136 :「高原望の憂鬱」
◆JUZWQ1Mxt. :2008/03/29(土) 12:36:03.20 ID:mw/Gd73PO
ピピピピッ…ピピピピッ…
目覚まし時計の規則的な電子音が朝の訪れを告げる。
「……んむぅ~…」
それをのろのろと止め、俺はベッドの中で小さく伸びをした。
目覚ましは鳴ったものの支度するにはまだ余裕がある。
しばしの微睡みを堪能しながら、俺はふと一昨日のことを反芻した。
恋人である秋野とのすれ違いや痴漢事件などと散々な一日だったけれど、結果的に仲直りも出来て、二人の絆を深めることが出来た日。
(キスもいっぱいしたし、ちょっとエッチなことも……)
そこまで思い出して、ぼんっと噴火する俺の顔。
それと同時に(勝手に設定された)秋野専用の着うたが大音量で鳴り響き、俺は本気で心臓が止まるかと思った。
何のことはない恒例のモーニングメールなのだが、こうもタイミングがいいと脳内監視でもされているのではないかと疑ってしまう。
動揺を抑えつつメールを開けば、それは今日の予定を訊ねる内容だった。
そういえば今日は交際一カ月記念日。
放課後デートは断られてしまったものの、代わりにと秋野家の夕食にお呼ばれしたのだ。
交際が一カ月続いたなんて正直大した話ではない。だが始めから障害だらけだった俺たちからすれば、そんな些細なことすら快挙なのである。
『ケーキでも買ってささやかに祝おう』
そう言ってくれた秋野のはにかんだ笑顔を思い出し、俺は頬を緩ませながら返信メールを打ち始めた。
(あれ……?)
気のせいか、腹が痛い。連日の気苦労で胃でも荒れたのだろうか。
しかし痛みは胃ではなく明らかに下腹部。何かがおかしい。
(…何だろ、体もだるい…)
おまけに何やら下半身に違和感がある。――かーなーり嫌な予感。
俺は自分の予想が当たらないことを祈りつつ、恐る恐る掛け布団をめくる。
「――っひ!」
刹那、早朝の高原家から壮絶な悲鳴が上がった。
137 : ◆JUZWQ1Mxt. :2008/03/29(土) 12:39:59.71 ID:mw/Gd73PO
先日の痴漢事件から恋人・高原望とのすれ違いをきれいさっぱり解消した秋野遥は、朝から上機嫌だった。
おまけに今日は交際してから初めての記念日。
(そして何より…高原がうちに来る……!)
秋野は性転換して以来、念願の一人暮らしを許されていた。実家は女ばかり(一部女体化含む)なので、手狭なワンルームでも男体化した彼女にとっては天国である。
(高原呼ぶの初めてなんだよな~…やべー楽しみすぎる!)
初イベントへの興奮に、おかげさまで朝からにやつきが治まらない。
もちろん一番の目的は彼――彼女に手料理を振る舞い、記念日のお祝いをすることだ。
平日だから当然お泊まりもナシ(お互いそこまで非常識でもない)
だが秋野とて立派な日本男子である。あわよくばあーんなことやそーんなことを、と目論んでもいた。
まあ元女とはいえ、今や多感な思春期の少年なのだ。可愛いすぎる彼女を前にして下半身と脳が直結してしまうのも致し方ない。
込み上げる過度な期待を抑えもせず、締まりのない笑みを垂れ流す秋野少年。すれ違う生徒は皆その異様さにドン引きしているのだが、今の彼がそれを意に介すはずもなかった。
138 : ◆JUZWQ1Mxt. :2008/03/29(土) 12:41:26.99 ID:mw/Gd73PO
妄想がクライマックスの秋野にもしかし、一抹の不安があった。
それは高原から朝のメールの返信がなかったこと。
くだらないものならスルーされるのも慣れているが、あの常識人な恋人が質問を無視するとは考えられない。
だからこうしてわざわざ別棟の高原のクラスまで足を運んだわけだ。
(高原高原~…あれ?)
廊下から雑然とした教室内を覗き込む。しかしそこに目当ての人物はいない。
トイレかな?と首をひねった秋野は、一応近くにいた女子に声をかけてみた。
「あ、ちょっとごめん」
途端、周辺の女子たちが小さくざわめいた。しかも声をかけられた当人は薄く頬など染めている。
女受けする外見のせいとは分かっているが、高原以外の女子にそんな反応をされても嬉しくも何ともない。
「高原どこいるか知らない?」
何気なくその名を出した瞬間、目の前の女子どころか周辺の女子たちまでが、さっと顔色を変えた。
「……?」
「高原さんに何の用?」
一変して負のオーラをまとった語調に少々ムッとしつつ「俺アイツにCD貸してて」などと当たり障りのない嘘をつく。
「で、高原は?」
「高原さんなら欠席だよ」
「えっ、何で!?」
「…知らなぁい」
突然冷たい反応になった女子は、予鈴と共にそそくさと自分から離れていってしまう。
どこか釈然としないまま、本鈴に追われた秋野はその場から離れざるを得なかった。
139 : ◆JUZWQ1Mxt. :2008/03/29(土) 12:43:00.67 ID:mw/Gd73PO
秋野はその後も度々メールチェックをし、昼休みには高原に電話も掛けてみたがへんじがない、ただの(ry
(……おかしい)
いくら連絡不精の高原とはいえ、電話に出なかったことなど今まで一度もないのだ。
風邪か何かで寝ているのだろうと無理矢理自分を納得させてはみたものの、やはり落ち着かない。
もしかして一昨日の痴漢事件が尾を引きずっているのだろうか。
しかし昨日は至って元気そうだったし……何か他ののっぴきならぬ事態に巻き込まれているのか。
とりあえずミーティングが終わったら高原の家に即行で行こうと決めて、秋野は携帯をポケットに仕舞い込んだ。
141 : ◆JUZWQ1Mxt. :2008/03/29(土) 12:45:13.21 ID:mw/Gd73PO
「あらぁ、遥ちゃん。いらっしゃい」
そう言って高原家を訪ねた秋野を出迎えたのは、望の母・尚(なお)である。
どこか冷めた印象の強い望とは対照的に、綿菓子のような笑顔が似合う穏やかな美人だ。
「こんばんはおばさん。つか今は『遥くん』っすよ、俺」
苦笑しながら訂正すると、彼女はそうだったわねぇ、と柔和な笑みを浮かべる。
「もしかして望のお見舞いに来てくれたのかしら」
「はい、休みって聞いて。携帯も繋がんないし…あいつどうかしたんですか?」
よほど心配なのだろう、深刻な表情の秋野を見て、尚は頬に手を当てつつ吐息した。
「それがねぇ……」
142 : ◆JUZWQ1Mxt. :2008/03/29(土) 12:47:34.95 ID:mw/Gd73PO
階下から母の呼ぶ声がする。
掛け布団を頭までかぶりベッドにうずくまっていた俺は、それに反応して重い体を少しだけ起こした。
「……なにー?」
「のぞむー、遥ちゃんがいらしたわよー」
「えッ!?」
今一番会いたくない人物の名前を耳にして、ざぁっと血の気が引く。
「いい…!帰ってもらって!!」
「あらぁ…でも」
のんびりした母の声に合わせて、バーンッと勢いよくドアを開け放つ音。
「もう上がってもらっちゃったわよぉー」
「!?」
「突撃!愛しの高原さーんッ!!」
突如、意味不明なことを叫んで秋野がズカズカと部屋に侵入してきた。
「お前は変質者か!!」
「違うぜ!俺は捕らわれの姫を救いに来た通りすがりのプリンスさ☆」
「捕らわれてねーし姫でもねぇ!!ってか何そのポーズ!?気持ち悪い!キモイじゃなく気持ち悪い!!」
「何とっ!?貴様…俺が長年かけて編み出した秋野式☆求愛のポーズを愚弄致すかァア!」
「んな求愛いるか!!…っ、つぅ~…」
うっかり秋野のテンションに乗せられたせいで、ただでさえひどい腹痛が悪化しやがった。
腹部を押さえて呻く俺に近付き、秋野が静かにベッドの端へ腰掛ける。
「高原、…『始まった』んだって?」
「ッ!……う、うぅ~……」
秋野の言葉に全てを悟り、俺はとうとう泣き出してしまった。
「泣くなよ~。おめでたいコトじゃんか」
しれっと無責任なことを言う相手にも、今は反駁する気にすらなれない。
女体化して一ヶ月。とうとう俺にもこの日がやってきた。
女体化者が恐れる生理現象のひとつ――いわゆる女性につきものの『アレ』が始まってしまったのだ。
143 : ◆JUZWQ1Mxt. :2008/03/29(土) 12:49:10.44 ID:mw/Gd73PO
「…っんく…せーりが…んな、キツいなんて聞いてないぃ~…ッ」
未経験の痛みに耐えきれず、しくしくと泣き言を洩らす俺。いい歳して情けなさすぎる。
「まぁ始まるのが遅い子は重いって言うしねぇ…お前の場合仕方ないけど」
掛け布団の上から俺の腰をさすりつつ、秋野が小さく苦笑する。
それがひどく恥ずかしくて、俺は秋野の手を振り払うように布団をかぶり直した。
「秋野にだけは知られたくなかったのに…っ」
「何で?これでも経験者なんだから相談くらいしてくれよ」
「…『彼女』に生理痛の相談する彼氏なんてヤダ…」
その呟きに秋野は少々面食らった。
こんな姿になっても自分を彼女だと思ってくれていることが嬉しくもあり、またおかしくもあったのだ。
「――ま、そう言うなって。ところでお姫様、どこが一番つらいか仰って下さいませんか?」
「姫じゃない。……腹と腰」
「了解。ちょっと横向きに寝て、端に寄ってくれる?」
「?」
脈絡のない秋野の言動に疑問符を浮かべつつ、大人しく指示に従う。すると彼はさも当然とばかりにベッドへ滑り込んできた。
「おいっ!?ちょ……!」
(まさかこんな時までエッチな悪戯を!?)
思わず身構える俺だったが、それは杞憂に終わった。
144 : ◆JUZWQ1Mxt. :2008/03/29(土) 12:52:36.29 ID:mw/Gd73PO
そつない動きで俺に腕枕した秋野は、後ろから抱き締めるように痛む下腹部へと掌を当てる。
するとどうだろう。すぅ、と苦痛が軽くなったのだ。
「え…何か楽になった…」
驚いて秋野を顧みる俺を見て、彼はにっ、と相好を崩した。
「なんつーの、ヒーリングってヤツ?一回すげー重かった時に母さんにやってもらったんだよ」
効き目抜群だろー?と胸を張る秋野に、こくこくと何度も頷く。
「秋野すげー……」
素直に感嘆を口にすると、秋野が突然噴き出した。
「えっなに?俺何か変なこと言った?」
「や、うん、まー…高原かわいーなっつうね」
笑いを堪えながら答えにならないことを言う秋野。
(何で可愛かったら笑うんだ?意味が分からん)
そもそもこいつの可愛いの基準自体がおかしい。俺の何をもってして可愛いなどとほざくのだろう。
納得いかない様子の俺に、秋野はくすくすと笑い続けるばかり。
愛らしい外見と、男としての矜持を捨てきれない初心なリアクションとのギャップがいかに男心をくすぐるものか、まるで自覚のない望であった。
「気に入ったんなら毎回コレやったげようか。高原がつらいのは俺もヤだし」
「…ん、悪い。頼む」
「ありゃ、高原もしかして眠い?」
彼の問いとほぼ同時に、俺は盛大に欠伸をかましてしまった。
朝から痛みと不快感に緊張しっぱなしだった体は、予想以上に疲労していたようだ。
苦痛が和らいだ途端にそれが睡魔となって一気に俺を襲う。
おまけに背中から伝わる温かさがひどく心地好くて、俺の目は今やまともに開けていられない状態。
「しばらくこうしとくから。ゆっくり休みなよ、高原」
「ごめ、秋野…寝る……」
そう言い残して、俺は夢の世界へと旅立った。
145 : ◆JUZWQ1Mxt. :2008/03/29(土) 13:00:13.21 ID:mw/Gd73PO
早くも寝息を立て始めた望に小さく笑いを零し、秋野は彼女の黒髪に優しく指を通した。
さらさらの手触りに、髪質まで女の子なんだなぁ、と妙な感動を覚える。
そこで今さら約束のことを思い出した。
(そういや記念日…、…まぁいっか)
せっかくの計画はオジャンになってしまったが、添い寝できた上にこんなにも可愛い寝顔が見られたのだ。それだけで良しとしよう。
(あーあ、無防備な顔しちゃって……)
これは男として喜ぶべきか悲しむべきか。
「おやすみ、俺のお姫様」
そっと呟いてから、あまりの臭さに苦笑する。
いつから自分はこんなにも気障な人種になってしまったのだろう。
高原を見ていると、まるで自分が彼女の騎士にでもなったかのような気分に陥るのだ。
たまに愛が暴走してセクハラ紛いになってしまうのは、ご愛敬ということにしてもらいたい。
しばらく愛らしい寝顔を眺めた後、秋野は彼女のこめかみにキスを落として、華奢な身体をぎゅっと抱き締めた。
(どんなことがあっても、絶対に『私』が守ってあげるからね…高原――)
148 : ◆JUZWQ1Mxt. :2008/03/29(土) 13:09:38.06 ID:mw/Gd73PO
「――母さん」
「あら、お帰りなさい」
いつの間にやら帰宅していた夫・忍に驚く風もなく、尚はいつも通りにこやかに彼を出迎えた。
「ただいま。一つ訊きたいんだが、玄関にある男物の靴は一体……」
神妙な面持ちの夫に、尚はと可愛らしく小首を傾げる。
「靴?…ああ、そういえば忍さんはまだ会ったことなかったかしら。いまね、望の彼氏さんがいらっしゃってるのよ~」
のほほんと尚が答えるや否や、忍の双眸がぎらりと底光りした。
「なん…だと…?」
そこに浮かぶのは、明らかな敵意。
「俺の可愛い一人息子…じゃなく一人娘をたぶらかすとは不届き千万!その男、成敗してくれりゃぁああ!!」
「あらあらダメよ忍さん」
「ヒョギフッ!」
いざ鎌倉!とばかりに娘の部屋へ突撃しかけた忍の背後から、尚が強烈な延髄斬りをかます。
「ふふ、ひとの恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死んじゃうのよぉ~?」
床に崩れ落ちた夫の横に膝をつき、あくまで穏やかに物騒な発言をする彼女。
半死半生の忍が「…馬じゃなく妻に蹴られて死にそうです…」と呻くのを笑顔で黙殺する。
「それにね、彼氏さんは彼女さんでもあるのよ」
「……?」
「あなたならこの意味、分かるでしょう?」
にっこりと笑んだ妻に忍はしばし眉を寄せていたが、その顔が徐々に驚きのそれへと変化していく。
まさか、と呟いた夫に、尚は小さく頷いた。
「若い二人を温かく見守るのが『俺』たち先人の務めじゃねーの?忍」
懐かしい口調で笑いかける妻に、忍もまた懐かしい名を口にして頷き返す。
「分かったよ、……『尚斗』」
Fin.
最終更新:2008年09月13日 23:45