで終わってしまいそうだ。蘭丸の寿命という形で……






16 名前: ◆i7rqxtl05. [] 投稿日:2007/07/16(月) 21:53:45.33 ID:PWNObn1H0
「おまえはよく生きたよ」
 よく転がりまわっていたのは過去の話、最近は動作も鈍く反応も薄い。もう長くはないだろう。
 最初の出会いが段ボールなので正確な年は分からないが、もう15年は生きている。猫としてはけっこうな年だ。
 人の膝の上が好きな猫だ。最後は膝の上で見送ってやろうと思う。
――がちゃっ
「蘭ちゃんの様子はどう?」
 いきなり玄関を開けて入って来て、あいさつもせずに話題を振る女が登場した。
「いつものことだが、おまえは本当に唐突だよな」
「いつものことだけど、あなたも毎回それを聞くわね」
 こいつは天野うずめ(あまのうずめ)、ご両親がやや変わり者の神話好きなのでこんな名前になったらしい。お恥ずかしながら俺の恋人だ。
 今まで俺にしかなつかなかった蘭丸が俺以上になつくので、正直なところちょっと嫉妬している。
「あまり動かないな。最近はずっとこんな調子だ」
 とりあえず最初の質問に答えた。
「蘭ちゃん、もう長くないのかなぁ」
「あまり期待はもてないな」
「最後は、せめて二人で一緒に見送ってあげたいね」
「俺達にしか懐かない猫だったからなぁ」
 もう長くはないのだろうが、最後はせめて苦しまずに逝ってほしい。
 ふと蘭丸が大儀そうに首を巡らせ、うずめを見上げた。俺にはその顔が少しだけほほ笑んだように見えた。しかし立ち上がってうずめのひざに飛び移る元気はないらしく、再び俺のひざの上で丸くなる。
 その仕草が俺には最後のあいさつのように見えて、また少し悲しくなる。
 しばらく沈黙が流れた。
 ひざの上の黒猫をもう一撫でする。反応がないのは先程と一緒だが、なんだかすこしだけ体温が下がった気がした。
「蘭丸?」
 呼びかけるが、反応はない。
「おい、蘭丸。おまえ、もう、逝っちまったのか?」
「蘭ちゃん?」
 二人で呼びかけても、もはや身じろぎもしない。
 小さな命の最後に、俺達は静かに涙を流した。
 と、次の瞬間――






17 名前: ◆i7rqxtl05. [] 投稿日:2007/07/16(月) 21:55:24.12 ID:PWNObn1H0
「!?」
 もはや動かないと思われた蘭丸が不自然に震え始めた。
「おい蘭丸!」
「蘭ちゃん!」
「! ……熱い!」
 蘭丸の体温がどんどん上がって行く。もはや生物の温度ではない。
 熱くなった蘭丸が突然立ち上がった!
「にゃああああああああああああああああああああ――」
 叫びながら、からだがどんどん大きくなっていく。
 体の毛が引っ込み、反対に頭の毛だけはどんどん伸びて行く。
 俺達は一言も発することができずにその光景をただただ見ていた。
「――ああああああああああああああああああああ!!」
 最初は猫の声だったはずがいつの間にか人間のそれに変わり、目の前の蘭丸はいつの間にか艶やかな長い黒髪をもつ少女の姿に入れ替わっていた。
 呆気に取られた俺達の前で、目の前の全裸の少女は言い放った。
「ご主人、いつの間に小さくなったのだ?」
 …………そうきたか。
「む、体の動きに違和感があるぞ」
 そりゃあそうだろうな……
「むむむ、体が変わっている。そうか、これが世に言う女体化症候群とかいうものだな」
「いや、女体化っつうか……」
 人間化?
「うん、すばらしい。すばらしく体調がよくなったぞご主人。早速遊んでくれないだろうか?」
 呆気に取られる俺達を尻目に、少女は元気に遊びを持ちかけてくる。全裸で。
 ……っというか
「……おまえ、蘭丸なのか?」
「何を言っているのだご主人、当たり前ではないか」
 何を分かり切ったこと聞くのかというようなキョトンとした顔で平然と言い返してくる。






18 名前: ◆i7rqxtl05. [] 投稿日:2007/07/16(月) 21:56:55.45 ID:PWNObn1H0
「ご主人。泣いているのか?」
「……誰の所為だと思っている。死んだかと思ったんだぞ」
「ご主人、泣かないでくれご主人。我輩はこんなに元気だぞ。ご主人が悲しいと我輩も悲しくなる」
 そう言うと蘭丸はおれに顔を近づけ、頬の涙の跡をなめ――
「ストーーーーーーーーーーーーップ!!」
 呆然として一時停止状態だったうずめが突然動き出し、蘭丸の名を名乗る少女にしがみついて引きはがした。
「だめ! それ! あたしの!」
 なんだその片言は。そして人のことを「それ」とはなんだ。
「どうしたのだ? 奥方」
「お…… おく?」
 蘭丸は不思議そうな顔をしながらも素直に抱かれている。
「いつもやっていることではないか」
「いつもやってても今日はだめ!」
「なぜだ」
「なぜでも!」
「それでは分からない……」
「だいたい、何? 奥方って」
「奥方は奥方ではないか。ご主人との間に子をもうける人だ」
「ちょっ! 子って…… まだ、その、あの、はやいっていうか…… ねぇ?」
 こっちを振り向かれても困る。
「? いつも子づくりにはげんでいるではn――」
「わーわーわーわー!!」
「どうしたのだ? 突然叫んだりして」
「だめなの! 知っててもそういうこと言っちゃだめなの!」
「なぜだ」
「なぜでも!」
「それでは分からない……」
 気づけばうずめと二人でドタバタ劇に突入してしまっている。なんかもう、さっきまでのしんみり感ぶちこわしだな……
 今日からこの人型の蘭丸との生活が始まる訳だが…… これからどうなるんだろうなぁ……






19 名前: ◆i7rqxtl05. [] 投稿日:2007/07/16(月) 21:58:01.56 ID:PWNObn1H0
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 我輩は猫であった。名前は蘭丸。ご主人がくれた大切な名だ。
 我輩には少しだけ悲しいことがある。我輩はもう、ご主人や奥方の暖かいひざの上で丸まることができないのだ。なにせサイズがあわない……
 人間としてのご主人との生活は非常にすばらしいが、それだけが少し悲しい。


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最終更新:2008年09月13日 23:23
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