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我輩は猫であった。名前は蘭丸。
ひさしぶりに、また我輩のすばらしく幸せな日々を見せびらかしに来た。存分にうらやましがるといい。
今度は大学に通う我輩の記録だ。
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チェックポイントは毎年度末。トップの成績が取れると次年度の授業料が免除される。初年度に関しては、初年度の授業料の返還まである。つまり初年度は二倍お得だ。
蘭丸は相変わらず全速力で突っ走っている。いまだ好奇心は衰える気配を見せず、何にでも手を出しては「時間が足りない」とぼやいている。
かつて臆病猫だった痕跡はもうどこにも残っていない。
「壮観だなぁ――」
夕食前の食卓。初年度の前期日程を無事終了し、返って来た成績表を渡された。これがものすごい。
「これだけ『優』が並んだ成績表なんてみたことがないよ」
成績は『優』『良』『可』『不可』の4段階で、不可だと単位が認定されない。普通の感覚なら「『優』が多めで『不可』がない」ならばいい成績だと感じるだろうが、すべて『優』というところまでくると逆に呆れる。
「まだ足りないのだ。1年で習える程度の生物学の知識なら誰だって調べてこれる。我輩はもっと生き物の違いが知りたいのだ。早く新学期が始まって欲しい!」
どれだけ勉強中毒なんだお前は……
「なぁ蘭丸。おまえちゃんと遊んでるか?」
「ん? 毎日楽しいぞ?」
蘭丸は普通の大学生がマンガを読んだりゲームをしたりしている時間に、何やら難しそうな本を楽しそうに読んでいる。だからたまには遊びも必要なんじゃないかと思ったのだが……
そういえば、引きこもり猫だったわりにはこいつけっこう外に出掛けてるな。
このあいだは「馬に乗りに行くのだ」とかいって出掛けて行ったし。
「こんどは山に鳥を見に行くのだ」
「だんだんあったかくなってくる時期だしなぁ。山に行くにはいい季節かもな」
「このまえは馬を見たし、こんどは空の生き物だ。だからその次は海の動物だな!」
どうやら蘭丸は陸海空を制覇するつもりらしい。
「海にはまだ早いよ。もうちょっとあったかくなってからだな」
「夏が楽しみなのだ♪」
まぁ誰かと連れ立って出掛けてるみたいだし、友人関係もうまく行ってそうでよかった。
「はいはい紙類は汚れちゃうからしまっちゃいなさい。ご飯できたわよ♪」
うずめが楽しそうに台所から登場した。引っ越しのどさくさに紛れてうちに住み着き、いつもおいしいご飯をつくってくれるうずめだが、まだプロポーズの言葉にはうなずいてくれない……
状況としてはすでに夫婦みたいなもんだし、その気がないわけでもないみたいなんだけどな……
「奥方! やったのだ!」
蘭丸が自慢げに成績表を差し出した。
「あら、キレイにそろってるわねぇ」
手にもったお盆をとりあえず手近な場所におき、蘭丸の頭をなで回している。
「これでご主人に迷惑をかけなくて済むのだ」
蘭丸は胸を張っている。
「何を言ってるの~」
うずめは蘭丸の頭を引き寄せ、両腕で優しく包み込む。
「蘭ちゃんはもうあたしたちの娘なの。だからそんなことは気にしなくていいの。親なんて子供に迷惑をかけてもらうためにいるようなもんなんだから」
いま『たち』って言いましたよ、『あたしたち』って。まだプロポーズ受けてくれないのに。俺のプロポーズ受けてくれたらもれなく蘭丸の母親の地位がついてきますよ?
「母上……」
蘭丸まで…… うずめはまだお母さんじゃないんだってば。
うずめはたまに『母上』と呼ばれるのに、なんで俺は人前じゃなきゃ『父上』と呼ばれないのか。
「蘭丸~。たまには俺も『父上』って呼んでくれよ~」
できれば『おとうさん』って呼んでほしい。
おもわず二人まとめて抱き締めてみた。
「蘭丸。成績を保つことも大切ではあるけど、それより学生生活を楽しむことを考えろ。なに学費免除なんてなくなってもなんとでもなるさ」
「ご主人……」
「本当だぞ? たしかに収入はよくはないが、社宅の家賃は安いしうずめも節約上手だから支出も低い。うちの会社はけっこう信用があるからローンだって組みやすいんだ」
「……ご主人」
「とにかく、おまえが希望どおり生きられることが、俺達にとって一番うれしいことなんだから。たのむから遠慮だなんて悲しいことだけはしないでくれよ」
「うぅ~~…… 父上、母上~」
「蘭ちゃん……」
「なんだよ~、泣くなよ蘭丸……」
どうしてこういうときにばかり父上って呼んでくれるかなこいつは。こっちまで目頭が熱くなってくるじゃないか……
「はいっ! じゃあお互いに納得したところで、冷めないうちにごはんにしちゃいましょうか」
ぱちんと一回大きく手を打って話題を変えようとするうずめだが、その目はちょっと赤く、涙をこぼす寸前の目だ。多分俺もこれと同じ目をしている。
「今日は蘭ちゃんの大好きなマグロがたくさんあるわよ~」
「ほんとか! かまか! かまなのだな!」
さっきまで泣いていたというのにもう笑顔で顔を輝かせている。思わず俺もうずめと顔を見合わせて笑った。
最近の蘭丸はマグロのかまの煮付けが大好物だ。箸だってちゃんと使いこなす。
猫だった時には茶色のカリカリとか生のイワシとかをバリバリかじってたもんだが、もうすっかり加熱調理した物に慣れたなぁ。
猫舌ではないみたいだ。
そういえば、生魚を与えた後に顔をなめにくるのは勘弁して欲しかったなぁ、犬じゃないんだから……
今となってはいい思い出だが……
この後も蘭丸は同じペースで勉強を続けて行く。そして、それはいつも楽しそうだ。
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我輩は猫であった。名前は蘭丸。
いろいろなことが解って来た。人間の生活。動物の違い。
そして、ご主人と奥方のあたたかさ。人のあたたかさ。
体温ではない、『心』というもののあたたかさ――
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最終更新:2008年09月13日 23:30