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我輩は猫であった。名前は蘭丸。
今日も我が愛すべき主人がつづったすばらしい記録を見せびらかしに来た。
今回、我輩はとてつもないことに気づく。今考えるとなぜそんなことに気づいていなかったのか不思議で仕方がないのだが、そこは人になりたてだったときの話だ、軽く笑い飛ばしておいてほしい。
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仕事の帰り道でたまたま出会ったうずめと軽く食事をしてから帰り、そろって部屋のドアを開けると、おそらくいつも通りに本を読んでいたであろう蘭丸が床にぺたりと座り込んだまま固まっている。
広げてあるのは俺の愛読書の猫雑誌だ。蘭丸を育てる参考に買い始めたのだが、なかなか癒される。
しかし蘭丸はどうも沈んでいるようだ……
「蘭ちゃんただいま~」
俺より先にただいまを言ううずめ。もはや俺以上にこの部屋の住人だ。
「ただいま。どうした蘭丸、なんか暗いぞ」
「あぁぁぁあぁぁあぁぁぁああぁ! ごごごごごごごごご、ご主人!」
なにやらあわてた様子で床をぺたぺたと這い回り、まだ靴も脱いでいない足をよじ登って涙目で問うてきた。
「ご主人! 聞かせてくれ! お願いだから正直に答えてほしい、大事な話なんだ!」
「どうした、そんなにあわてて」
「我輩は今から変なことを聞くかもしれない、おかしなことを言うと思うかもしれない、だが我輩は正気だ。どれだけ馬鹿げたセリフに聞こえても我輩にとっては重要なことなのだ。だからまじめに答えてほしい」
「ど、どうした。言ってみろ」
「……わ、わ、わが、我輩は」
「おう」
「わわわわわわわ、我輩は……」
「落ち着け」
「我輩は、猫だったのか?」
……え?
――しーん
唐突に静寂が訪れた部屋で、思わず無言で見つめ合う。蘭丸の目は本気だ。
「……なにをいまさら」
「うわ~~~! やはりそうか! おかしいと思っていたのだ。ご主人や奥方が突然縮むはずはないのだから」
「…………」
「思い返してみると、この猫の本に書いてあるようなことをされていた覚えがある。今まで着なくてもよかった服を着ろと言われるのも変だと思っていた」
なにやら転がり回ってうろたえている。
「トイレだって今までの場所でしようとしたら怒られた。それに最近の食事は今までに食べたことのないようなものばかりだ、茶色いカリカリじゃなくなったのだ」
「服もトイレも、教え直すの大変だったわよ」
「いつの間にそんな苦労を?」
「男の人の前で女の子のトイレの話しする訳にはいかないでしょう」
さすがうずめ、人の世話になれてるな。
「極めつけはここだ! ここに書いてあるのだ!」
そういいながら猫雑誌をぱたぱた振りながら誌面を指さす蘭丸。振り回してると見えないってば……
「外の猫に接触せずに人間の中で生活している猫は、自分のことを人間だと思いこむことがあると……」
雑誌を受け取って読んでみると、自慢の飼い猫紹介のページで、自分のことを人間だと思いこんでいる節があるらしいごましおと言う名の6歳の雄猫の事が書いてある。
「我輩はこのごましお殿と同じなのだ。我輩の世界には人間しかいなかった、なのに我輩が猫だなんて思いつくはずもないではないか!」
「ま、まぁ一理あると言えないこともないが……」
「そうだろう! 我輩がそう思うのも無理ないであろう!」
「そうかもしれんが……」
「なぁご主人。我輩の病気は本当に女体化症候群だったのか?」
「それは俺が聞きたい」
外の猫に接触したこともないような家猫だから童貞だったことは間違いないだろうし、うちに来てから15年だからおよそそんな年齢だろうし、人間ではなかったこと以外は一応女体化症候群発症の条件を満たしている。
だからどうしたと言われても困るが。
「でもおまえは俺のことを『ご主人』って呼ぶし、俺に飼われている自覚はあったんだろう?」
「そうだ、ご主人は大切なご主人様なのだ」
「しかしなぁ蘭丸。普通、人間は人間に飼われたりしないもんなんだよ。その時点で気づこうぜ」
「…………そうなのか?」
「…………そんなキョトンとした顔するほど意外か?」
「人間には主人をもつものともたないものがいるのではないのか?」
「すくなくとも現代日本ではないな」
「だって、ご主人がたまにみてるものにそういう人が出ているではないか。黒い服を着た女の人が『ご主人様』といっていたぞ。我輩もそれなのかと思っていた」
「! おま! ちょっとまて!」
「ほうほう、蘭ちゃんそこらへんのとこもうちょっとくわしく」
あっれ~? うずめさん目がこわいっすよ?
「そこの棚の、下から二段目に並んでいる本の後ろに大切にしまわれているのだ。
たしか『でじたる・ば~さたいる・でぃすく』というものなのだ。どうだ、我輩は物知りだろう。すばらしいな」
「ほほ~う」
止める暇も皆無。神速の勢いで棚の前に移動すると目にも留まらぬ速さで本をぶちまけ、DVDを掴むと……
――にやり
いや、すっげーこえぇんですがその笑み……
「蘭ちゃんでかした。ほめてしんぜよう。なでなで」
「♪」
「さてと、ここに座ってもらいましょうか」
必要以上にいい姿勢で正座しながら笑顔で目の前の床を軽くたたくうずめ。ヒステリックにわめかれるよりもある意味怖いのですが……
「そっか~、あなたにこんな趣味があったとはねぇ~」
「しみじみと言わないでくれないか……」
「あたしはこの趣味には付き合えないわよ。そっちの気はないし」
「いやいや、滅相もない……」
「あたしというものがありながら、外の女の裸でねぇ~。しかもこんな趣味」
「いや、趣味というか――」
「お黙んなさい!」
「…………はい」
「まったく! あたしに何か不満でもあるわけ?」
「いえ、一切ございません……」
「だいたいねぇ――」
…………
……
この後、お説教は1時間あまりも続いた。
うずめ先生は大変に嫉妬深いです…… はい……
AVくらいでそんなに目くじら立てなくても――
「お黙んなさい!」
…………はい
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我輩は猫であった。名前は蘭丸。
不思議なもので、生活はまるで変わったというのに改めて認識するまで自分が変わったことに気がつかなかった。
自分がなんという主の動物なのか、そんなことを人間以上に気にする生き物がいるだろうか?
このころから、我輩は生き物というものに強い関心をもつことになる。
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最終更新:2008年09月13日 23:25