「虚像」第三話
デジタル時計のアラームをいつもより20分早くセットする。
特に理由はないが、この体では前より朝の支度に幾分時間がかかってしまうような気がしたからだ。
無機質な液晶画面は静かに今、日付が変わった事を俺に伝えた。開け放した窓からはひんやりとした夜の空気が流れ込んできた。
明日俺は、親にも教師にも、クラスの仲間にも何も言わずへ学校へ行くつもりだ。
本来明日は、親に連れられ病院で検査を受ける予定になっている。14才での女体化が稀な事だから念のためにだとか。
学校への連絡はそれかららしい。
だが、そんな事をする気分にはなれない。…している場合ではないんだ。
俺の心が男の内に、クラスの誰もがこの事を知らない今、もう一度だけ男として学校へ行きたい。
当然、制服は男の時のまま、特別な準備は何もしていない。俺の中では以前と何も変わらないただの登校。
――ただ周りは、今の俺を以前のようには見てくれはしないだろう。
よくバカ話をした仲間、噂好きな女子、可愛い後輩達、そして…真琴も。
実際にそうなのかもしれないが、今頭に浮かんだ顔達が、もうまるで自分とは全く関係のない遠い過去の物に思えてきた。
みんな…俺が教室に入った時どんな顔するんだろうな。
真琴には今日、プリントを玄関で母が受けとった後、半ば強引に帰ってもらった。
「優がかなり症状悪くなって…」とか母が言い訳して、真琴がアホな声で「じゃあ尚更お見舞いしますっ!」なんて返してたな。
会える訳ねえだろ。女になってんだぞ俺。
もっとも、真琴は別のクラスとはいえ明日は否応なく顔を合わせる事になる…一体どう接すればいいのだろう。
頭の中に、昨日の妹のような複雑な視線を向ける真琴の顔が浮かんできた。実際にそんな状況になるのは想像がつく。
するとなんだか喉の奥に熱いものが込み上げてきた。
突然しゃくり上げてしまいそうになり、頭から布団を被った。もう考えるのはやめよう…
時間もあり、そのまま眠気を催すのに時間はかからなかった。
雨の音で目が覚める。
窓の外をのぞくと、分厚い雲から大粒の雨が降りしきっていた。
時計を見るとまだ5:30だった。だが、もう寝る気は失せている。
椅子にかけてある制服をとる。雨とはいえもう6月の下旬。Yシャツ一枚で充分だろう。
長袖に腕を通し、肘まで捲くった。次に上からボタンをしめていく。
胸元のボタンをしめた時、うっすらと小さい突起が見えた。案の定、乳首が目立つ。
別に恥ずかしさは覚えない。指先でそっと触れると、きゅうと肩が狭まり妙な感覚を覚えた。
多少問題だが特になにか対処をする訳でもなく、そのままボタンをしめ終えた。
ズボンは背丈が変わっていないおかげで、すんなり着れた。足がいくらか細くなったのでどこか違和感はあるが、この程度は気にするものではない。
使い古した紺のエナメルを抱え、静かに階段を降りていく。
元々、起きるつもりだった時間でも母は寝ているので、当然一階は静まりかえっていた。リビングには寄らずに洗面台へ直行する。
「ぐおおおぉ」
「ひっ!」
突然父さんのいびきが聞こえ、阿保な声をあげてしまった。
今ので母が起きてこないか心配になったが、どうやらその気配はない。
優「息子が大変な時によ…」
リビングのドアを見つめながら悪態をつく。
洗面台で長い髪を改めて見つめ、上からそっと撫でた。昨日の風呂の様子を思いだす。
なるべく下をみないように手早く体を洗った。シャンプーは、汚れが落ちればいい、と適当な薬用シャンプーしかなかったため、妹のを拝借した。
何故、そうまでして今の自分が髪をいたわるのか不思議だった。
おかげで、髪は蛍光灯に反射して綺麗に輝き、男の時の物とはかけ離れていた。
それでも嫌な気持ちがしないのは何故だろう。
髪を、これまた妹から借りたゴム(というのだろうか)で後ろに一つに縛った。
完全に適当だったが、鏡に映った姿を見る限りでは、いつも見ている妹のそれと変わらない。問題なさそうだ。
こう見ると、髪形まで同じでまるで妹だ。
鞄を肩に背負い靴を履く。あまりに時間は早いが、コンビニで時間を潰せばいいだろう。朝飯も諦めた。
どこか緩く感じる靴の踵を、玄関のタイルで突き、ドアノブに手をかけた時だった。
「…何してるの?」
手の動きがとまった。妹の声だ。
振り返る事が出来ずに沈黙が流れた。
第三話 終
最終更新:2008年09月17日 17:58