『逝去』

103 名前: ◆Zsc8I5zA3U? 投稿日: 2007/05/09(水) 10:03:50.77 ID:HQYWk+eB0

――あいつが死んだ・・

それは俺の人生の中でかなりの衝撃的な出来事で、今までに男のときに喧嘩に明け暮れていた衝撃とは 比べ物にならないほど衝撃的でわけのわからない喪失感が広がっていった。

「・・・死んでるんだな」

「ママ・・」

「悪い、1人にしてくれ・・」

あいつの死体は死に化粧を施して3日ぶりに我が家へと帰ってきた。今の家はあいつの稼ぎで建てたいわゆる マイホームという奴だ、希が妊娠したときにあいつは俺たちのために我武者羅に働いてくれたものだ。最初の頃は 決して余裕などなかったのだが、3人でささやかに暮らしていた。そんな家庭が俺にとっては何よりの憩いであって 家族としての存在意義へと確立していくにはそう時間は掛からなかった。

それから希も大きくなって立派に大人になり、また2人きりでゆっくりとすごせるかと思ったその矢先・・あいつが 突然、勤め先の会社で倒れてしまった。

急いで病院に駆けつけた俺は医者から驚くべき診断結果を聞かされた。

104 名前: ◆Zsc8I5zA3U? 投稿日: 2007/05/09(水) 10:06:43.52 ID:HQYWk+eB0

「・・旦那様は末期のガンです。もうあらゆる臓器に転移していて・・もって数ヶ月といった程度でしょうか?」

「――えッ!!・・う、嘘だろ」

それから先の医者の言葉はよく覚えていない。後で病院に内藤夫妻によると俺は鬼気に勝る表情で医者の 首根っこを掴んでなにやら必死に問い詰めていたようである。気がつけば内藤に止められて横にいた ツンが付きっ切りで俺を落ち着かせられていた。 しばらくして俺は徐々に落ち着きを取り戻し、あいつの病室へと向かうことにした。 このままだと何にもならないし・・それにあいつの声が何よりも聞きたかったのかもしれない。

「何だよ、怖い顔して・・」

「バカ野郎!!!――なんで・・なんでお前はそこまでして無理するんだよ」

「お、おい・・」

俺は涙を必死に堪えていたのだが、あいつの声が頭に響いたとたん・・決壊したダムのようにいとも簡単に 体の震えと一緒に瞳からは涙がポロリポロリと溢れていた。こんな自分を見ていると、もう完全に女なんだなぁっと 自覚してしまう。 ・・しばらくはあいつが横になっているベッドの布団でしばらく声を殺して泣いていたのだが、病に犯されている 身になっていても、あいつは俺の頭にポンと手をかけて優しく俺の髪を撫でてくれた。 全く・・何年もこいつの妻をやっているが本当にどうしようもない野郎だが、だけど・・それが俺にはとても辛かった。

医者から延命治療の話もあったのだが、あいつはきっぱりとその話しを断ってあくまでも自然治療の方針を貫いた。 俺は反対こそはしなかったが・・あいつらしくないその方針にかすかな疑問が頭の中で動き回っていた、なぜあいつは 延命治療を断ってこのままガンで朽ち果ててゆく道を選んだのだろうか?

その答えはあいつの口からすぐに出た。


105 名前: ◆Zsc8I5zA3U? 投稿日: 2007/05/09(水) 10:09:29.32 ID:HQYWk+eB0

「別にたいした理由はないさ。このまま体を傷つけて延命治療するよりも自然に死にたくなったからな」

まるっきり意味不明だった、その時の俺はあいつの言葉の意味が余りわからなかったのだが・・延命をしない あいつに俺は軽い絶望感と怒りを覚えた。本当にこいつは俺たち家族についても考えているのか疑いたくもなる・・ まぁ、だけど深く考えても仕方あるまい。

ここはそのままで放っておいて、あいつの意思を尊重することにした。

それから数日、あいつは突然として会社を辞めた。 まぁ、会社としてもあいつにガンを抱えたまま仕事をされるのは周りにははたはた迷惑だろう、俺だって・・あいつの 体は心配しているが、まさかこんなに早く会社をやめるとはこっちとしても思っても見ないものだ。 さて、いきなり会社を辞めたあいつは俺のそんな気も知らずにそのままのんびりと家でくつろぎながら残り少ない 余生を安穏としながら過ごしていた。希が妊娠して家を出てから少し寂しいものを感じてはいるが新婚時代や 結婚する前などを思い出せていいもんだと思う。現にあいつも急に広くなった家を思い浮かべながら昔の話をよく してくるものだ、本当にこんなところは互いに歳をとってしまったのだと自覚してしまう。

今から数十年前、この世には女体化シンドノームという奇妙な病気があった。 この病気は15、16歳で童貞だったらもれなく女体化してしまうという奇妙かつ変てこな病気であり、それが原因で 多数の自殺者を出してしまっている恐ろしい病気だ。

106 名前: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 投稿日: 2007/05/09(水) 10:12:15.40 ID:HQYWk+eB0

だけど、それも昔の話・・そんな奇妙な病気も特効薬というものが出来上がり、人間の科学の進歩を改めて 自覚せざる得ないものとなるだろう。だけど、この科学的進歩が後の俺たち家族に大きな課題ともたらすことになる。 この病気がなくなっても女体化という存在はさらにややこしくなったのだと思う。女体化の存在がなくなった今、元々男から 子供を成すというこんな理不尽かつ倫理上から反したこんな事実を認められないだろう・・だから俺たちは 希に真実を話すのにかなり苦労した。

「今思えば・・あの時の決断は良かったんだな」

「あのなぁ、俺たちは希自身に任せたんじゃねぇか。決断もへったくれも関係ねぇよ」

そう、あれは希自身に任せたのだ。俺たちはただ過去の事実を伝えただけ・・ただそれだけなのだ。 今考えると思えばこの女体化が俺たちを引き寄せてこんな風になったのだ、最初の俺たちの出会いといえば もう最悪というもので喧嘩ばかりしていた。傍からみると喧嘩友達というフレーズがつき物なのだが、そんな生易しい ものではなく俺は本気でこいつを憎んでいたほどだ。そんな関係が高校まで続いていて別々の学校に通ったときに 俺の身にとある変化が起きた。

今まで培っていたその肉体は美貌へと再構築されてしまい、女体化を知ったときには最初はショックだった。 女の体というのは男の体と違って力も弱いし体も丈夫ではない。すらっと長く伸びた髪以外は動きづらくぎこちない物だ。 女性なら誰でも羨むスタイルなのだが・・俺にとったらただの邪魔以外に言葉が見つからない。それに俺は男のときから かなりの人数に恨みを買っているので大人数に対抗できる術を身につける必要があったのだ。

悩んだ末に、俺は男のときから熱烈にスカウトされた合気道の道場に向かうことになってしまう・・ それからの俺の行動はいちいち語るのもめんどくさいので省かせてもらうが、俺は女性としてこいつに惹かれて 結婚を経て家族にも恵まれた。女体化は孤独一辺倒だった俺に温かみを与えてくれたのだ・・

――そんな俺だが、愛する人が死に向かっているのをじっと見るのは堪らなく辛く心が痛む・・

108 名前: ◆Zsc8I5zA3U? 投稿日: 2007/05/09(水) 10:14:18.96 ID:HQYWk+eB0

「・・なぁ、まさかこんな歳で孫ができるなんて思ってもみなかったな」

「俺らの場合はいつ妊娠してもおかしくない生活送ってたもんな。だって高校卒業から一緒に暮らしてだろ?」

「だけどな、希は同棲なんてしてなかったろ?」

希からの突然の報告・・それは予期せぬ妊娠だった。 まだ、大学在学中の希が妊娠をするとは思いもよらなかったものだ、大学在学中でも俺たちはちゃんと そういった面では気をつけていはいたのだが・・薬の飲み忘れで結局は大学卒業間近で希が出来てしまった。

だけど大学卒業間際が幸いしたのか、あいつの就職も無事に決まり俺たちは家族3人安定した生活を手に入れた。 しかし希の場合は違う、希はまだ現役の大学生で俺たちのときとは違って職すらも決まっていない。相手の父親も まだ学生で社会的にはまだまだ未熟だ。

妊娠報告の話し合いの際には援助なしと厳しく通告をしてきたのだが、果たしてどうなってしまうのやら・・

「・・まぁ、当人同士で何とかなるだろう。それよりもメシにしてくれよ」

「はいはい、わかったよ・・」

やれやれと思いながらも俺は仕方なく食事の準備をすることにした。もしかしたらこいつは延命治療などせずとも 最期は俺と一緒に過ごしたかったのかもしれないな・・

それを悟った俺はあいつが死ぬまでの数ヶ月間、あいつが朽ち果てながら死んでゆくのを見守っていった。

109 名前: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 投稿日: 2007/05/09(水) 10:17:09.24 ID:HQYWk+eB0

「あの・・」

「・・もう少し、このままでいさせてくれ」

看護婦が病室から立ち去ると何ともいえない喪失感が俺の中で漂いながら妙な脱力感に襲われた。 あいつがこの世から去って数時間後・・俺は未だにあいつの病室から付きっ切りでおり、ベッドから眠っている あいつの顔はとても綺麗なもので、今にもベッドから飛び起きて俺を驚かせてくれるものだと思いたい。 人間というのは案外死ぬときはとても呆気ないもんだなと思ってしまう、今ベッドで眠っているあいつはほんの 数時間前まではちゃんと“生きていた”のだ・・

じっとあいつの顔を見つめているとあいつの顔に何か染みみたいなのがついていた、そっと俺はそれに触れると 妙に冷たく温かみのあるものだった。まだ死んでいてもあいつの体温はちゃんと残っているらしい、何かに期待した 俺はそっとあいつの手を握るが・・脈がないのを悟るとそのまま現実の痛さを痛感した。

だけど俺はそのままベッドにいるあいつを抱き寄せてあいつから発せられる体温を根こそぎ体に染み込ませた。

――抱いて・・     

        ――抱いて・・

俺は微かに残っているあいつの体温と香りを忘れないためにも俺は必死であいつの亡骸を必死に抱きしめた。 まだ、あいつは微かにだがこの世に残っている、それを何としても自分の体に取り込んでおきたかった・・

110 名前: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 投稿日: 2007/05/09(水) 10:19:26.97 ID:HQYWk+eB0

葬式の日取りは淡々と決まったのだが・・そのとき俺は余り葬式など考えられずに希にすべてを任せると あいつが眠っている布団に付きっ切りになりながら葬式のことなど考えられない心境だ。

ふと、後追い自殺という世迷いごとを思いついてしまった自分が惨めだった・・

再び死に化粧を施したあいつの綺麗な顔を見るともう死んでしまったんだなぁっと自覚してしまう。 いつしかこいつの存在は俺の中でかなり大きなものへと変貌しており、死んだと自覚したときは涙すら出ない・・ あいつが死ぬ間際、孫と遊ぶなどと言っていたがそれは単なる俺の強がりでしかなかった。だからあいつにも すぐに見透かされ“愛している”などという戯言を聞かされてしまい、その言葉はまるであいつが俺に遺言を言って いるようでならないものだった・・

葬式のときは涙など流さずに淡々と進んでいく暗く悲しいものであり、人の死というのを改めて俺に再認識させるものとなった。

111 名前: ◆Zsc8I5zA3U? 投稿日: 2007/05/09(水) 10:21:19.75 ID:HQYWk+eB0

釈然としたまま葬式が終わると俺の中ではとある変化が起きていた。 まずは長年欠かさずやってきた合気道をぴたりと辞めてしまっていた、もう自分で身を守ることも ないだろうと思っていたし、前々から考えていたことだ。 だけど最大の理由はやはりあいつがこの世から去ってしまってからなんだか合気道をやる気すら なくなってしまった。

そして俺は徐々に抜け殻のように生きる気力をなくしていった・・

「ママ・・最近元気ないね」

「・・お前は俺の心配よりも自分の心配しろ」

たまたま遊びに来た娘に切り返すと俺は呆然としながら空を見ていた、既にそのお腹に新たな命を宿している 希だが俺の心配の種とすれば小説家という職業でちゃんと生活できているのだろうか心配になってしまう。

本人によるとちゃんと印税とかでささやかな生活をしてるらしいのだが本当に大丈夫なのだろうか?  俺たちの場合と違って希は一歩間違えれば子供諸共、路頭に迷う生活が待ち受けているのだ。

112 名前: ◆Zsc8I5zA3U? 投稿日: 2007/05/09(水) 10:22:08.85 ID:HQYWk+eB0

「でも、なんで同居はきっぱりと断ったの? ママとブーンおじさんは友達なんでしょ」

「あのなぁ・・俺は今までお前やあいつと過ごしてきたこの家で残りの一生を暮らしていくんだよ」

今から数日前、遊びに来たツンが一緒に同居しないかという提案を俺に出してきた。 多分、あいつが死んでから抜け殻になっている俺を見かねてちょっとした気遣いで誘ってくれたのだと 思うのだが・・俺はあいつが遺してくれたこの家を離れるつもりはなかった。あれからツンも諦めたようで ちょくちょくドクオや内藤・・それにあいつの妹が家に遊びに来てくれる程度にとどまった。

――だけど、あいつがいない寂しさは結局変わらなかった・・

113 名前: ◆Zsc8I5zA3U? 投稿日: 2007/05/09(水) 10:23:27.17 ID:HQYWk+eB0

数日後、物置にあるあいつの遺品を整理していると・・見覚えのある日記帳がでてきた。

「これは・・昔、あいつがバカみたいにつけていた日記だな」

その日記帳は昔からあいつがつけていたもので偶然発見したものであった。 あの時は希と悪戯心が働いて内緒で日記帳に書き込んだことがあったのだが、よくよく見てみると 過去の俺のことが満遍なく書いてあったのでまだ心の整理がつかない希に見られないようにあいつが 厳重に隠したっと言っていたのだが・・まさかこんなところで発見するとは思ってもみないものだ。

日記帳を見つけた俺はじっとその中身を見つめていた。日記にはいろいろなことが書かれており、今まで あったことの思い出やあいつが俺に対する気持ちなど日記にはいろいろなことが書き記してあった。

日記をすべて読みえ終えると頬からスッと伝わるものがあった・・

「――お前はちゃんと生きてるんだよな・・」

日記帳を抱えながら俺は希に宿った新たなる命でまたあいつに会える・・そんな気がした。

―fin―


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最終更新:2008年09月17日 19:01
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