「じゃあなー!」
それなりに遠い、門から玄関までの距離。にも関わらず、彰二の声はよく響いていた。
これもまた定番と言うやつで、今更うんざりしようもない。
「ただいまぁ」
本当に、今日は色々あって疲れた……。
「お帰りなさいませ、ご主人様」
「―――――――ってええええええええっ!?」
玄関を開けるなり、メイド……もとい姉に三つ指をつかれて出迎えられる。
これはこれで何かが間違っているのではというモラルに反した姉の行いに絶句していると早々、
「お帰りー。お母さーん、お兄ちゃん帰って来たよー!」
ひょっこりと出てきた妹による半ば嫌がらせにも似た言動。まさか、出張から帰って来たのか…!?
だとしたらなんて事を――っ!
わなわなと頭を抱えながら、実は母さんは父さんに変わっていた、という妄想に逃げ込むもそれは無駄な努力だった。
「あっちゃーん、お帰りーー! 待ってた、待ってたんだからーーーーー!」
通路先の角からその姿を表し、僕に向かい突撃してきたその人は――。
確認する間もなく、僕の視界は暗転した。
「あ、あっちゃん起きた?」
見れば僕にすがりつく母親の姿が。帰宅まもなく、どうやら僕は母さんからある愛のダイ ブを貰って伸びてしまってたらしい。
そして、
「………………なに、この格好」
目を覚ますと既にこんな感じ。よくわからない、ひらひらが一杯ついた白い服。
髪に違和感を感じ、触ってみると何やら両端が結われている。
「やだなー、連邦の白い魔法少女じゃない。見て分からない? ヲタク失格よ!」
いや、そー言う意味じゃなくて。っていうかそもそも僕はヲタクじゃないし、母さんが一方的に僕らを巻き込んでいるだけじゃないかと反論したくなるもそこは押し黙って、
「なんで、それを僕に着せるわけ? あいつに着せればいいでしょ」
指を指して。角先から頭半分出して、してやったりと悪者顔でほくそ笑んでいる妹に。
「何言ってるの、すっちゃんに着せたってそれは安易な萌えでしかないの! むしろ究極な萌えとはあっちゃんのようなショタ属性を孕んだ小さい男の子に着せてこそ昇華するものなのよ! わかる? わかるでしょ!? この女装・TS理論!」
母さんの言っている大方が、理解出来ない。
「母さん、私はもう脱いでいい……?」
「あー、ありがとなっちゃん。母さんはホラ、今代わりを得たから」
母の行動を悩ましく思っているその横で、姉が平然と脱ぎだした。
「せめて、自分の部屋で着替えなよ。ホラもう、こんな所に脱ぎ捨てて……」
ぶつくさ不平を言いながら、僕は姉が脱ぎ散らしたものを拾ってたたみ始める。
「……でも、あんたが片付けてくれるでしょう?」
そう言いながら、下着姿で階上へと消えてしまった。
本当に、無愛想って言うか無頓着な人だな……。
僕が、姉の脱ぎ散らしたカチューシャやら、メイド服やら、絶対領域(母知識)をたたみ終えたとき、
「こ、これこそ、至福のとき――!」
母が、暴走した。
「あのねぇ、あっちゃん。折り入って頼みがあるのね?」
「なに…?」
どうせ、ろくな事ではないと予想する。
「『やだ…僕男の子だよ、似合わないよ』 言ってみて! セイイッナーウ!」
ご丁寧にジェスチャーでポーズまで指定してくる。予想は当たり前のように当たっていた。
「――――馬鹿?」
それを見た僕の当然の反応。事態を一言で表現できる便利な言葉を、いかにも呆れたように言ってやった。
「………ガーン! 反抗期……!?」
それを聞いた母さんは、大げさにその場に崩れ落ちるとさめざめと泣き出す。
本当に大げさだ。腰を捻らせて片手で涙を、もう片手で雑巾(どこから出したかはわからない)で床を拭いている辺り、確信犯にしか思えない。
もう放置して、さっさと部屋に向かおうとした所、
「お母さん! 大丈夫――!?」
角先からすずが大げさに走りよる。つまらないホームドラマを見てるようで泣きたくなる。
「平気、母さんは平気よ……。寝ずの三日過密スケジュールの中、ただこの時を楽しみにしていただけなんだけど、あっちゃんにはそれが伝わらなかったみたいね…ガク」
「うっ………」
確かに父さんのいない今、この家は母さんによって支えられている。
母の仕事の辛さも一度、身に染みてわかっていた。
だからこそ、それを言われると抵抗の余地が、なくなるんだけど……。
「でも大丈夫よ、すっちゃん。いくら仕事で辛かろうと、いくらあっちゃんが言う事を聞いてくれなかろうと…――母さんはきっと立ち上がって見せるから……!」
母さんは握りこんだ拳を片手に、力強く立ち上がって見せるが、
「あ、でもダメ……。今の私には、ショタ分が、ショタ分が足りない………っ!」
即座に、またしても力なく崩れ落ちる。今度は心臓辺りをおさえてうずくまる形で。
「お母さん、ショタ分って…!? ショタ分って何なの!?」
――棒読みよりは少し、レベルが上がったようだ。
すっちゃんは必死に、母に問いかける。
「うー、あー……」
しかし、依然として母の容態は悪化していた。ショタ分を失い喉が枯れて声が出ないのだ。
このままでは全身からショタ分を失い死んでしまう、そんな時、
「お兄ちゃん! 何とかしてよ……! お兄ちゃんにしか出来ない事なんだよ…!?」
慟哭。すっちゃんが怒りも悲しみも入り混じった声で、実の兄にぶつける。そう、母を救う事は、あっちゃんにしか出来ないことなのだ――。
「――なに、その三文芝居」
こんな事もなければ、母さんの願いを叶えてあげようって気に少しはなるんだけど。
呆れてものも言えない。ただ、
モノローグだけは本当に紛らわしいからやめて欲しい。
もう。お情けはなしにして行ってしまおう。そして、脱ごう。さっさと。
「待って! あっちゃん…!」
――ここで足を止めて振り返ってしまったのがまたしても全ての誤りだった。
「………なに? いい加減にしないと色んな意味で危険だけど?」
「お願い。お母さんの願いを叶えて上げて! お母さんはもう声を出す事も出来ないの」
すずが代弁する。
「――それで?」
そして、母さんは苦しみに満ちた顔で僕を見る。
「せめて一度だけでいいからって…! 願いを叶えてくれたらもう女装なんてしなくて良いって、そう言っている!」
すずが代弁する。そして、母さんは苦しみに満ちた顔でコクコクと頷く。すごい、早さで。
「――本当にしなくて良いの?」
苦しみに満ちた母さんの顔がもの凄い勢いで上下に揺れる。顔が見えない。
心が、揺れた。一度の苦しみとこの先永劫続く苦しみ、天秤で重さを量った所で分かりきっている事だ。
「仕方ないな………」
そう言った瞬間、母さんから尋常でない程の煌めく視線を受け、それなりに緊張するが今この場には妹と母さんしかいないので出来ない事ではない。
それに、これさえやれば苦しみから解放される…、快く引き受けてやろうと思った。
「えーっと、何て言うんだっけ………?」
「『やだ…僕男の子だよ、似合わないよ』と母さんは言っている」
自分で言ってどうするんだ……、母さん。
置いていかれたすずが唖然としていた。台本になかったのだろうか……。
「ヤ、ヤダ…ボクオトコノコダヨ、ニアワナイヨ………」
言ってやった、それほどの緊張もなく。言ってしまえば簡単なものだ。
ついに、この時が訪れたんだ。家族のおもちゃ(主に母さん)から解放される時が――。
「――ダメよ! 棒読みの上に肝心のポーズを忘れてるわ、と母さんは言っている」
自分で言ってどうするんだ……、母さん。
置いていかれたすずが唖然としていた。台本になかったのだろうか……。
ま、まぁ、良い。この苦行さえ乗り越えれば解放されるのだ。今は我慢を……。
「ポーズってどうすれば良いの……」
「こうして、こうして………こうよ、と母さんは言っている」
自分で言ってどうするんだ、母さん。
置いていかれたすずが(略)
力をなくした筈の母さんは、具体的なポーズをゼスチャーで示す。
これをやるのか……、少し恥ずかしい、どころじゃない………。
「いっちゃん? セイイッナーウ? ドゥーイッナーウ!?」「と、母さんは言っている」
悩んでいるうちにすずが現状に復帰してきた。これは、由々しき事態だ……。
二人のプレッシャーが強く僕に圧し掛かる。
「わかったよ。やれば良いんでしょ、やれば。とにかく、約束だからね。
これやれば今後女装は一切なし」
「うんうん、わかればよろしいのよ」「と、母さんは言っている」
えーっと、正座して……、足を上下左右対称に外側に崩して、内股に落ち込んだスカートを片手で抑えて、もう片方の手は猫の手のように丸く握って手の内を口に当てて、
あとは上目遣いで(誰も居ない虚空)を見つめ、
「ゴクリ」
母さんの生唾を飲む音が聞こえてくる。
「や、やだ…――」
頑張れ、あと、もう少しで解放され――。
「――――こんちはー!」
その瞬間、玄関のドアが、開放され、その場にいた全員、闖入者を見つめる。
それが、誰か理解するまで、コンマ数秒。
無意識が警笛を鳴らし、意識が退避を促すが、言う口はもはや、止まらなかった。
交わされる二つの視線。僕は見上げる形で、彰二は見下ろす形で、
「僕男の子だよ。似合わない、よ……」
「ちょっくら言い、わす……」
出会ってはいけない二人が出会ってしまった。
――あ。もう、嫌だ。
「あぁ、良いわ! でも、やらせたポーズには自然以上の萌えがないー! ちくしょー!」
「彰二! ナイスタイミング…!」
そう叫びながらドタバタと慌しく去っていく母さんの足音と、それに追随するすずの足音だけが聞こえた。その場に残された二人は――。
その翌日、僕は学校を休んだ。
最終更新:2008年06月12日 00:10