『女将』(3)

季節も落ち着いてきた今日この頃、眠気で一杯だった春の暖かさも抜け、私の心にも徐々にゆとりが芽生えたような気がします。

この時期になるとお客さんの数も徐々にではありますが、落ち着いたものになるので私としてはゆっくりできるのでこの時期が一番好きです。商売をやっている以上、最大のメインイベントでもあるゴールデンウィークさえ抜けてしまえば、不思議と周りの流れがゆったりと感じてしまいます。

 「女将、ボケッとしてどうしたの?」

「ああ・・明美さん。なんだか周りがゆったりしていて眠いんです」

「そういや、今年のゴールデンウィークは連休多かったもんね。女将のところもかなりすごかったの?」

「ええ、毎年この時期はお店が大盛況で宿題なんてやる暇ありませんでしたし・・」

ゴールデンウィークのことを思い出すと、あの忙しさが今にも思い浮かびます。あの時は右も左も回らぬ忙しさでいつも厳しい母がより厳しく感じられて、休憩する暇すら余りありませんでした。

 だから私にとって、旧友と過ごすこのときが一番の休憩です。



「でも、女将はすごいよね。こんな歳でもちゃんと立派に働いているんだから尊敬しちゃうよ」

「そんなことはありませんよ。私はまだまだ半人前ですよ・・」

なんだかんだいっても、私はまだまだ半人前のみ・・精進を怠らないように進んでいくことが大事です。でも、働いているということは何だか微笑ましいことですよね。お客様の笑顔を思い出すたびに私たちはうれしくなって働く意欲が更に湧いてきます。

将来の夢・・最近の人は夢がないというけど私には見えてきたような気がします。

 「私はさ、このまま受験して大学へ受けて普通のOLになってしまうのかなぁ・・」

「でも、明美さんならいつかきっと愛する人とめぐり合って・・結婚していいお母さんになると思いますよ」

「それなら女将のほうが適任じゃん。気品だし家事全般もうまい・・私なんかよりも母親が板につくと思うよ」

母親・・私なんかが慣れてしまうのでしょうか?私が子育てなんてできるはずもないし、それ以前に・・まだ恋人と呼べる存在にもめぐり合えていません。

初恋すら経験したことのない私には恋愛を経て結婚などという話は夢のまた・・夢です。それに、時代が時代であれば旅館の経営が悪化して、私のような存在はすぐに大奥へと行かされてしまうに違いません。側室は愚か、将軍様には目も触れることはないでしょう・・

 のんびりとした中に僅かではありますが、退屈に近いものを感じてしまいますね・・



働くことを改めて実感した今日この頃・・嵐のようなゴールデンウィークが過ぎると、客の足を遠のいた旅館は水を打ったように静かになっていました。ゴールデンウィークが過ぎると毎年はこのようにゆっくりとした空気のままでお客様を迎えます。この時期になるとお部屋のほうもガラガラですのであえてこういった時期を狙って宿泊をなさるお客様も少なからずいらっしゃいます。

あ、そうこう言っているうちにお客様がいらっしゃいました。カップルのお客様で見た感じが夫婦のようですね・・

 「いらっしゃいませ。本日はお越しいただき誠にありがとうございます」

「あ、連絡してた春日です。今日はよろしくお願いします」

「お待ちしておりました。お部屋にご案内しますのでお荷物をお預かりします」

私はお客様のお荷物をお預かりすると、このままお部屋にご案内します。この作業は結構堪えるものなのですよね、女体化してこれほどつらい作業はほかにありません。このおかげで手足の筋力がついてしまいます・・でも、このお客様の場合はそれほど重くないので多分一泊ぐらいの予定だと思いますね。



「では、ごゆっくり・・」

いつものようにお客様をお部屋に案内すると私は静かに障子を閉めます。後は皆さんの手伝いと厨房の仕込を手伝いながら学校の宿題をこなさなければなりません。

やることがたくさんありますが、家にいながら働けるとはかなりうれしいものです。そういえば小さいころはよくここら辺で明美さんと遊んだ覚えがあります。男のときの記憶は少しあやふやですが、あの時の明美さんは何だか凛としていたような気がしてなりませんでした・・

それにここに入った頃はよく母に・・

 「・・・こえるか。おい、聞こえてるか!」

「あ!は、はい!!・・何でしょう?」

私は昔の思い出に耽っていると急にとある女の人に呼び止められました。いきなりだったので少し驚きながら振り返ると、私の後ろには先ほどの綺麗な女の人が立っていました。

確かこの人は・・さっきのお客様です。旦那さんのほうではありませんね・・それにこの人、見ていると鳴華さんと似たような空気がしますね。

私の気のせいでしょうか・・きっとそうですよね。



「ここらへんって観光名所はあるのか?」

「あ、はい。この旅館から少し離れたところに有名な神社がありまして・・

それにバスで少し行ったところにかなり大きな遊園地がございますが」

「そうか・・ありがとな」

この人・・ここら辺の観光名所に興味があるのでしょうか?私が言ったところを何やらメモに書いていました。観光客の人でしょうか・・?なら、この街のいいところをご案内しなければいけませんね。



「あの・・失礼ですがここら辺のことに興味があるのですか?」

「ん、ああ・・俺は礼子。こう見えても教師をしていてな・・旅行も兼ねて今度うちの学校の修学旅行の下見に着たんだ」

「ああ、そうだったのですか。でしたら他にもここら辺は自然がたくさんありまして、街に入るとかなりの盛り上がりようですよ」

「なるほど・・ありがとさん。他にも宿を探したけど、ここほど大人数で泊まれるここより大きな旅館がなかなかなくってな・・ここで検討してみるよ」

「ありがとうございます。では、私は仕事がありますので・・」

そう言って私は立ち去ると、次の仕事に取り掛かることにしました。修学旅行・・もうそんな時期が近いのですね、私も中学校の頃に行ったばかりなのですが・・とても楽しくてまた行きたいですね。

無事に3年生に進級したら明美さんたちと一緒に修学旅行に出掛けてみたいです。



さて、厨房に着いた私は早速、父さんと玄さんたちと一緒に仕込みの手伝いをすることにしました。

やっぱりお客がいないと仕込みは楽なような気がします。だけど気を抜いてはいけません、料理というのは作った人の心が味に反映されると父が申しておりました。こんな言葉が身に染みてしまいます・・

「楓!!これをさっきのお客様のところに運んでくれ」

「あ、はい・・」

仕込が終わったのと同時に私は休む間もなく、せっせと作って出来上がった料理は今度は私と一緒の着物姿をした女性の従業員の皆さんと一緒にお客様の下へとお運びしなければいけません。

それに仕込みも終えて時間はちょうど夜の7時・・夕食にはぴったりの時間ですね。お客様がお風呂から上がってちょうど夕食が食べたい時間ごろです。私の読みどおりにあの教師のお客様に料理を運ぶと、ちょうどお客様の表情はお腹が減ったような感じの表情でした。



「すごいね・・前にドクターからすごいって聞いたけど本当みたいだね礼子さん」

「本当だな!!それにしてもうまそうだな・・修学旅行の宿はここに決めようかな?」

「本日は当旅館にお越しいただき誠にありがとうございます。本日のお食事は採れたての海の幸を中心とした料理の数々です」

料理が淡々と並べられる中、お客様は興味津々の眼差しになりながら料理の数々を見つめておりました。料理の然程は、父と玄さんたちが丹精こめて作ったものが淡々と並ばれていくのを見るとなんだか心が豊かになったいく気がします。

大半の大まかなお刺身とか華やかなお料理はほとんどは父たちが作ったのですが、こういった細々としたのは私が制作したものもあるんですよね。それがお客様の満足につながることを想像すると・・もう嬉しくてたまりません。

私たちはそのままお客様に料理をお運びし終えると、母が最後にこう一言で〆ます。

 「では・・ごゆっくり」

 母の一言は締め方でもやっぱり違います。



今日はお客様も少ないのでゆっくりとご飯が食べれます。基本的にはお客様にお食事を運び終えた後にみんなで食べるのですが、ゴールデンウィークのようにお客様が多い日となると食べる時間すら儘なりません。

今日のように皆と一斉に顔を合わせながら食べるのは本当に久しぶりです。

 「楓、学校は楽しいの?」

「ええ、毎日がとても楽しいです」

ご飯のひと時だけ母は仕事モードから家庭モードに移行します。このときばかりは母は女将として厳しい仕事の顔から本来の優しい母の顔へと変化します・・旅館の仕事はつらいけど私はこれがあるから辞められないのです。

皆さんはそんな私たち親子を見て微笑しながら温かく見守ってくれています。

それに自宅が旅館だと後風呂ではありますが、のんびりと足を伸ばしてお風呂に入れるという利点があります。

だからよく、明美さんたちは家に泊まりたがっているのですが・・現状はお客の数次第ってところですね。

 でも、友達と一緒にお泊りはご無沙汰なので久々にしてみたいです・・



母はよく私のことを気にかけてくれます。私も女体化してからできるだけ母に心配を掛けまいと懸命に頑張って、この仕事をちゃんと続けています。そういえばあの先生は修学旅行の行き先は無事に決まったのでしょうか・・?

余計なこととは思いますが、人間というのはついついこういったことが気になってしまうものです。

 「そう・・楓、これからも頑張ってね」

「はい」

 母の気持ちに応えながらより一層の精進を貫きたいですね・・・では皆様、またのお越しをよろしくお願いします。









―fin―


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最終更新:2008年09月17日 20:24
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