『高原望の憂鬱』1

「ホントに女の子になっちゃったんだねー」
「……お前こそ」

 穏やかな春の日の午後。先日卒業した校舎の屋上で、俺たちは数日ぶりの再会を果たした。

 中学の卒業式の日、俺こと高原望は、ずっと片想いし続けてきたクラスメイトの秋野遥に思い切って告白した。
 三年間特に接点もなく、玉砕覚悟だったのにまさかのOK。俺たちは晴れてお付き合いする仲になったのだ。なのに……!

「…何で付き合った次の日に…」
「いやーお互い見事なタイミングだったねぇ」

 うんざりした顔で吐き捨てる俺に対し、秋野はからからと笑い声を上げる。

 『15、6歳までにセックスしなければ性転換が起きる』というしょうもない都市伝説。
 そんな馬鹿馬鹿しい噂がまさか自分たちの身に降りかかるとは、その時の俺たちは知る由もなかった。


 戸惑いを隠せない俺をよそに、秋野はすっかり男になった自身に順応しているようだ。

(携帯かけてきた時は半泣きだったくせに……)

 フェンスに寄りかかって呑気に空など見上げている秋野を視界に入れつつ、俺はこっそりと溜め息をついた。

 互いの性転換後、最初に連絡を取ってきたのは秋野の方だった。

『何か胸が無くてアレが付いてる!マジ有り得ないんだけど!!』

 その時にはすでに性転換済みだった俺も自分の体の変化に一人悶々としていて、 正直自分以上に混乱している彼女にどこかほっとした部分もあった。
 とりあえずその場で自分も同様の変化があったことを伝え、一度会って話し合う約束を取り付けて今に至る。

 しかし実際会ってみれば秋野は外見以外全くの普段通りで、俺は見事な肩透かしを喰らってしまったのだ。

 飄々として状況を受け入れている彼女を見ていると、ここに着くまでどう励まそうかとか、このまま付き合っていけるのだろうかとか、色々考えを巡らせていた自分が馬鹿らしく思えてくる。

「いい天気だねー、高原ー」
「……おー」

 元々どこか男らしかった彼女。

 長かった髪をばっさりと切り落とし、細身のジャケットをまとう姿は男から見ても格好いい。

 華奢だった体はやはり細いままだが、肩幅や背の広さは確かに少年のものになっている。
 声にも面影こそあるものの、それはどう聞いても男の低さで。
 …つーかこいつ、明らかに俺よりデカくなってねえか?

「しっかしかわいーわ高原。まぁ男の時からキレイな顔してたしねー… でもちょっと悔しい位の美少女だなぁ。女だった私の立場ないじゃん」

 いつの間にか横に立っていた秋野は、肩ほどまで伸びた俺の髪を触ったり、妙に肌触りの良くなった頬をぷにぷにしながら、褒めてんだかなんだか分からないことを連発する。

「……自分じゃわかんねーし、嬉しくねーし」
「あー、まだ慣れないよね。てかスカート位履きゃいいのに」

 呆れ顔でぼやく秋野に、俺は恨めしげな目を向けた。

 今日の自分の格好はジャージにジーンズという簡素なもの。しかし男物なため、肩や腰回りがだぶつきかなり不格好である。
 おまけに付け慣れない下着のせいで気分も最悪だ。

「絶対ぇやだ。足元スースーして気持ち悪いよアレ」
「でも高校からは毎日スカートだよ?」
「……知らん」

 小首を傾げつつ痛い所を突く秋野から、俺は思わず目を逸らす。

 相手の目を真っ直ぐに覗き込んでくるそれは、秋野が女性だった頃からの癖だった。
 その何のてらいもない仕草が可愛くて、自分は彼女を意識しだしたのだ。

 思い入れのあるそれを、秋野だけれど秋野ではない相手にされるのは……正直微妙な気分。

 不意に黙り込んだ俺を見て、何を思ったか秋野はがしっと俺の肩を掴んだ。
 驚いて顔を上げた先には、真っ直ぐに俺を見つめる秋野。

「まーいいじゃないか! 高原はかわいーし俺はかっこいーし、付き合うのに何の問題もないッ」

 そう軽く言い放って破顔した秋野に若干引きつつ、俺は彼女の科白に小さく眉根を寄せた。

「俺とか言うな。つか…マジでいいわけ?」
「ん?」

 また、秋野が例の仕草をする。

「何つーか…俺は男として秋野に告ったわけだし、お前も女としてソレを受けてくれたんじゃねーの?
 だから今の状態は…って何が言いたいんだか……」

 上手く言葉が出てこない。
 目線を彷徨わせ、あーとかうーとか唸る俺を見下ろす秋野の瞳が、徐々に翳りを見せ始めた。

「――高原は今の私、好きじゃない?」
「は? や、それはこっちが訊きたいんであって…秋野こそ嫌じゃねーの? その…彼氏が女、とか」

 恐る恐る訊ね返すと、俺の肩を掴む手にぐっと力が込められた。その思いがけない力強さにぴくりと体が跳ねる。

「それ言ったら私だっておんなじだよ?でも私は高原だから好き。
そりゃ私が女のままだったらもっと悩んだかもだけど…私も男になっちゃったし……」

 いつになく真剣な表情の秋野は、不謹慎だがやたら格好よくて思わず見とれてしまった。

 てか、あれ? 俺いまさり気なく愛の言葉囁かれちゃった?

「……気にしてねーの? 今の状況」
「そんなわけないでしょっ!
 …ただこんなことで別れるって何か、ムカつく」

 いやこんなことって。かなりの異常事態なんですけど。

「高原は? 高原が嫌なら…私は……」

 消え入るような声と共にゆっくりと力の抜けてゆく秋野の手。
 ハッとして、俺は我知らず叫んでいた。

「っ、嫌なわけねーし! 俺だって秋野以外考えらんないよ…!!」
「じゃあ問題ないじゃん」
「いや問題っ……へ?」

 さっきまでのシリアスさはどこへやら。
 けろっとした顔で言い切った秋野に間抜けた声が洩れる。

「私は高原が好きだし、高原は私が好き。これで万事オッケー無問題!はっはっはーっ」

 腰に手を当て高笑いする秋野を見て、俺は文字通り全身から力が抜けていくのを感じた。

(女って……女って何てタフなんだ……!!)

 こんな生き物に果たしてこれからなれるのだろうか……いや、肉体的にはもうなってるけど。

 どうしようもない虚脱感に頭を抱えている俺を知ってか知らずか、秋野がいきなりとんでもないことを言い出した。

「ま、高原に抱いてもらえなくなっちゃったのは残念だけどねー」

 あっけらかんとして笑う彼女に、一瞬置いてぼっと顔から火を噴く。

「おっ…まえは! そーゆうがさつなコトを普通に言うなっ、バカ!!」
「がさつで何が悪いの?」

 突然あの真剣な表情を向けた秋野に思わず気圧される。
 小さく後ずさった俺を見止めて、彼女は俺を追い込むように背後のフェンスへと荒々しく手をかけた。

「俺、男なんだよ?」

 にやりと口端を上げた秋野の顔は、確かに『男』のそれで。
 不覚にも自分は、そんな彼女……彼に、胸の高鳴りなど覚えてしまったわけで。

 認めたくはないが、どうやら自分も随分と「女である自分」に適応してきているらしい。

「……ッ! わかったから…っ、んな近寄んないで…!!」
「……やば、キスしていい? 高原」
「はぁっ!?」
「だって高原かわいーんだもん。ダメ?」
「いやダメなことないけど! …ってかお前そーゆうキャラだっけ?」
「さあ?」

 またしてもにやりと不敵な笑みを浮かべる秋野を内心毒づきつつ、俺は散々迷った挙げ句。

 真っ赤な顔で静かに目を閉じた。

Fin.


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最終更新:2008年09月13日 23:44
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