『誘い』

254 名前: ◆Zsc8I5zA3U? 投稿日: 2008/01/19(土) 02:55:46.81 ID:7/R0GTIk0

綺麗な華には棘がある、薔薇の花を例えたこの言葉にはどこか深みを感じる。自分はナルシストではないと 自覚はしているが、商売柄自分自身の身だしなみには最低限気を遣わなければいけない、舞台の上に立って 観客から浴びせられる視線・・初めの頃はすごく緊張したが、今ではそれが私にとっての最大の楽しみであり 自分とはまた違ったもう一人の自分を出すことが出来る。

女優という職業についてもう数十年以上・・女体化シンドノームという病気がこのようになるとは誰も想像できないだろう。

「・・もうすぐで開演時間か」

私・・女優、平塚 沙織の舞台が始まる。舞台が始まるのと同時に観客からの熱い視線が容赦なく私の演技を 見定め何かを感じてくれる・・このアメリカと言う広大な土地に私の名前が通っているのは純粋に嬉しいことだが それと同時にプレッシャー染みた物を常に感じるもので時にはそれに押し潰されそうになったときもあるのだが、 周囲や友達・・そして家族と言うかけがいのない存在が今の私の糧となりプレッシャーを押し切ってくれる。

そんな経緯を経て今の私は存在があるのだと思う。

255 名前: ◆Zsc8I5zA3U? 投稿日: 2008/01/19(土) 02:56:55.05 ID:7/R0GTIk0

控え室・・舞台も無事に終わって私はとりあえず自分の仕事をやり遂げた事にほっと一息つく、今回のNYの公演を 最後にこの舞台は幕を閉じる。そういった意味でも今回の公演には他の役者やスタッフも含め、熱気のある現場 だったと思う。だからこそ最後の最後で観客を心の底から感動させる大舞台が出来上がっているのかもしれない。

「今日はお疲れさま、沙織。とても良い舞台だったわ」

「先輩・・」

影からひっそりと私に賞賛の言葉を送ってくれる一人の女性・・この人こそ私の通っていた高校の演劇部部長であり 演技の師範、私の役者の才能を大きく引き出してくれた恩師でもある新藤 茜先輩だ。今は私の専属マネージャーと 言う形で落ち着いているが今でも不思議なぐらい、演劇と言う世界であらゆるマルチな才能を有しながらも私だけの ために付きっきりになってくれるのは光栄の極みだ。 部長時代には誰にも真似できない表現力、言葉では言い表せないほどの指導と一人一人の能力に合った脚本製作 の才能に加えてその器の大きさで演劇部を常に最高の形で引っ張ってくれていた。 その卓越した才能を買われて一時は超一流の演劇団体に籍を置いていたようだが、私のアメリカ留学を聞きつけて 何の躊躇もなく演劇団体を辞めて私と共に渡米、その輝かしい将来捨ててまで私一人のためだけにその才能を 注ぎ込んでくれて今日まで至っている。先輩との二人三脚で女優、平塚 沙織が生き続けていると言っても おかしくはないだろう。

256 名前: ◆Zsc8I5zA3U? 投稿日: 2008/01/19(土) 02:58:54.84 ID:7/R0GTIk0

「今回は妖艶な悪女役で出番も少ししかなかったけど見事に話の役に染まっていて輝いていたわ。 でも今回は何でこの役に決めたの? 今の沙織なら主役に選ばれたって・・」

「・・私よりも才能の溢れる有望な若い人のほうが主役に向いてますよ。 それに前に先輩が言っていたじゃないですか“主役は他の役に持ち上げられてこそ本当の主役よ!”って ・・だから私も主役を持ち上げたかったんですよ」

先輩の言うように本来この舞台の主役には私が行くべきはずだった、そのように事務所を通して向こうからの 正式なオファーも来ていたしそのままだったら何の問題もなく主役を引き受ける筈であったのだが・・あえて私は 主役を蹴ってこの妖艶な悪女役を引き受けた。

その理由はただ単に本来の悪女役をやるはずだった女優が主役に向いていそうなのと、昔の初心も忘れ掛けだった のでその感覚を再び味わうためにこの悪女役を選んだのだ。この私の決断に当然の如く向こうにとっては驚愕の 連続でこの舞台の責任者一同が直々に私と対面し、何とか考え直してくれないかと言う返答が帰ってきたのだが それでも私はこの決断を揺るがす事は絶対になかった。その結果向こうの方も止むを得なくキャストの変更を 渋々認め、この舞台の公演が決定したのである。

257 名前: ◆Zsc8I5zA3U? 投稿日: 2008/01/19(土) 02:59:16.99 ID:7/R0GTIk0

「現に私の決断は正しかった。主役の女優は私の期待に応えてくれるかのように懸命に演技をして私よりも 輝いていました・・それに私もこの役を通して昔、先輩と一緒に様々な劇場を通いまくって苦労し続けてた あの頃の感覚が甦ってきて楽しかったです」

「そうだったの・・でもあの頃は色々と無茶したわね。あの時は毎回毎回ちょっとした役ばかり与えられて日々の 生活に困りながらも“絶対に沙織を大成してやる”想いでここまで来たっけ。

あの頃は身体が粉々になるほど沢山の苦労はしたけどその分楽しかったな」

「先輩は今でも私の恩人ですよ。先輩の存在がなければ私はハリウッドの常連になれませんでしたから・・」

「・・私は沙織が持ちつくしている全ての才能を限界以上に引き出すきっかけを作っただけ。 ここまで来れたのは他でもない沙織の実力よ」

いつものように私を立て続けてくれている先輩、時には周りが私の行動に反対してもいつも先輩だけは私の味方で あり続けてくれて時には直接事務所の社長と直談判した逸話もあるぐらいだ、それだけ先輩は女優として私の事を 常に立て続け自分はあくまでも黒子として徹するのだろう。並の人間では到底出来ないその姿勢に感服してしまうものだ。

258 名前: ◆Zsc8I5zA3U? 投稿日: 2008/01/19(土) 03:00:17.87 ID:7/R0GTIk0

「・・っと、つい昔話が過ぎたわね。今後のスケジュールだけどこの舞台が終わったら少し休養して次は韓国と中国で 映画の撮影、その合間を縫って今度はヨーロッパでいつものようにドラマの撮影を半年掛けて行うわ。 それが終わったら今度は次の舞台の稽古が始まる予定よ」

「そうですか、アメリカに戻れるのはいつぐらいになります?」

「そうね・・ちょうど映画の撮影が終わってドラマの撮影が始まる間になら戻れるかな?  大丈夫よ、もう少し家族と一緒に過ごしたいのなら一ヶ月ぐらい休みも確保してあげる」

「うちの子供たちはあいつ同様に私の仕事を理解してくれてますからその辺は心配しなくても大丈夫です」

「でも、來夢ちゃんのほうがかなりヤバイ病気なんでしょ? 旦那さんもあのでかい会社を経営しているのだから あなたよりもそこら辺は厳しそうね・・やっぱりもう少し映画の撮影ほうを延期してもらおうか?」

「大丈夫です、來夢には慶太や香織ちゃんもついてくれていますから心配する事はありません。 逆に仕事を休んだら今度は私が3人に心配されますよ」

女体化して治療不可能な病を持ってしまった來夢については当然心配だし、出来ることなら母親としてずっと傍に いてやりたいと思っている。だけども來夢はそんな私の苦しい事情にも何も文句も言わずに笑顔で応対してくれるし 長男坊も最近出来た彼女と一緒に私達の分まで來夢を支えてくれると言い切ってくれている。

先輩にはああいって見せたが、女優としての私は優秀なのかも知れないが母親としては一体どうなのだろうか?  女優と母親の狭間、子供達が産まれてから感じているこの呪縛からはたぶん一生逃れられる事が出来ないだろう・・

259 名前: ◆Zsc8I5zA3U? 投稿日: 2008/01/19(土) 03:01:29.05 ID:7/R0GTIk0

仕事が一段楽した私は自宅に戻り暫しの休養を心と頭にいれる、やっぱり自分の家にいるとまったりと落ち着くことが 出来る。子供の成長を随時見届けてやる事は出来ないが逞しく成長し続けているのは間違いないだろう。 だけどもやっぱりまだまだあらゆる面では未熟なのも確かなので親としては心配もある。親というものはそれだけ 深く、単純なものではないものだ。

「母さん、ご飯で来たよ」

「・・わかった」

時刻はちょうど9時過ぎ・・夕食にしては少し遅い時間だが夕食を抜いてきた私にとっては丁度良い時間になる。 それに家族全員揃っての食事は仕事続きの私にとっては何よりの楽しみでもある、家族と会話をすると言う事は 家族愛に無縁だった私にとっては新鮮であり長年の夢だった。親と言う概念が薄い私の人生を子供達に透視する のはあまり良くないことなのだが、この絆だけは絶対に壊したくはない。

そんな事をぼんやりと考えながら台所へ向かうと食卓には沢山の食事がテーブル一杯に並べられており、すでに 私以外全員が席に着いていた。

260 名前: ◆Zsc8I5zA3U? 投稿日: 2008/01/19(土) 03:03:20.61 ID:7/R0GTIk0

「待たせたな」

「母さん、遅いよ。今まで何を・・」

「あのね!! 沙織さんはあんたと違って色々と忙しいんだから疲れてんのよ!!」

「そういじめてやるな。半分はお前との楽しいひと時を邪魔されて不機嫌なんだろう」

「か、母さん――ッ!!」

慌ててふてめく長男坊を少しからかいながら食事は始まる。 なんだかんだ言ってもこの2人は昔から一緒に居るだけあってかお互いに自然と意識しあっているのだから 何度見ても微笑ましく思う。

そう言えば香織ちゃんが産まれたときは色々と大変な出来事があった、香織ちゃんの母親・・つまり十条の奥さんに 当たる人なのだが、この人は性格のほうは気が強く負けん気の激しかった人なのだが、その反面で生まれつき 身体が余り丈夫ではなく香織ちゃんを産む時だって医師から命の保障は出来ないと宣告されたらしい。 当然のように十条は子供を産む事を反対していたのだが奥さんの方はあんな性格だったので当然出産を 押し通し、十条も色々考えた結果・・已む無しにそれに従って無事に香織ちゃんを出産した。

だけども現実と言うものは非情なもので奥さんの身体の方は医師の宣告どおりに確実に弱まってきており、 余命もよくて2ヶ月ちょっと・・風前の灯とも思われる命の中で懸命に生きている奥さんに私達夫婦はどこか複雑な 気持ちだった。

そんな時、私は突然として奥さんの方に呼び出される。当時の私は大量の仕事を巧く切り抜けてながら訳も解らぬ まま奥さんの入院している病院へと向かうとまだ幼い香織ちゃんを抱っこしながら普段の激しさはそこにはなく、 普段の彼女を昔から知る私としてはどこか哀しい。だけども奥さんの方は私に弱々しくも心のある言葉で驚くべき 事をを申し出した。

261 名前: ◆Zsc8I5zA3U? 投稿日: 2008/01/19(土) 03:05:19.82 ID:7/R0GTIk0

“沙織さん、あなたにお願いがあるの。もう、余命少ない私の代わりにこの子の・・香織の事を頼めるかしら? 私はもう香織の母親にはなれないの・・あの人は一人でやって見せるって言ってたけどそんな子育てなんて そんな生易しいものじゃないし会社の方もアメリカを拠点に軌道に乗りかけててこれからドンドン成長するわ。

母親の顔も解らぬうちに育っていくなんて不憫すぎる、この子がどんな風に成長するのか私は見届けやる事さえも 出来ない――ッ!!

    • だから、私の代わりに香織を見守って欲しいの。あなた達夫婦が香織を見守ってくれるのならあの人も納得すると 思うわ”

だんだんと涙声になりながら奥さんは苦しい胸の内を私だけに話してくれた。残り僅かの命の中で奥さんなりに 懸命に考え抜いた結果なのだろう、産まれたばかりの子供の未来を見守ってやることも出来ずにそのまま死んで いくのは言葉では言い表せないぐらいの悔しさとやるせなさで一杯になって苛まれていたのだ。 それに私達夫婦にとって十条の存在は切っても切り離せないほどの存在だ。十条が居なければ今頃私達が 付き合えているのかどうかさえも分からないし、あいつの会社を起こすという馬鹿げた夢にも付き合ってくれたのも 十条だ。今まで十条に世話になりっぱなしの部分も多数あったのだが、それ以上に我が子を育てられない奥さんの 無念を少しでも晴らして上げたい一心で私は迷わず奥さんからの申し出を引き受ける事にした。

私のこの決断に奥さんは涙ながらにありがとうと言って大喜びしてくれたのを今でも忘れられない・・ そして香織ちゃんがハイハイするのも待たずに奥さんは静かにこの世を去ってしまった。医師の宣告よりも 1ヶ月以上も生きているのだから人間の力と言うのは不思議なものだとつくづく思ってしまう。

262 名前: ◆Zsc8I5zA3U? 投稿日: 2008/01/19(土) 03:05:32.96 ID:7/R0GTIk0

(今でも私が十条の奥さんの代わりは勤まっているのか分からないけど・・ちゃんと香織ちゃんは奥さんに似て、 たくましい性格になっているな)

私の独断とも言える決意によって香織ちゃんの身の振りは大方決まった。私が自分勝手の決断をした時に 周りからはかなりの非難を予想されたと思ったのだが、既にあいつと十条の間にも似たような約束が取り付け られていたようで私の決断は全員一致で取り決められている。

來夢や慶太、それに香織ちゃんに関しては最低限親の責務を果たすことで少しでも奥さんの無念を晴らしていると 思いたい・・

263 名前: ◆Zsc8I5zA3U? 投稿日: 2008/01/19(土) 03:06:23.28 ID:7/R0GTIk0

「そうか、やっぱり無理か・・」

“ああ、来月辺りなら何とかなりそうだがな”

食事も終わり私は電話で会社に居るあいつと今後の予定を話し合う、やっぱり先輩が言うように大企業のトップに 立つあいつの予定は秒単位までびっしりと詰まっているので休日すら間々ならぬ程度だ。だけども私の仕事場所が 近かった場合はこっそりと会う辺り、ある程度の融通は利いているのかも知れない。

“それにしても家の事は半ばお前に任せっきりで済まないな。俺もある程度休暇が取れて居たら何とかなるのかも しれないが・・”

「私だって似たようなものだ。今後も撮影やらびっしりと詰まっているから余り子供達に構ってやれないのが現状だ」

今の私からして見れば正直映画の撮影よりも家族と共に過ごす時間が欲しい、先輩は一ヶ月ほど休暇を確保して くれているらしいがだ簡単に休暇を取ってしまうと私の立場やこれまで培ってきた信頼にも大きくひびが入って しまうし、何よりも私の裏で奔走する先輩の努力を無駄にしてしまう結果になってしまう。 子供達は私の仕事をある程度は理解してくれると言っているもののやはり内心は両親が居ない寂しさを募らせて いるに違いないだろう。それらを考えるとどうも複雑だ・・

264 名前: ◆Zsc8I5zA3U? 投稿日: 2008/01/19(土) 03:07:01.05 ID:7/R0GTIk0

“・・なぁ、近々日本に戻って見ないか?”

「日本へ? お前の姉さん達にでも会うのか」

“恐ろしい事をさらっと言うな。・・高校の同窓会の誘いがあったのだが、久しぶりに2人で一緒に行かないか?”

「でも家の方を空けとくわけには行かないだろう。子供達もせっかく私が帰ってきて喜んでいるのにまた家を空ける のはな・・」

突然の高校の同窓会の誘い・・私としては行って見たい感じもするし久々にあいつと2人きりで旅行もしてみたい。 だけども私の帰宅を待ってくれていた子供達の事を考えるとなかなか家を空ける事が出来ない。それに私達夫婦が 軽々しく旅行に行ったら警備の問題もあるだろうし色々と騒がれて周りに迷惑を掛けてしまうだろう。

そのような理由も含めて今の私は同窓会など行けれない、あいつには少し可愛そうだが断っておいたほうが良いだろう。

265 名前: ◆Zsc8I5zA3U? 投稿日: 2008/01/19(土) 03:08:16.35 ID:7/R0GTIk0

「私だってお前と2人っきりで旅行もしたいが、私達が行動するだけでも色々と面倒が起きてしまう。 悪いが今回は見送ってくれないか?」

“お前がそう言うなら仕方ないな。・・それよりも十条の娘は元気なのか?”

「ああ、だんだんと奥さんに似てきているよ。十条にもそう伝えてやってくれ・・ああ、わかった。じゃあな」

電話を切り、力なくソファに座る。高校の同窓会、思えば高校時代に私はあいつと出会って愛というものを 学び取った。始めて人を愛すると言う事に最初は戸惑いつつも時間が経てばだんだんと離れられなくなってくる。 母にもこの事を話した時、初めて私の前で心から微笑んでくれた。生前、父と何があったのかは良く分からないが 母なりに父を愛して・・捨てられたのだろう。

母がどれだけ父を愛していたのかはよく分からないが、今私があいつを愛しているのと同じ感覚なのか?  それは母だけにしか分からないものかもしれない・・

(高校時代か・・そう言えばあの女は今頃どうしているのだろうか?)

私がまだ高校生の頃、同級生にひときわ異質な雰囲気を放つ女がおり、何があったのかは分からないが人を 極力嫌う傾向があって誰とも話したがらずにずっと一人で行動をしていた。私の高校時代その頃は女体化 シンドノームがようやく世間に病気として認知され始めた頃だ、その頃の私は気の会う友人も居なければ心を許して いる人間もない。そんな私が徐々に変わっていく変革の時期、それは思い出となって鮮やかに甦ってくる。

266 名前: ◆Zsc8I5zA3U? 投稿日: 2008/01/19(土) 03:09:19.28 ID:7/R0GTIk0

野外活動も終わって文化祭が近づくに連れて毎年行われる演劇部の名物でもある舞台の稽古に終われる日々・・ 最初は戸惑いつつも部活動を通じて徐々に演劇の楽しさを知った私は何かを演じると言う素晴らしさを掴みかけつつ あった。

「はい、今日はここまで! 次も放課後に公民館に集合ね」

「「「「お疲れさまでしたー!!!」」」」

時刻は8時過ぎ、並の運動部よりも活動内容を誇るこの演劇部にはいつ見ても圧巻させられる。 本来部長は体育館で練習をしたいようなのだが他の運動部の事情もあるのでこうやって市の公民館を利用している。 だけども市の公民館をココまで貸切るのは非常に難しそうな感じもするのだが、今日まで何とかなっている。

大方の片付けを終えて帰ろうとした時、急に部長から呼び出された。

「沙織、ちょっと話があるわ。悪いけど片付け終わったらちょっと残ってちょうだい」

「は、はい・・」

急に部長から呼び出された私は思い当たる節を考えてみる。今日の練習も私なりにやったつもりだったが、 もしかしたら多少のミスはあったのかもしれない。何せ部長はそういったところも見逃さない人なのでもしかしたらと 思いながらじっと部長を待ち続けていた。 そして待つこと数分後・・私の考えとは裏腹に部長の方はかなりのご機嫌で私に話しかけてくれる、部長の態度に 少し不気味さを感じながらも私は内心ホッとしながら部長をじっと見据える。

267 名前: ◆Zsc8I5zA3U? 投稿日: 2008/01/19(土) 03:10:04.18 ID:7/R0GTIk0

「実はね、沙織に頼みがあるのよ」

「何ですか?」

「・・沙織のクラスに礼子って女の子居るでしょ? その子を演劇部に勧誘して欲しいのよ」

「えっ? 勧誘・・ですか」

部長の頼みに私は内心驚きつつもどうしようかすごく悩んでいた。礼子というのは私と同じクラスで外見は ヤンキーと言う部類に入るのだが、その見た目に合わず成績はかなり優秀で学年内のテストでは常にトップを 維持している。だけども彼女には近寄りがたい雰囲気をいつも出しておりクラスは愚か学校中でも話した事の ある人は担任を除いて指で数えるほどのぐらいしか居ないだろう、それに彼女とは野外活動でちょっとした騒動を 起こしており、その時私達に対して憎悪を含んだ視線を向けられたのは記憶に新しい。

いくら他ならぬ部長の頼みでもこればかりは私には無理難題に等しい、幸いにもあの後大した事にはなって いないが今も彼女にとって私の存在はあまり良いもではないはずだ。それに何でまたこの時期に礼子をこの 演劇部に引き入れようとする部長の思惑に疑問を感じる。

268 名前: ◆Zsc8I5zA3U? 投稿日: 2008/01/19(土) 03:11:17.61 ID:7/R0GTIk0

「・・なんであの人を勧誘するのですか?」

「だってあの子、何だか演劇に向いてそうな気がするもの。あの異質な感じが何とも言えないわ」

時々先輩の感性にはわからなくなってしまう事がある、まぁ確かにあの雰囲気からして只者ではないという感じが するが性格に問題がある。あんなのだと演劇に重要なチームワークは取れないだろうしかなりの揉め事が予想され そうだ。

部長には悪いが私にとっては入部をお断りしたい、だけども部長の手前もあるのでそれらを考えるとやっぱり断る ことなど私には出来なかった。

「わかりました。・・聞くだけ聞いてみます」

「あなたにこんな事を頼むなんて悪いわね。じゃあお願いするわ」

このとき初めて私は勇気というもが必要なのだと実感した。

その翌日、私は昨日の出来た用事を果たすために昼休みを利用して礼子を探している。自分の勇気のなさとは言え 部長にああ言ってしまった手前、ちゃんと義務は果たさなければならないだろう。そう思い私は必死に礼子を探すの だが、何せ見た目からしてああなのだから何処を行動しているのかさえも分からないし、何をどうしているのかも 分からない。

一応十条に聞いてみたもののあまり分からないと言ってお手上げ状態、それに部長にはああ言ってしまったものの 役目も果たせない自分に不甲斐なさを感じてしまい、私は途方もない虚しさを感じながらあいつの元へと戻ろうと したとき・・何処からともかくピアノの音が鳴り響く、虚報感しかなかった今の私にはその音に釣られてしまうように ピアノの音源がする音楽室へと向かうと意外な人物がそこにいた。

269 名前: ◆Zsc8I5zA3U? 投稿日: 2008/01/19(土) 03:12:10.99 ID:7/R0GTIk0

「――ッ!! お、お前は・・」

「・・・」

音楽室でピアノを引いていた人物・・礼子だった。こんな場所にいたこと自体が驚きでまさに灯台下暗しと言うべき 物なのだろうか? だけども私の来襲によって今まで静かに聞こえていたピアノの音がぱたりと鳴り止み、礼子は 無言でこの場から去ろうとしたのだが私は何とか彼女を引き止める。

「待て。・・お前に話がある」

「私に話はない・・」

礼子は相変わらずの鋭利な言葉だけを残してこの場から去ろうとするが、私もみすみすこいつを逃すわけには 行かない。何とか立ち去ろうとする礼子を引きとめようと本題を突きつける。

「なぁ・・うちの部に入らないか? 部長からの頼みなんだが、一緒にやらないか」

「・・断る」

予想通りの答え、それに一応安心しつつも何か引っかかる物を覚える。何だろう、私の中で何故か納得しないものを 感じてしまう・・怒り? いや、それとは別の何かだと私の勘がそう伝えている。色々な感情が私の体の中を行き来す る中で礼子はすぐに立ち去ろうとする、ここで礼子を引き止めなければ絶対に後悔してしまう。

何故かは分からないがそういった確信が私の頭の中ではしっかりと理解できていた・・

270 名前: ◆Zsc8I5zA3U? 投稿日: 2008/01/19(土) 03:13:56.98 ID:7/R0GTIk0

「おい、ちょっと待て!! ・・なんで断るんだ」

「別にお前の誘いを断るのは私の自由だ。とやかく言われる筋合いはない・・」

「それは確かにそうだが・・お前は何でそうやって故意に自分を陥れようとするんだ」

「・・何だと」

礼子は足を止め、野外活動と同じような感じで鋭い瞳で私を突き刺してくる。私も自分で何を言っているのか あまり分からなくなっているのだが、こいつを形成している核を知りたいと言う欲求に駆られてしまう。 どうも礼子について私は余計に干渉しすぎなのだと思う、だけども一度芽生えた欲求を掻き消せれる筈もなく 私は更に語気を強め礼子に言い寄る。

271 名前: ◆Zsc8I5zA3U? 投稿日: 2008/01/19(土) 03:14:13.29 ID:7/R0GTIk0

「私はお前について何も知らない、だけども今の理由で納得できないのは確かだ。お前の本心は一体何なんだ!!」

「前にもお前は似たような事を言って俺に突っかかってきたな。・・お前に俺の何が分かる? 俺を知ってお前に 何の特があるんだ。何もないだろう・・

お前は所詮ただの人間に過ぎない・・俺の知る他の周りと一緒でな」

そう吐き捨てるように言葉を吐くと礼子はそのまま私の前から姿を消した。私には何とも言えない気持ちが佇んで しまう、私は例子の触れてはいけないところに触れてしまったのかもしれない・・それに関しては何とも言えないし どうもよく分からないが言うと言わないに関しては全く大きく異なる。 私としては今回の事には結果は出させたものの何とも言えない感覚だ、もうあいつとは関わらない方が良いの かもしれない。

それに私は知らないうちに何かに近寄ってしまう傾向がある、今回の事に関してはこれで納得をしなければ ならない事だろう。

(・・部長には返事しておこう。私はあいつの闇に近づきすぎたのかもしれないな)

自分の望ましい結果を手に入れた私であったが充分な満足は出来なかった・・

272 名前: ◆Zsc8I5zA3U? 投稿日: 2008/01/19(土) 03:15:01.68 ID:7/R0GTIk0

あれから時は流れ、私は留学をして女優に・・あいつは大企業のトップとして輝かしいほどの道のりを経て結ばれた。 血の滲むような努力と溢れんばかりの才能が結んでここまで上り詰めている、女体化と言う病にかかってしまった ものの恋人と結ばれて家族を持つと言う幸せは素直に嬉しい。普通の人でも掴む事が難しいと言われるこの幸せを 決して手放したくはないしこれからも続けたいと思う、これもあいつのいる学校へと転校をして私自身が変わって いった結果だと思う。

だけどもあの女に関してはどうだろうか? 一人では抱え切れないほどの闇を抱え自己を徹底的に貶めようとする その姿勢はたぶん一生理解せざる得ないものだろう、だけども私はそれを知ろうとした・・何でだろうか。

「・・もしかしたら知らないうちに私は欲していたのかも知れないな。自分に近い限りない理解者を」

もう既に過去の人間となってしまった礼子は今何をしているのか分からない、自分で作り出したモノに押し潰れて しまったのか、はたまた私があいつを愛するように誰かを愛して何かを見つけたのか・・それを確認してもいいのかも 知れない、そう思った私は自然と電話に手を取るのであった。



-fin-


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最終更新:2008年09月17日 19:53
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