女体化──15、16歳までに女性経験がない男子が発症する一種の病気。
発症するかどうかは神のみぞ知る…発症する確率の方が圧倒的に高いが。
俺、滝沢雅人も発症した一人だ。
今日は月曜日。女体化後初の登校となる。
母さんが女の子は支度に時間がかかるからって、早めに起こしてくれたせいで
今朝はたっぷりと余裕がある。
つい、いつもの癖で制服のズボンを手に取り…ふと気付いてクローゼットに戻す。
「おっと、こっちじゃなかったな」
改めて女子用の制服──スカート、ブラウス、ベスト、ブレザー、リボンタイ──を取り出し着替える。
「これが本当に冴えない雅人クンかねぇ…」
着替え終わり、姿見で改めてまじまじと観察する。
男のままであったなら、この鏡に映った少女に確実に告白していたであろう。
「ま、自分に惚れてたらただのナルシストだわな、っともうこんな時間か」
まだいつもの時間には少々早いが、たまには早く出るのも悪くないだろう。
「お、おはよう…」
それまで騒々しかった教室が一瞬で静まり返る。
『あれ、誰よ?』
『転校生じゃね?』
『転校生なら先生が連れてくるべ』
『それもそうか』
断片的に憶測が漏れ聞こえてくるが、意に介さずいつもの席について教科書等を机にしまう。
「えーと、一応そこは滝沢の席で──」
「…知ってる。というか、俺が滝沢雅人だ」
見知らぬ美少女がクラスメイトだと知るや否や、あっという間に男子に囲まれた。
「滝沢がこんなに可愛くなっちまうなんて!」
「男のときからずっと好きでした!」
「滝沢、付き合ってくれ!」
「女体化万歳!!」
etcetc...
こないだまで男だったやつによくここまで言い寄れるもんだ、と逆に感心してしまう。
まったく、俺が女体化してそんなに嬉しいのか、こいつらは。
これも おとこの サガか…
「結構おっぱいあるな、ちょっと揉ませろよ!」
「セクハラで訴えられたいか?」
適当に寄ってくる男子を適当にあしらいながら時間を潰す。
早くHR始まってくれねーかな…もう疲れたよ…
「滝沢…さん、ちょっといいかしら?」
午前中の授業を終え、学食へ向かおうとしたところに意外な人から声がかかった。
二之宮真奈美、俺のクラスのクラス委員だ。そっくりな双子の姉もいるが…ここでは置いておく。
面倒見が良く、先生方からの受けも相当良いらしい。
「あ、俺学食に行くから後で…」
「私もだから大丈夫。一緒に行きましょう」
そのお昼休みはランチを取りながら、真奈美に色々と教わることになった。
女性ならではの悩みだとかある程度は母さんに聞いてはいたが、こういった同世代の情報は貴重だった。
「大丈夫?わからないことがあったら、いつでも相談に乗るからね。放課後はいつも図書館にいるから」
「ああ、大丈夫。困ったら相談させてもらうよ」
図書館か…ろくに行ったことないけど、これからは通うことになるかもなぁ…
数日後
「雅美、帰ろうぜ」
「やーん、瀬山くんって滝沢さんの彼氏みたーい」
「はっはっは、やっぱそう見えるだろー?」
「ば、ばっか!そんなんじゃねーよ!」
俺が女体化する前から下校は一緒だったのだが、
俺が女体化してからというもの、ほぼ毎日のように繰り返されるやり取りである。
どうやらこのクラスの女子の間では、俺と和樹がデキていることになっているらしい。
二之宮のアドバイスのおかげもあって、所謂仲良しグループに潜り込むことには成功したものの、毎日この調子じゃ先が思いやられる。
第一、いくら付き合い長くて仲が良いからって、ほいほいとそんな関係になるかっての!
「あ、部活行かなきゃ。滝沢さんまた明日ね」
「お、おう。またな」
「じゃ、俺らは帰るとしますか」
俺たち二人は特定の部活には入っていない。所謂帰宅部ってやつだ。
スポーツ系の部活で汗を流すのも性に合わないが、文化系の部活もこれといって気になるものもない。
結果、帰宅部に落ち着いたのである。
「いや、その前に寄る所があるから、まずはそこへ行こう」
「珍しいな、どこに寄り道するんだ?買い食いなら控えろよ、ピザになるz──」
反射的に左からリバーブローを叩き込む。
「ゴフッ」
「曲がりなりにも乙女にンなこと言う方が悪い」
「お前な…ちっとは加減しろ…ガクッ」
まったく、だらしがないというか情けないというか。
「…で、どこに行くんだ?」
うわ、もう復活した。
「図書館だ」
ラノベを読みふける者、授業の課題をこなす者、友人との談笑に興じる者…
至極一般的な図書館であろう。
「図書館ねぇ…随分と縁のなさそうな場所だが」
そりゃそうだ。俺も和樹も入学したときのオリエンテーリングで来たことくらいしかない。
それくらい縁の薄い場所である。
もちろん、どこにどんなジャンルの本があるのかなんてわからない。
適当に歩き回り、目当てのジャンルを探す。
「あったあった。結構多いなぁ」
適当に何冊か手に取る。とりあえず、こんなところか。
『家庭料理の簡単レシピ』
『美味しい焼き菓子の作り方』
『お弁当のおかず』
『圧力鍋の簡単料理』
「料理関係の本ばっかだな…お前、料理なんかやるのか?」
「母さんがね『雅美も女の子なんだからお料理くらいできなきゃね』なんて言うからさ。
ちっとは俺も練習しようかなー、なんて…」
母さんに言われたのもあるが、やはりいずれは一人立ちしなきゃならんだろうし
その時に満足に料理もできなかったら困るだろう、という考えもある。
「ほうほう、つまり愛する彼氏に手作りの料理を食べさせてあげたい、というわけだな!
なかなかどうして、ヲトメちっくなところg──」
今度は右ストレートが鳩尾に綺麗に決まった。
貸出カウンターで手続きを済ませて…って、カウンターにいるのは
「二之宮…の姉貴の方か。何やってんだ?」
二之宮姉妹は双子なのにすぐ見分けがつく。
妹の真奈美は伊達眼鏡をかけていて、姉の沙奈美はかけていない。
真奈美が眼鏡を外してたら…見分けはつかないだろう。
「滝沢…さんだっけ?あたしは図書委員だからね。こうやって貸出の受付当番やってるの。
本当は部活に行きたいんだけど、当番だしね。
…?お料理するんだ?」
俺が持ってきた本を手に取り、貸出用のバーコードをバーコードリーダーで読み取っていく。
「まぁ、これから練習始めるとこだけどな」
「ふぅん…?はい。貸出期限は二週間だから、過ぎそうになったら一回返却手続きしてね。
まだ借りていたかったら、もう一度貸出手続きすればいいから」
「はいはい、了解っと」
沙奈美から本を受け取り、鞄にしまう。
「そういえば、真奈美はどうした?いつも図書館にいるって言ってた割りに姿が見えないけど」
「あぁ、真奈美はあっちでラノベ読んでるわ。あーなると閉館時間までは梃子でも動かないもの」
指差した先には、丁度物陰になる席でラノベを黙々と読み耽る真奈美の姿があった。
「邪魔しちゃ悪いし、引き上げるか。行くぞ、和樹ー」
「お、やっと終わったか。待ちくたびれたぜ」
雑誌を読んでいた和樹に声をかけ、図書館を後にした。
…ちと借り過ぎたか?鞄が重い…
「ところで、どうせ和樹は暇だろ。家に来いよ」
学校の帰り道、おもむろに話しかける。
色々作ってみたい反面、処理する人手が欲しい。
「やっぱり愛する彼氏に手作りのry──」
殺気を感じたのか、一瞬で黙る和樹。わかってきたようだ。
「作り過ぎちまうかもしれないし、処理する人手は多いに越したことはない。
それに、客観的に美味いかまずいか言ってもらわんと、上手か下手かわかんねーし」
「OKOK、夕飯は雅美の手料理で決定だな!」
「そういう言い方はやめろってのに!
…とりあえず、鞄置いたら買い物に行くからな。和樹は荷物持ちよろしく」
「へいへい」
「で、一体何を作るつもりなんだ?」
スーパーについて開口一番、和樹がもっともな問いかけをしてくる。そうだなぁ…
「オーソドックスに肉じゃがあたりから作ってみようか?お袋の味って感じがするじゃん?」
「お、いいねぇ!肉じゃがは大好きだぜ」
本に書いてあった材料を思い出しながら、材料をかごに入れていく。
牛薄切り肉、じゃがいも、にんじん、たまねぎ、糸コンニャク、さやいんげん…
「和樹。肉じゃがだけだと、ちょっと寂しいよな?」
「そうだな、何かもう一品か二品あるといいな」
んー…あの本にはもう一品付け足すなら何が良いって書いてあったっけ…?
和食だし、あまり手のかからないものは…おひたしとか?
「もう一品はほうれん草のおひたしで決定ー」
「ホ、ホウレンソウノオヒタシッテマジデスカ」
あ、和樹はほうれん草が苦手なんだっけ。でもアレルギーとかじゃないから、ただの好き嫌いだ。
好き嫌いは良くないな、うん。
「まじまじ。男に二言は無いってねー」
ほうれん草を一束かごに入れる。
なんか、後ろでぶつぶつ言ってるが、この際気にしないことにする。
調味料くらいは家にあるだろうし、こんなもんだろう。
会計を済ませスーパーを出る頃になっても、和樹は「ホウレンソウヤメヨウヨー」等と言っていたが、
最早その声は俺の耳には届いていなかった。
「じゃあ、作るから俺の部屋で適当にくつろいでろ」
「うぇーい」
帰宅し『家庭料理の簡単レシピ』を読みつつ、下ごしらえを始める。
「まずは炊けるまで時間のかかるご飯の用意からかな」
白米を研いで炊飯器にセットする。
近頃は泡だて器で研ぐ主婦もいるらしい…そんなのは邪道だ!と思う。
「…ま、これくらいは誰だってできるわな。さて…」
何々、じゃがいもは皮を剥いて四つ切りにし、面取りして水につけてから…
(中略)
──鍋にサラダ油を熱して牛肉を炒め──
(中略)
──アクを取ながら煮る、煮汁が減ったら醤油とみりん、と。
「この間におひたし作れるかな?まずは出汁を取っ…出汁で煮るのか!?知らなかった…」
適当に茹でて醤油と鰹節かけておしまいだと思ってたぜ…
ほうれん草は根元から入れるのか、なるほど。
小分けにして茹でるのがコツ、か。ふむふむ。
おっと、肉じゃがのアクも取らないと…こりゃ大変だ。
「ただいまー。あら、良い匂い」
あ、母さんが帰ってきたみたいだ。
「おかえり、母さん」
「まー、雅美が夕飯の支度してるのね。嬉しいわぁ。何作ってるの?」
「肉じゃがとほうれん草のおひたし。あと、和樹来てっから」
「じゃあ、夕飯食べていってもらいなさいな」
「最初っからそのつもりだよ」
肉じゃがの仕上げにさらに醤油とみりんを追加して火を止める、と。
「母さん、ちょっと味みてもらっていいか?」
俺はこの間に、おひたしを火からおろして冷水に入れて冷まして食べやすい大きさに──
「うん、いいんじゃないかしら。美味しいと思うわ。ちょっと味が濃いかもしれないけど、そこは感性だし」
「本当か?へへ、俺もやりゃできるじゃねぇか」
なんだ、意外と簡単なんだな。
「ところで、雅美はもう少し皮剥きを練習したほうがいいわね」
「へっ?」
母さんがつまんで見せたのは、実が大量についたじゃがいもの皮だった。
「精進します…」
「おおおおおおおお!!?これ、全部雅美が作ったのか!?」
「大袈裟に驚きすぎだ、和樹。全部って言っても二品だけだろ」
「あんまり喋ってると、せっかく雅美が作ってくれたのに冷めちゃうから、おあがりなさいな」
母さんの言う通りだ。早く食べなきゃ冷めちまう。冷えた肉じゃがはあんまり美味くないしな。
「さて…」
「「「いただきます」」」
じゃがいもも上手く煮えてるし、ほうれん草のおひたしも良い感じだ。
チラリと和樹の方を見ると…案の定ほうれん草のおひたしだけ手を付けていない。
「和樹。俺の作ったものが食えないとは言わせんぞー?」
女体化からこっち、初めて優位に立てた気がする…ッ!!
「た、食べるよ。食べればいいんだろ…」
ほんの一つまみ程を口へ運び、食べる。
なんだ、随分素直じゃないか。
「やっぱ、まじぃ…」
「じゃあ、また明日学校でな」
「お、おう…なぁ、今日の肉じゃが…どうだった?」
そう、本来の目的は料理の評価をしてもらうこと。
率直な意見が聞きたかった。が、敢えておひたしはスルーした。
きっと、まともな返事は期待できないと思うからな。
「んー、肉じゃがは美味かったぜ。もしかすると、うちのお袋のより美味かったかもな!」
和樹の母親は調理師学校で講師をしているらしい。
とてもじゃないが、素人じゃ逆立ちしたって勝てっこない。
「下手な世辞はよせ。正直な感想が聞きたいんだ」
「ふむ。ちょっと味が濃かったか。薄めかな、くらいの味付けで作ってみるといいかもな」
母さんと同じことを言われた…少し気をつけよう。
濃い味ばかりだと成人病の元になるとか聞くし。
「サンキュ。…じゃあ、また明日」
和樹を見送り、後片付けをし…
「おーし、もっと料理上手になってやるか!!」
何故、誰の為に、なのかはこの時まだ気付いていなかった。
fin
最終更新:2008年09月17日 17:45