『幸せの宝箱』(1)

「おー、頑張ってるな、受験生」
 八月半ばの学校の図書室。
 受験勉強をしている三年生―――僕たちの神経を逆撫でる呑気な調子の声が、僕のいる机の横から飛んできた。
 みんな一瞬だけ殺気立って。でもその声の主を認めた途端に、なんだまたかという感じで自分の課題に目を戻す。
 こいつがこんなことを言うのはしょっちゅうのことだから。
「今日は早かったね」
 もちろん僕もそんな言葉には慣れてるから、「そっちだって受験生じゃないか」というつっこみは今更せずに、机の横に立っている神津に座るように促した。
 なぜ同じ学年のはずの神津がこの時期にこんなことを言うのか? その答えは至極簡単なことなんだ。
 神津はもう進学する大学が決まってるから。
「さて……奥本さま、この弱輩者にどうかお力を!」
 座るや否や、すごい勢いで机に手をついて、バッと頭を下げてくる神津。
 僕はわざとらしく溜息を吐いてから、神津が待ち望んでいるだろう紙の束をバッグから取り出した。
「ほんとは自分の力でやらなきゃいけないんだよ?」
 本気でそう思っていないくせに……と意地の悪い声が心の中に響いた。
「サンキュ!」
 賞状の授与のように、神津は僕が差し出した数学の宿題を両手で受け取る。
 数学の先生が出した夏休みの宿題。
 もう三年生ということで、別に絶対やらなきゃいけないものでもないんだけど、受験対策も兼ねていて、今までの総復習になる問題がうまい具合に集められたものだったから、たかだか数枚のプリントだけどけっこう役に立った。
 それにこれを提出したらなんだか成績にプラスしてもらえるらしいから、やっておいて損はないしね。
「あっ~! やっぱ無理だわ!」
 まるで言い訳のようなことを心の中で思っていると、神津が小さな声で叫んでいた。
「やっぱり?」
「ああ、答えも解き方も書いてあるのに、全然理解できねー」
 もう大学も決まってて、成績もまあまあな神津だけど、数学だけはもう本当に壊滅的と言っても過言ではない。
 だから僕がやり終わったプリントを神津が写すという今の状況になってるんだ。
 プリントを眺めただけで心が折れたらしい神津だけど、それでものろのろとペンを動かし始めた。ただ機械的に写すだけじゃなくて、理解しようと頑張ってるのがわかる。
 楽をせずにちゃんと自分の力にしようと頑張るのは、神津の良い所だと思う。
だったら写すってこと自体おかしいことだ、と思われるかもしれないけど……、本当は神津のためにならないことかもしれないけど、これくらいは許して欲しい。
 卒業まであと約半年。
 少しでも良いから、神津との時間を持ちたかったんだ。


 神津は陸上の選手なんだ。しかも全国レベルの。
 だから陸上の方の世界ではかなり有名で、早い所は六月の頭あたりから神津のスカウトに来てたりしてた。それが最近どこの大学に行くか決まったらしい。じゃなきゃ冒頭のセリフが言えるわけがない。
 地元の国立志望の僕と違って、神津は隣の県の陸上が強い大学に行くことになっている。
『実家から離れすぎず、かといってちょくちょく来れないような距離の所に一人暮らしがしたい』
 前に神津が言ってた通り、この町から乗換えを失敗すると四時間近くかかる大学に神津は行くことになって、それで春から一人暮らしになるんだって。
 ……できることなら、神津が行くことになってる大学に僕も行きたい。
 両親はけっこうほがらかな人たちだから、僕がどこの大学に行きたいと言っても、ちゃんとした理由があればどこでも許してくれると思う。
 でも…ちゃんとした理由ではないんだ。
『神津が、その大学に行くから』
 こんな理由じゃ納得してもらえないのはわかってるから、絶対に両親に言い出せないし……、もし神津がどうしてと聞いてきたりしたら、僕はまともに説明できない。
 だって……。
「そういえばさ~、奥本」
 赤本の国語のページを開いたまま、僕はボーっとしていたらしい。不意に神津に話しかけられて内心動揺する。
 それをバレないように装いつつ、神津の方に視線を移せば、神津の手元にはいつの間に持ってきたのかバスケの漫画が数冊置いてあった。
「ちょっと。ちゃんとやんないなら…」
「いや、なかなか集中できなくてさ…。それはともかく、今度いっしょに九広祭りに行かないか?」
 九広祭りというのはこの辺一帯で一番大きな夏祭りのことで、九広神社というのがある小さな山(というより丘かな)全体に出店とかが並ぶんだ。
「……そういうことは彼女に言ったら? ちょっと前に他校との合同練習で出来たって言ってたでしょ?」
「それ、いつの話だよ…? とっくにフられてるっつーの」
 その言葉にどこかで喜んでいる自分に気づいて、また自己嫌悪が襲ってきた。
「山下と永井も行くって言ってるからさ。受験勉強の息抜き息抜き」 クラスメイトの名前も挙がって、渋々という感じに見えるように頷いた。
 残り少ない日数。だから少しでも多く、神津との思い出を作っておきたかったんだ。



 神津のことを好きになった理由は分からない。色んなことが重なって、それでいつのまにか……としか言いようがない。
 でも、最初のきっかけはちゃんと覚えてる。二年生に上がってすぐのころ。
 数学で先生が休みの時だった。授業がない代わりに、と副担任の先生が数学のプリントを持ってきて、みんなは仲の良い人たちで集まってわいわいとしながら問題を解いていた。
 それでも僕だけは、それを一人でやっていた。
 よくあることだったんだ。
 人見知りしてしまう僕は一年生のときは最後までちゃんとした友達ができなくて…。
 そして、それに拍車をかけることが起きてしまっていたから……、二年生に上がってからも、まともに話す相手がいなかったんだ。
 男の子だけに現れる、あまりにも不条理な現象…。
 二年生になってすぐ、それに僕は襲われて……『女の子』になってしまったんだ……。
 僕が女の子になった途端、周りの僕の扱いが急変した。……主に男子。
 クラスメイトのほとんどの男子が、突然奇妙なほど親切になった。
 最初は戸惑いながらもそれを嬉しいと思ってたけど、その裏に何があるかに気づいてからは……そんなふうに思えなくなった。
『あの目』で見られるのは、きもちわるくて……何よりすごく、こわい。
 だから徐々に距離を開けるようになってしまう僕に下された評価は『お高くとまってる』というもの。
 女の子の方にも、馴染むことはできなかった。
 それまで仲良くしてた子なのに、少し席を外そうものなら、いない間に話されるのはその子の噂と悪口。
『空気が読めない。協調性がない』
 これが漏れ聞こえてきた僕への悪口。
 結局、前以上に居場所がないクラスに行くのは、辛くなっていった。人と話すのが怖くなってしまっていた。
 だから余計に自分から話せなくなって…、また誤解されて……の悪循環に陥りかけていた時だったのかもしれない。
「なあ、ここってどうやるかわかるか?」
 すぐにプリントも終わってしまって、何をすることもなくぼうっとしていた僕は、それが自分に向けられた言葉だとは最初は気づかなかった。
「お~い?」
「……えっ?」
 目の前で手をひらひら振られて、ようやく席の横に立っている人に気づく。
 そこには居たのは、神津だった。
 二年になってから同じクラスになって、すぐにクラスの中心になっていた神津がいきなり話しかけてきたことに驚いて、何も言えずに神津の顔を凝視してしまう。
 すると、クラスメイトの一人が神津に寄ってきて、何やらを耳打ちをした。
 たぶん……、僕の悪口だと思う、けど……それでも僕は何も言えなかった。
「そのくだらない噂は誰が言い出したんだ?」
 とてもとても冷たい声にびくっと肩が竦む。だけどそれは僕に向けられたものではなかった。
「んだよっ、なにキレてんだよ」
「…わるいな、あんまりくだらなくて腹が立っただけだ」
 口では謝っていても、神津の口調は怒っているままで…。それに気圧されたクラスメイトはぶつぶつと言いながらもすぐに去っていった。
「…で? この問題ってどうやるんだ?」
 そしてすぐに僕に向き直って、神津は同じことを訊いてきた。たった今まで不機嫌そうだったのに、そんな素振りは見せずに。
「…あ、この、問題はね…」
 嬉しかった。今までまったく話したこともないのに、噂をくだらないものだと、僕と噂を切り離して考えてくれることが、どうしようもなく……。
「ああ、そこで計算がそっちに行くわけか!」
 問題の解き方の説明を終えると、わかったのかずっとハテナマークを浮かべていた神津の顔が一気に晴れやかになった。
「ちゃんと説明できたかわかんないけど……」
「いや充分だって! うわ、すげー、一発で意味分かったわ~」
 どうやら神津は数学が苦手だったらしい。数学の課題をさっさと終わらせることできたのがよっぽど嬉しかったのか、何度も口の中で「すげー」とか呟いていた。
「マジでありがとな!」
 何の含みもないお礼の言葉に、まともな返事はできなかった。
こんなふうにただただ好意だけを向けられるのは本当に久しぶりで、何を言えばいいのかわからなかったんだ。
 でも神津は気を悪くした風でもなく、ポンと僕の肩を叩いてから自分の席に帰っていった。
 ……触れられた肩は、どうしようもなく熱かった。



 今考えると、たぶん僕はこの最初の時から神津に惹かれてたんだと思う。
 でもそのうちに、ずっと神津のことを目で追ってしまっている自分に―――その理由に気づいてしまった時は、本気で自分を信じられなくなった。
 相手は、男なのに……自分は元男なのに……って何日も悩んだ。
誰にも相談できなくて、苦しい思いを抱えたまま…ずっと悩んで……。
 ようやく僕が出した結論は、このままの関係でい続けることだった。
 最初のあのことがきっかけで、神津とはぽつぽつとだけど話すようになって。そしてそれに続くように神津以外のクラスメイトとも少しずつ話せるようになっていった。
 一学期が終わる頃には、神津との会話は勉強のことばかりから、普通の、友達がするような会話もできるようになって……、それだけでもすごく嬉しかった。
 二年の三学期にあった修学旅行の時も、自由行動の班に誘ってもらえて、いっしょに撮った写真が何枚かある。
 胸のうちに感情を押し隠したまま、普通に接するのはたまに苦しいときもあったけど、これ以上何も求める必要なんかない。
 もし告白なんかして、引かれるどころか、嫌われでもしたら…、僕は立ち直れなくなる。
 いや、そんなことを思うこと自体最初から間違ってる。神津にはちゃんとした彼女ができるくらいなんだから、元々男だった僕に視線が向くことなんか有り得ない。
 たぶん神津からしたら、僕なんて卒業したら忘れてしまう程度の、女の子になってしまったということしか特徴のない奴なんだろう。
 ……でもそれでもいいんだ。
 どんな理由でも、今はまだ、いっしょにいられるから。
 神津に忘れられてしまうのは辛いと思うけど、それを止める権利なんか僕にあるはずもない。
 …だけど卒業して、何年後でもいい。
 同窓会の時でも、ばったり会った時でもいいから……、僕のことを思い出して、『あの時は勉強見てくれてありがとな』って笑って、その一言だけでも言ってほしい。
 それだけで、たぶん僕は幸せになれると思うから。


 お祭りに行く、ということをおととい母さんに話したところ、その日のうちになぜか浴衣を買ってきた。……僕用の。
「いいよ、別に。着ない方のがたぶん楽……」
「いいえ! こういう時に格好でアピールできるのが女の特権なのよっ!!」
 ……さっぱりわからない理屈に結局押し負けて、僕は浴衣を着せられることになってしまった。クリーム色の地に種類はよくわからないけど薄紅い花という浴衣。
 鏡を見て、別に変ではなかったけど、やっぱり動きにくい……。
「とりあえずこんなもんだろうけど、もし帯がきつかったり直したくなったときは……」
「……いってきます」
 そろそろ時間が近づいてきて、長くなりそうな話を聞かずに家を出る。
 夏の長い日が傾いて、少しだけ温くなり始めた空気の中をゆっくりと神社の方に向かう。
 ……神津はもう図書室に来なくなった。何度かに分けてプリントを写し終わったから。
 だから、今日会うのは数日振りだ。
 慣れない格好のせいでゆっくりめに歩いていたのに、僕はかなり早めに集合場所に着いてしまった。もちろんまだ誰もいない。
 集合場所というのは神社のある丘の入り口付近。会場にはまだあるのにすでにかなりにぎやかだ。だから人の邪魔にならないように端の方でみんなの到着を待つことにする。
「おっ、奥本。珍しい格好してるな」
「馬鹿、なんだその言い方は」
 僕が待ち始めてから五分もしないうちに、残り三人のうちの二人が姿を現した。
 山下と永井。二年生のころ、神津つながりで出来た友達だ。
 実は永井も一年生の時に女の子になってしまったという同じ境遇で、神津たちにはできない相談をしたりしてる。
 神津もそうだけど三年生になってからも同じクラスで、こうやってたまにいっしょに遊んでるんだ。
「早かったね」
 約束の時間まではあと十分以上ある。
「ああ、その理由だけどな、俺らちょっといっしょに回れなくなったんだわ」
 突然の山下の言葉に首を傾げると、横にいる永井が急に俯いてしまった。
「俺らなー、付き合うことになったから!」
「なっ…!?」
「え!?」
 いきなり永井の肩を抱いての山下の爆弾発言に、永井は顔を跳ね上げ、僕は思いきり目を丸くしてしまった。
「お…まえっ、もっと違う言い方するって……っ」
「いや、やっぱり嘘はいかんだろって思ってな」
 ――え、これ……ダレ…?
 目の前で顔を真っ赤にして、山下に噛み付いている友達を呆然と見てしまう。
 いつもならどこかクールで女の子なのにカッコいいって言われるほどの永井なのに、今やもうその面影なんかない。
「っの馬鹿! それしたってまだ他の伝え方が……!」
「はいはい、ごめんな?」
 恥ずかしいのかなんなのか、激昂してる永井は、山下に頭を撫でられてもっと顔を赤くする。
「もう、知らんっ!!」
 ついには身を翻して、一人でお祭りの会場に向かってしまった。
「じゃ、花火の時にでも合流できたらしようぜ」
 それだけ言い残して山下も永井の後を追って行ってしまった。
 ――いいなー……。
 思わずそう漏らしてしまいそうになる。
 あの二人がうらやましかった。
 中学の頃からいっしょだというあの二人は、何をするにもいっしょにいて、それがたぶんあの二人にとっては自然なことになっている。
 しかもその上で、ちゃんと付き合うようになったんだから、すごくうらやましい。
 僕と神津も……と考えて、ゆるゆると頭を振る。
 神津は僕をただの友達だと思ってて、なのに僕は神津にそれ以上を求めてしまう……。向こうからも同じだけのものが返ってくるなんて有り得ないのに……。
「はあ…」
 不毛なことを考えてしまって、一つため息をつく。
 それ以上馬鹿なことを考えてしまわないように、思考を止めてぼんやりと神社のほうに流れていく人の波を見つめる。
 家族とか、友人同士とか、恋人とか…色んな関係だろう人たちが絶えず行き交っているのを眺めるのは何となく楽しくて…どこかさびしかった。
「わっ!!!」
「――――っっ!!!??」
 突然の後ろからの大声に、僕は声も出ないくらい思いっきり驚いて。 そして恥ずかしいことにそこでへたりこんでしまった。
「なっ、ちょっ、大丈夫か?」
 自分でやったことのくせに、焦った感じの口調で僕に訊いてきた。
「だ、大丈夫…だけど、ひどい…」
 僕の後ろから前に回りこんできた神津を軽く睨み上げると、神津は気まずげに目を逸らして頭を掻く。
「ごめん。悪かった」
 短い言葉だけど、そこにちゃんと心がこもってるのはわかって、僕は立ち上がりながら口を開いた。
「もう、いいけど。苦手だから…こういうこと、もうしないでよ?」
 神妙な顔をして神津が頷く。この顔は陸上をしている時の顔と似ていて、つい見惚れてしまいそうになるけど…。
「そういえば、あの二人は先に行ったよ。今付き合ってるんだって」
「は? なんだそれ!? いつからだ?」
「あ、ごめん。それは聞いてない。でも花火の時に合流できたらしようみたいなこと言ってたから、その時に聞けば……」
「や、たぶん無理だろ」
 どうして、と首を傾げて神津のことを見上げる。そんな僕に気づいたのかコホンとわざとらしい咳払いをする神津。
「まあ、それは……な。うし、じゃあ、二人で行くか?」
 しょうがなくとかじゃなくて、純粋に誘うだけの声の調子。
 宝箱に入れて、しまっておきたいくらい嬉しい言葉に、もちろん僕は頷いた。
 そして二人で会場へ。祭り会場は例年通りかなりの人がいて、その雰囲気は嫌いなものじゃないんだけど、やっぱりかなり歩きにくかった。
 しかも今年は浴衣まで着てるから余計に歩きづらい。
 そんな中を器用にさっさと行ってしまう神津に追いつけなくて、それを見かねた神津が途中から僕の手を引いてくれた。
 恥ずかしくて…跳ねてしまう鼓動も気づかれたくないのに、僕はずっと手首を握られていることを選んだんだ。
「そういえば言い忘れてたけど。その浴衣似合ってるな」
 また宝箱に入れる言葉を貰えて、内心で母さんに感謝する僕だった。


 お祭りに来たら、やることなんか似たり寄ったりだと思う。
(かき氷、焼きそば、フランクフルト、お好み焼き……)
 心の中で指を折って、今まで神津が食べたものを数えていく。そう、今僕たちは出店の食い倒れをしているんだ。
「さ、次は何を食べるかな」
 たった今まで食べていた牛串の串をゴミ箱に捨てて、神津はまた新しい出店の物色を始める。
「ね、まだ食べるの?」
 僕の方はフランクフルトの時点でお腹がいっぱいになってて。
 神津が食べるのをちょっとずつ貰ってたんだけど、それでもこれ以上食べるのはちょっと無理だった。しかも少しだけど気持ち悪くなってきてる。
 でも言葉にしなかったそれを神津は悟ってくれたみたいで。
「ああ、重いもんばっかだから奥本にはちょっときつかったか。でも悪い、俺ちょっとあれだけは食っときたいんだわ」
 そう言って指差して、そのけっこう先にあったのはから揚げ棒の屋台。
「あそこのやつはすげーうまくてさ、だけど毎年こん時にしか食えないんだよ」
 まるで子供みたいに目をきらきらさせている神津がおかしくて、少しだけふきだしそうになった。
「わかった。じゃ、僕ここらへんで待ってるから」
 ちょっと休みを入れないとこの人ごみの中を歩くのは辛くて、僕の言葉に頷いてから神津はその屋台に向かった。
 ――やっぱ、かっこいいな~…。
 神津の後姿を見送ってから、ふっと息を吐く。自分で思うより緊張していたのか肩が強ばっていた。
 いつも学校で会ってたし、遊ぶにしても山下と永井もいっしょだったから、好きな人と二人で歩くのがこんなにも緊張するものだっていうのは今日初めて知った。
 緊張するけど……これが二人で行動できる最後なんだから。
 ちゃんと心の中に残しておこう。
 いつでも思い出せるように…。
 この状況を作ってくれたあの二人に密かに感謝していると、ちょうど人ごみの隙間から、から揚げ棒の屋台付近にいる神津を見つけた。
「ぁ……?」
 変な声が出てしまった。なぜなら神津が知らない女の子にいきなり声をかけられたんだ。
 遠くて話の内容も、女の子がどんな顔をしてるのかもわからない。だけど神津を取り巻いてる雰囲気が一瞬だけ変わった気がした。
 嫌な予感に駆られながらその様子を見ていると、不意に神津がこっちの方を見て……、そして申し訳なさそうに片手を上げた。
 ――それは、どういう意味…?
 考えるまでもなかった。神津はそのまま女の子と一緒に人の波に消えていって、僕だけが一人残される。
「どうして……?」
 我知らず、口からそんな言葉が漏れていた。
 そんな可能性は一つしかないだろう、とまた意地悪な声が頭の中に響く。
 わかってるくせに、なんでわかってないフリをするんだと心の中の声は僕を責めたてる。
 ……だって認めてしまったら、どこまでも自分が惨めだから。でも認めざるを得ない。だって今、実際に目の前で起こっちゃったから…。


 神津の中では、たった今出会ったばかりの女の子より、僕の方が重要でないってことを……。


 女の子と僕では、女の子の方が魅力があるのは当然だ。だって僕は男だったんだから。
 でも普通の友達ならせめて事情を言ってから、女の子と行くと思う。
 つまり…片手で済まされてしまった僕は、それにすらなっていなかったってこと……。
 頭が殴られたように痛む。
 好きで…本当に好きで……、その願いは絶対に叶わないからずっと押し込めて…。だから友達でいようとしたのに、それすらも僕の勝手な思い込みだったんだ…。
 日が暮れて、提灯とかが辺りを照らしている。
 もうここに居たくない。
 帰ってしまいたいのに足を動かすことができなくて、しばらく僕は立ちすくんでしまっていたと思う。
 それでも神津は戻ってこなかった。
 この期に及んで、まだ神津が戻ってきてくれるんじゃ…と思っていた自分に気づかされて…、滑稽で、情けなくて…、悲しくなった……。
 周りはにぎやかなのに、僕だけ音が無くなってしまったかのような喪失感が襲ってくる。
「………っ」
 不意に喉の奥が苦しくなってきて、やばいと思う間もなく涙がこぼれた。
 こんな所で泣くのなんか嫌なのに、止めることができなくて僕は茂みの奥に逃げ込んだ。
 ――もう、だめだ…。
 何がだめなのか自分でもわからないまま、ただ溢れてくる涙を止めることだけはできずに、僕はその場に座り込んだ。
「…っ、……ふぇ…」
 悲しくて、苦しくて…。
 それでも心の中に在り続ける感情を捨てることは、できなかった……。

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最終更新:2008年06月14日 00:34
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