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我輩は猫であった。名前は蘭丸。
世の中はおもしろい。我輩の知らなかったことがたくさんある。
そして人間の頭脳はすばらしい。猫であったころには理解できなかったことをたくさん理解できた。
そして、もっと知りたいことができた――
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引っ越し完了。蘭丸という扶養家族ができたことで、家族向けの社宅に転居できた。広くなったくせに家賃は安くなってる。ありがたいかぎりだ。
なんと蘭丸用の個室までできた。そして、なぜかいつのまにかうずめが一部屋を占領している……
まぁとにかく、それくらい広いってことだ。恵まれた会社だ。
さて、その蘭丸だが、最近成長著しい。
「『かわたれどき』だな」
火のついた好奇心に突き動かされた蘭丸は、いつのまにかインターネットも自由自在になり、本やネットをみてさまざまな知識を頭に詰め込んでは大喜びしている。
「それは『はだか』ではない、『くるぶし』だ」
小学生の範囲はとっくに終わらせたようで、このあいだ高校の参考書にあたっているのを目にした。
どこから拾って来たのかわからないような知識を突然披露されて、驚かされることも多い。
「なぜ『まんぼう』くらい読めんのだ」
今はテレビのクイズ番組を見ながら一喜一憂している。ちなみに漢字の読み問題にさっきから全問正解中だ。ついこないだまで平仮名の練習をしていたと思ってたのに、いつのまにこんなに漢字を覚えたんだろう。
そんなある日。
「大学に行きたい!」
蘭丸が突然真剣な目をしてそんなことを言い出した。
「……おまえが?」
「おかしいだろうか?」
「……いや、おかしいというわけじゃないが」
大学全入時代とはいうが、人どころかとうとう猫まで大学を目指すようになったか。
「おまえ、まだ高校どころか中学も出てないじゃないか。受験できるのか?」
「そのへんは問題ないのだ。高等学校卒業程度認定試験というものに合格すれば受験資格が手に入いる。なんと義務教育を終えている必要すらない。その年の3月31日の時点で16歳であればいいのだ」
蘭丸の誕生日は、蘭丸を拾った冬の日に設定してあり、現在は15歳ということになっている。つまり来年の春にはすでに16歳ということになり、来年の試験を受けることができる訳だ。
というか、わざわざ解決法を調べて来たということは――
「やりたいことが、あるんだな」
「我輩は生物の違いをもっと知りたいのだ。自分一人でできることはもはややり尽くした」
「やり尽くしたとは、これまたでっかく出たな」
「人の指導とはすごいものなのだ。奥方の指導があったから、我輩はここまでいろいろなことを知ることができた。だがもっと先が見たい! もっと専門的な指導者が欲しい!」
好奇心というのはすごいな。部屋から出そうとするたびにびくびく震えていた臆病猫だった蘭丸が、今では自分から世の中を見ようとしている。
これは人として、そして戸籍上養父になったものの責任として、応援してやらないわけにはいかないのではないだろうか。なにせこんなにも必死で真剣な目をしているんだ。
しかし問題は金だ。収入もたいしたことはないし、十分な貯金があるわけでもない。子育ての経験のない俺にはこの状態で大学卒業まで一人の人間の面倒をみられるのかどうか判断がつかない。
「ご主人には金銭的な迷惑を押し付けることになってしまうと思う」
「いや、お前にかけられる迷惑ならかまわんのだが……」
みんなもこの瞳をみれば解る。俺の苦労だけでこいつの望みがかなえられるならいくらでも面倒をみてやりたくなる気持ちが。それだけ真剣な思いのこもった決死の瞳で見上げられているんだ。
俺一人苦労だけで解決することが保証でもされていれば俺だって迷わない。だが安請け合いしたあげくに面倒が見きれなくなった場合、一番悲しい思いをするのは蘭丸だ。
俺がここでイエスと言うことが、本当に正しいのだろうか?
「ちょっと待っていてくれ」
そういうと蘭丸は自室に駆け込み、なにか小冊子抱えて戻ってきた。
「これだ! これを見てくれ!」
どうやら大学のパンフレットのようだ。獣医学部と書いてある。いつの間に取り寄せたのだろう?
「ここに特待生の項目がある」
この項目を要約すると、毎年度最終の成績がトップであれば次年度の授業料が免除されるということ。そして初年度の成績がトップであれば入学金と初年度の学費が返還されるということ。そういったことがかかれている。
こいつはこんなにも真剣になって、こんなところまで調べている。
「我輩が一度でも特待生の要件から外れたなら、いつでも追い出してもらってかまわない」
なぁ、この真剣な瞳を否定できるヤツが何処にいる? この目を否定して平気な顔をして生きられる人間がいるか? いるなら手を挙げろ、俺が今からぶん殴りに行く!
俺は感極まって思わず蘭丸を抱きしめていた。
「いいんだ! おまえは気にしなくていい。俺に迷惑がかかるなんて、そんなこと気にしなくていいんだ!」
正直に告白する。俺は今の今までこの蘭丸を、『15年間ペットとして飼い続けてきた黒猫の蘭丸』の延長上でしか見ていなかった。
「俺はおまえの父親になったんだ。娘が、父親の迷惑なんて考える必要はないんだ!」
今この瞬間から俺は、雄猫から人間の少女へと転生を遂げたこの蘭丸を本当の娘として迎えることを、本当の意味で決意した。
「ご、ごしゅじ…… いや…… ちち……うえ?」
「おう」
「ちち…… うえ……」
「おう!」
「ちちうえ…… 父上?」
「おう!!」
「父上! 父上!!」
「蘭丸!!」
いままで俺のことを『ご主人』と呼び続けた蘭丸が、はじめて『父上』と呼んでくれた。
なぁ、この喜びが理解できるか? 俺は今、こいつのためなら死んでもいい。
二人は抱き合ったままいつまでもお互いを呼び合い、泣き続けた。
後日、蘭丸は本当に高等学校卒業程度認定を取得し、見事志望校の合格も勝ち取った。しかも新入生代表あいさつまで任されたところをみると、トップかそれに準ずる成績で合格したようだ(ちなみに正確な順位は発表されない)。
ヤツはやる気だ。
一つだけ不満がある。俺の呼称がまた『ご主人』へと戻ったことだ。人前では『父上』と呼んでくれるが、それ以外では元に戻る。
『おとうさん』って呼んで欲しいな……
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我輩は猫であった。名前は蘭丸。
我輩は理解あるすばらしい主人をもった。
我輩は知りたい、このすばらしき世界を。もっと、もっと。
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最終更新:2008年09月13日 23:30