157 :「安価:うそつき」
◆JUZWQ1Mxt. :2008/04/01(火) 23:26:15.64 ID:jqSOjX+wO
三浦涼平は呼吸をするように嘘をつく。
たとえば知的さを演出するための伊達眼鏡、などという安易なものを筆頭に、時には複数の人間を相手取る大掛かりな嘘まで平然とついてみせる。
それらを可能にするのは磨き上げられた話術と柔軟で回転の早い頭脳、そして一分の隙もない類稀な美貌であった。
――などと書き始めればまるで詐欺師か何かの一大叙事詩のようだが、何のことはない、これはどこにでもいる普通の少年の話である。
「何でそないに嘘ばっかりつくんや」
夕暮れ時の教室にて。
金本徹也はいつも通りの関西弁で、日誌を書いている友人を問い質した。
思えば転校初日に見事騙されて以来、今までに何度同じ科白を吐いたことだろう。今やちょっとした恒例行事になっている気がする。
「さあね、もう癖みたいなものだから。理由なんてないんじゃない?」
相手もそれを分かっていて、台本でも諳んじるかのようにお決まりの文句を口にしてみせる。日誌から目を離しもしない態度が何とも小憎らしい。
いつもと同じ流れになっていることを自覚しつつ、徹也は尚も食い下がった。
「せやったらもうやめろや。
中三にもなって嘘つきて、いいかげんアホらしいと思わんのか?」
「全然。第一、僕はお互いにとって有益な嘘しかつかないし」
「そんなんバレたら終わりやろうが」
「はいはいそーですね。まぁバレるわけないんだけどね」
のらりくらりと躱す自分に対し、徹也はどんどん膨れっ面になっていく。
159 : ◆JUZWQ1Mxt. :2008/04/01(火) 23:28:57.64 ID:jqSOjX+wO
友人の素直な反応に苦笑しながら、涼平は握っているペンをくるりと指で回した。
「何度も言ってるけどさ、心配するだけ無駄だよ。大体僕がそう簡単にヘマを踏むと思う?」
そう言って厭味なほど自信たっぷりの笑顔を作ってみせる彼に、徹也は深々と溜め息をつく。
「お前、若いくせにホンマひねくれとんな……」
しみじみと呟く友人を「オヤジくさっ」と一笑に伏して、涼平は静かに日誌を閉じた。
「ほら、日誌書き終わったからさ。早くコレ出して帰ろ」
笑顔で促す涼平に再び溜め息をつき、徹也は学生鞄を手に取りながら重い腰を上げた。
160 : ◆JUZWQ1Mxt. :2008/04/01(火) 23:34:21.58 ID:jqSOjX+wO
ゆったりと夜に呑まれていく秋空の下、二人は肩を並べて緩い坂道を下る。頬を撫でる風が少し冷たい。
「そういやそろそろやんな、アレ」
「アレ?……ああ」
徹也のふとした呟きに涼平は首を傾げかけたが、すぐさま彼の言わんとすることを悟る。
徹也が言うアレとは、近年15、6歳の少年少女を中心に流行している奇病のことだ。
彼は来週末15歳になる自分がその対象になることを言いたいのだろう。
「別に必ずかかるわけじゃないでしょ。しっかし馬鹿な病気があったもんだよねぇ」
「せやなぁ」
大仰に肩をすくめてみせた涼平に、徹也もつられて苦笑する。
二人が他人事のように話すのも無理はない。
それは『性転換症候群』という名の通り、ある日突然に性転換してしまうという、それこそ嘘のような病気なのだから。
『未発見の特殊な因子を有した個体が、一定の年齢に達することで男女のホルモンバランスを急激に逆転化させて起こる遺伝的疾患であり、
異性との性行為による外的刺激が因子の発現を抑制しうる』
――というのが現時点での通説なのだが、実はそれすらも統計を元にした仮説に過ぎない。
決定的な打開策がない以上、罹患対象となる少年少女たちは漫然と事態を受け入れざるを得ないのが現状だった。
161 : ◆JUZWQ1Mxt. :2008/04/01(火) 23:36:26.75 ID:jqSOjX+wO
「まっ、お前はそこらへん抜かりなさそうやし心配あらへんわな」
女好きする友人のことだからと笑っていた徹也は、ばつが悪そうに目を逸らした相手に軽く瞠目する。
「何や、まだなんか?」
「……悪い?」
「ほー、意外やなぁ。お前やったら女の方から寄ってきそうなもんやのに」
素直に驚いている様子の彼を見て、涼平は珍しく渋面を作ってみせた。
「ワクチン代わりにそーゆうコトするのって何だかね…、…正直むなしいよ」
涼平とて女体化などしたくはないし、恋愛に過度な幻想を抱いているわけでもないのだが、そう簡単に割り切れるほど利己主義でもない。
普段は打算的な涼平も、こういう面では同年代より幾分純粋だったりするのだ。
「ふーん。お前にしちゃ殊勝な意見やん」
「……前から言おうと思ってたけど、お前どんだけひとを歪んだ目で見てるわけ?」
思わず口元を引きつらせる自分に「何のことや?」と本気で尋ね返してくる徹也。こいつの場合、悪気がない分余計にたちが悪い。
「ったく、そーゆう徹也こそどうなのさ。他人の心配してる余裕なんてあるの?」
「や、俺もう済ましとるし」
「マジで!?」
硬派で通っている友人を茶化すつもりだった涼平は、路上にもかかわらず素っ頓狂な声を上げてしまった。
「おぅ。中一ン時な、友達の姉ちゃんに奪われてん」
「へ、へぇー……」
事も無げに答える徹也に呆然としつつ、(安いAVみたい…)とは流石に言わないでおく。
そんなことを言っている内に坂を下りきり、突き当たりの国道へと出る。
徹也が利用するバス停は向かい側にあるので、二人は横断歩道の前で別れるのが常だった。
「ほんじゃまたな」
「ん、ばいばい」
互いに軽く手を上げ、涼平は夕闇に溶ける徹也の広い背を見送った。
163 : ◆JUZWQ1Mxt. :2008/04/01(火) 23:40:01.55 ID:jqSOjX+wO
そんな会話をした数日後、涼平が学校を休んだ。
しかし翌日には何事もなかったかのように登校してきたので、徹也が特別それに触れることはなかった。
始業前の教室というのは何とも騒がしい。
そこここで朝の挨拶が飛び交い、雑談やじゃれ合いに興じる生徒の声でごった返している。
低血圧な涼平と徹也は、その雑然とした空気から逃れるように窓際でぼーっとしていた。
「みんな朝から元気だねー…」
「おー…若さが眩しいわ…」
「おいおい、なに遠い目してんだよお前ら」
老人のような会話を交わす二人に、クラスメイトの百瀬がすかさずツッコミを入れてくる。
「なあ、それよかお前ら聞いた?とうとう2組の前田がなったんだってよ」
なった、とは当然例の奇病のことである。
「前田が?…おま、ソレどんなアマゾネスになっとんねん」
中学生とは思えぬ体躯を持つ柔道部主将を思い浮かべ、うっかり顔を引きつらせる徹也。
しかし興奮気味な百瀬は即座にそれを否定した。
「や、それがめちゃくちゃ可愛くなってんだって!何なら金本たちも見に行かね?」
「ほー。やって、どないしょっか涼…、…おん?」
意見を求めて涼平を顧みた徹也は、思わず間抜けな声を上げた。さっきまでいたはずの彼が忽然と消えていたからだ。
慌てて四方を見回す徹也の目に映ったのは、ドアの向こうに消える細い背中。
「あれ、三浦どこ行ったんだ?」
遅れて気付いたらしい百瀬を無視し、徹也は弾かれたように教室から飛び出していた。
164 : ◆JUZWQ1Mxt. :2008/04/01(火) 23:44:13.52 ID:jqSOjX+wO
「――涼平ッ!」
消えた涼平を追ってあちこち捜し回っていた徹也は、ようやく屋上へと向かう彼を見付け、荒い息のまま呼び止めた。
その声に階段を昇りかけていた足を止める涼平。肩越しに振り向いた顔には、あからさまに煩わしげな色が浮かんでいる。
「お前何しとんねん。授業始まっとんぞ」
「んー?何かサボりたくなっただけー」
ふざけた調子でうそぶく涼平に、徹也は眉根を険しくさせた。
「涼平、お前俺に嘘ついとるやろ」
「……何、いきなり」
「お前、嘘つくときに右上見上げるクセがあるん気付いてへんのか?」
徹也の指摘に一瞬目を伏せ、涼平はまるで聞き分けのない子供をあやすような、少し困った顔で微笑んだ。
「うそ。変なカマ掛けはよしてよ、徹也らしくもない」
「俺がお前に嘘ついたことあるか?」
「…………」
あくまで冷静に切り返され黙り込んだ彼に、徹也はさらに畳み掛ける。
「そういやこの前休んどったとき連絡取れんかったな。
お前あれから何かおかしいんちゃうか?」
「おかしくなんかないって。なに、いつからそんな疑い深くなっちゃったの?」
「俺にも言えんことなんか」
「だから何もないってば!」
思わず声を荒げた自分に涼平ははっと息を呑んだ。
徹也も徹也で、初めて聞いた友人の怒声に戸惑いを見せている。互いの目線は彷徨い、言葉も上手く出て来ない。
167 : ◆JUZWQ1Mxt. :2008/04/01(火) 23:57:37.70 ID:jqSOjX+wO
先に沈黙に耐えきれなくなったのは涼平だった。
「――とにかく何もないから。教室戻ろ」
「っ、待てや!」
取り繕うような笑みを浮かべ自分の脇をすり抜けようとする涼平の手首を、徹也は反射的につかんでいた。
刹那、その異様な華奢さに愕然とする。
それと同時に青ざめた涼平を見て徹也は確信した。
「……お前、まさか」
徹也の二の句が何なのかを悟り、涼平は必死に手を振りほどこうとする。
だがそれは、男としてはあまりにも非力な抵抗だった。
「女体化したんか?」
「――……ッ!」
そう口にした瞬間、それまで徹也を睨みつけていた涼平の目からボロボロと大粒の涙が零れ落ちた。
「ちょっ、何で泣くねん!?」
予想外の反応に慌てふためく徹也だったが、そんなことで涼平の涙は止まりそうもない。
「…って、こ、んな…やだ……ッ」
「何がイヤやねん…ええから泣きやみぃな」
「だ、って…きらぃ、っなる…!」
混乱しているのか、支離滅裂なことを口走り続ける涼平。
根気よくそれを聞いていると『女体化したことで自分に嫌われる』と思い込んでいるらしいことが分かった。
「お前なぁ……」
あまりにも可愛らしい思考にうっかり赤面する。どうやら自分は思った以上に愛されているようだ。
しかし今は照れている場合ではない。
とにかく彼を泣き止ませようと、徹也は頭一個分低い涼平と目線を合わせ、つとめて優しくなだめ始めた。
168 : ◆JUZWQ1Mxt. :2008/04/01(火) 23:59:19.91 ID:jqSOjX+wO
「大丈夫やて、嫌いになんかならへん」
「やぁっ…てつや、きらいになる、…から……っ!」
何度もしゃくり上げながらかぶりを振る涼平は、すでに徹也の知る彼ではなかった。
ただただ自分の変化と親友を失う恐怖に怯える、ひとりの女の子なのだ。
それを理解した徹也は意を決し、泣きじゃくる涼平を強く抱き締めた。
「っ…!?」
「俺はお前を絶対嫌ったりせぇへん。男でも女でも、涼平は涼平や」
「嘘だっ…今までの僕じゃないんだよ…、…女の子になっちゃったんだよ……ッ!?」
激情を露わにして反駁する涼平。整った顔はぐしゃぐしゃに崩れ、もはや見る影もない。
しかし今の徹也には、泣き腫らしたその目許さえひどく愛おしくて。
「……あほやなぁ」
そう小さく呟くと、徹也はそっと薄い唇に自分のそれを重ねた。
170 : ◆JUZWQ1Mxt. :2008/04/02(水) 00:03:14.01 ID:vQnJcHygO
「――最低、最悪、変態、ホモ、っの強姦魔ーッ!!」
「…強姦はしとらんしホモでもないやろ…」
屋上中にキンキンと響き渡る罵詈雑言に、徹也はうんざりしながら訂正を入れる。
泣くだけ泣いてすっかり元気になった涼平は、さきほどから延々とキスしたことを詰り続けているのだ。
(因みに授業は二人してさぼってしまった)
「いーえっ、僕のか弱い精神は犯されたも同然です!訴えたら勝つからそのつもりで」
「お前もノリノリやったくせに」
「あーあーきこえなーい」
「……アホか」
いいかげん疲れた徹也はそう言い捨て、ごろりと屋上の床に横たわった。
要は彼なりの照れ隠しなのだとは分かっているが、こうまでテンションが高い相手を見たことがないため正直扱いに困ってしまう。
これも女体化の弊害か何かやろか……と悩む徹也の上に落ちる影。
ちらりと見やればこちらも喚き疲れたのだろう、膝を抱えて自分の横に座る涼平の姿が見えた。
しばしの沈黙。
仰ぎ見た秋晴れの空は高く、二人の間を心地よい風が吹き抜けてゆく。
171 : ◆JUZWQ1Mxt. :2008/04/02(水) 00:05:00.12 ID:vQnJcHygO
「…そういえばさ、よく気付いたよね」
何を、ととぼける徹也に小さく笑って、涼平は自分の目許を指差した。
「癖だよ。そんなの僕も知らなかったのに」
何故か少し嬉しそうな彼を見て、ふーんと生返事をする徹也。
「まぁ嘘やねんけどな」
「……、はぁっ!?」
「やーまさかこうも上手いこと騙されるとはなー」
他人事のようにごちる徹也から、悪びれた様子は一切感じられない。
「ひっど…!この、うそつき!!」
「お前が言うか?…ま、『嘘も方便』って言うやろ」
しれっと笑ってみせる彼に唖然として、次の刹那。
涼平は相手の顔面に渾身のアッパーを叩き込んだ。
Fin.
最終更新:2008年09月13日 23:46